結局のところ 「おはようございまーす」 カラカラと開けた扉の向こうはいつも通り静かで、新八は最早慣れたように呆れた笑みを浮かべながら、神楽の寝室である押入れの襖を開いた。 布団をしっかりかぶっている神楽は、ふふと笑って涎を垂らしていた。なにか美味しい夢でも見ているのかもしれない。食事第一の神楽にとっては天国のような世界から連れ戻すのも可哀相だと新八は思ったが、なんせもう時計は朝とは少し呼べない時間を指している。新八は諦めて、神楽を揺り起こした。 「せっかく床が見えてきたとこだったのにヨー」 押入れからのっそり出てきた神楽は、どうやら夢の話らしい文句をぶちぶちと溢しながらも、素直に顔を洗いに行った。 新八はその背中にくすりと笑って、冷たいからお湯出しなよーと軽く呼びかけながら、和室へ足を向ける。 襖を気遣いもせず開け放ち、窓の障子を開け、布団に潜っているまるで駄目な大人に朝の光を浴びせた。 「まぶしい…」 寝ぼけたような声で不満を言われるが、新八は構うもんかと、きっちり折り込まれた布団の端を探しあて、そこから渾身の力でめくり上げた。 「うおお寒い!寒いよ新八君!」 「外はもっと寒いんだよ!早く起きろマダオ!」 すぐさま飛んできた文句に新八が素早く切り返すと、枕を抱いて恨めしげに新八を睨んだ銀時が、突如新八がめくったまま手にしていた布団を引っ張った。 「うわっ」 寝起きにして素晴らしい馬鹿力を発揮した銀時によって、布団を離そうとはしなかった新八は、そのままなだれ込むように銀時の方へ突っ込んでしまって。 新八の鼻先がぶつかったのは温かく、がっしりした銀時の胸板で、状況を理解した新八は、思わず鼓動を早くさせた。 怪しく思われる前に離れようと思うが、銀時の腕が布団ごと新八をしっかり押さえているので逃げるに逃げられない。 抗議しようと顔を上げれば、眠りに入ろうとする銀時の顔があって。やっぱり自分だけだ、こんなことでドキドキしてるのは。と、ひそかに想いが実らないことに悲しみながら、新八はその顎に拳をぶつけた。 「いってェェエ!!」 「早く顔洗ってこいやァァ!!」 布団をしっかり体に巻き込んで、ごろごろと転がった新八は、見事銀時から布団を奪うのに成功した。立ちあがって、二の舞を踏まないように布団を押入れに突っ込む。新八は、早くして下さいよ、と敷布団にしぶとく丸まる銀時に声をかけ、台所へ向かった。 自分は食べないというのに、朝ご飯の当番が回ってくるのは少し理不尽じゃないかと思うが、あの二人に言ったところで希望は通らないだろう。 新八がやれやれとため息をつきながら、昨日セットしたご飯が炊けているのを確認していると、後ろをのそのそと銀時が通って行った。 たまには神楽ぐらいすんなり起きて欲しい。新八はそう思いながら、それでもさっきのハプニングを思い出し、少し顔を緩ませていた。 想いが実らないとわかったのは、今に始まった事じゃない。だから新八は悲しむより何より、ただ少しでも触れられた事を嬉しく思えるのだった。悲しい慣れかもしれないが、好きな人が同性な以上、これは仕方ない事だと新八は思う。 「なーにニヤニヤしてんだよ」 「え、うわっ!」 突然 銀時に顔を覗き込まれ、慌てた新八は身を引いた。しかし、足袋が床で滑り、体のバランスが崩れてしまう。 転ぶ!と新八は思わず目をつぶったが、来るはずだった衝撃は無く、代わりに腕が力強く掴まれていた。 「あっぶねーなお前…!」 少し焦ったような顔で言った銀時は、新八を引っ張り、元通りに立たせた。 「す、すみません。足袋が滑っちゃって…」 「ったく、本当ドジだなお前は」 新八はごまかすように、へへっと乾いた笑みを浮かべ、再び台所に向かう。味噌汁に入れるために洗っていた大根を切ろうと包丁を持つと、またもや銀時の顔が視界に入って来て、指がそっと新八の前髪に触れた。 「お前、前髪切った?」 「…っちょ、ちょっとだけ…です、けど。あっ、あの、えっと、これ持ってって下さい」 驚きをごまかすように、新八が茶碗を押し付けると、たいした疑問もなさそうにやっぱりかァと呟きながら、銀時は居間へと行ってしまった。その背中が見えなくなったのを確認して、新八はそうっと銀時が触れた前髪に触れる。 思わずどきっとしてしまった。まさか、気付くなんて思わなかった。そんなに見てくれてるのかな、なんて馬鹿な自惚れが自分の中に生まれてしまうのを感じて。 「…あーもう、」 耳が熱くなってしまったのを感じながら、新八はきゅっと目をつぶった。思わず洩れたため息は、何に対してなのだろう。 そのつもりはなくても思わせぶりな銀時にか。それとも、消えそうにないこの想いにだろうか。 頭にぐるぐると巡る疑問は、いつかは解決するのだろうかとも思ったが、それさえもわからない新八は、諦めて大根に包丁を入れるしかなかった。 居間に入って来た銀時を見て、神楽は首を傾げた。 「銀ちゃん、顔赤いアル。なんかあったアルか」 それに答えずにぶつぶつと動く唇からは、「言っちまったのはまずかったか?」だとか「あーでもわかんだもんよォー」だとか、何か反省のような言葉が聞き取れて。 「……もどかしい奴らアルな」 呆れを含んだ神楽の呟きは、反省会を開いている銀時にも、考え事をしながら大根を切る新八にも届かなかった。 終 |