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六日目
囚われのお姫様は、剣を手にした王子様と共に悪の城を飛び出しました。
それで、めでたしめでたし?
いえ……私と彼の物語は、もうしばらく続くようです。
「まずは手始めに仮住まいを決めてしまう必要がありそうですね」
人気のない道を、二人で手を繋ぎながらひっそりと歩く。
彼は握る力加減が分からないと言っていたから、ほとんど私がひっぱる形になってこそいるが、しかしそれこそ清水が力を抜いて自分に身を任せている証拠だ。
ゆるむ口許も隠しもせず、私は自分より少し低いくらいの背の彼にキスを落とした。
「あなたは、僕より運動していないのに身長があってずるいです」
「ものの本で読んだ表現で言えば、もやし体型という感じでしょうか」
言いながら、さらにキスをしようとすれば、顔をそむけて清水は俯いた。
清水の有り金を叩いて、取り急ぎ辿り着いたビジネスホテルで一息つく。
セミダブルのベッドは、あの屋敷のものよりも随分と綺麗だ。
「何も知らないって顔をしながら、どうしてそんなに……」
いよいよ顔を赤くし始めた彼は、少し上目がちに尋ねてくる。愛らしい。
「こういうの、本の中でしか知らなかったんで。してみたかったんですよね」
「だからって、表情までは分からないじゃないですか」
首を傾げる僕に、何でもないです、と清水は一呼吸置いてから、ふと何かに気が付いたようにこちらに向き直る。
「僕、あなたのお名前を聞いていませんでした」
「ああ……名乗る必要がないのでね、言わなかったんですよ―私には、おおよそ名前と言えるような呼び方はないんです。生まれてすぐここに連れてこられましたから」
私の言葉を聞いて、清水は何かを考え込むように黙ってしまう。
慰めようとして言葉が思いつかないと言った様子だろうか。
珈琲でも淹れようかと立ち上がりかけたその時、不意に彼の指が袖に触れてきた。
「―あの、僕、あなたに名前をつけたい」
「いいですよ、何でも好きな風に呼んでくだされば」
実際にあの屋敷だって座敷童子だの好き勝手に扱われていたのだから、今更。
そう言外に含めたつもりだったが、彼は子供がいやいやとするかの如く首を振った。
「それでは駄目なんです。僕が与えた名前を、あなたが自分の意志で名乗ってくれたら……正真正銘、あなたは僕の物だって思える気がするんです」
出会って数日だが、彼はあまり自分の本音を言いたがらない。
要するに、これはかなりのレアな瞬間なのではないか。
私の片思いではなく、彼も私を欲しいと思っていてくれたのだ。
「どうしましょう。こんなに嬉しい事ってない―ねぇ、清水君、是非私に名前をください」
「いいんですか? ありがとう、ございます……!」
ぱっと目を輝かせた彼が、一度深呼吸をして、胸元に手を置く。
そうして、まるで大切な物を心臓の中から取り出すかのように、その手を、立ったままだった私の手に重ねた。
「では……シズク、というのはいかがでしょうか」
「雨冠に、下と書くあのシズク、ですか?」
見た事はないが、多くの書籍でその言葉は綺麗な表現として使われているのを思い出す。それが何だか照れくさくて、私は意図的に笑った。
「安直ですが、僕の名前から取ると、シズクさんって家族みたいだなって思うんです」
気に入っていただけると良いのですが、そう言う緊張した面持ちの彼を、そのまま抱きしめるようにベッドに飛び込む。
シズクとシミズ、なるほど、心の中で反芻すれば、それは合わせ鏡のように心地よく響いた。
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