03
(いいにおい)
かすかにかおるシトラスがすきだ。
大きな体に抱きしめられながら、肩口に顔をうずめる。いつからだろう、こんなふうに御影がぼくにさわるようになったのは。
どうして、さわるのだろう。こんなにフツウなぼくなのに。御影は大事そうに抱きしめる。
大きな胸と密着させるようにぎゅう、と抱きしめられるたびになんだか落ち着かないような気分になってしまう。ぼくの胸の奥の方が、ぎゅ、と締め付けられるように。きついのは密着した体のはずなのに。
「……っ」
「落ち着かない?」
「ちが、くて、そういうわけじゃ……」
「緊張してる。最近ずっとそうだ」
(この気持ちはなんなんだろう)
御影のせいだ。御影が、くらくらするほど格好いいのに、ぼくのことこうして抱きしめる。……なにか理由があるのだろうか。
――紘はいやしだよ。
いやし? ペットみたいな?
なんだろう。そういう風に考えたとき、一瞬だけよぎったのは、暗い気持ちの方だった。ほんの一瞬で、なにがなんだか分からなかったけれど。
「ひろ……」
御影の吐息が、ぼくの髪の毛の先を揺らして、頬にかかる。じん、とそこが熱くなる感覚に、体をこわばらせる。
「……っ今日は、帰る!」
耐えきれなくなったのは、ぼくの方だった。
御影の体を精一杯押すと、それはなんの抵抗もなく離れていった。あっけないほどに。
落としてしまっていた文庫本を拾い上げて、御影から距離を取る。
相変わらず表情に出ないこのイケメンは、飄々とこちらを見下ろして首を傾げている。
「どうかした?」
「……なんでも、ない」
ほっぺが、熱い。目を合わせられなくて、踵を返して屋上の出口へ向かう。
紘、なんて声が聞こえたけれど、「明日また来るね」とだけしか答えられなかった。それ以外は、なにも。
そのままぼくは急ぐようにして、屋上の扉の奥へ消えた。
「今日も、逃げられた」
ぼくには見せたことないような捕食者の顔をした御影が、屋上の扉を見据えていることには、気づかない。
ぼくが扉の向こうでへなへなと座り込んでいることは、きっと御影も気づいていない。
――明日また来るね。
ぼくと御影がこうして同じ時間を屋上で共有することは、一日の日課みたいなものであって……。だから簡単に明日に回せたんだ。
御影に抱き締められると心臓がうるさく跳ねるのはどうして?とか、ペットと聞いて嫌な気持ちになったのはどうして?とか、尋ねてしまうのを当たり前みたいに後回しにしてしまったんだ。
明日がきっとあるからって。
ぼくはこのことをすごく後悔することになる。
同じ明日が来る保証なんてどこにもなかったというのに。
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