恋 を する
1


学校帰りに喫茶店へ寄る。
届けてもらったポットをぶら下げて。
「いらっしゃい」
マスターの声にがちがちに固まっていた表情が溶けていくみたいだ。
「今日も美味かったです」
そう言って代金を払う。
そんなやり取りをするようになって一週間。
相変わらずコーヒーは吉乃が受け取りに行くから、俺は羽鳥とはまったく接触していない。
店を出たというメールが来るだけ。
こうやって店を訪ねても顔を出したりしないから。
「そういや、今日のゼリーはどうだった?」
クッキーやマフィン、パウンドケーキ…ずっと焼き菓子だったのに今日は小さなカップに入っていたコーヒーゼリーだった。
よく冷えたゼリーは喉越しも良くて、添えられていたクリームの甘さも絶妙だった。
「美味かったです」
素直な感想を告げるとマスターは満面の笑顔。
「あれね、智尋が作ったんだよね。ちゃんとコーヒーから準備して」
「え」
「ゼラチンふやかして、どうしてだか何個かは失敗したみたいだけど」
楽しそうに語られるゼリーに格闘する姿。
思わず仰ぎ見た天井。
「寄ってくかい?」
夕飯食べていきなよ、なんて軽く言うと奥さんに声をかけてしまう。


ごはんは持っていくからね、と階段の下で言われた。
今日は閉じている濃い茶色のドア。
「……」
ノブに手を掛けかけて、軽くノックした。
返事がないからもう一度。
「…………」
やっぱり返事がないからドアを開けた。
座椅子に座り、座卓に突っ伏す背中があった。
部屋に響く寝息。
覗き込むとどうやら課題の途中だったらしい。
肩を叩いて軽く揺さぶる。
「ぅ、んー…」
うっすら開いた瞼はまた落ちていく。
「智尋」
もう一度、肩を叩く。
「…ぅ……ぅー…ん」
何度か瞬きをして体を起こす。
「智尋」
グレイの瞳がゆらゆら揺れて、ぴたりと焦点があった。
「かぃ、ちょ…っ」
「会長じゃねぇだろ」
久しぶりのやり取りに笑いが漏れた。
「メシ、食っていけと言われた」
「そ、なの?」
時間は平気?とかむりやりごめんねとか…
眉を下げて言うから頭を小突いた。
「いてっ」
「大丈夫だから上がったんだ」
「そう?」
眠そうだったグレイの瞳に表情が戻る。
「でも、疲れて…」
「金曜だし、家ですることもないし、平気だ」
そう言うと、俯いてすぐに顔を上げると笑った。
「………」
また、だ。
体の奥が擽ったい。
「なぁ」
「うん?」
「コーヒーゼリー、どうして作ったんだ」
「ぅ…えっ、ぇえ!?な、んで知ってんのっ?」
「マスターから聞いた」
「!」
真っ赤に染まった顔は腕の中に隠されてしまう。
「智尋」
ぴょこんと跳ねた髪を梳いてやると、肩が小さく震える。
「かいちょー、コーヒー好きだから…っ!だから、喜ぶかなぁとか思っわぁああっ」
肩を抱き寄せた。
そのまま腕を絡めるようにして体を引き寄せる。
「うるせーな」
それでも耳障りなことはなくて、むしろ楽しい。
「かいちょ、おーぼーっ!なななんでっこんな!」
「知らねぇよ」
勝手に体が動いたんだ。
頬に当たるふわりとした髪の毛。
自然の色のそれは優しい感触で、気持ち良い。
少し顔をずらしたら唇に髪が当たる。
「…かいちょ、擽ったぃ」
もぞもぞと動く体は無視して、唇に触れた髪を食んだ。
「会長じゃねぇ、だろ」
潜めた声に小さく跳ねる肩。
「智尋、俺の名前を言えよ」
「でも」
「俺が呼べと言ってんだから、呼べ」
「……おーぼー」
「そんな名前じゃねぇよ」
楽しい、と。
智尋とのやり取りが、楽しいと思う。
蓄積していた疲れが溶けていくのを感じる。
躊躇うような気配に思い出したのは野崎のこと。
同じ人間なのに、どうしてここまで違うんだ。
呆れと苛立ちが蘇る。
もぞりと体が動くとグレイの瞳が覗く。
「大丈夫?」
たったそれだけの言葉。
普通の、誰でも使う言葉。それなのに。
「わぁ…っ」
今度はきつく抱き締めた。

腕を解く。
体を離す。
「悪かった」
なにが悪かったのか、よく分からないけど出てきた言葉それだった。
俺を見るグレイの瞳は少し揺れると逸らされた。
「……ゃ」
「え?」
あまりに小さな声に聞き直す。
ぱっとこちらを見た瞳は濡れているみたいで、口をつぐむ。
「隆哉」
空気に溶けていくのかと思った、智尋の声。
「隆哉」
もう一度、呼ぶ声は優しくて…
「隆哉」
あぁ、名前を呼ばれるのはこんなに心地好いものなんだと…実感した。
「智尋」
「うん?」
手を伸ばして抱き寄せた。
一瞬だけ驚いたのか固まった体はすぐに柔らかくなる。
柔らかな髪に顔を埋めた。

──────


つくづく可笑しいと思う。
奥さんの作ってくれた夕食を智尋の部屋で食べた。
食べながらポツポツ話をした。
苦手な教科。
好きな教科。
牧田の話。
吉乃の話。
両親の話。
ネックレスとピアスの話。
マスターと奥さんの話。
たわいのない会話。
そういうものが俺には新鮮だった。
男子校だから周りはもちろん男で、それなのに俺に向けられる視線の大半は欲を孕んでいるから。
「智尋…」
部屋に響く名前。
空気を震わして鼓膜に戻る。
じわじわと胸の中が満たされていく。
「智尋」
ロシア人だったという母親。
だから髪と瞳がこんな色と笑う。
ピアスを開けた時は痛くて痛くて泣いたら牧田に怒られたと言っていた。

──まきちゃん、スパルタだから

仲の良さを窺わせる言葉に奥歯を噛み締めた。
だから。
だから…?
「わけがわかんねぇよ」
呆れなんだか、良く分からない声が漏れた。
襟元を指でなぞる。
そこにあった金属はすでに無く、触れるのは自分の肌。
高校に入学してから気に入って買ったもの。
いつも身に付けて、あるのが当たり前になっていたもの。
「人にやるとか、有り得ねぇ…」
新しいものではなくて、自分が身に付けていたものを付けさせたかった。

ターコイズが填まった少しごつごつとしたクロスのネックレス。
母親のものだというプラチナのネックレスに絡むようにかかった俺のネックレス。
外すなよ、と念を押したら顔を真っ赤にさせた。
思い出したら、それだけで顔が緩む。

今日は金曜日。
ああ、そうか…
土曜日、日曜日と学校は休みか。
いつもだったら一息つける週末なのに…
もう月曜日が待ち遠しい。



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あきゅろす。
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