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A
 

どく、どく、と心臓が音を立て始める。
平助は総司の元へと駆け寄ると、その力なくうなだれている身体を抱き起こした。

「お、沖田さん! 沖田さんっっ!! しっかりして下さい、沖田さん……ッ!!」

上体を揺らしてみるが、総司はぴくりとも動かない。


(そんな……そんな、まさか……!!)



おかしいだろ、と声にならぬ声で言った。違う、と首を横に振る。
こんな事、あっていい筈がないのだ。この男が誰か他の輩にやられるなんて、そんなおかしな事、起こり得る筈がないのでる。
だって、自分ですらこうして無事でいるというのに。なのに。この男が倒れているなんて、そんなの、おかしすぎるじゃないか。

その時平助は、恐怖に支配されていた。
しかし恐怖とは言っても、自分が斬り込みに行く瞬間に起こり得る、あの背筋の冷えるような──時に、快感さえ伴う恐怖とは、また別の種類のそれだ。

絶対と信じていた筈の何かが崩れ落ちた瞬間、波紋のように広がり始めたこの黒い感情。
──こわい。
と確かに思ったが、それだけではない気がした。
突如として現れたその闇は、じわり、じわり、と着実に平助の中で広がっていく。

ああ、いやだ。

何なんだこの感覚は──。



「!」

腕の中の総司が、微かではあったが動いたように見えた。
まだ、生きている。
その事実に僅かながら平常心を取り戻した平助は、続けて、更に別の事実に着目する。

どうやら総司には、外傷がない。
しかし、その代わりと言ってはなんだが、不可解な点が一つ見受けられる。
月光によって照らし出され、青白く浮かび上がっている総司の顔に視線をやると──、おそらくは口から、血の流れた跡があるのだ。そしてその血が、総司の隊服を真っ赤に染め上げている。


(これは…………)


斬られたものではない。
しかし彼は、こんなに大仰な返り血を浴びる程、野暮な剣は振るわない。


と、すると。


(血を吐いて倒れた……?)



じわり、嫌な汗が全身から滲み出る。
そう言えば──。
最近の総司には、以前までの機敏さが感じられなくなっていたような気がする。
例えば、以前の彼なら、背後から近寄るだけで「何?」と先手を打たれてしまったものだったが、ここ最近の総司は、まずそういう事はなかった。いつもどこか疲れたような虚ろな表情をしていたし、それでも夕方以降は順調そうに思われたが、特に午前中──彼の“勘”は、確実に鈍っているように思われた。


(…………いや)


平助は、総司の顔に視線を落とすなり首を振った。
決め付けてかかるのは、良い事ではない。
そうだ、この暑さには自分だって軽く目眩を覚えた程ではないか。彼も、どんなに刀の扱いが人離れしているとは言え、人であるのには変わりないのだから、昏倒したとして何も不思議な事はないだろう。

そうだ。
それよりも、この血の跡を拭ってやろう。
彼の事だ。のちのち誰かに体調を突き詰められる要因を、残しておきたくはない筈だ。

何か拭くもの──手拭い辺りがいいな──何か、ないか──……。
そうだ。
この自分の額にある、鉢金を貼りつけている白い布。
これは、紛れもなく手拭いそのものではないか。

一旦総司の身体を床に横たえると、平助は自分の後頭部にある手拭いの結び目に、そっと手をのばした。







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