白昼夢を追う者は
「名前」
「はい?」
名前を呼ばれたと思った瞬間には、名前はもう達海の腕の中にいた。
クラブハウスの廊下で、白昼堂々と抱き締められて平然としていられるはずはなかったが、いきなりのこと過ぎて何も反応することができない。
「ん」
抱き締められるままになっていたが、暫くすると思いの外あっさりと達海は名前を解放した。
あっさりしすぎて白昼夢かと思ったほどだ。
そのまま、何事もなかったかのように立ち去ろうとする達海を、名前は慌てて呼び止めた。
「達海さん!」
「何?」
気の抜けるようないつもの返事。
普段通りすぎて本当に何もなかったのかと思うほどだった。
「い、今のは……?」
恐る恐る名前が尋ねると、達海はあー、と何かを考えているように空中を見つめた。
「充電、つーの?一日一回やんないと調子出なくてさ」
涼しい顔で達海はそう言ってのけた。
まるで世間話の延長のような感覚だったが、言われた本人にしてみれば堪ったものじゃない。
思わず顔を赤くして俯いてしまう。
しかし、何を思ったのか、達海はそんな名前に近付くと、顎を持ち上げてそのままそこに唇を押し当てた。
「!」
「んじゃ、行ってくる」
唇が離れると、顔色ひとつ変えずに達海は名前の横をすり抜け、外へ向かっていった。
突然のことすぎて頭がついていかない。
やはり、自分は白昼夢でも見ていたのだろうか。
しかし、残念ながら唇に居座る熱が何よりもこれが現実だと証明している。
遠くで選手達の声が聞こえ始めていた。
『白昼夢を追う者は危険な人間である。
何故なら彼らは、目を開けたまま自分の夢を演じ、これを実現することがあるから』
――アンドレ・マルロー『書簡集』より
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