記憶の一片 記憶-Lost things- ある日のことだった。 私は全てを無くしたような気がした。 私の全身を無というものが蝕んでいく気がした。 心は締め付けられ、体が崩れていく感じ。 幸せに生きていけるのがどれほど幸せなのか。 あれほど痛感したことは無い―― 周囲は真っ赤に染まり、そこに泣き崩れる少女がいた。 少女のそばには原形を留めていない何かがあった。 少女は何かを叫んでいる。 その何かだった名前を。 必死に叫ぶ。 だがその声は届くことはない。 その何かは既にこの世のものではないからだ。 「君!早く離れなさい!」 「嫌だ!嫌だあぁぁ!」 頑なに少女は拒む。 紺に近い服装をした者が無理に少女を引き離していく。 それでも少女はその何かに近付こうとするのだ。 それは、ずっと好きだった父親なのだから―― 朝、日差しが部屋を照らしつける。 ベッドには一人の少女が寝ていた。 「また、あの夢。か……」 私は眠い目を擦りながら歩を進める。 歩き慣れた廊下を進むと、リビングがある。 そこでいつも私は朝食を取る。 トースト一枚。それが私の朝食。 あんな夢を見たのでは食欲も無くなってしまう。 「あら、起きてたのね」 「おはようお母さん……」 「朝から顔色が悪いわよ?どうかしたの?」 「また見ただけだよ……」 「そう、でもあまり無茶しないでね」 「分かってるよお母さん……」 私の大事なお母さん。 今になって分かった。 どれだけ両親というのが大切なのかを。 私にはもうお母さんしかいない。 お父さんはもういないんだから。 いつまでもクヨクヨしていられない。 だけど―― 「お父さん……」 父親のいなくなった場所に私は来ていた。 やっぱり、私はお父さんの事も大好きなのだ。 時間さえあればいつも来ては思い出す。 あの日の事を。あの惨劇を。あの頃のお父さんを。 優しかった。恐かった。でも私のお父さん。 「会いたいよ……お父さん………」 その願いは叶うことはない。 いつまでも。 記憶の中で生き長らえる父親の像。 それは純粋な気持ちからきているのかもしれない。 だが、やはり会うことはできない。 それが、永久の別れというものなのだから―― 記憶。 それは揺らぐ炎。 いつまでも絶やすことなく灯し続けるもの。 絶やしてしまえばもう再燃することは無いだろう。 記憶とはそんな脆いものなのだ。 あなたは、大切なものを無くしたことがありますか? [次へ#] [戻る] |