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欲求過剰許可願

きゅ、と遠くから水を止める音が聞こえたような気がしたが、その音はあまりにも日常に溶け込み過ぎて騒音にさえならずに消えていく。

誰かが近づいてくる気配がして銀時が顔を上げると、新八が熱い茶のなみなみ注がれた湯呑を「どうぞ」ともってくるところだった。さも当たり前のようにことりとそれを置く新八の手を目で追いかけていると、比較的白いはずのその指先が、水仕事のせいか真っ赤になっているのに気がつく。
新八自身、自分の湯呑を両手で握りしめて冷えた部分を温めているようだったから、よほど冷えているのだろう。よく見れば手の甲にあるのはあかぎれのようだ。
どうしてその手を冷水にさらして、と荒れた手を見てふと思う。
そうさせているのは結局のところ自分なのだということを忘れたわけではなくてただ、
“俺がその痛みやから守ってやれたらいいのに”と思うのだ。
けれどどうしてそう思ったかは、その時の銀時にはよくわからなかった

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なにそれ、と呟く銀時の眼前には、ハンドクリームを手に擦り込む新八の姿があった。
「あぁ、これですか。見かねた山崎さんが分けてくれたんですよ。試供品ですけど。」
真選組の方も水仕事するんですね、とケラケラ笑っている。
「僕は男だからこんなのなくてもいいかもしれないけど、やっぱ痛いのは嫌ですからね。」
神楽ちゃんには悪いけど、せっかくなんで使おうと思って、と少しだけ甘いような香りのついたそれを、手に擦り込んでいく。新八がふと目を向けた銀時の表情は、話を聞いているのかいないのか、ぼんやりとしている。
「どうかしましたか、銀さん?」
「いや、何でもねぇよ、」
実際はどうかして、いた。だけど言えるはずもなかった。
新八が手に塗っているそれと同じものを、自分も渡そうとしていたことなんて。
苛立つ心をうまく処理できないまま、銀時はぼんやりとその指先を見詰めていた。
自分と関わりなく潤っていく新八の肌が、自分を裏切ったように思えてならなかった。

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「あ」と声の上がった方を銀時が一瞥すると、新八がハンドクリームの小さなチューブ片手に少し残念そうな顔をしていた。無くなっちゃいました、と眉尻を下げて笑う。正直少し嬉しかった。何故か判らないけど、邪魔ものが消えたような安心感、そして生まれるちょっとした希望。しかし“ここで新しいものを欲しがってくれればいい”とどこか心の片隅で思う銀時の思惑は知らず、新八はまぁなくても大丈夫ですしねとほほ笑んだ。
新八は、求めてはくれないのだろうか。もっと欲しがってほしい、と思った瞬間、銀時の中に沢山の感情が一気に広がった。もとめられたい、こたえたい、みたしたい、そしてみたされたい。
しあわせに、したい。
そして気付いた自分の思いで、銀時の心の隙間に、何かがストンとはまり込んだ。

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「たでーまー」
一人で向かった雑用の仕事が早く終わって銀時が帰宅すると、いつも聞こえてくる声が返ってこなくて自分でも不思議なくらい動揺した。神楽と定春が居ないのはいつものことなのだが。
駆け足で家に入ると、新八は洗濯物の傍らでうたたねをしていた。日の光の中、横たわる姿が微笑ましくて、一気に力がぬける。寝顔になるとあどけなさが増す新八にそっと近づいくと、その手に握りしめられていたのは自分の常用する着流し。湧き上がる感情を無視できなくて、そっと、そおっと、頭をなでたその時だ。

「ぎんさん」

小さな、それでいてはっきりとした声で、その唇からこぼれ出たのは紛れもなく自分の名前で、その声の響きがとても甘くて。
「しんぱち、」
待っていられなかった。今すぐ抱き締めたかった。何とは言わず、「俺も」と言って気持ちを通わせたかった。我慢がきかない。
「新八、おい、」
眠りは浅かったようですぐに目を開けた新八だったが、目を開けた瞬間銀時からさっと身をはなし、自分が握りしめていた着流しに気がついて、ぱっと手を離してしまう。
銀時が何もできないでいると、新八は焦ったように話し始めた。
「すっすみませんなんか洗濯してたら眠くなっちゃって!ちょうど着流し畳んでたところで、えっと、大きさちょうどいいしって何言ってるんですかね!すみませ「新八・・・?」
突然饒舌になった新八に、思わず声をかけてしまう。
ペラペラしゃべっていたと思ったら、今度はぐっと黙り込んでしまった。俯く新八の表情は、銀時には見えない。
「新八、お前さっき寝言で俺の名前言ってたんだぜ・・・それって、さ・・・」
もしかしてお前も、と言葉を続けようとした、そのときだ

「っごめんなさい!気持ち悪いですよね、本当に。でもっ銀さんに好きになってもらいたいとかっそんな、こと言わない、し!なにも欲しがったりとかしませんから、おねがい、ですから・・・・」
震える声で新八は、言った。

「ここにっ居させてください」

まだ男になりきらない細い肩が、声同様に震えている。それを見ていられなくて、銀時は三歩分ある新八との距離を一瞬で詰めて抱き込んだ。好きなんだ。大切なんだ。だからもっと欲しがってほしい。強く求めてほしい。わがままではないから、ぜいたくでもないから、俺を強く望んでほしい。
伝えたい言葉が多すぎて、何も言えない銀時がやっと絞り出した言葉が新八の耳に届いた瞬間、銀時は自分の胸に形のいい頭が押し付けられるのを感じて、腕に込める力を強めた。

「おれはおまえのものになりたい」

だからもっとほしがってくれよ、なぁ

・・・・・・・・・・

自分の気持ちと、新八の気持ち、分かったなら不毛な鬼ごっこをする必要はない、と銀時は思った。だってこんなにお互いに思いあっていて、結ばれないのはもう許されないことだ。ずっと抱きしめていたいけれど惜しむようにそおっと体を離したら、ハンドクリームが切れてまた少し荒れ始めた手を引いてソファへ向かう。座って向かい合わせになると、銀時はあの、渡し損ねたハンドクリームを取り出した。それを抵抗しない新八の手に擦り込む。優しく、柔らかく、大切そうに。
「ぎ、んさ、ん?」
状況を飲みこめていない新八に銀時は語りかける。
「自分でぬんのと、今と、どっちがきもちい?」
「え、と?」
「おまえは、俺に幸せにされたくない?」
吐く息さえ聞こえるような静けさに、銀時の声が響いた。
俺はお前を幸せにしたい。俺がお前を幸せにしたい。
照れくさいけれど伝えておかなければならない思い。けれども顔を見ることはできなくって、銀時はじっと、潤いを取り戻した手の、綺麗な爪をした新八の指先を見詰めている。
返事が聞こえてこなくて、不安になって、思わず顔を上げるとそこには新八の泣き顔があった。
「しんぱ「ったいです!」
震える声を、振り絞っている。いじらしくて、銀時は胸を震わせる。
「されたいっです!ぼくを幸せにするのはっあんただけっで、!いいですっ!」
望んでいた以上の言葉に、思わず再び抱きしめた体はやっぱり温かくて、そんなはずないのに今までに触れた女性たちと比べ物にならないくらいにとても柔らかかった。まるで幸せを形にしたようだ、と銀時は思った。

背に回される腕まで、ただただいとおしかった。

・・・・・・・・・・

きゅ、と遠くから水を止める音が聞こえる。日常に溶け込んでいたかすかな音さえ、幸せの始まりになる。しんぱち、と呼べば、ほほを染めながら隣に座って、差し出した手に自分の手をのせてくれる。そしてその手を余すところなくいつくしんで、擦り込んでいくのはあの時のハンドクリームだ。この優しく強かな手を、どうか離すことがありませんように。この遠慮がちな掌に、ずっとつかんでいてもらえますように。

春になって、このクリームもなくなるころ、どんな方法で触れに行こうか。銀時は、最近そんなことばかり、考えている。





あきゅろす。
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