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アラマホシーズンズ

 そうして迎えた、祝日の朝。
最後の最後になって、やはり自分が行くべきではないのかと騒ぎ出した兄を追い出して次郎は早朝三時半から例のゲームへとログインする。
すると、深夜からそのままログインして寝落ちした者、一体いつ寝ているのかいつまでも狩りをし続けている者、いつも見慣れた光景より幾分か人の少ない状況が少し面白い。まるで現実を散歩しているような気分にさせられる。
そのまま、チュートリアル完了後に行くであろう場所、所謂最初の街へとワープして、少しずつ思い出を辿ってみる事にする。

 一歩踏み出せば、目に浮かぶのはリヒターの事ばかりで自分でもおかしくなりそうだと次郎は思った。
彼と出会ってからの期間よりもずっと自分一人であった時の方が長かった筈なのに、それでも思い出すのは彼との何気ない、別段面白くもない会話なのだ。

一番最初に交わしたのは、まるでマルチ商法の誘い文句のようだったと記憶している。
翌日になってもしつこく声をかけてくるその様子は懐きたての柴犬のようで無碍にも出来ず結局なし崩し的に仲良くなって。

後衛の魔法型だけをひたすらに育て上げてきていた自分にとって、前衛もありかも知れないと思わせる明るさは眩しく、何年分も後輩にあたる筈がいつしか憧れめいた
気持ちを抱いていた。
一目惚れでは決してないが、彼の人柄の良さに癒されなくてはならない存在となっていったのは事実だ。

 だからこそ、綺麗な思い出は綺麗なままで終わらせたい。
これから先の未来があると期待して裏切られるより、幸せな内に諦めてしまいたかったのだ。
それは間違いなく逃げであるし、きっとギルドメンバーの誰も許してはくれないだろう。
それでも、と次郎はかたく目を閉じながらログアウトボタンを押す。
まもなく時刻は朝の十時。休みの日であればリヒターがそろそろインしてきてしまうかも知れない。
事務的に表示される“アカウントを退会させる”を震える人差し指でワンクリック。
退会理由のプルダウンを適当に選択して、自由入力可能なコメント欄にひたすら今までの感謝の句を書き連ねて勢いのままボタンを押す。
数年来慣れ親しんだフィールドであろうと、別れの時は一瞬だった。
涙を流す暇もなく、縁は簡単に途絶えるのだ。
しかし、そこから先に待っていたものは、ひたすらの地獄だった。
自室で教材を開いて、ノートに書き写して、ため息を吐いて。
壁掛け時計を眺めれば、まだ40分程度しか経っていない。
掃除でもしようかと本棚を見ても、並んでいるのはあのゲームの初期に発売した攻略本やコミカライズばかりで嫌でも後悔が頭の中を駆けめぐり始めるのだった。
衝動に身をまかせたって良い事なんか一つもない。頭を抱えてベッドに横たわれば、いつ間に時が過ぎていったのか、兄が帰宅する足音で目が覚めた。

 玄関先で兄を出迎えるも、そこまで変わった様子もなく靴を脱いで上がってくる。
「うわ泣いてたのかよ、女々しいヤツ」
そうして壱朗は苦笑しながら、袖口で次郎の目尻を強引に拭いてリビングへと進み出した。

「……え、兄貴、それだけ?どうだったとか教えてくれないのか」
すっかり置いてけぼりを食らった事に気がついた次郎も慌ててリビングへと飛び込めば、すっかり部屋着へと着替えはじめていそいそとオンラインゲームに移ろうとしているではないか。
そのやけに明るい調子に、何か言いしれぬ恐怖感を覚えた次郎は、絶対にPCに向かわせてはいけないと確信した。

「兄貴。持って帰ってきたその紙袋、行く時は持ってなかったよな」
言うが早いか、図星を突かれた彼はわざとらしいくらいに肩を上げてみせる。こういうところばかり似たもの兄弟だ。
「ーそれ、リヒターに貰ったんじゃないのか」
指をさして、しっかりと。それはさながら教鞭を振るう先生のように、次郎は兄にそう尋ねた。
何でもお見通しなのかと観念した壱朗が、白い紙袋の中へとおもむろに手を差し込んで、取り出したそれは、銀の箔押しが輝く一枚のカードだった。
絶対に忘れもしない、次郎がずっと心から欲しがっていた、100名限定のシリアルコードだ。

「実はさ、10分くらいしか会ってないんだ、その人と」
呆然としている次郎に何を思ったか、兄もばつが悪そうに頭をかきながらソファーへと身を沈める。
「あ、あいつは……荒瀬はなんて……?」
兄から受け取り、震える手から落とさないように、そっと確かめるように包み込んだそれはオークションの画面で何度も何度も諦めた、手の届かない高嶺の花。
壱朗はそんな次郎の様子を見ないように目を逸らして、口を開く。

“やっぱり来ないって分かってたんです。でも僕は諦めたくないから、これを弟さんに渡してくれますか。アイツにはきっとそれだけで伝わる筈だから”

荒瀬らしい、リヒターらしい。まさしく彼にしか言えないであろう一言だった。
例えゲームの中であろうと、彼は自分が諦めないようにと誓ってくれたのだ。それを今になっても、守ろうとしてくれていた。
しかしこのシリアルコードを彼に見せる手段は、もうない。
全てが遅かった事に気がついたその時、次郎は膝から全ての神経がほどけていくように崩れ落ちた。

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