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■ 1

コンコンコンと部屋のドアを三回叩く音がした。
石田亮太は暇つぶしに眺めていた雑誌から顔を上げ、ちょうど視線の先にある窓際のパソコンデスクの上に置いてあるデジタル式の置き時計を見遣る。
薄く緑色に光る数字は二十一時を少し過ぎた事を表していた。
石田は軽く頷くと特に慌てた素振りもみせず、閉じた雑誌をすぐ横の床に投げ出し、腰掛けていたベッドから立ち上がった。
歩いてたったの六歩。
あっと言う間に辿り着いたドアの前。
だがそれでも扉の向こうの相手は焦れたのか、石田がドアノブを掴むと同時に、催促のノックを2回ほど繰り返してくるから。

「はいはい、今開けるよ」

石田は苦笑を漏らしながら一気にドアを開け放った。
すると、ドアの外、節電の為に蛍光灯を減らされた薄暗く狭い廊下には、吸血鬼もどきの男が両手をいっぱいに広げたポーズで立っていた。

「トリック、オ〜ア、トリ〜トっ!」

声高らかにお決まりの言葉を告げてくる、その顔には満面の笑み。
確かに今日は十月三十一日、そう、世に言う万節祭……もっと解りやすく言うならばハロウィンの日ではあった。
外国のお祭りではあるが、いまや日本でもすっかり有名で、オレンジ色のカボチャの飾りやコウモリなどで街のあちこちが彩られている。
オバケやモンスターの仮装をするのも一般的だ。
しかしそれは無邪気な子供だからこそ許される事であって、すでに二十八歳にもなろう男が全力でやる事かと。
部屋の主である石田は、軽くウェーブがかかった薄茶の前髪を邪魔そうにかきあげながら、目の前の吸血鬼もどき……同期入社の友人、岡林直樹を呆れた溜め息と共に出迎えた。

「……ノリノリだな」
「お前はノリが悪過ぎんだよ、亮!こういうイベントは楽しまなきゃ損だろ」
「…で、お前はこうしてわざわざ、奇妙な格好して、同僚の部屋を練り歩いてお菓子をせびっていると?」
「うっ……聞こえが悪い言い方する奴だな〜」

冷めた言い方をしつつも、石田はすんなりと岡林を自室へ招き入れたのだった。


ここは某大手企業の社員寮。
そこそこ有名で知らない人はいないだろう規模の会社とはいえ、その社員に与えられた生活空間は普通に狭い。
入ってすぐが特に狭く、石田は壁に縋るように脇へとどくが、自分よりも僅か数センチ程身長も高く、そこそこ鍛えている岡林とすれ違うのはなかなか窮屈だった。
しかし先に通された岡林は自室と同じ間取りの部屋の何がそんなに珍しいのか、短めの黒髪を無造作に立たせた頭を振りながら、きょろきょろと辺りを見渡していた。
長方形の長い辺の片側に簡素なベッドと机、そして反対の壁際に長細いチェストが置いてある。
そして空いた中央のスペースには卓袱台が置かれ、その脇に青い座布団が二枚用意されていた。

あまり持ち込んだ荷物が無い分、石田の部屋の方が弱冠広く感じるなぁ…と、独りごちるその広い背中に、良いから座れと石田が促せば岡林は律儀に振り返り人懐っこい笑みを浮かべ頷いてみせる。
だが一つの角を挟んで並んで置かれた座布団の、さてどっちに座れば良いのか、無意識に顎に手を添えて立ち竦んだ岡林の姿に気付き、石田は迷わず入り口に背を向けて座る形になる方の座布団を指差した。

「お前、こっち」
「あ、おう……」

岡林は素直にストンと腰を下ろし、あぐらをかいた。
石田はドアの脇にある小さな冷蔵庫を開けて、ビールや用意していたツマミを取り出しながら、そんな岡林の後ろ姿に声をかけた。

「お前、それって吸血鬼……のつもりだよな?」
「んふふ〜♪そうだ!良い感じだろ?」

岡林は嬉しそうに笑いながらわざわざ振り向き立ち上がると、サッと両手でマントを掴み広げてみせた。
かなり自信満々に披露しているが、実は本格的なのは黒くて長い襟付きのマントくらいで、その下は普段から会社に着ているダークグレーのスーツでしかない。
せめて髪型だけでもどうにかそれっぽくすれば良いのに、普段と変わらず剥き出しの額を晒している。
石田はそんな岡林をジッと見つめると、コクンと首を傾け目を軽く瞬かせる。

「まぁ、消去方的に言えば、見えなくは無いって感じか…?」
「なんだ、お前もそんな事言って!ほんと、この寮の住人はノリが悪い奴ばっかりだな」
「お前もって……もしかして全室廻ったのか?」
「……んな訳ねぇだろ!顔しかあわせた事が無い奴もいるし、めっちゃ年上の人もいるし……そんな奴らにこんな格好で特攻かませる程、俺は心臓に毛が生えてねぇよ!」
「ちゃんと行く奴を選んで、わざわざメール廻したんだっけか?」

昼休みに長々と携帯を弄っていた姿を思い出した石田は、からかう気満々の笑みを浮かべた。

「うっせぇよ!だって予告しとかねぇと、皆、今日がハロウィンって気付かねぇだろ?」
「確かに、俺も直樹に言われるまで忘れてたなぁ」


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