◇根の国の番人(お市) 「お市様、そちらは危のぅございますよ」 ずぶずぶとぬかるむ、真っ暗な道。灯も星も何も見えなくて、それでも何かに引かれるように、泥の中に歩を進める。 ゆっくりと闇が市を飲み込んでいく。怖くはない。むしろ落ち着くの。 胸まで闇がせりあがって来たとき、背後から市を呼ぶ声がした。 「お市様」 振り向くと、市の後ろにいたのは女の人。知らない、女の人。 闇の中でにっこりと笑っているのが見えた。 「お市様、そちらに行ってはなりませぬ」 きゅっと手首を包まれる。 その手は小さくて、ほんのり温かかった。 それに比べて市の手はなんて冷たいの。 「……ほっといて」 幸せそうに笑う貴方に解りはしないのでしょう。 「市は、死にたいの…」 長政様も、兄様もいない。 そんな世界に一体なんの未練があるというの。 市がいればみんな、不幸になるの 「そんなことはありませぬ。少なくとも は、お市様のお傍にいられて、とても幸せにございました」 ……幸せ?傍に? 「死がお市様の願いであろうと、 はそれを聞き入れるわけにはいきませぬ」 ぐんっと強い力で引っ張られる。 女の人の向こうに眩しい光り。 くるりと彼女は一回転。 市だけを光りの方へと放り投げた。 闇が剥がれ、光にのまれる どうして、邪魔をするの 貴女は一体誰なの なんでいつも 遠ざかる闇の底で貴女は笑っていた。 「あなたを生かすこと。それが が長政様と上総介様から承った最後の御命令ですから」 「―――」 消える直前、無意識のうちに彼女の名を呼んでいた。だけど 聞こえたのかな。 目を覚ませば、きっと、市はまた貴女のことを忘れてしまうのね。 根の国の番人 (小さい頃から兄様と市の傍にいた女の人) (市が長政様のとこに行くときも一緒にいてくれて) (いつの間にかいなくなっていた) (貴女は結局誰だったの?) [*前へ] [戻る] |