090104 焦燥と切望と絶対の希望

新年の1月1日、初詣は日の出の時間帯に神社へ向かうことになっている。
名前はとりあえず、


(ピンポーン)

(…ガチャ)



「どちらさま…」

「明けましておめでと!滑塚」

「…早ぇよ…!!」



元々一緒に行こうと打ち合わせていた滑塚の家へ押しかけた。外はまだ暗い。因みに部長とは神社の前で待ち合わせ。
(人混みに紛れて先にお参りしてやろうかとも考えた)
(でもどうせ部長のことだから見つかってしまうんだろう)
(…チッ)


寝ていたらしい滑塚は「あと2時間もあるじゃねぇか」とぶつくさ言いながらも家に入れてくれた。パチンとリビングの明かりをつけて座ってろと促す。



「親父たち寝てるから静かにな」

「分かってるよ。ごめん」

「…、…いや」



ほぼ衝動的に家を飛び出して決めていた時間を無視して、来てしまった。本当に申し訳ないと思う。謝ると滑塚は首を振って、キッチンへと消えていった。



「…はぁー……」



思わず長いため息が漏れる。何をしているんだわたしは。
なんだか酷く疲れた。ソファに背を預けると、服の向こうからひやりとした熱が伝わった。

しばらくすると滑塚が戻って来た。両手にマグカップと、腕にブランケットをかけている。



「ほらよ」

「あ、ありがとう」



マグカップの一つとブランケットを渡される。受け取るとふわり、良い香りがした。頬が緩む。慎重に一口含むと、柔らかな甘さが口に広がって疲れた体を解した。
(いや疲れてるのは精神かも、)




「言い忘れてた、明けましておめでとう。今年もよろしくな」

「こちらこそ。…んー、ココアおいしい」

「そりゃ良かった」

「ココアなんて飲むの久しぶりだよ。最近コーヒーばっかり飲んでたからなぁ」

「コーヒーな…寝ないようにか。今も勉強してたのか?」

「まぁね。偉いでしょ」

「あんまり恨詰めるなよ」

「…うーん」

「返事は」

「…でもほら、もう時間ないからさ。ギリギリまでやんないと」



この家の空気は心地いい。自然と笑ってそう言うと滑塚はぐ、と詰まるように口をつぐんだ。

特待生に選ばれた滑塚や部長は、その時点で指定校推薦の枠をもぎ取ったことになる。それはつまり受験を待たずに合格が決まるということだ。だから既に合格手続きに入っているし、受験勉強ももう必要ない。
だけどわたしは違うのだ。



「センターまでほんとにあと少しだし、受験生は皆一緒だよ。必死なんだって」

「それで倒れたら元も子もねぇじゃねーか」

「大丈夫大丈夫、そこまでいかないから」



この家の空気が好ましいと思えるのは、受験体勢の息苦しさが感じられないからだ。うちでは違う。わたしはもちろん、支えてくれる家族も受験を意識しているから、どうしても気が抜けない。
休もうと思っても気が付けばさっきやった問題を思い返しているし、寝れば受験当日の夢を見る。お腹が空く頃には母が差し入れを持ってきてくれる。テレビを見ていると罪悪感と焦燥が襲う。
ふいに酷く泣きたくなるほど。



心地いい、と目を閉じたわたしの頭を、ぽんぽんと大きな手が撫でた。
すぐ隣でソファが沈む。



「…時間まで少し寝とけ」



ぐ、と引っ張られるままに身体を倒すと、クッションを乗せた滑塚の太股に頭が落ちた。置かれたままの手の重さにほっとする。


実際に一度泣きついたからか、滑塚は優しい。部長も、時々こうやって弱くなる時は決してからかってこない。彼らのその態度が合格を決めている故の傲った余裕だとは思わない。ずっと執行部で頑張ってきたのを、わたしは見てきたのだから。
今はわたしが頑張るべき時なのだ。分かっている。



睡魔はすぐにやってきた。睡眠薬でも入れたの、と問うと、馬鹿かと呆れた声で返事が返る。それだけ疲れてんだろ。早く寝ろ。


意識が遠くなる。起きたらきっと凪いだ心で前向きになっているだろう。初詣行って、帰って一眠りして、また頑張ろう。
受験勉強時らしくない穏やかな気持ちで数式をひとつ思って、思考を手放した。



***



穏やかに寝息をたてはじめた名前の頬を一筋の涙が滑り落ち、クッションに丸く染み込んだ。意識では辛いのを耐えきれても、体はもう限界が近いのだろう。
滑塚は涙の跡をそっと拭って静かに項垂れた。


執行部に所属していない生徒が特待生に選ばれるには、並大抵ではない努力とその証拠、例えば何枚もの賞状等が必要だ。実際、執行部員以外で特待生となった4人は、特待生とならずとも大学側から引き抜きがくる程の専門的な実力者だった。

そのことは名前も百も承知のはずで、だからこそ特待生呼び出しから帰ってきた自分や部長を笑顔で祝福してくれた。大丈夫、特待生の制度を知った時に、これはわたしには無理だなって思ったよ。あんたらはずっと頑張ってきたもんね。これくらい当然だって!おめでとう。

だけど、執行部とよくつるんでいたこいつが、ただひとり疎外感か何かを感じていたことには間違いないのだ。



無理だって?そんなことはなかったのに。
賞状なんか無くたって、こいつは聖凪や後輩のために執行部を支えてきたし、執行部員の俺らと渡り合うためにずっと努力してきた。
聖凪高校の特待生というならこいつだって特待生に違いない。人材的には下手したら執行部員よりも上で、

(その魔法の実力を、ましてや記憶を奪われていいような奴ではないんだ。絶対に)



滑塚は、柔らかく流れる髪を一房手に取った。馴染みのないシャンプーの香りが嗅覚を擽る。

そのままこいつを捨て置くことなどしない。既に準備も進めてある。共に過ごした記憶を、僅かでも失われてたまるか。



「部長と男二人で昔話なんかしたってな、全然面白くねぇんだよ」


思わず溢れた苦い呟き。
そうなのだ、魔法関連の苦労話も笑い話も山ほどある。
いつか酒の肴にでもして懐かしむ時には、お前がいなければ。


記憶は俺らでどうにかしてやる。
だから進路は、お前の力で掴み取ってくれ。

ただ出来ればあまり苦しみを知ることなく、こんな、無意識の時だけ涙を落とすまでに追い詰めないで欲しい。



それを口にできないのはこんなにも辛いことかと、滑塚は静かに目を伏せた。



早く、早く、
こいつがいつものように晴れやかに笑う日が来ればいい。



(そのときまで頑張るんだ、俺も、こいつも、部長も)




(が、導く未来は)



結局滑塚もつられてうとうとしたので、待ち合わせに遅刻して部長に怒られた。


(ごめん!)
(すまん…)
(…ったく、いつまでも仕方のない奴らだな)
(あっそれ部長には言われたくねーわ)
(えええかなたお前酷いぞ!)
(部長、余計なことは)
(…分かってるさ、滑塚)
(? 何、二人して)
(何でもない。早くお前が喜んで俺に泣きつく姿でも見たいものだな)
(ええ?何それ、なんでわたしが)
(部長!)
(はいはい。それじゃあ意気揚々と神社へ向かおうじゃないか)
(…意味分かんないなぁ)





あきゅろす。
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