Nobody But You




死ぬ、と一言。
自分の声ではない。当然にジャンの声でもない。
地を這うような不気味な声を聞いた。夢の中でなく、確かに現実の音だった。耳元で不吉な声を吹き込まれて。目を覚ました。

「……」

開けるかぎり見開いた目で、闇を見つめる。
心臓は何故か静かだった。まずそれを訝しく思った。
覚醒には時間がかかった。徐々に意識がはっきりして明らかになる自分の身体も、いつもとは違い汗ひとつかいていなかった。
静かなのは心臓だけではなかった。耳鳴りがしているわけでもないのに、毛布の下からとは言え、あまりに音がない。覚めきった目で瞬きをしても、まだ周囲の音はひとつも拾えなかった。森も、草も、鳥も虫も、水も、風の音すらない。ただ目の前をぼんやりと、闇に沈んだ毛布の生地が塞いでいるだけだ。こうして閉じこもっているのに、その目の前の布地に絶えずぶつかっているはずの、自分の呼吸すら聞こえない。
呼吸。
そこで。
ようやく本当に目が覚めた。
毛布を持ち上げ、ゆっくりと身を起こした。
どのくらい眠ったのか。頭は冴えていた。気温は下がりきっていない。夜はまだ長い。相変わらず辺りは不自然に静まり返って、この中で少しずつ音もなく、自分の鼓動だけが高まっていった。

「……ジャン?」

声が出るな、と思った。
まだ夢の余韻が脳に貼りついていた。悪夢だ。今夜こそ正真正銘の悪夢を見た。それなのに目覚めがこんなに静かなのは何故だろう。夢の中で風がうるさ過ぎたせいだろうか。ぼんやりと考えながら、身体の向きを変える。動作のひとつひとつがひどく緩慢になった。何か挙動ひとつ焦ってしくじれば、それですべてが駄目になってしまうような。得体の知れない恐怖があった。駄目になってしまう。何が。

「おい…ジャン……」

慎重に身を移し、隣に横たわる男の顔を覗き込む。男の肩の向こう、地面に手をついて、殆ど覆い被さるようにな体勢で、間近に見下ろす。

「ジャン……起きろ」

いつもはすぐに慣れるはずの自分の目は、まだ闇を映すばかりだった。輪郭は確かにそこにあるのに、何の気配もない。音もない。

「ジャン…!」
「何だよ……」
「…………は」

心臓を潰された気がした。
声が耳に届いた瞬間、また夢から覚めた気がした。

「エレン…?」

もったいぶることもなくあっけなく返事をよこしたジャンは、いやにはっきりした声だった。何のことなない、呼吸が聞こえなかったのはこの男が起きていたからだ。気力で押し込めていたからだと気づいて、胸が冷えた。心臓から冷たい地面を掴む指先まで急激に体温が下がっていった。
眠る俺の隣で息を殺して、起きた俺の前で寝たふりを決め込もうとして、こいつは、何を考えてた?

「……ジャン、お前…」

一向にジャンの顔が見えてこないのは、自分が覆い被さって暗闇を深くしているからだ。気づいて笑えるはずもなく、ただ全身が冴えきっていくのを感じる。

「エレン…お前、また……」
「……ジャン」


 お前を失いたくない。


何か言いかけたジャンの言葉を遮って、自分の脳裏に浮かんだ言葉も切り捨てた。
男の両の肩を掴む。構わず体重をかけて繋ぎとめる。ジャンの目の光を微かに辛うじて捉える。そこまで迫っても、まだ男の息は伝わらなかった。


「お前、こんなことのために、俺について来たのか?」


こんなものが俺に必要だと思ったのか。こんなものを与えたくて。死を。どうしてだ。
俺の胸にも、お前の胸の内にも、もう既に数え切れない遺志が眠っている。名前が刻まれている。今も深く息づいている。それが道行きの途中で新しくひとつ増えることに、どんな意味があるんだ。こんな世界の片隅で、ただ死を待って、死を目の当たりにして。それが俺に必要なことだと、お前、本気でそう思ってたのか?
こんなことのために。
こんなことのために、俺を抱いたのか。とは。さすがに訊けなかった。それを訊いたら、返答次第では俺はこいつを殺す。死を待たず、喩えでなく、殺すことになる。
ジャンの言葉を待って、待つ間。ひどく心細かった。どんな答えが返ってくるにしても、俺はこの男をただでは済ませられない気がした。

「……ハ」

やがて。
押さえつけた肩が僅かに揺れて、顔が見えずとも分かる、嘲る音でジャンが小さく笑って。脳の芯までが凍るように冷えきった。
何か感情が起こったわけじゃない。ただ殺すべきかどうか、判断することを決めた。鼓動は止み、澄みきった頭で、ジャンの言葉を待って。そして。


「手厳しいな……傷つくぜ……」


意味不明なジャンの呟きに、用意した何もかも崩れ去った。









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