カイとソウ《2》
*

「箏くん」
とん、と肩を軽く叩いてヤスが隣に座った。
「…こっち来て平気なの?」
「大丈夫でしょ。みんなあっち見てるし」

指差したのはグラウンド。
こういう場には出ることの無かった恢と石崎。
そのふたりがそろって出場するというので暢気に座っている生徒は皆無。
入場前なのに。
「ホント、凄いよね」
しみじみとしたヤスの言葉に頷く。
「柊先生のいとこの」
「うん?」
「奏くんも出るんだよ」
「へぇ…」
足速かったんだー、なんてのんびりと言って数回頷いた。
「じゃあ、尚更だね。さっきの借りもの競争の後だし」
「ん…、そうだね」
一生懸命な奏くんはかわいらしかったから。
きっと注目されている。
「石崎はずっと足速かった?」
「速かったね。滅多に本気で走ったりしなかったけど」
宝の持ち腐れだよ、なんて笑うヤスはちょっとだけ眉間にシワを作る。
そんなことしても、かわいーけどね。
「恢もたぶん同じ」
「え?」
「頑張って走る理由がなかったから」
「頑張る理由…」
「だって、頑張らなくても出来ちゃうからさ」
「……宝の持ち腐れ?」
「そうそう!」
頑張らなくても器用にこなすのは余裕があって格好良く見える、と思う。
「でもね、それだけ欲しいものがなかったということなんじゃないかなぁ」
さらりと告げて、前を向く。
「必死になってがむしゃらにとか、よっぽど欲しくないとしないじゃない?」
わあっ!と歓声が上がる。
グラウンドにスウェーデンリレーの選手が入場したんだ。
「恢がそこまで欲しがるのなんて、箏くんだけなんだよ」
「………」
「みっともなくても、格好悪くても、小野に負けたくないだろうし」
第一走者にバトンが渡されていく。
スタートラインには石崎と奏くんの姿がある。
遠目から見ても奏くんは緊張しているのに対して、石崎は普段と変わらない。
歓声に笑顔で手を振ったりしている。
「その辺は上手く隠してさ、箏くんには格好つけたいんだろうけどね」
にー、と上がった口角はいたずらっ子のそれ。
「…石崎だってヤスには格好つけたいんじゃないの?」
「望むところだ!」
なんだかよくわからない気合いに笑ってしまった。
視線はグラウンドへ向く。
腕を組んで立つ恢はなんというか、その場には全く馴染む気がないみたい。
石崎が隣にいないからかな?
あまり見たことのない人を寄せ付けない雰囲気を纏っているように見える。
「…本気だね、あれ」
ヤスの呟きには動けなくて返事が出来なかった。
きゃあきゃあという女子の声に混じって恢の名前を呼ぶ男子。
クラス以外からの声もする。
スタートラインに並んだ第一走者。
ふ、と視線をヤスに移す。
ぎゅうっと握り締められた両手。
組んだ指先は力が籠っていて白くなっている。
「……」
楽しそうに話をしていたヤスは…
真剣な瞳で石崎を見つめていた。



『用意』

マイク越しのアナウンス。
一瞬だけ静まり返ったグラウンドに響いたスタート音。



初めて見たかもしれない。
真剣な表情の石崎。
いつもどこか飄々としていて、でも笑顔の絶えない。
空気を読むのが上手くて、恢の相手ももちろん上手くて。
周りに優しくて、でも線引きはしっかりしていて…
そんな石崎の真剣な表情は…男っぽい。
石崎を見つめるヤスの瞳に勝ち気な色は無くて、一途な熱さがある。
…わかっていた事だけど。
ヤスは石崎のことが好きなんだ、なんて実感する。
そんな事実になんだか自分の方が恥ずかしくて、むずむずとした熱さが広がっていくような気がした。
「石崎だって」
「え?」
「ヤスのことが欲しいんだね」
振り向いたヤスの頬が赤く染まる。
プイ、と何も言わずに前を向いてしまったけど。
耳まで真っ赤。
「ヤスかわいー」
思わず漏れた言葉にヤスの首が赤くなった。
「いてっ」
こちらを見ずに、膝を叩かれた。
手加減…なし?
ヒリヒリ痛む膝を撫でる。
ジャージ履いて無かったら赤くなったかも。



タイムを見ていてその速さに驚いたけど、実際に走る姿はやっぱり圧巻。
石崎はぐいぐいと進んで、2位以下との差を広げていく。
石崎の名前を呼ぶ声は叫び声に近くて、悲鳴みたい。
こんな風になる人の隣に居続けたヤスは凄いな。

僕は…


石崎が第二走者へバトンを渡すと隣のヤスがイスの背凭れに体を預ける。
弛緩した体に頬が緩む。
「あーっ!つかれたぁ…」
「おつかれさま」
大きめな黒目がこちらを向く。
「次は箏くん」
「…ん」
体をまっすぐに直すとしっかりとこちらを向く。
「恢は潤也の比じゃないよ」
「……わかってる」
デジカメを持って走り回る女子。
恢の写真を撮るためにベストポジションを探しているんだ。
大抵が女子だけど、男子だっている。
きっとトイレで恢の話をしていた後輩も。



大きな悲鳴が上がった。
グラウンドへ目を向けると第二走者からから第三走者へのバトンタッチが上手くいかなかったらしい。
転がるバトンを慌てて拾い上げて走り始める。
「箏くんのとこだね」
「うん」
石崎が一位で渡したバトン。
今のミスで三位になった。
「…僕、こんなに走れない」
「まぁね、後半は持久力も必要だからね〜」
頷いてグラウンドを見つめる。
恢は表情を変えずに立っている。
その近くで小野は大きな声で応援していて、対照的。
組んだ腕をほどく。
大きな掌が腰に添えられる。
そんな、ほんの些細な動きなのに…
「箏くん…顔、赤いよ」
「言わないで…っ」
ドキドキと心臓が暴れてしまうのは、いつもと違うから。
こんな風に遠くから見つめることはないから。
いつもは僕の傍で僕を見ていてくれるから。
「惚れ直しちゃった?」
「ちが…」
ヤスに頬を突っつかれて俯く。
「惚れ直すには、まだ早いでしょ〜」
耳元で潜めた声がそんな風に言う。
「ばかっ」
「そんなかわいー声で言われてもね」
覗き込んだ黒目が楽しそうに笑む。
「ほら、ちゃんと見てやりなよ」
かっこいー恢、なんてにやけて言うヤスの頬を摘まんだ。
顔を上げると小野が一位でバトンを受け取ったところだった。



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