故に、竜は色を繋ぐ 7 いつからだろう。俺が早起きをやめたのは。 以前は早く起きる事の方が多く、誰かが起こしに来るまで布団の中で胸を躍らせていた。今日はどんな事があるんだろうと考えるだけでわくわくしていたのに。 今は誰かが部屋に入ってくるだけで嫌な気分になる。そんな朝を思うと夜も眠れなくて結局いつも寝付くのは朝方だった。 そのせいで起床は決まって太陽が高い位置に昇ってからだ。必然的に朝は食べない。昼も少量、夜も大して喉を通らない。 けれど咎める者などいなかった。当たり前だ、俺は要らない子なんだから。 それなのに、一体なんなんだ。 ずかずか部屋に入り込んできて布団を引っぺがし、ご飯を食べろと。貴方の体が心配だと―― 何故か目元が熱くなった。よくわからない感情が込み上げてきて泣きそうになったんだ。 故に、竜は色を繋ぐ 7 朝ご飯なんていつ以来だろう。忘れてしまうくらい口にしていなかった。 顔を洗い終わって部屋でじっとしながらそんな事を思っていると、程なく彩のよい膳を手に片倉が戻ってきて俺の前に差し出した。 よく噛んで下さいね、なんて子供扱いする様な物言いにむっとしながらも促されるまま箸を手にしたが、一口二口と進めたところで箸を止める。 体が完全に拒否していた。食べたくないと。 「入りませぬか?」 動きの止まった俺に片倉が問う。この男はどくしんじゅつとかいう術を習得しているのだろうか。まだ何も言っていないのに考えを読んだ様に首を傾げた。 少し驚きながら俺は箸を置いて静かに頷く。これ以上食べてもあとで吐く事になるだろう。 少しでいいから食べろと言っていたが、実際口にしたのはほんの一口二口。片倉は怒るだろうか。ちらりと窺うがそんな様子は見受けられない。 「怒らないのか」 「は、何に対してでしょうか」 「食べなかった事」 「急に食べてもお体に障ります。ゆっくりと毎日少しずつでもお食べになって下さればと思っております故」 膳を廊下へと出し終え、こちらに顔を向けた片倉はにっこりと笑って答える。その笑顔に胸の辺りがじんとした。体が心配だと言われた時と同じように。 何かが変だった。気を遣われているはずなのに嫌な感じがしない。 「お前、変だ……」 「変でございますか?」 「変だ、なんか」 そう、何かが変だ。初めから得体の知れないやつだと思っていたがそれにしても変なやつである。傍にいても嫌だという思いがうまれない。こんな事は初めてで――戸惑う。 「例え変だと言われても、ここにおりますよ」 昨日と同じ台詞にまた何も言えなくなり口を噤んだ。 部屋はいつもがらんとしていたのに、今日は違う。本当ならまだ布団の中だというのに今は起床している上、ほんのちょっととはいえご飯を口にした。 何もかもが違う。朝から予想外の行動をとられて酷く驚かさた。お陰で睡眠時間は微々たるものになってしまい片方の瞼は重いし、腹も変な感じがする。 けれど、不思議とそれに嫌悪を感じていない自分がいて驚くばかりだ。本来ならもっと拒絶しているはずなのに。 「梵天丸様、障子を開けても宜しいでしょうか?」 「え?」 疑問が浮かんだままの状態で何気なく問われた一言に目を丸くした。 この男は今、障子を開けてもいいか?そう――言ったのか? 「締め切っていては日が入りませぬ、それに風通しが悪いのもよくないかと」 「ダ、ダメだっ」 それだけはダメだ。否、それ以外も勿論ダメに決まっている。俺は必死で首を横に振った。もし障子を開けてそこに誰かが通り俺の姿を視界に捉えでもしたら。考えただけで身の毛がよだつ。 「大丈夫です。小十郎以外この付近を歩いている者はおりませぬ」 「う、うそだ」 「嘘ではありませぬが、もし仮に通ったとしても小十郎が盾になりましょう。これで問題ありませぬ」 確かに片倉が盾になれば見える事はないだろうがそれでも不安は拭えない。もう長い事人が出入りするところ以外は開けていないのだ。 きっと片倉の“開ける”は全開にして換気をするという意味に違いない。 咄嗟の事では隠れる事なんて出来そうもないし、何より相手が自分より先に気付くかもしれないのだ。奇異の目を向けられるのはもう沢山、絶対に避けたかった。 陰鬱な思いがふつふつと湧き上がる俺に対して、片倉は大丈夫ですと何度も言う。なかなか首を縦に振らない俺に辛抱強く繰り返した。 「梵天丸様、障子くらい開けても何も変わりませぬ」 「隠れる場所がないじゃないかっ」 「小十郎の背に隠れれば問題ないかと。それに本来隠れる必要などないでしょう」 「だ、だって……」 「大丈夫です、梵天丸様」 障子を開けるだけでこんなに言い合う人間が一体どれくらいいるだろう。 片倉は相当辛抱強い男らしい。いや、単に頑固なだけだ。 「それに今日はよい風が吹いています。きっと開けたら心地良いと思いますよ」 「…………」 変わらない笑顔が俺を見つめている。優しく包み込むような慈しみに満ちた表情。 それは極寒の地で1人氷結と化している自分を少しずつ溶かすような暖かさで。 「本当……だろうな」 ぽつりと溢した言葉。長い言い合いの末、折れたのは俺だった。 「勿論でございます」 そう言って開け放たれた障子。途端に入り込んできた眩しいぐらいの日差しに目を細めた。 久しぶりだ、こんな風に直接日の光を浴びるのは。暖かいそれが暗い闇を隅々まで覆うように俺を照らす。 そしてふわりと通り抜ける風。髪を撫でながら部屋全体を包み込むそれは決して冷たいものではなかった。本当に心地良い。ゆっくりと瞳を閉じる。 そして自然と深く息を吸い込んだ、そんな時だった。 「…………?」 ふいに鼻を掠める仄かな香り。風が吹き込んでくる障子の脇には俺を黙って見つめる片倉の姿。 これは片倉のつけている香だろうか……? 強すぎず弱すぎず、すっきりしたそれは驚くほど安堵を覚えるものだった。 「如何ですか?梵天丸様」 陽光を背に微笑みながら穏やかに声をかけてくる。 本当に不思議だ。日を浴び、風を感じる事がこんなにも心地良いなんて。 思いがそのまま顔に出ていたのか片倉は満足そうに目を細めた。 「障子、明日も晴れていたら開けましょうか」 「……うん」 それも悪くないかもしれない。そんな思いを乗せて言葉を紡いだ。 こんな晴れやかな気分になるのは――本当に久しぶりだった。 [*前へ][次へ#] [戻る] |