カイとソウ《2》
*


「箏くん、ちょっと」
教室へ入った途端、石崎に捕まって廊下へ連れ出された。
今朝は寝坊して始業ギリギリ。
弁当も作れなかったから、途中のコンビニでおにぎりを買ってきた。
バッグもまだ置いてないんだけど…
「箏くんさ、保健室な」
「え?」
「あんまり寝て無いだろ。顔色悪いし、昨日よりエロい空気3割増」
「…………エロくないし」
じろりと睨んでもスルーされてしまった。
「とにかく保健室行けって。少しでいいから寝てこい」
「石崎…」
肩を掴んで方向転換させられてしまって石崎を見上げた。
「明日、だろ?だったら体休めていつも通りにしておかないと、恢がうるせーぞ」
「でも…」
「だーいじょーぶだって。今の箏くんなら追い出されないって」
「…ぅ」
「ほら、早く行け」
背中を軽く叩かれて渋々頷いた。
保健室の主、飯島先生はなかなか厳しいことで有名。
サボリの人間には容赦無いから。
その反面、辛い時は温かかったりする…らしい。
誰かの付き添い以外での来室は実は初めてで、溜め息が漏れた。


ノックをしてドアを開けると何やら書き物をしている飯島先生がいた。
「…山崎?」
「失礼します」
驚いたのか、僅かに目が見開かれた。
「珍しいな」
立ち上がり、椅子に座るように促される。
顔を上げて先生を見ると眉間にシワが寄った。
「あの…」
「……午前中は寝てろ」
「え?」
詳しく聞かれるものだと思ったのに、それだけ言うとベッドを囲う白いカーテンを開ける。
「ブレザー貸せ」
言われるままにブレザーを渡すとハンガーにかけてくれた。
「中でこれに着替えろな」
ベッドの上にジャージのズボンを置くと振り返った。
「なんだ?」
展開の早さに付いていけなくてぼんやりする僕に不思議そうな声がかかる。
「理由、とか…聞かないんですか?」
「その状態の山崎を教室へ戻すのは養護教諭として問題だ」
だから聞く必要がない、ということ?
たぶん半開きの口だったんだろう。
苦笑した飯島先生の手が伸びてきて顎に触れた。
軽い感触で顎を押されて口を閉じる。
「あ…」
震えなかった体に驚いて漏れてしまった声。
「どうした?」
「…何でもないです」
恢を除くと、ヤスと石崎以外の男性に触られると大体が怖くて震えてしまう。
随分良くなったのだけど、それは去年の学祭から半年経っても変わらない。
はず、なんだけど。
「よく分からんが…昼休みなったら声かけ」
「センセー!」
前触れなくドアが開くとふらりと生徒が入ってきた。
「あのなぁ、突然ドアを開けるなと言ってるだろうが」
「え〜?あー、ごめんなさーい…てソウちゃんセンパイだぁ」
先生越しに俺を見ると驚いたように声を上げる。
「……で、どうした」
「あ、あのね〜手ぇ切れちゃったぁ」
ほら、と見せた掌にはざっくりと切れた赤い筋。
「うわ…」
血は止まりかけているのかじんわりと滲むくらいだけど、思わず声を漏らしてしまう。
「何でやった」
「なんかねぇ、壁に出っ張ってるとこあって〜」
よろけて手をついたらこうなった、と何とも緩い調子で話した。
「ソウちゃんセンパイはぁ?」
消毒液を掌に撒かれて眉を寄せたもののやっぱり緩い調子で話しかけられた。
「こら、千堂…動くな。消毒できないだろ」
「はーぁい」
襟に付けている学年章は2年を表す黄色。
この千堂という生徒のことは知らないけど、むこうは僕を知っているらしい。
「……お前ら知り合いか?」
「や…僕は知らないですけど」
「ソウちゃんセンパイは有名だもーん」
軽く返された。
「入試からずっと首席でぇ、山崎恢のお気に入りだからねぇ」
恢の名前に肩が跳ねた。
なにか他意があるわけではなくて、他人から見たそのままの事実を言っただけ。
なのに、恢の名前が出ただけで不安定になる心臓。
「ほら、もう教室に戻れ」
ガーゼを当ててテープで止めた先生は立ち上がってそう促す。
「えー…」
渋る生徒を軽く小突いてドアの外に送る。
「山崎はベッド行け」
振り返り、そう言われて頷いた。
「センセー、ねぇねぇ、センセー」
「…取り敢えず外に出ろ」
飯島先生とずいぶん仲が良いんだな。
なんだか不思議なものを見た気分。
ふぅ、と息を吐いてベッドのカーテンを閉めた。






チャイムの音とカーテンを開ける音に目を開けた。
「山崎…どうだ?」
「……ダイジョブです」
ぼんやりした視界で捉えた飯島先生に答えた声は、やっぱりぼんやりしていた。
眼鏡をかけて体を起こす。
朝よりは体の重さが無くなったかな。
「ありがとうございました」
「…無理はするな」
「はい」
身支度を整えて保健室を出た。
もう昼休み…
「屋上……行こうかなぁ」
賑やかに昼を食べる気分にはなれないから。


昼休みに屋上で一人で過ごすのはいつ以来かなぁ。
ドアを開けると流れ込んできた風が気持ち良い。
石崎に屋上に居ることをメールしてペットボトルの蓋を開けた。
たった3日。
まったく連絡が取れないわけではないのに。
それでも声が聞けないのがこんなに辛いなんて…
「予想外だよ」
明日には会える。
恢の声が聞ける。
今からこんなんで海外で仕事をするようになったら、どうなってしまうんだろう。
ケータイを開く。
メールの受信マークだ。
「恢…」
明日の昼過ぎにはこちらに到着予定と書いてある。
事務所で打ち合わせをしてから解散になるそうだ。
夜は会えるかな?
「疲れてるかなぁ」
無理をして欲しくない…
でも会いたい。
「あーぁ…」
食欲は無くて買ってきたものに手を付ける気にならない。
ゴロリと体を転がすと青空にぷかぷかと浮く雲を見上げた。
早く会いたいなぁ…
大きく息を吐いた。

ガチャン…

大きなドアの音に視線を遣る。
「……ぁ」
「箏太センパイ」
石崎かヤスだと思ったら、ドアの前に立っていたのは小野だった。
「教室に居なかったから、ここかと思って」
「何か用事?」
「用事というか…箏太センパイが気になって」
転がっていた体を起こして小野を見る。
「小野に心配されるようなものじゃないから」
だから放っといてくれ、という意味だったんだけど小野はこちらに近付いてくる。
「箏太センパイ」
「なに」
僕のすぐ隣にしゃがむ。
「俺さ、箏太センパイのこと本気で好きなんだよ」
覗き込まれて顎を引く。
「その箏太センパイがそんなんなのに放っとけるわけないじゃん」
たぶん初めて見る真剣な眼差し。
睨むように強く見つめられて、うまく言葉が見つからない。
「箏太センパイは山崎恢と付き合ってて幸せなの?」
「な、に…」
「どうしてそんなに寂しそうなんだよ」
「………」
「ねぇ、知ってる?今の箏太センパイ隙だらけなんだよ」
腕を強く掴まれて硬い床に引き倒された。
「…っ」
打ち付けた痛みと掴まれた腕から伝わる熱にヒュッと喉が鳴る。
「俺ならずっと一緒に居られるよ。箏太センパイをひとりぼっちになんかしない」
「ゃ……め」
じりじりと焼けるような瞳。
掴まれた腕は振っても剥がれないので体を捩って小野から離れようと…
「箏太センパイ…っ」
視界の端で赤茶の髪の毛が揺れた。
その、感触に動きが止まる。
首ににゅるりとした物が滑っていく。
「やめろっ」
全身に走る悪寒と震え。
呟くように僕の名前を繰り返す小野。
「箏太センパイ」
「やだっ…や…ふ、ぅうっ」
噛みつくように、唇を奪われた。
にゅるにゅるした、たぶん舌が咥内を舐め回す。
気持ち悪さと恐怖に足を振り回す。
「…った」
どこかに足が当たったのか一瞬解放された唇と、緩んだ腕。
思い切り体を捻りながら突き飛ばした。
「箏太センパイ!」
「触るなっ!!」
小野から離れて転がしてあったバッグを掴む。
「俺は箏太センパイが好きなんだってば!俺だったらそんな顔させないっ」
小野が触れた場所が気持ち悪い。
手の甲で唇を拭う。
何度も、何度も。
「俺は箏太センパイの傍にずっと居る!離れたりしないっ」
ずっと一緒に。
ずっと傍に。
違うよ…
違う。
今、この時だけではなくて…
「箏太センパイ、俺のことも見てよ」
伸びてきた手を叩き落とす。
「箏太センパイ!」
「小野は恢の代わりになんてなれない」
小野の表情が固まる。
「今を満たすだけの存在はいらない」
「箏、太…セン」
「もうこれ以上、近付くな」
そう言い捨てて、屋上から飛び出した。

階段を駆け降りる。
まだ昼休みでざわつく校舎。
まだ、だめだ。
泣くな。
揺れる視界に苛立ちを感じながら足を動かす。
階段を降りきって廊下を走る。
昇降口は人の影がない。
上履きを脱いで靴に履き替えて…
「あれ…箏太サン?今から帰るの?」
「詠くん…」
振り返った先には不思議そうに僕を見る詠くんがいた。
「…箏太サン」
眉間が寄ると足早に僕に近付く。
「なにか」
「ない、から…」
「箏太サン」
「なにもないから」
恢とよく似た顔。
見つめられて、目を逸らした。
「帰る、ね」
無理矢理話をぶち切って詠くんに背を向ける。
「箏太サン」
かけてくれた声を無視してそこから走り出す。
一人になりたい。



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