Short
▼Pansy * 前
夜の中。布団に顔を埋めて思うのは君の事。
明るい柑橘を詰め込んだような色彩の中にぽっと落としたインクのような墨の色。
日常生活でそうそう見かけない髪の色を、僕はまぶしく思いながら今日も見つめていた。
いつの頃だっただろうか。彼は悪い世界から足を洗う決心をして、僕になんの相談もせず−この場合、何の関係もないのだから相談されなかった事を怒るのは理不尽な話だけど−、とにかく嫌っていたはずの自分の自然な髪色を認める事にしたらしい。
こぼれるオレンジのような色に差し込む墨色を揶揄してか、それとも今まで怖かった彼にフレンドリーに接する為なのか、彼は、君は、こう呼ばれるようになっていた。
「パンジー」
僕がそう呼ぶと、君はどこか嫌そうにそれでもちゃんと返事をしてくれる。
元ヤンキーだとか人は言うかも知れないけど、彼は実のところ芯のしっかりした一人の青年なのだ。
「なんでこの寒空にアイスを?」
隣に自然に腰掛けながら。程良い距離間でパンジーが訊ねる。
僕の手元で溶ける事なくキープされたサワー味のアイスが、12月にそぐわない冷気をただよわせていた。
「頭を冷やそうかと思って」
冗談のつもりで、一口どう?とパンジーに寄せてみる。
すると当然のように彼の白い腕が伸びてきて、アイスを持つ手ごと引き寄せられた。
ちりっと痛いような感じがしたのは、彼と僕の手の温度が違うせいだろうか。
「ラクトアイスは体に悪いぞ」
ひとくち。ペロリとなめただけのパンジーが僕をにらむ。
心なしか距離を開けられた気がして僕は一気にアイスをかじった。
「ラクトアイスって、ラクトフェリンと関係あるの?」
「知らねぇ。なぁ、俺のいってること分かってる?」
話そらし失敗。このままお互い居心地が悪くなって嫌われてしまってはコトだ。
「別に僕の体がどうなってもいいけど、まぁ次からはアイスミルクにシフトするよ」
食べ終わったアイスの棒が当たりだったので、僕は交換してもらおうと立ち上がる。本音をいえばもっとパンジーのそばにいたいけど。
「これ以上一緒にいると……」
小声でそう呟いたのが、彼の耳に届いたのかどうかは知らない。
「俺、食べるなら断然アイスクリームだわ」
去り際に君がそう笑ってくれたから。僕はあんまり嫌いじゃない氷菓をもっと食べてみたいと思ったんだ。
気まぐれに買ってみる事も、きっと悪くないはずと信じて。
世界で一番大好きなパンジー。僕は彼に絶対この思いを打ち明けない代わりに、彼のそばにいる事を許されたなんでもない知人の一人。
* * *
夢で君に逢えたなら、きっとそれはどんなハッピーエンドの映画よりも楽しい一時になるに違いない。
「眠れないから、今日のハイライトでも思いだそうかな」
枕に肘を乗せて体を起こすと、何もない墨のような天井が目に入る。ああ、今日の僕は、彼の意外な一面を知る事ができて世界一ラッキーボーイなのだ。
始まりはなんて事のない話。僕のバイト先であるコンビニエンスストアに、傘のない彼がたまたま入ってきたのだ。
いらっしゃいませを言う僕は声が震えていなかっただろうか?
珍しく目を細めながらパンジーが「変な格好」と言ったけど、これは君が嘘をついている時の癖だって僕は知っているから、ちょっとだけ嬉しかった。
「誉めたって何もでないよ」
それはつまり、似合っているって意味なんだと好意的解釈をするのは僕がいつもしてしまう悪い癖。
「誉めてねぇよ」
バカだなんて言いながらこづいてくるパンジーはファッション誌のコーナーで立ち止まった。
僕も仕事に戻りながら、その様子をそっと伺う。
まるでストーカーみたいだなと思いながら、雑誌を選ぶきりっとした目も好きだと思った。
バックヤードに置いてあった僕の置き傘を無理矢理パンジーに託したら、君はいつも通りちょっとだけ嫌そうな顔をして傘を受け取った。
「気をつけて帰ってね、パンジー」
そう声をかけると不機嫌さはましたけど、僕が昔勝手に呼んでいたニックネームよりもしっくりくるのだから仕方がない。
みんなが呼んでいるなら、それに合わせた方が絶対いい。
彼はいつの事だかそれを『数の暴力』だなんて言ったことがあった。僕はそうは思わない。それだけの話。
彼の買っていった雑誌は、いわゆる美容室で女性が呼んでいるようなゴシップの多いものだった。
僕はその中の一つを見つめて、どうしようもなく泣きたくなった。
『−あの大物タレントにゲイ疑惑!?』
僕がどんなに君の事を想っていても、それと同じだけの気持ちを返して貰えるはずもない。
良くて、割と仲のいい一人に過ぎない。
それならいっそ打ち明けてしまえたら、ずっと好きでいる事を許されたら……そんな事が頭をよぎる事もあったが、それができるのはきっと『異性』というカテゴリーにのみできる特権に違いないのだ。
きっと世界は、僕がパンジーに恋する事を許してはくれないから。
周りと違うのは怖い。まるで世界に一人になった気がしてしまうんだ。
彼が同性じゃなかったら、僕がもっと世間を気にしないで生きられたら……そんなもしもを頭に浮かべながら、僕は雨にうたれて家までの道をひたすら歩む。
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