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遺産のひとつ サンプル
■ 2

投げ出された手首や首筋の脈も、左胸の拍動も触れて確かめる事無く。

「もう少しもつと思ったんだが……」

呆れを含む口調。
もしかしたら闇の中、見えないながらも肩を竦めているのかもしれない。
だが続く声はもう興味を失ったように素っ気無かった。

「とにかくこれで契約は終了だ」

ただ事実を述べただけの声が路地裏にポロリと落ちる。
と、不意に横たわる人物の胸の中心から淡い青い光が出現した。
漆黒に全て埋もれた空間が、その周りだけ明確な形を取り戻す。
灰色の石畳の地面や焦げ茶色のレンガを積み上げた壁、そして側にいる二人の人間 ―― 一人は壁に沿って横倒しになり、もう一人は傍らに立っている。
倒れているのは、声のイメージよりも二十歳は若いだろう、スーツ姿の中年の男性だった。
顎髭を蓄えた男は酷くやつれた顔をしていて、目の下にくっきりと深い隈が出来ている。
もう一人の男は、音も無くその場で足を折り、片膝を付いた。
胸の上へ左手を伸ばし、不思議に光るそこへ翳す。
丸く炎のように揺れる光は見た目に反し熱を持たないのか、躊躇無く男はそれを掴み取る。
手の中へすっぽりと覆われた青い光は、死んだ男の体から抜き取られるように、服越しに細い線を引きながら離れた。

「まぁ、こんなもんか」

もう用は無いとばかり立ち上がり、手中に収めた光を見下ろし呟く。
指の間からちらちらと漏れる淡い青が辺りの壁に踊り、今まで曖昧な輪郭だった男の細部をも照らし出した。
闇に同化していた黒髪は、短くさっぱりと整えられていた。
同じように黒一色のシンプルなスーツに身を包んだ姿態は細く、手足も長い。
青く光る己の手を覗き込む顔は、すっきりと整った顔立ちをしている。
一見、三十代前半に見えるが、どこか冷めた表情と目付きは、妙に老成した雰囲気を醸し出し、もしかしたらもっと歳を重ねているのかもしれないという印象を与えた。
青年は手にした光る塊を徐に口元へ運んだ。
引き結ばれていた薄い唇が迎えるよう僅か開く。
つるり。
淡い青の光は長い指に押し込まれるよう、口の中へと吸い込まれていった。
瞬間、細い眉が寄り、秀でた額に浅い筋が産まれたが、光が消え再び戻った暗闇の中、もう見えはしない。
ただ何かを飲み込んだような音だけが微かに漏れ聞こえた。



「食事は終わったのか?」

また闇の中、唐突に放たれる男の声。
先ほど死亡宣告を告げた悪魔とはまた違う。
皮肉の色が混じる問い掛けは、艶やかな若さが滲む。
問われた黒髪の男は無言のまま、ゆっくりと振り向いた。
体に纏わりつく空気が動き、遅れて足元で靴擦れ。
その場を動く事無く、ただ声がした方へ相対するよう向きを変えただけ。
路地裏は暗闇に支配され、何も見えない。
しかし男の瞳には映っているのか、迷い無い視線が建物一つぶん離れた空間へ投げられた。
と、次いで同じ高さのまま、それがゆっくりと真横へ滑る。
何が見えるのか、悪魔は口端を微かに持ち上げて言葉を紡ぐ。

「一足遅かったな」
「まっ、ある意味ね」

続く声は先ほどと同じ。
何か含みがある口ぶりで呟くや否や『ゴアン』と歌うように囁く。
妙な振動を持つその声の響きは、周囲の闇が波打つような錯覚を覚える。
だが実際に起こった現象は、もっと希有なものだった。
ぽわっと拳大の光源が何も無い空間から現れ、ふわりと宙を舞い始める。
清浄な白い光は簡単に周囲の闇を退け、呼び出した主の姿を明確にしていく。
声のイメージを損なわない若い風貌の男はかろうじて成人しているように見える。
が、まだ幼さを残す甘さが頬の線に残っていた。
少し長めの銀髪が光を弾き、挑戦的な笑みを浮かべる顔を縁取っていた。
黒髪の男より少しばかり上背がある体を、すっぽりと濃緑色の二重外套で覆い隠している。
光球が近付く度、表面にびっしりと同色の糸で何やら細かい模様が刺繍されているのが見て取れた。
ケープ部分を翻すように右腕が横に伸び、トンと斜め後に立つ男を指先で突つく。
そう、銀髪の青年に僅か重なるよう佇む人影がもう一つあった。
気配は勿論、言葉を発する事もせず、周囲を漂う淡い光を受け、ようやくその存在を示した男は、寄り添う青年と良く似ていた。
同じような背丈、身に付けた外套も同じ。
顔立ちも一見、見間違いそうなほど似ているが、今は全く違う表情をしている。
強く引き結んだ唇と静かに相手を見据える灰藍の瞳。
それが隣に立つ青年の仕草に釣られ、金色の長い前髪越しにゆっくりと横へ動いた。

「お前も出せよ、ジン」
「あぁ」

小さく頷いた金髪の青年は、僅かに唇を動かし、同じように光を呼び出す言葉を紡ぐ。
闇の中から産まれた光球が、顔の横にふわりと浮かぶ。
ジンと呼ばれた青年がジッと見つめると、光は彼から離れ、すぅっと宙を滑るように移動する。
向かう先は、この場にいるもう一人の男の元。
路地の突き当たり、暗闇に覆われていた一画が今度は白い光で仄かに照らされ、埋もれていた人物の姿を暴いた。


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あきゅろす。
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