カイとソウ《2》
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──────


ゆっくりと階段を降りて職員室へ向かう。
放課後は運動部の声と吹奏楽部の楽器の音が響く。
手に持った書類を落とさないように抱え直して少しだけ溜め息を吐いた。
「…あれ?」
階段を降りたところで前から歩いてくる見知った顔。
「詠くん」
「……箏太サン」
ふわり、と笑む表情は恢と似ている。
「柊先生の手伝い?」
「そう。箏太サンは…紺野先生の手伝い?」
頷くと詠くんは笑う。
「小野、は」
詠くんが柊先生の手伝いをしているなら、小野も一緒に居てもおかしくない。
むしろクラス委員の小野が居ないとおかしいと思う。
「あー…さっき部活に行ったよ」
厳しいと有名な水泳部に所属している小野は適当なところで部活へ行くように言われるらしい。
「箏太サン、まだ用事ある?」
「ないよ。これ、持っていったらおしまい」
そしたら一緒に帰ろう、と誘ってくれた。
それに頷くと詠くんも職員室へ付いてきた。
紺野先生に恢の弟と紹介したら驚かれた。



並んでみたら、なんだか詠くんの背が伸びたような気がした。
「箏太サン?」
「…背、伸びた?」
僕よりは大きかったけど、更に大きくなった気がする。
「んー…どうだろ」
首を傾げる姿はなんとなく幼くて、かわいい。
「自分ではよく分かんないな」
「まぁ、そうだよね」
「恢は高校に入ってからすごく伸びたよ」
「へぇ」
補正じゃ間に合わなかったと言ってたしね。
「そしたら、詠くんももっと背が高くなるかもね」
「…ね」
恢と歩くとたくさん声をかけられる。
詠くんの場合、あからさまに声をかける人はあまりいないみたい。
どちらかというと、チラチラとこちらを窺う視線が多い。
それでもやっぱり見られていることは変わらなくて。
「そういえば、詠くんのクラスは誰がリレーに出るの?」
「小野」
「え」
「小野が出るよ」
あれ…?
小野は足速かったっけ?
「箏太サンにイイトコ見せたいんだってさ」
「…………あのさ」
眉間にシワが寄っていくのを感じる。
僕にイイトコなんて、見せなくてもいいのに。
「タイムは悪くないよ」
じゃないと柊センセイが怒るから、と付け足されたけど。
「詠くんは」
「ん…、まぁ……応援がんばる」
「……」
これはあれかな。
恢と同じように上手いこと逃げたかな。
まぁ、小野のことは置いておくとして。
詠くんの周りの空気は優しくて温かい。
恢が傍に居ない寂しさとか不安とか、そういうマイナスなものが和らぐような気がする。
「箏太サン、あのさ」
「ん?」
じっと僕を見て、でもふらりと泳ぐ視線。
「詠くん?」
言い難いことなのか、躊躇うように何度か口を閉じたり開いたりする。
きゅ、と唇を結ぶともう一度僕を見た。
「箏太サンはさ」
「うん」
「恢の前に彼女とか、いた?」
「あー…うん」
中学の頃だけどね。
「最後までシたこと、ある?」
「……まぁ」
俯いてしまったのは、恥ずかしいというよりも悔いている部分があるから。
キスもセックスも、全部全部…
恢と全部のことが初めてだったら良かったのに、と思うから。
恢の初めても自分だったら良かったのに、と思うから。
いつも隠している独占欲は黒くてドロドロとして重たいもの。
溢れそうになる感情を押さえつけるように手を握り締めた。
詠くんは真面目な顔で僕を見ている。
「…恢を、その……受け入れるのは、悩んだ?」
「ぇ、…と」
からかうようなものは一切無く、詠くんから感じるのは真剣なもの。
「ソレ自体は…あんまり、だったかも」
大きい体に包まれる安心感があったからか。
始まりそのものから恢に引っ張られてきたからか。
「ただ僕は、恢に甘えてしまうから…」
恢の長い腕に絡み取られるように抱き締められると、もうそれだけで満たされてしまうから。
「……それに、恢みたいに上手くやれる自信無いからね」
怖さや不安や、そういったことも含めて…
「いや、だ…とか?」
「恢以外だったら勘弁だね」
想像するのも嫌だなぁ。
黙った詠くんは唇を引き結んで前を向く。
「やっぱり、そうだよね」
呟いた声はいつもの穏やかなものよりも低くて堅い。
「詠くん?」
「女相手だって難しいんだから、同性とか……よっぽど信頼してないとだよね」
まっすぐに前を睨むように見る詠くんは、僕の知る幼さは無くて。
やっぱり恢の弟なんだ、なんてぼんやり思った。



なんとなくこのまま詠くんとバイバイしたらダメなような気がしたから、駅ビルにあるカフェに引っ張ってきた。
詠くんは恢に怒られるとか言ってたけど、それはそれで。
だって、なんだか放っておけない。
飲み物を頼んで端に空いていたテーブル席に落ち着く。
恢が後から知って心配させてしまうのは本望ではないから、詠くんとカフェに寄ることと悩みがありそうだからとメールを送った。
「それで…、詠くん」
アイスコーヒーをブラックで飲んだ詠くんは僕を見る。
「好きな人、いるの?」
僕を見ていた視線が下がってアイスコーヒーを睨んでいる。
その眼力で氷が溶けちゃいそうだよ。
「柊センセイ」
「ぇ、あ…」
「柊センセイが好きだ」
まっすぐな声は小さくて、でもほんの少し震えていて。
詠くんが本気なんだというのが、ビリビリと伝わってきた。
「そっか」
「はい」
以前に見た、柊センセイのことを話す詠くんの笑顔。
優しくて柔らかなそれは、恋情が芽生える前だったのかもしれないけど…
それでも内から溢れるような甘さに納得がいった。
「柊先生は」
「キスしちゃって」
「……」
やっぱり恢の弟だ。
「でも、態度も変わらないし何も言わないし…無かったことにされたみたいだから」
だから普段は以前と変わらないように手伝いをしたり話をしたりしているそうだ。
「でも、やっぱり苦しい」
傍を離れることは出来なくて、だけど近くに居ると時々やりきれなくて苦しくなる。
「恢には」
「言ってない」
「…言わない?」
漸く上がった顔はほんのりと赤い。
気まずそうな表情に、やっぱりかわいいなんて場違いなことを思う。
「兄弟でそういう話しは恥ずかしいから」
「そういうもの?」
一人っ子の僕にはよくわからないなぁ。
わからないけど、詠くんのことを話す恢は優しくて暖かい。
「恢は詠くんが話したら、ちゃんと相談に乗ると思うよ」
「……うん」
「僕は柊先生のことは詳しく知らないけど、恢がああいう風に気を許すことが出来るから……懐の深い人なんだと思う」
僕に甘えるのとは少し違う。
年相応に見える瞬間。
「でも、線引きはきっちりしてそう」
そう。
あくまでも教師と生徒というスタンスは崩さないんだ。
だから、恢は楽に出来るのかもしれないけど。
「箏太サンてさ、よく見てるね」
「へ、ぇえ?」
「恢が惚れたの、わかるな」
ふわり。
そんな風な表現がぴったりな笑顔。
恢と良く似た、でもまったく違う表情で笑う。
「………詠くんもタラシだね」
「は?」
驚いたような表情はなんというか、うん…
かわいい。


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あきゅろす。
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