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■ 4

蒼馬は相手の無造作に逆立てられた黒髪が、怒りでフルリと震えるのを目端で認めながら、重い足を引き摺るように動かした。
ヴァルトンからは見えないのを良い事に、マスクの中、視線を反らしそっと背後を見遣る。
その間もじりじりと僅かずつ体の向きを変えながら尚も荒い息を飲み込み、言葉を紡いだ。

「俺は碌な抵抗が出来ない。さぁ、倒すなら今のうちだぞ、ヴァルトン」

わざと相手を煽るような言い方をすれば、案の定、敵の幹部の体から怒気が放たれる。
首を鷲掴んだ手に力が篭り、蒼馬の喉を締め上げた。
だが苦しげな息を必死で抑え、あくまでも優位な態度を崩さない。

「すでに瀕死のお前が、随分と大口を叩くもんだ」
「勝負は最後の最後まで解らないさ」
「はっ、そうだな。油断は命取りってことだ、なっ!」

凶悪に歪む唇が唸るように言葉を吐き出す。
その最後、全てを言い終わる前に、ヴァルトンは反動も付けずに無防備な青年の腹へ鋭い蹴りを叩き込んだ。
ドンッ。
痛みの呻き声を漏らす余裕も無く、立ち上がれない程に重く感じられた蒼馬の体が、呆気無く宙を舞う。
だいぶ離れた床の上に跳ね落ち、ゴロゴロと三回ほど転がって止まった。
仰向けで横たわった蒼馬はぐったりと四肢を投げ出している。
意識があるのかどうか、ヴァルトンからは伺えない。
だから体の影になった左腕が僅かに動き、伸びた指先が床に出来た切れ目を探り当てた事もまだ気が付いていなかった。
もちろん、メタリックホワイトのマスクの下、受けたダメージに歯を食いしばりながらも、その唇が薄く笑みを形作った事も。

重さを増した体の絡繰りは未だ解けないが、それよりもまず体の傷を癒さなければならない。
その為には少しでも早く、この広間に設えられた水場へ近付かなければならなかったのだ。
自ら動けないならば、相手を利用すれば良い。
だから蒼馬は互いの位置を測りながら、わざとヴァルトンを煽り攻撃をさせたのだ。
蹴られた腹のダメージはかなりキツいものだが、それもすぐに解消出来るだろう。
静まり返った広間に、ちゃぷんと水がたゆたう音がする。
それだけで蒼馬の心が歓喜に震えた。
自分を形作る全てが渇望し、一秒でも早く包まれたいと意識を向ける。

「はぁっ……」

深い息を吐き出しながら、相変わらず鉛を含んだように重い体を床から剥がした。
ガクガクと付いた腕が震えるも、後もう少しと宥めながら頭を起こす。
それでもようやく四つん這いの姿勢をとったに過ぎない。
だが今の蒼馬には充分だった。
カツン。
もうろくに動けないと思い、油断しきった男が悠々とこちらへ近付いてくるようだ。
だがそれより早く、この窮地を逃れる術が蒼馬にはあった。
メタリックブルーのヘルメットの表面に水底からの淡い光が届き、複雑な波紋を描く。
まるで導かれるかのように、ゆっくりと横へ傾いていく体。

「この場所を選んだお前の負けだ、ヴァルトン!」

力の源である水の中へ。
安堵の思いと共に、敵へと視線を流す蒼馬。
勝利を確信した瞳。
しかしそれは相手の顔を認めた瞬間、ハッと見開かれた。
とぷん。
そのまま水に受けとめられるように、僅かな水飛沫しかたてず、蒼馬の体はプールの中へ飛び込んでいた。
瞬間、視界を複雑に交わる青が遮り、重い体はそのまま仰向けの姿勢で水底へ沈む。
全身を包む気泡の細かい泡がプクプクと沸き立ち消える。
触れた水がじわりじわりと染み入り、スーツを通し蒼馬の体内へ取り込まれていった。
指先から徐々に広がっていく癒しの力のおかげで、たちどころに傷の痛みが消え失せていく。
遠ざかる水面を眺めながら、純粋に体が軽くなった感覚を覚え、マスクの中でホッと思わず吐息を漏らす。
だが蒼馬の表情はどこか晴れなかった。
先程、落ちる寸前に見た、ヴァルトンの表情が原因だ。
敵が力を取り戻すというのに、その顔は何故か蒼馬の予想と違い、余裕の笑みを浮かべていた。
万全の相手にでも負けない自信からくるものなのかもしれないが。
だが、おかしな要素はもう一つあった。
蒼馬の体は回復したというのに、未だ異常な重力に引かれているように自由に動けないのだ。
地上ならばまだ解る。
だが水中と言えば、蒼馬の独壇場とでも言うべき場所だ。
それなのに碌に体勢を変えられぬまま、石のタイルが敷き詰められた水底に辿り着いてしまう。
ゴトン。
固いヘルメットが触れ、僅かながら鈍い音を鳴らす。
沈み止まった状態で、改めて底を踏みしめるが、やはり起き上がる事は出来なかった。
それでもなんとか力を振り絞ると、頭部が僅かに上がる。
だがそれも僅か数センチのみで、深く溜められたプールの水面は遠い。
自身の能力の一つとして、水中でも変わらず呼吸は出来るから窒息する事が無いのは救いだ。
いや、その所為で少し警戒心が薄らいでいたのかもしれない。

「……っん!」

突然、全身を圧迫されるような付加を感じ、蒼馬は咄嗟に息を詰めた。


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