彩雲国小説
背中合わせの僕たちは
新王――紫劉輝陛下が即位した。後ろ盾のなかった末の公子。省みられることのなった存在。
――そしてもうずっと前に楸瑛が見切りをつけた公子。





+++背中合わせの僕たちは+++





「治世は変わったけれど、君の部屋は相変わらずだねぇ、絳攸」
その言葉に、山のような書簡と向き合っていた絳攸のこめかみに青筋が浮いたがその言葉を黙殺した。
「即位しても政治には省みず。その分さらに君たち文官の仕事は増える。しかも君の場合、吏部尚書殿の代わりに吏部を取り仕切らなくてはいけない。因果な仕事だねぇ」
言い切った瞬間、書簡が入っていたはずの大きな文箱が素晴しい速度で飛んできた。片手でパシリと受け止め、机案に歩み寄り、楸瑛は絳攸にそれを渡す。

「相変わらずすばらしい腕力だね、絳攸。文官なんて辞めて武官になったらどうだい?」
「断固断る」
絳攸は楸瑛の言を短く切り捨てて再び書簡と向き合う。その間も仕事をする手を止めないところはさすがだ。
「つれないねぇ。まぁそんなところも君のいい所なのだけれど」
その言葉に、ついに絳攸の堪忍袋の緒が切れた。
「……貴様、いったい何をしに来た!」
君で遊びに、とは口に出さない。が、顔には出ていたらしくますます絳攸の眉が怒りでつりあがる。
「とっとと帰れ」
「私も暇なんだよ。主上付きにされてしまってからやることがなくてね」
ざまあみろ、と言いたげな絳攸の顔を見て、楸瑛は霄太師が絳攸の貸出の要請をしているが吏部尚書がそれを渋っている、ということは言わないでおいた。
そして近々同じ立場になるということも。

「暇つぶしなら別の場所でや」
「だから」
楸瑛は絳攸の言葉をさえぎった。この男にしては珍しいその様子に、絳攸は目を丸くする。
「君を手伝いに来たんだ」
らしくない言葉に絳攸はいぶかしむ。
外部の者に手伝わせていいのか、と悩んだのも一瞬、絳攸はそんなことは言ってられないと判断を下した。何せ、この量だ。悩んでいるうちに吏部が潰れる。
ニヤリ、と『悪鬼巣窟』吏部仕込みの笑みを浮かべたその姿は、寝不足の顔も手伝ってまるで幽鬼のようだ。
「とことんこき使ってやる。覚悟しろ」





言葉通り、絳攸は楸瑛を容赦なくこき使った。片っ端から仕事を割り振っていく。
最低限機密書類だけ目に触れないよう注意して、絳攸は楸瑛に仕事をやらせた。
楸瑛は吏部官でも、ましてや文官ですらない門外漢だというのに、書幹を片付けていく速度は並みの文官などよりよほど速い。その上手抜かりは一切なく、完璧な仕事ぶりだった。
かつて文官を辞したときに惜しまれたその才に絳攸は内心舌を巻く。が、それを素直に認めるのも癪で、それ以上に楸瑛をこき使った。もちろん自分も手は休めない。
思わぬ助っ人の存在により、書類の山はどんどん処理されていく。



すべての仕事が終わったときには、もうすっかり夜も更けていた。
吏部官たちも皆すでに退出した後で、吏部に残っているのは楸瑛と絳攸の二人のみだ。
「終わ、った……!」
「お疲れ様、絳攸」
いつも通りの笑みを浮かべる楸瑛も、さすがに疲労の色を隠せない。
山とあった書幹がすべて消えて、かつてないほどすっきりした机案の上に絳攸は突っ伏した。
「絳攸?」
「…………」
返事はない。すーすーと聞こえてくる寝息に、楸瑛は絳攸が疲れきって眠ってしまったことを知った。

「……やれやれ」
苦笑しながらも、彼をよく知る者が見たなら驚くほど楸瑛のその表情は優しい。
「……君は、無茶するから」
暇というのも本当だったけれど、本当は絳攸を心配して来たのだった。
政治を省みない昏君のせいで増えに増えた仕事で吏部は倒れる寸前だと聞いたから。
絳攸は自分のことに構わなさ過ぎる。倒れるまで仕事をする姿を、かつて楸瑛も文官であったときに何度も見てきた。


――彼がそのすべてを捧げているのは、自分ではなくて養い親であるのだけれど。





文官と武官。
紅家と藍家。

きっとこの背中合わせの関係はずっと変わることはないだろう。
それはほんの少し寂しいことだけれど――あのきれいな紫水晶の瞳に映るならそれもいいか、と思う。





眠り続ける絳攸をそのまま寝かせてあげようと、楸瑛は絳攸の髪をまとめている髪紐に手を伸ばした。起こさないように細心の注意を払ってそれをほどく。パラリと絳攸のほどけた髪が肩にかかる。窓から月の光が優しく差し込み、絳攸の銀髪にはじいてきらめく。楸瑛はそれを素直な心で美しいと思った。
楸瑛は男にしては華奢な絳攸の体を抱え上げ、吏部の仮眠室へと運び、寝台の上に横たえる。
「ん、……しゅ、え……」
はずみに絳攸が寝言をこぼした。寝言でも自分の名を呼んでくれたのがうれしくて、楸瑛はにっこりと顔をほころばせる。
楸瑛は絳攸の銀糸の髪を梳きやり、一房とって口付けた。想いと絳攸を残したまま、仮眠室から出ようと楸瑛はきびすを返す。

「……ありがとう」
聞こえたつぶやきは、寝言だったのか、それとも本心のものだったのか。
驚いた楸瑛は振り向いたが、絳攸は相変わらず眠っている。
「どういたしまして」
楸瑛はにっこりと優しい笑みを浮かべ、仮眠室を後にした。






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