110607 now on Fair!

大手の車会社が近くのコンベンションでフェアを開催するというので、車の購入を考えていた私には渡りに船だった。好きなメーカーでいろんな車が見られるし、フェアだから躊躇せずに営業の人に話を聞けるはず。試乗も気軽に出来るというから嬉しい。

当日、車を見ていた私を担当してくれることになったグウェンダルさんは、およそ営業マンらしくない人だった。実際、上役か何かなのだろう。
上質かつ主張しすぎないスーツを重厚に着こなして常に厳しい表情をし、時折声をかけてくる部下や同業者には的確な対応をして見せる。責任者の鏡のような、是非上司に欲しい男性だ。
ただ眉間の皺が深いから、子供が見たらまぁ泣くかもしれない。フェアだから家族連れも多いのだが。

展示されている車を一緒に見て回りながら丁寧な説明を聞くうちに、どうやらグウェンダルさんはとても誠実ないい人らしいということがわかってきた。…子供はやっぱり近付かないんだけどね。


試乗も併せてお願いすると、快く承諾してくれた。
簡単な手続きを済ませて、いざ乗車、というとき。グウェンダルさんはさりげなく運転席のドアへ回ったかと思うとエスコートさながらにドアを開けてフレームの上部を手で押さえ(頭をぶつけないように)、目線で私を促した。
そんなことをされたのは初めてだったので心底驚いた。思わずぽかんと口が開く。そして照れる。

びっくりしたのは私だけではなかったようで、周囲のスタッフさんは皆こっちをガン見だった。ちょっと笑ってしまった。


私が乗り込むとグウェンダルさんは丁寧にドアを閉めてくれ、ぐるっと回って助手席へと乗り込んだ。
ゆったりとした上品な車内空間、隣にはスーツ姿のグウェンダルさん。単なる車の試乗なのに、平常心で運転出来る気がしない。
しかし、試乗は30分間だ。…行くぞっ。



そんなこんなで緊張しながらアクセルを踏んだが、いったんハンドルを握ると車のあまりの性能の良さに感動し、夢中になってしまった。さすがは新車だ。ハイブリッドカーだ。


「これ凄いですねぇ!走り出しがなめらか!ブレーキもすんなりかかるし…うわー、いいなぁ」

「…気に入ってもらえそうで何よりだ」


信号でブレーキを踏むと、無駄な反動もなくすうっと止まる。
そんなこと一つでも嬉しくてにこにこしながら隣の助手席を見ると、グウェンダルさんはすっかりシートに背を預けて、穏やかな顔でこちらを見ていた。
少しどきりとしたが、ただ車を気に入っただけだというように笑ってみせて、信号に目を戻す。

新しい車にはしゃいでいるのが子供っぽく映っただろうか、それとも自社の車を誉められたのだから少しは嬉しいのだろうか。

私はただ、この車の乗り心地がとても素敵で、一緒に乗ったグウェンダルさんが落ち着いた様子でいることに心底胸を弾ませていた。



それからしばらく、ブレーキのシステムや新しく搭載された機能などの説明を聞きながら車を走らせた。試乗前の説明でもわかりやすく話してくれるものだなぁと思ったが、実物に触れながらの今は、説明されたことがそのまま実感されるようだった。
元より、グウェンダルさんの知識が豊富で洗練されているのだろう。活字だとすぐに引っ掛かりそうなそれは、低い声で紡がれてするするっと抵抗なく理解される。

フェア会場のブースでこの人の案内が決まったときは怖すぎていっそ帰りたいとまで思ったのに、今となっては、この人に案内してもらえることは実はものすごく幸運なんじゃないかと思い始めていた。





大満足な試乗もあと数分で終わろうかという頃、一時沈黙を保っていたグウェンダルさんが戸惑いがちに口を開いた。


「…その、苗字さん」

「はいっ」

「今回の…私の案内は、どうだっただろうか」

「…はいっ?」


いらないところで危うくブレーキを踏みそうになったのがバレたのか、「運転に集中して」と鋭い声が飛ぶ。誰のせいだ。
私の運転が落ち着くと、グウェンダルさんは申し訳なさそうにした。


「いや、すまない。私が急に声をかけたせいだ…そのままで聞いて頂きたい」

「はぁ」

「…私はその、営業には向いていないからな。自分でもわかっているんだ。今回は人手が足りず…まぁ盛況した、ということではあるが。だが、やはり営業に慣れた部下たちが案内して差し上げた方が苗字さんも良かったろう」


そんな、と否定しかけて飲み込んだ。ずっと堂々としてたくせに、彼がまさかそんな風に思っていたとは。目から鱗がぼろっと。
だから、さっさと安心させてあげるのはお預けにして、もっと思っていることがあれば聞いてみたいと、つい好奇心が働いた。
今日、私を案内してきた短い時間で、彼は何を思ってきたのか。

決して彼の意見を肯定したとは取られないように(他の人のが良かったなんざ絶対言わない)、一瞬だけ向けた目で続きを促す。
前に見えてきたフェアの会場たるコンベンションに、グウェンダルさんは溜め息を落とした。


「こうして試乗している間も会話を弾ませることなど出来ず…私に出来るのはご存知の通り、車に関することを話すくらいだ。あれ達ならもっと楽しい時間にしてあげられたろうに」


どうも本気で言っているようだ。声は相変わらず明瞭に届くが、落ち込んでいるのか覇気がない。
今までそんな素振りをちらとも見せなかったのだから、もしかしてそういう人なんだろうか。安心して自分についてこいとどっしり構えておきながら、実はあれこれと内省しているのだ。
なにそれ偉い。やっぱり上司に欲しい。そして可愛い。なんだこれ。


「…グウェンダルさんは、いつもは営業はされてないんですよね」

「ええ。店頭に来られるお客様とは顔を合わせず、本社で書類と会議に追われ…外へ出て車の話をし。それが私の役目だと疑わなかったが、ここまできてひとりの方をも十分に案内出来ないとは……思ってもみなかったもので」


力無く自嘲して、開いて座った膝の間で長い指を組む。こちらを見ない。
コンベンションセンターの駐車場に入ろうと並ぶ試乗車の最後尾についた。中に入って車を停めれば、試乗は終わりだ。駐車場入口の警備員さんが頷いて通行を許可してくれる。
私は何と返事をしようか、たいして良くもない頭をフル回転させた。


「…私は、今日一日グウェンダルさんに案内してもらって、車を買うならあなたから買いたいって、グウェンダルさんに担当して欲しいって…そう思いましたよ。今日案内してくれたのがグウェンダルさんで、本当に良かった」


此処で停めて降りれば、あとは担当の方に車を任せて、お客さんは営業の人と一緒に会場へ戻れるようになっている。
ゆっくりとブレーキを踏むと、車はやはり気持ちよく停車した。大変満足である。
試乗を終えた車を担当する人が遠くからこっちへ向かいながら、笑顔で「お疲れさまでーす」と声をかけてくれた。

ドアを開けて降りようとすると、左手をガシッと捕まれる。どうしたっ、と思って振り向くと、グウェンダルさんが焦ったような顔をしていた。


「その…っ、」


そのまま何か言いかけたが、冷静さを取り戻したのかすぐに手を話し、素早く息を吸って吐いて呼吸を整え、真剣な表情で軽く頭を下げた。


「…ありがとう」

「わっ、こちらこそ!」


思わず笑顔になると、顔を上げたグウェンダルさんも小さく笑った。
なんと貴重な!







車を任せて会場に戻る道すがら、再び堂々とした態度に切り替えたグウェンダルさんが「もし、」ぽつりと渋い声を降らせた。


「もし苗字さんがよければ、車を購入されるまでサポートさせて頂けないだろうか」

「……へ?」


購入、と言ったって。今回は各車の紹介と試乗だけをお願いしたはずなんだけど。
一体何を、と見上げると、グウェンダルさんは先に見たような穏やかな顔で、穏やかな声で、こちらを見下ろした。


「何もうちの車を買わせようというのではなく。ただ、相談に乗ったり…他社の車に決めるとしても、それぞれに知り合いがいるから、少しは融通を効かせてもらうことも出来るだろう」

「…!?」


ぎょっとした。失礼だが。
何を言ってるんだ、とか何でそこまで、という疑問がいっぺんに口をついて出ようとして、不躾かつ不粋な気がして口をはくはくさせただけで終わった。
グウェンダルさんが小さく眉を寄せる。


「…やはりいらぬ世話、か?」

「い、いえ!まさか…でも、どうして…」


グウェンダルさんはほんの少しの間私を見て、それからするっと視線を逃がすといつの間にか止まっていた歩みを進ませた。
私も慌ててその後を追う。


「ぐ、グウェンダルさん?」

「会場では、堅苦しい説明を相づちまで打ちながら真剣に聞いてくれた。試乗でも、本当に楽しそうに運転をして、つまらない車の話を延々と…嫌な顔ひとつせずに」

「た、楽しかったんですってば!何ですかそれ!説明わっかりやすくて私にも理解出来てっ、…試乗も楽しかったんですから!」

「そのように言ってくれるから。あなたには、最高の車選びをして欲しい」

「……、…。」


少し走ってグウェンダルさんを追い抜く。どんな顔をしてこんなことを言っているのか、見てみたくなったのだが。

振り向いて顔を見たら、にやにやしてしまった。


「グウェンダルさん、車好き、ですねぇ」


眉間の皺を緩めた穏やかな表情のまま、ひどく真剣な瞳をしていた。静かに燃えている、と言ってもいい。
私があまり真面目に車の話に耳を傾けるものだから、それが嬉しくて、良い車を選んでやろうとでも思ったんだろう。

グウェンダルさんは何を今更、というように眉を上げた。


「就職を決めるくらいにはな」

「ふは!確かにっ」


こんなふうに冗談っぽく返してくれるのが嬉しくて、あんなことを言ってくれるのはもっと嬉しくて。何だかとっても気分が高揚したので、スキップのかわりに小走りで発散することにした。
少し走ったら、止まって振り返ってグウェンダルさんが追い付くのを待とう。会場入り口までは、あとちょっと距離がある。




ご機嫌そうに駆けていく背中を、微笑ましく思いながら見つめる。グウェンダルは暖まった心を小さく吐露した。


「車好き、か。間違ってはいないが、あなたを気に入っただけなのだがな」


先に走っていったくせに立ち止まってこちらを待っている彼女の向こう、賑やかな声がたくさん溢れて、会場はどうやらまだまだ大盛況である。




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テーマ:ゆったり優雅な車内空間に営業マン(不慣れ)グウェンダルと二人きりでぎこちなくもドキドキわくわく試乗タイム






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