和洋折衷バレンタイン

「あ」



唐突に気が付いたナマエは市場で声をあげた。
最近市場がやたら華やかだなあと思っていたら、なるほどそういうことか。
穏やかな朝10時。



「来週バレンタインか」



閃きを口にすると同時に出くわしたフリオが、目を丸くした。
…おはようございます。



***



「ていうかほんとによかったのフリオ、こんな、当日に一緒にキッチン借りちゃって」

「もちろんいいですよ。ナマエと二人で料理なんて新鮮で楽しいですしね」

「私としても面白いわ、フリオがあなたと料理してるのを見るのは」

「はあ…。あの、アンジェラさん、」

「ほんとよ?技術が世代を渡っていく素敵な光景だと思うの。しかも私のためでもあるんだもの」



アンジェラさんは肘をついて組んだ手にほっそりした顎を乗せ、なんとも艶っぽくこちらを眺めている。「見てて面白い」というのは嫌味ではないらしい。ならいいか。


ナマエは引き続き生クリームを泡立てる作業に戻った。フリオは微笑んで刻んだチョコレートをボウルに入れる。ナベの蓋が水蒸気を吐き出して沸騰を知らせた。



「しかしニコレッタも健気なことですねぇ」

「ねー」

「あら、ニコレッタがどうかして?」

「クラウディオのチョコレートはニコレッタだけで作るんだそうで」

「まぁ。んふふ」



アンジェラさんが含みをもって笑った。
こっちはフリオと一緒だから失敗のしようもない。ニコレッタの方もうまくいってるといいけど。
オルガさんも一緒にオーナーの分作るって言ってたから、今頃ニコレッタんちのキッチンは大騒ぎだろう。



「まあクラウディオなら絶対ありがとうございますってゆって受け取ってくれるから安心だよね」

「クラウディオは優しいですからね。ヴィートも同じじゃないですか?」

「あーね、喜びそうだね。ルチアーノはなんか、ふん、もらってやる、とかいいながらもらってくれそう。そんできちんとお礼は言いそう」

「想像つきますねぇ」



フリオは湯煎でゆっくりとチョコレートを溶かしながら、おかしそうに笑う。



「テオもなんかひっかかりそうだなぁ。最終的にはまぁ味見くらいはしてやるよ、とか言って」

「素直じゃないですからね、テオも。ジジはあっさりもらってくれそうですよね」

「ああ、ありがとうって一言だけぼそっと言って、ね」



さすがに数年の付き合いともなると、それぞれの反応を想像するのも容易い。目に浮かぶようだ。
ここイタリアでは男性から女性への贈り物がバンバンなされるので、女性から男性へのお決まりな日本式バレンタインは久しぶりだ。
といってもどうせ皆今年も何かしら準備してくれるのだろう。ニコレッタとわたしに。

カシャカシャと泡立て噐を動かしながら、ナマエは「それで、」と続けた。



「フリオにはどんな顔してあげればいいんですかね」

「おや、私にもくれるんです?」

「…いやいや…。この流れでフリオにだけあげないとかそんな、むしろわたしが苛められてる気分になるよ」

「はは。そうですか」



アンジェラさんは不意に立ち上がるとストールをするりと首に巻き、微笑んで「すこし本屋を覗いてくるわ。頑張ってね」とキッチンの見えるダイニングを出て行った。
少しほっとした。奥さんの目と鼻の先で、旦那さんにチョコをあげる話なんてし辛い。
つまりだから、アンジェラさんは気遣ってくれたのだろう。


今作っているチョコはリストランテの皆への分と、アンジェラさんの分。フリオからアンジェラさんへ。わたしからアンジェラさんへ。
一緒に作るフリオに一緒に作ったチョコをあげるって、どうなんだろうと昨日考えた結果は。



***



あとは冷やすだけ。
冷蔵庫にチョコを仕舞ったフリオに、ナマエは小さな包みを差し出した。フリオはきょとんとして見下ろす。



「ナマエ…これは、」

「わたしからフリオに。今作ったチョコ、皆と一緒にフリオにもあげるんだろうけど、一緒に作ったんだしなんだかなと思って、昨日作った」



フリオの分だけ。
そう付け足すと、フリオはふたつ瞬いた後に柔らかく目を細めた。
その甘い素敵な表情に思わずうっとなる。一歩退いてしまいそうになるのを咄嗟に堪えた。奥さんいるのにそんな顔すんな!惚れたらどうしてくれる。

フリオは「ありがとうございます」と声まで甘くして包みを受け取った。
そしてなぜか再び冷蔵庫を開けて探る。
すぐに振り向いた、その手には。



「ナマエ」

「……待って、ちょっと待ってフリオまさか、」

「ええ。同じことを考えていたようですね」



本当に嬉しそうに手のひらよりは大きい箱を差し出してくる、その笑顔といったら。
一流シェフ手作りのそのチョコとどっちが甘いだろうか。



それからアンジェラさんが帰ってくるまで、こっちの居心地が悪くなるほど甘い笑顔のフリオと二人でティータイムを過ごすことになったのだった。



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