1.本能
「隣にいるのは」
1.本能
最近新八の様子がおかしい。
やけに早く帰宅する上に、出勤時刻も遅刻気味だ。
日中も箒を持ったまま焦点の定まらぬ瞳で立ち尽くしていることがある。
深刻な様子なら声をかけようとも思うが、新八だってもう子供という年齢でもない。
何かあれば相談してくるだろうし、それなりの信頼関係は築いてきたつもりだ。
だが、その余裕も今朝になって消えることとなる。
銀さん、朝ですよ
いつものごとく、起こしに来る声。
最初は遠慮がちに襖の前で声がするが、しばらくそのままでいると、
勢いよく襖がスッパーンと開き、本格的に起こしにかかってくる。
これが結構気持ちが良いのだ。
うだうだと文句をたれつつも、
新八が万事屋に来てから続いているこの習慣のおかげで
人間らしい生活が送れていることに少しのむずかゆさを感じてしまう。
が、今日は何かがおかしい。
匂いがする。違う匂いが。
若い女のつけるような、華やかな香水の匂いだ。
俺だって花街に繰り出せばそれくらいはいくらでもつけてくる。
だが、こいつはまだ未成年だ。
のっそりと起き上がり、
早く起きろだの文句を言いながら窓を開けている少年の腕を掴む。
強く掴んだせいか、振り返った新八の顔が歪み、少し青ざめた表情でおびえた。
さらに畳み掛けるように、身体を引き寄せ、耳元で唸るように圧力をかける。
「おめー、香水くせえぞ。どこでつけてきやがった。場合によっちゃあ、姉貴にぶっ殺されるのは俺なんだからな。」
こんなときに姉貴のことを出すのは卑怯だとは思ったが、こいつには効果覿面だ。
姉貴のことを出したからか表情は硬いままだが、取り繕うように貼り付けた笑顔を作り出す。
「あ、これ。バレましたか。姉上が新しい香水を買って来たらしく、試しにつけろって煩くて。男なんだから嫌だと言ったんですけど。」
やっぱり臭いですよね、スミマセン。と謝りながら、俺の腕からすり抜け、洗面所に歩いていった。
万事屋に来てからどれくらい経ってると思ってんだ。
俺がおまえの嘘を見抜けないとでも思ってるのか?
その日は一日中、目を合わせることはなかった。
アイツも匂いが取れないせいか、避けるように動き回っている。
神楽も鼻をクンクンさせて匂いをやたら気にしているようだ。
俺は俺で、腹の底で渦巻く黒い何かにイライラして仕方が無かった。
アイツの事なら何でも知っているつもりだった。
だから隠されていたことが、そして隠し続けようとすることが嫌だったのか。
それとも、
俺の知らない匂いをここに持って来た事が許せねぇのか。
それなら、匂いさえしてこなけりゃ別に構わねえのか。
否。
それならもっと許せねえ。そんな気がした。
自分の中の、制御できない箇所が、動き出したようなそんな感覚がする。
まあ、あのゴリラ女に直接尋ねれば、その流れでそのままアイツに制裁がくだるんだろうし、
それはそれで正当な懲らしめだ。
新八の保護者はゴリラだ。いや、ゴリラ女だ。大して違わねえか。
だが、それでは俺の腹の虫が納まらねえ。
俺に隠し事をするなんざ、100年どころか1000年早えんだよ。
その日も新八は夕飯を作るなり早々に退散していきやがった。
夕刻、飲みに行くふりをして、神楽に留守番を頼み、街に繰り出す。
アイツの行きそうな辺りをウロウロしてみるが、意外にも見つからない。
スマイルの近くでは黒い税金泥棒集団に出会ったが、生憎忙しいので完全無視を決め込んだ。
まさかと思い、ちと遠いが吉原にも顔を出してみる。
月詠に出くわしたので新八のことを尋ねてみるも首を横に振る。ついでに飲んでいけと誘われたが、今日はそれどころじゃねえ。
アイツの隠し事を暴かない限りは、のんびり酒なんて飲んでいられない。
結局見つけることもできず、暗闇の濃くなった街を帰途に着くことになった。
と、比較的大きなキャバクラの前に差し掛かった時、店の前に佇む見慣れた姿を発見した。
もう時刻もかなり遅い。何やってやがんだ。と声をかけようとした時、店のドアが開き、若い女が出て来た。
「新八くん、待っててくれたんだ。ごめんね。」
と嬉しそうに駆け寄る。
少年は、静かに微笑んで、腕に絡みついた女をガードするように歩き出した。
・・・なんだあいつ、恋人なんて出来たのか。
しかも、あーいう派手目な女が好きだったとは。
おまえ、お通命じゃなかったのかよ・・・
今までとは違う新八を見た気がして、銀時はしばらく呆然と立ち尽くしていた。
その後、どの経路を通って、どのように帰って来たのかさえも記憶に無い。
ただ、気づいたらスナックお登瀬の看板が見えていた。
あぁ、もうすぐ夜明けだと思った。
なぜかその夜は一睡もできなかった。
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