Nobody But You




「何だろうな。何て言ったら良いのか……」

飛沫を上げて水面を弾かせ、川の流れに逆らって腕を上げる。
水を切るように手の先から上げた腕を川面に滑り込ませ、気ままに流れに逆らいながらも乱すことはなく、波紋を従えて緩やかに泳ぐ。
ふと立ち止まって、澄みきって木々の緑を映す水を両手ですくう。
顔を漱ぎ、べったりと手のひらで目元を拭う。
咽喉を反らして髪を水にくぐらせ、顔を上げて滴の垂れる髪を後ろに撫でつける。

「いや、何て言うか……」

やがて浅い岸辺へ上がり、岩にかけておいたタオルを取る。
顔を拭い、髪をかき回して拭い。


「どんどんタフになっていく俺が恐い!」


濡れたタオルをパンッ、と自分の肩に打ちつけ、素っ裸のまま。見える山々のすべてに響くような馬鹿丸出しの声を上げたジャンに、晴れ渡る空の下、心がどこまでも安らいでいくのを感じた。

「死んじゃえばよかったのにな」
「ハッハッハッ!」

完全に本気で言ったのだが、めでたい頭には冗談に聞こえたらしい。あくまで素っ裸で馬鹿丸出しというか諸々丸出しで笑い声を飛ばすジャンに、あらゆる感情が消えていく気がした。
無駄に声がでかいのは腹筋の力が戻ってきたからだと分かっているから、それだけは喜んでやらないでもなかったが。

「もう上がれ。服着ろ。また倒れても知らねぇぞ」
「もうひと泳ぎしたらな。ああー。もう当分死ぬ気がしない」
「駄目だ。とっととその可愛らしいもんしまえ。魚に食いつかれるぜ」
「……なあ、エレン。お前がガラ悪くなったのって実は俺のせいじゃないよな? もっとこう、どぎついヤツからすごい悪影響受けてるよな?」
「悪って言うなよ。失礼な」
「えっ、何だ。思いっきり心当たりあるじゃねぇか。誰だよ」

誰だよ、と腹の立つほど屈託なく驚いた顔で目を丸くして、頭にタオルをかぶせたきりのジャンがこちらに歩いてくる。その顔に乾いたタオルを投げつけて、威嚇のために食いしばった歯を剥いて見せてから、焚き火の風上に戻った。昨日の川仲間は今日の昼飯だ。火の回りでは串刺しにされ腹を割かれて塩を振られた魚が四尾、そろそろ頃合いの焼け具合だった。
椅子代わりの大きめの石に腰を下ろし、串を返して薪をつつく。空腹に腹をさすって、自分の息に顔をしかめた。言葉を発するたびに、胃袋からジャンの体臭が上がってくる気がする。気管の奥にへばりついた残滓を吸い込むつもりで鼻をすすると、吐いた息には確かにこの男の名残があった。堪らずしつこく唾を呑む。
昨夜、久しぶりにジャンとヤッた。ヤッたってほどのことでもない。一方的にいじり回しただけだ。「ジャンとヤッた」というより「ジャンでヤッた」とか「ジャンにヤッた」に近い。
このところ俺が毎晩こいつに無限に繰り返しされていたことの、ほんの少しを仕返してやっただけだ。髪の付け根から足の爪先までしゃぶり倒して時折浅く噛みついて、すっかり張りつめてヌルついた陰茎を先を口に含むと、ジャンの腿が大げさに震えた。数秒も保たず顎の裏から舌の付け根まで熱が迸って、ひどく粘ついて飲み下すのに苦労した。
ジャンは、ああ、と自分の目元から額までを手で覆って、狭い寝床に響いたのは、喘ぎ声というより後悔の呻きだった。楽にしてろ、と男の腹を撫でて、唇と舌で先端をしごき、残りを吸い出す。

「いいって。全部飲んでやるから」

ガバリと。
囁いたところでジャンが急に身を起こしたものだから、危うく歯を立てそうになった。手のひらの下で腹筋がうごめく。咥えるのをやめて視線を上げると、ジャンはまだ半分顔を押さえたまま、指の間からこちらを凝視していた。何か言いたげに口を開いて、閉じかけて、また中途半端に開いて。ああ、と意味のない呻きを漏らすと、目眩でもしたのか小さく首を振った。

「……いや、いいんだ。愛してる」

こいつ、それ言っとけば片付くと思ってるな。
えらく改まった口調で言って倒れ込んだジャンに、少し気分が白けたが。ぐったりと力の抜けた身体とは対照的に、握っていた陰茎が硬く芯を持っているのに気づいて、つい頬が弛んだ。おかしいわけじゃない。おかしいのとは違う。

愛おしい?

浮かんだ言葉をすぐさま追い払った。頭を下げて根元に音を立てて強く口づけると、ジャンは今度は後悔とは違う音で大げさに声を上げた。かわいいと思う。かわいいってのも正確じゃないが、一番適当ではあった。ジャンは倒れる前と何ら変わらない、可愛らしいもんだった。



「シャツを着せてもらえる贅沢……」

ブツブツと独り言を言ってジャンがのろのろと服を着て、ベルトを締める。まだ濡れた短い髪を布地でかき混ぜながら、ジャンは自分の顔を撫でつける。さっき自分で髭を剃っていた頬と顎だ。鏡も無いのに俺が剃ってやるよりずっと滑らかに仕上げる。それが嬉しいのか満足なのか知らないがニヤニヤと一人で口元を歪ませて、どこか遠い目で空を見上げると、心地良さそうに深く息を吐いた。

「乗り越えてみれば、ちょっとしたバカンスだったな……」
「お前やっぱちょっと頭おかしくなってないか。何て言うんだっけ。後遺症?」
「浮かれてんだ。しばらく好きにさせろよ」

自分で言うなと思う。
そうやってケラケラと笑って正直に言われると放っておくしかない。好きにさせろよ。これもこの数日、悪夢の中で何度となく聞かされた言葉だが。
確かに乗り切ってみれば、数日前までの暮らしは、本当にそちらの方が夢の中の出来事のようだった。
一度熱が下がって食欲が戻ると、そこからの回復は早かった。あまりにあっけなくて、こちらの気構えが追いつかなかったほどだ。
もう日は数えていない。一昨日に一人で川へ下りる途中、何気なく通りがかった木の幹の裏側を覗いてみて、ゾッとした。横にびっしりと刻まれた線に、危なかったのは俺の方だったんじゃないかと恐ろしくなって、あれ以来微妙に道をずらしている。まあその行き来もあと数日のことだ。
明日からはジャンとしばらく山へ入る。いつか見た鹿を追うのだ。









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