カイとソウ《2》
*

目が覚めてケータイで時間を確認しようとしたらメールが来ていた。
ぼんやりする頭で開いてみると恢から。
土曜日の昨日から撮影で会ってないから、思わず上体を起こした。
メールの届いた時間は今から2時間ほど前。
「5時、半…」
撮影時間が早いのかな。
そういえば…
初めて連れていってもらった撮影は夏だというのに朝からダウンを着ていたっけ。
今日もそんな感じなのかなぁ。
「んー…と、ん…?」
今日はマネージャーさんと会って欲しいと言われた日。
香澄さんが居るから夕方に家へ来ておいてほしい、と。

──待っててね

そんな風に結ばれた文章。
「うん」
聞こえるはずはないのに、思わず声に出して頷いてしまう。
待ってるね、と返信をして伸びをしてからベッドを降りた。



いつも通りに洗濯物を干して掃除機をかける。
そう。
いつもと同じ。
それなのにどこかそわそわと落ち着かない。
「緊張、してるのかな」
考えてみれば、正式に恢の仕事関係の人と会うのは初めて。
しかも恋人として。

どきん…

跳ねた心臓。
もしも、恢のマネージャーさんに受け入れてもらえなかったら。
「どうしたらいいのかなぁ」
いま考えても仕方無いことだとは思うけど。
これまで会ったことがあるのは恢の家族が中心だったから、今回とは意味合いが違うと思う。
恢の気持ちを優先するというより、やっぱりそこは仕事が絡んでくることだから。
「でも…」
もう、離れることなんて出来ないんだけどね。







──────

インターホンからは明るい香澄さんの声がした。
そういえば、ゆっくり話をするのは久しぶり。
「わざわざごめんね〜」
「いえ、僕の方こそ……香澄さんお休みだったんじゃないですか?」
「気にしないで〜!」
淹れてもらったアイスティはふわりとした優しい味。
同じ茶葉だと思うけど、恢とは違う味になるんだなぁ。
「どっちにしても出なきゃいけないから」
「お仕事、ですか?」
「いっこ企画が流れちゃってね。いまはその穴埋め中なのよ」
やれやれ、と言いながら溜め息を吐く顔はやっぱり恢と似ている。


かーさんの仕事は忙しいと思うけど、香澄さんの仕事も忙しいと思う。
でも仕事に振り回されているのではなくて、楽しんでいるのはどちらも同じ。
そういうの、いいなぁと思う。
「箏太くんはさ、恢が嫌がらなかったらぜひぜひ弄らせてもらいたいんだけどねぇ」
まあ、こうマジマジと顔を見ながら言われるのは…あれだけど。
「や、僕は弄っても面白くないです」
「いや〜、ホントちょこっとだけでも」
どこをどう弄りたいのか分からないけど、弄り甲斐はないと思います。
香澄さんのやたら熱心な視線から目を逸らしたら背後から伸びてきた腕に抱き締められた。
「そーたはダメだよ」
「あ」
少しだけ不機嫌さを滲ませた声。
ふわりと香る柑橘系の匂いと体温。
「あら、怖い顔しておかえりなさい」
「ただいま」
ちゅ、と頬に柔らかな感触。
すぐに腕は解かれて、振り向くと間近にある切れ長の目が僕を見ていた。
「真っ赤」
長い指が頬を撫でる。
「はーいはい、そこまで!ほら、槇原さんが固まってるわよ」
「あ、忘れてた」
香澄さんの声に後ろを振り返った恢につられて立ち上がる。
「ぇ、えーと…恢くん?」
戸惑ったような声を上げたのはスーツ姿でノンフレームの眼鏡をかけた優しそうな男性。
「そーた」
「うん」
恢に促されて隣に立った。
「マネージャーの槇原さん」
そっと腰に回った腕とこめかみに触れた恢の唇の感触。
カッ、と体温が上がったような気がする。
「俺の恋人」
恢の言葉に槇原さんの目が丸くなる。
「恢くん、の…?」
「そう。俺の」
恢と僕を行ったり来たりする視線。
「こ、い…びと?」
「俺の恋人」
「ほん」
「ホント、です」
腰に回った腕に力が籠って巻き取られるように抱き締められた。
温かな恢の体は気持ちが良いけど、でも…っ。
「ちょ…、恢!」
僕は槇原さんと初対面なんだから!
離して欲しくてジタバタしたけど恢の体は離れない。
それどころか、頭のてっぺんから小さなリップ音が何度もする。
「恢っ」
「ん〜、なぁに?」
「なぁにじゃなくて!」
離して、と言うとほんの少しだけ離れた体。
それだって肩と腰を抱かれてるから顔を上げられる程度。
「そーた、今日は泊まれる?」
とろりとろりと蕩けてしまいそうなくらい甘くて熱い瞳が僕を見る。
「泊まれ…る、けど」
「じゃあさー」
「あのっ、だから!」
綺麗に弧を描く唇が額に触れて撫でるように肌を滑る。
擽ったくて優しいその感触に流されてしまいそうになるけど。
恢と2人ならとっくに流されてるけど。
今は香澄さんと槇原さんが居るんだから!
「もう!怒るからねっ」
「えー…」
渋々と、それでも漸く緩められた腕から抜け出ると固まっている槇原さんが居た。
「相変わらずベタ惚れね〜」
カラカラ笑いながらそんなことを言った香澄さんに肩を叩かれた。
「というワケで恢の方が箏太くんにべったりなんですよ」
「は…ぁ、はい」
「そーたも俺にべったりだよね〜」
離れていた肩を再び抱かれて覗き込まれる。
僕が恢にべったりなのは否定しないけど。
「ばか…っ」
恥ずかしいんだってば!
「かーわい」
小さく呟いて、掠めるように唇が触れる。
恢の顔を押し返したのに、もう一度ふわりと唇が触れた。
「ほらほら、槇原さんが困ってるわよ〜」
「んー…」
漸く、といった感じで僕から離れ……腰に手は添えたままだけど。
「槇原さん」
「はいっ!!」
「そういうわけなので、よろしくお願いします」
さっきまでの甘い空気は気のせいだったのかと思うくらい、真剣な恢の表情。
それにボンヤリと見惚れているとゆっくりと頭を下げていった。
「恢くん!頭なんて下げなくていいから!!」
慌てた槇原さんが恢の肩に手を添える。
そうしたら恢が頭を上げて、僕をちらりと見た。
「でも、これは私的なことだから」
「恢くん…」
「迷惑はかけないようにするけど…でも、槇原さんにはそーたに会っておいて欲しいと思って」
恢と僕を往復する槇原さんの視線。
その戸惑うような視線に腰から恢の手を外して一歩前へ出る。
「そーた?」
槇原さんも驚いたのか、目を瞠る。
「山崎箏太です」
声がいつもより強張ったのは緊張してるから。
「恢の仕事へ支障が無いようにします」
そう言って頭を下げた。
去年の学祭の後みたいなことにはならないように。
恢の生活を縛らないように。
恢が安心できるように、僕がしっかりしないとなんだ。
「そーた…」
顔を上げて槇原さんと目が合う。
ぱちり、と瞬くと首が飛んでいってしまいそうなくらいブルブル振る。
「こちらこそっ、至らないとこだらけで……ぇーと、よろしくお願いします!」
勢い良く下がった頭。
その勢いのまま上がる。
「…ふはっ」
噴き出すように笑い始めた恢。
それにつられるように香澄さんも笑う。
「えぇ〜、ここ笑うトコじゃないですよー…」
ガックリと肩を落とした槇原さんを見ていたら、僕の頬も緩んだ。
なんとなく和む空気を放出する槇原さんと一緒なら、恢は大丈夫のような気がした。
恢が信頼できる人と言っていたのがわかる。
「じゃあ、あとは若い者同士で…というわけで私たちは行きましょうか」
そんな風に言うと、香澄さんは槇原さんを連れて行ってしまった。



ホッと息を吐いてソファに座る。
「そーた、ごはんは?」
「まだ」
隣に座った恢に眼鏡を取り上げられて肩を抱かれた。
近付いてきた唇に目を閉じたら笑ったのか、空気が揺れる。
そっと重なってすぐ離れるから目を開けると、甘く笑んだ切れ長の目とぶつかる。
「ん…恢はごはん」
「まだだけど」

──そーたが先。

そんな風に言ってぱくりと唇に噛みついた。



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