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頂文
夜に惑う(古月 涼さん)

呼吸をすると、乾いた夜の気配が肺に流れ込んできた。空を見上げても月はなく、のっぺりとした暗闇がそこにあるだけだ。
それでも、じっと目を凝らしていれば、ぽつりぽつりと星の光が見えてくる。反らした首が痛み出し、リゼルハルトはひとつ息を吐いて視線を地上へと戻した。
家々から零れる明かりは星よりも近く目映い。視界に入り込むその明かりが、街が闇に飲まれるのを押し留めているかのように思えた。
首筋を撫でたリゼルハルトは、ふとこちらを見るハヤブサに気付いた。

「どうした?」
「――いや」

ハヤブサは闇よりも濃い黒瞳を一度リゼルハルトに向け、次いで空を見上げた。

「…何が見えるのかと」
「ん? …あぁ、何も」

こちらに向き直ったハヤブサに笑いかけ、リゼルハルトは緩く首を振った。

「何も見えないさ。月もない、この暗さではな」
「見たいものでもあったのか」

静かに問いかけるハヤブサに、さぁ、とリゼルハルトは瞬いた。ただ何となく空を見上げただけで、そこに何かしらの意図があったわけではない。雨が降りだしたら面倒だ、とぼんやり考えてはいたが、改めて聞かれて答えるほどのものではない――雨雲の欠片も見当たらない今となっては。
答えを急かすでもなく、ただそこに佇むだけのハヤブサに、自分達二人の間には確かに距離があるのだな、と思った。
それを遠いと捉えるか、近いと捉えるかは人それぞれだろうが。

「ハヤブサは夜のようだな」
「………」

ハヤブサの眉がほんの少し中央に寄せられた。不快な気にさせただろうかと、その様子にリゼルハルトは軽く首を傾けた。

「変な意味はないぜ、ただそう思っただけだから聞き流してくれて構わねぇよ」

髪や瞳の色ではない。雰囲気――身に纏う空気とでも言うべきか。
太陽の輝く真昼でも、刻々と色を変える朝と夜の狭間でもなく、彼には夜が似合う。冷えきった闇の中に見え隠れする、炎にも似た苛烈さ。表に出さぬよう黒を纏う様は、やはり『夜』に相違ない。
そんな事を思いながら口にしたのだが、当のハヤブサの反応は今ひとつである。

「ならお前は星か」
「……そんなに遠い存在かい」

手を伸ばしても届く筈のない高み。それがそのまま自分達の距離になってしまえば、あっという間にお互いを忘れてしまう気がした。
小さく笑って空を仰ぐリゼルハルトに、ハヤブサは怪訝そうに目を細めた。

「…見た目の話だ」
「見た目、……あぁ」

成程、と頷いたリゼルハルトは己のバンダナに触れる。その下に仕舞い込まれた銀色は、ハヤブサの言う通り、確かに星に似ている。色合いも、人目を引く輝きも。
――リゼルハルトはハヤブサの内面を夜に例えたのに対し、彼はリゼルハルトの外見を星に例えた。お互いに短くない時間を共に過ごしていようとも、それぞれ見ているもの、そこから感じるものは違うのだなと思った。
他人同士なのだから当たり前なのだが、

「…急に笑い出すな」
「嬉しくなったのさ」

――それに気付かせてくれる存在は得難いものである。

「さて相棒、夜も更けた。行くとするか」

そう言ってリゼルハルトは、ハヤブサの背を叩き歩を促す。ふと振り仰いだ夜空は、ただ静かに二人を見下ろすだけだった。


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古月涼さんより、夜の二人を書いて頂きました。
あるひと時、過ぎ行く夜の惑いの一瞬が捉えられたお話です。
舞台は鮮明。耳を澄ませると眼下の灯が、目を閉じると二人の声が、すぐそこで聞こえるようです。


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