[携帯モード] [URL送信]
前夜

深夜だった。生き物はおろか植物までもひそりと静かに眠り、煌々と輝く月は天高くから世界を照らしている。窓の下には城を守るべく寝ずの番に励む衛兵達の篝火がちらちらと見え、戦時故に普段よりは随分と数が多い炎も、しかしまだ戦場ではないのだから穏やかなものだ。整理をして殺風景になった部屋をぐるりと見渡せば、あまりの寒々しさに我ながら苦笑が漏れる。以前は足の踏み場もないほど雑然と、様々な物で溢れかえっていたというのに、いざ始めてしまえば呆気なかった。捨てられないと思っていたものを手放すのは簡単で、望まれれば人に渡すことも抵抗はなかった。案外自分は物欲が薄いのだと初めて気付いた。部屋で一つきりになった家具に身を沈めるでもなく、冷たい窓枠へと腰を下ろした青年は月を見上げる。もうこんな時間は持てなくなるのだと思えば、明日という日を控えているとはいえ大人しく眠ってしまうのは勿体ない気がしたのだ。石の壁にもたれ掛かり、澄んだ空気を吸い込む。さわり、冷えた風が優しく頬を撫で長い髪に絡み付いて遊ぶ。城の中でも高い位置にある青年の部屋だ。悪戯な風に揺り起こされてしまった木々の不平も、こう遠くては小さな囁きとなってしまって逆に心地良い。
気紛れなそれを飽きもせず楽しんでいた青年は、ふと、小さく響いた音に目を瞬かせた。こつり、こつりという硬い反響は自然には起きるものではない。廊下側に意識を向ければそれは足音だと気付く。見回りにしては中途半端な時間だと首を傾げていると、足音は部屋の前でぴたりと止まった。やや迷うような間の後、遠慮がちに叩かれる扉。訝しみながらもどうぞと声をかける。やはり迷うような時を置き、やがてゆっくりと開かれた先に在ったのは小さな影だった。

「王子…」

呟けば、ピクリと肩が揺れ伏せられていた黄金がゆるゆると持ち上がる。いつもならば不機嫌さを表して顰められている眉が今は酷く頼りない。寝室を抜け出してきたのだろうか、薄い寝衣では寒かろう。彼らしくなく躊躇うように部屋へと足を踏み入れた子供に、つかつかと歩み寄った青年は寝台の上に放り出されていた掛布を引っ掴んで小さな体をばさりとくるんだ。

「うわ冷た…どうしたんです、こんな夜中に」

膝の裏に手を差し込み抱え上げて寝台へと座らせる。頭からすっぽりと被せられた布の隙間から覗く幼い顔は深く沈み、中々口を開こうとしない子供に青年は困ったように頬を掻いた。子供の正面に膝を付き目線を合わせる。こういう扱いをされるのを子供は嫌うのだが、どうしたのかそれ以前に金の瞳は俯き青年を映そうとはしない。そのまま青年も子供を待ってしまえば、室内では時折吹き抜ける風が青年の髪を揺らす他は動くものが無くなってしまった。



. どれだけそうしていたのか。
床についた青年の膝が冷え、被せられた布に子供の体温が移りだした頃、漸く子供は顔を上げた。きゅ、と掛布を握り締めた子供の言葉を聞き漏らさないよう青年は意識を集中させる。妥協を許さない瞳でしっかと青年を見上げた子供は、言った。


「いくのか」


ああ、と青年の心にストンと得心が落ちる。行くのか、逝くのか、生くのか、確かめに来た子供は我が教え子ながら聡明だ。聡明過ぎて可哀想だと、答える代わりに青年は柔らかく笑んだ。顔を歪めた子供が青年の首に腕を回し、子供の薄い背を宥めるように青年が優しく叩く。震える肩は何よりも雄弁で、戦場に向かうことになったと告げた時ただ淡々と頷いた子供に寂しさを感じた心は今、喜びに満ちていた。こんな時に、と呆れるが子供の振る舞いが嬉しかったのだ。聡明な子供は世界がよく見えて、その幼さに不相応な程に見えすぎている。感情を殺すに長けてなど欲しくない。しかし支配者に連なるものとしての自覚が子供が持つはずの無邪気さや傲慢さ、我が儘を奪ってしまった。
青年の髪に指を絡めて引っ張る子供は、まだこんなにも小さいのに。

「俺が行くなと泣き叫んだら、やめるか?」
「……意地の悪いことを」

はいと言わないことを確信しておいてそんなことを問うなんてとんだ自傷行為だ。首に回った子供の細い腕に力がこもる。息苦しいほどの抱擁を引き剥がす事は容易く、簡単に離れてしまう脆いそれが口惜しい。この年齢特有の高い体温にそっと目を閉じた青年は、添えているだけだった腕を回し子供を目一杯抱き締めた。

「王子、俺ね、あなたが可愛いんですよ」

柔らかい鳶色の髪に頬擦りする。子供がまだちっちゃかった頃からずっと世話をしてきた。誰よりも長く時間を共にし、傍に居たと言い切れる。素直に見せてはくれないけれど、本当は優しい子なのだと知っている。強く賢くて公正で誇り高く潔白で兄が大好きで妙に鈍くて不器用で口は悪く意外と寂しがり。尊敬すべき主で自慢の教え子で可愛い弟で大切な友人だった。誰を相手にしたって引けを取らない。自分は彼を誇りに思う。
ただもっと甘えさせてあげたかった、それだけが残念だ。


肩がじんわりと温かい。濡れた感触は子供が顔を押し付けている辺りだ。声を殺して喉を震わせる子供の髪を、青年はぐしゃぐしゃと優しく撫でた。








▼以下私が勝手に描いた妄想蛇足。文字潰れてるかもしれませんが心で読んで下さい^^^








 貴方を 護る為に


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!