ようこそピアノ
デッロルソに、ピアノが来た。
「あれ?ピアノがある…」
「置くことにしたんだ」
「オーナー。ブォナセーラ」
「ブォナセーラ、ナマエ」
ひょっこりと姿を覗かせたロレンツォは「本当はグランドピアノを置きたいんだけど」とピアノを撫ぜた。
ナマエは店内を見渡す。確かにそっちの方が雰囲気はあるだろうが、グランドピアノなんかどーんと置いたら店内が狭くなってしまう。
でかいグランドピアノとたった数席のレストランを想像してナマエは笑った。
「席が減っちゃいますしね。ただでさえ予約いっぱいなのに」
「そうなんだよね。だからアップライトピアノ」
ロレンツォはピアノの蓋を開けてポーン、と一つ鍵盤を叩いた。
時間を蓄えてきたような柔らかい音。目元を綻ばせたナマエにロレンツォは微笑んだ。
「弾ける?」
***
怪獣のバラード、そらも飛べるはず、ホール・ニュー・ワールド、某ねずみのマーチ。
ぎりぎり弾けそうな、かんたんなものだけを浚っていると、開店の準備を終えてヒマになった皆がわらわらと集まってきた。
「ナマエテメー下準備サボりやがって」
「うわ、ごめんなさいテオ」
「お上手ですね、ピアノ」
「まさかナマエがピアノ弾けるとはね」
「簡単な曲だけ。昔習ってて」
「両手別々に動かして足も使って歌までうたえるなんて。音楽が出来る人は本当にすごい」
フリオが心底感心したように言うので、ナマエは半眼になった。
ひとつ道を極めた人間が何を言うのか。
「こんなのフリオの料理に比べたら。あんな簡単そうに料理してくれちゃって、真似出来ないったらない」
「確かに!三ツ星のシェフが言うことじゃねーな」「フリオの料理は芸術だから」皆が笑ってフリオの肩を叩き、フリオ自身も笑いながら「いやいや」と手を振った。
ニコレッタが身を乗り出す。
「ねえ、トルコマーチは弾けないの?」
「トルコマーチ…」
モーツァルトとベートーヴェンのが有名だと思うけど、どちらだろうか。
試しにモーツァルトの方のメロディだけ弾いてみる。
「これ?」
「そうそう!弾いて弾いて」
改めて最初からきちんと弾きながら、そのうちプロが来て生演奏で聴けたりするのかな、と思った。
是非聴きたい。キッチンまで聞こえるだろうか。
「トルコマーチはわかりやすくていいよね」
曲が華やかに展開する。
ナマエが呟くと、ニコレッタは何がわかりやすいのかわかんない、と首を傾げた。
「とりあえずわたしはこれが好きなだけなんだけど」
「いや、わたしも専門的なことは…わからん、けどさ」
人に聞かせる以上は、とナマエはこっそり必死になった。吊りそうな指を何とか動かす。
ニコレッタのリクエストだし、トルコマーチはわくわくする。たとえ明日の手と腕が筋肉痛でも、それでテオに怒られたとしても…。
ナマエが内心うなだれているとは勿論誰も気付かない。
カメリエーレは動作の優雅さを求められるが故に、シェフはその手から料理を生み出すが故に、鍵盤を次々流れるように叩く指の動きはそれぞれの目を惹き付けた。
時折和音がズレようがペダルを踏み忘れようが、とにかくナマエはトルコマーチを弾ききった。
おぉーと適当な歓声と拍手を頂きながら、暇があれば練習しようとナマエは心に決めた。
こんなガタガタなトルコマーチがあるか。ごめんニコレッタ。
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