柊父とクリスマス:)

ようやく夜も更けた頃。
ちょっと部屋戻るね、と言付けて、大勢集まったそこをそっと抜け出して。

実際に部屋へは戻り上着を羽織って、名前はふらりと外へ出た。しかしもちろん皆のところへ戻るつもりではなく。


「わーあ…!」


目を惹くイルミネーションに誘われるまま、名前はゆっくりと歩き出した。
邪魔が入らないよう、ケータイのマナーモードをサイレントに。
ついでに時間をチェックすると、決められた就寝時間まであと1時間だった。
リゾートホテルで学年研修、って。素晴らしい。


**



木の一本一本や小さなスペースに至るまで、どこもかしこも柔らかな灯かりに飾られていた。
整えられた歩道でさえそうなのだから、レストランや屋外プール、ロビーなどの施設周辺は言うまでもない。

冬の夜らしい寒さも噛みしめて十分に楽しみながらのんびり歩く名前の側を、可愛く着飾った女の子が駆けていく。くるっと振り向いて両親を急かす様はまるで小さなお姫様のようだ。名前は口元を緩めた。


そして、一続きになったプールとレストランを下に見渡せるそこに、目当てとしているものはあった。

遠目にもわかるそれは、間近に来てみれば本当に本当に大きかった。天辺の星を見ようと思うと、見上げ過ぎて首が痛くなりそうだ。
ほう、と息を吐いて、名前を唇に乗せた。マザー・ツリー。


「すごい…」


言葉が白い息になって消える。
たくさんの家族連れやカップルが、ツリーを見上げたり嬉しそうに話したりしている。
幸せな夜をライトで満たして、笑顔ばかりが溢れて。
なんて尊い。

名前はしばらくその場に佇んで、ひたすらツリーを見上げていた。


どれだけ経ったのか、不意に遠くから低い声に呼ばれて名前は我に返った。
見ればコートを羽織った柊先生が人混みを縫って向かって来る。


「賢二郎さ、」

「何をしている!こんな時間に一人で…危ないだろうが」


どこもかしこもイルミネーションで明るくて誰も彼も幸せそうな人ばかりだから、危なくない。
叱っても効かなさそうな名前の認識を、柊は汲んだようだった。溜め息をひとつ。

「一人で好きなだけイルミネーションを楽しみたくて…先生はなんでここに?」

「そろそろ就寝時間だろう。生徒はどこか一部屋に集まってるだろうから散らしに行ったんだが、お前だけが見当たらなくて」

「じゃあ探しに来たんですか?時間にはちゃんと戻るつもりだったのに」

「……いや、」


どうせなら一緒に回れないかと思ってな。


柊はマザーツリーを見て、見事なものだと呟いた。名前はぎゅっと目を閉じて、開く。
嬉しいのに、泣き笑いみたいな顔になってしまう。


「下のプール、ほら、真ん中を渡れるようになってるんです。10時までしか渡れないみたいだから…行きませんか?」

「まだ行ってないのか?」

「あそこは何か一人じゃ行きにくくて」


プールサイドに降りると、そこはまた一層イルミネーションの光が溢れていた。人もまたたくさんだ。水中に支えを立てて、水面の上を走るような恰好のトナカイや天使のイルミネーションがプールを彩る。上にもレストランの二階から渡されたトナカイや星が賑やかす。

渡された橋の入り口にはイルミネーションの扉が付いていた。時間限定で中へ入れるのだ。腰ほどまでの高さであることが、幼いお伽噺を思わせる。
扉をそっと開き、柊と名前は中へ足を踏み入れた。入れ違いで、満喫した賑やかな家族が出ていく。自分を追い越していった女の子の家族であることに名前は気付いた。

上下左右をイルミネーションに囲まれて、プールの上に立つ不思議。
午後8時頃には夕食の帰りに愛花たちと横を通り過ぎながら眺めたのに、今は賢二郎さんと並んでここに立ってる。
夢見てるみたいだ、と思うと同時に、暖かいマフラーが首元に触れた。見上げると賢二郎さんが「見ている方が寒そうだ」と言い訳のように言う。名前はじんわり目を細めた。


「…そろそろ時間か」


橋の入り口に警備員が立っている。特に何かを言うわけではないが、皆気にして少しずつ橋から出ていき始めた。
惜しい気持ちに駆られて名前はマザー・ツリーを見上げる。ここから見るともっと高くて、やっぱり綺麗だ。下に視線を写しても、レストランで食事や風景を楽しむ人たち、周りのさざめき、水面に揺れるイルミネーション。記憶に焼きつけたい。


名前、と呼ぶ柊の手が名前の手を掴まえる。少し冷たい、大人の男性の手にドキリとして、少し悲しくなる。ここから出ていかなければ。

橋を降りるとき、警備員さんは穏やかに「足下にお気をつけて。ありがとうございました」と声を掛けてくれた。それで少し救われた気持ちになる。


柊は名前の手を引いて、もう一度マザー・ツリーの前に戻った。就寝時間のはずだけど、と思いながら、名前もそれに従う。
マザー・ツリーは何度見ても美しい。

柊はそのまま、ツリーの横をすり抜け、後ろ側まで回った。プールに面している側のそこは、胸の高さまで壁に囲まれて、下のプールサイドからは高くてマザー・ツリーに目が眩んで、人の姿などよく見えない、


名前、と呼ばれて引き寄せられて、唇を塞がれた。一度離れ、呼吸が触れるほどの距離で目を合わせて、そっと膝を着く。
壁とマザー・ツリーに隠れて、柊はもう一度名前にゆっくりと口付けた。


**


部屋へ戻る道、イルミネーションを惜しみながら、隠れるように手を繋いで歩く。就寝時間を30分ほど過ぎてしまったから、他の生徒に見られる心配はないけれど。
不意に柊が口を開いた。


「…部屋に来るか?」


一拍おいて言葉の意味を呑み込んだ名前はびっくりして足を止めた。仏頂面の柊が見下ろしてくる。照れてるな、と思考の片隅で思う。
賢二郎さんの部屋。部屋に来いって。先生方の泊まる部屋は確か一人一部屋。生徒よりランクが上の。


「う、…行、きたいですけど…、でも同室愛花だから…ひとりには、」


させられないと呟く名前があまりにも惜しそうで、柊は屈んで軽く唇を合わせた。咄嗟に呼吸を合わせきれず、ん、と鼻に抜ける声がひどく愛しい。
…少し、急ぎすぎたか。


「すまんな。隠しておけるわけでもないし、愛花のところに戻ってやれ」


もうしばらくも歩けば名前の部屋だ。
名前はマフラーをするりと解いて、背伸びして柊の首にくるっと巻きつけた。ついでに手を取って、冷えてしまった指先に唇を押しあてる。


「…おやすみなさい」


少し気恥ずかしそうに微笑んで駆けていく名前を見守って、柊はそっと踵を返した。


こんな夜ばかりは家族連れもまだあちこちに見られる。仲の良さそうな恋人同士もまた、イルミネーションの下に寄り添っている。

そんな様子と柊の背中を見ながら、名前はドアをノックした。知らない人たちもみんな幸せであるといい。
パタパタと駆けてくる音が聞こえる。遅くまで出ていてごめんって謝って愛花に叱られて、それから愛花とお喋りをしよう。イルミネーションが消える真夜中まで。





あきゅろす。
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