脇道寄り道回り道
とある猫犬の痴話ばなし(ピナイチ)
何が笑い話だと言えば、死んでも良いと思えるくらい惚れた相手が、他人相手に微笑みながら「愛している」と囁き掛ける光景を見た、自分だろう。
見て見ぬ振りをしたのはプライドではなく、傷つきたくなかったからだ。浮気ならば許してやる、などと、胸倉を掴んで罵倒する勇気もない癖に。


「素直って言葉知らねぇのか、テメェは」

会えば喧嘩ばかりしていた気がする。特に最近は。
本当は嬉しくて堪らない癖に、着信を奏でる携帯を掴んだ瞬間から怒鳴り散らしていた覚えがある。
だから、この時もきっかけは実に下らない事だった筈だ。

「毎回毎回、神経逆撫でする様な事ほざきやがって。何が気に入らねぇんだ」
「はっ、だったらお前の言いなりになる素直で可愛い奴でも探しやがれ。…テメーの理想、押し付けんな」
「俺様がいつ押し付けたっつーんだ」
「自分自身に聞けよ」
「判っちゃいたが、…マジで可愛げがねぇな」

愛想を尽かしても仕方ない。
いつまでも新婚気分で居られる方が土台無理な話なのだ。判っている。
そう、判っている癖に。

「ちったぁ素直になれねーのかよ、テメェは」

いつからあの微笑みを見ていないのだろう。いつから愛していると囁き掛けてくれなくなったのだろう。いつから、いつから?

「可愛くねぇ」
「っ、男が可愛い訳ねぇだろ!死ね淫乱カス野郎!」

だってこんなに好きなのに。
だってこんなに愛しているのに。

彼が言う様に(その台詞で傷付いて落ち込んで何度も己を罵った様に)、だから素直に伝え続ける事が出来れば、飽きられずいつまでも。
例えば、10回に一回くらい、素直に甘える事が出来ていたなら。

まだ、愛して貰えたのだろうか。


お前は素直じゃないな、と苦笑いしながら、髪を弄ぶ様に撫でて口付けて来たいつかの愛しい人が口にした言葉ばかり思い出した。


「…馬っ鹿じゃね」

素直じゃないな、と。
苦々しい顔で呟いた次の瞬間、そんな所が可愛い、なんて。愛しさを固めた眼差しで微笑みながら、言った癖に。

「テメーと大して変わりない図体の男が」

奇跡の様に手に入れた幸福は余りにも幸せ過ぎて怖いくらい幸せで、これが当たり前の様に続く不変なのだと、信じていたのに。
彼は違ったのだろうか。始めから何も彼も全部、全部、ただの勘違いだったのだろうか。

「…可愛いわけ、ねぇだろ」

世界の中心には彼しか存在しなかった。少なくとも今は。恋をしてから、今まで。
可愛いと言って欲しい。どんなお前でも可愛い、大好きだと、いつか抱き締めながら囁いてくれた様に、今。そうしたら今度こそつまらないプライドなど捨てて、

『愛してる』
『捨てないで』
『謝るから、嫌わないで』

飲み込んだまま吐き出せない台詞は幾つも消化不良で、なのに心の中は空っぽだ。

『光王子、本当ですか?』
『ああ。愛してんぜ、喰い殺しちまいそうなくらい』

絶望など存在しない。
最悪と言える内はまだ幸せなのだと言う誰かの哲学染みた格言を思い出しながら、囁いた言葉はぽつり、



「最悪だ」

ならば、まだ。
死ぬ程の問題でもないのだろうか。死んでも良いと思えるくらい愛しい人が他人に微笑み掛けていても、愛していると囁いていても。
まだ、幸せだと言えるのだろうか。


滴り落ちる塩辛い海で溺れそうになっている自分は、まだ。
縋り付いて捨てないでと乞う勇気もない、自分は。




「笑ってごらん」

いつか大好きだった人が、その漆黒の眼差しを細め囁く様に呟いた。
酷く重いものを酷く怠い気分で持ち上げるように顔を上げれば、慈悲に満ちたキリストの様な顔で見つめてくる双眸と出会う。
全てを包み込む暖かい眼差し、いつか大好きだった人なのに、愛しているまで辿り着かなかったのはきっと、この神々しい生き物が未だ人間に思えないからだ。

「いきなり、っスね」
「元気がないからな」
「そう見えますか?」
「見えなかったら言わないだろう?」
「…まさか」

何を食べても塩辛い。
作りたてのドーナツを頬張る弟分達が甘いだの美味いだの騒いでいる様を横目に、全身を預け切ったソファの背凭れに崩れ落ちた。

鼻が、ツンと痛む。

「元気っスよ。あーあー、超元気。いつも通り、絶好調だ」
「絶好調、ね」
「煙草吸っても良いっスか」
「何か言ったか?」
「耳遠くなったんですね総長。…いや、助かりました」
「大人は頭が良いと思わないか。現実逃避に幾つかの選択肢を見付けだした」

擽る様な声音だと思った。
分厚いレンズ一枚挟んだ向こう側の双眸には、全てを従わせる黒が潜んでいるのに。

「逃げてるって?俺が?…はっ、正論過ぎて泣けて来ますよ。但し、未遂だ。俺の固い禁煙意志は揺るぎないんス」

声だけ聞けば父の様な、年下だと知らなかったら一生。知った、今でも、ずっと。

「ギャンブル、アルコール、喫煙、ドライバーズハイ。未成年の軽犯罪になり易いどれもが、大人の生み出した現実逃避の術だぞ。お前は逃げるのか」
「暴走運転は人命に関わります」
「過度の接種で自身を傷付ける喫煙も飲酒も同じ事だ」
「自分が傷付くだけなら誰にも迷惑掛けやしねぇ」
「本当にそう思っているのなら、俺が殺してやろうかァ」

ほら。
口調を少し変えただけで他人にどれ程の威圧感を与えるのかこの人は知っていて、先程とまるで変わらない囁きなのに背筋を走った悪寒に歯を食い縛っても、きっとこの人には全てバレている筈だ。

「皆、泣くだろう。隼人も要も健吾も裕也も、獅楼も北緯も、皆。お前を殺した俺を恨む」
「冗談でしょ。アンタを恨む奴なんかカルマにゃ存在しねぇ。殺された俺自身が、恨まない」
「死にたいのか」
「まさか」
「反抗期の時期は通り越しただろう?」
「俺以上に従順な奴なんか居ないっスよ?周りから言われるままに生きてきた」

雰囲気を読みながら。
大好きだった神様に嫌われたくないから姿を消して、母親から言われるままに殆ど他人に等しい父親の元に行って、流される様に必要のない学園生活を送って来た。

何度も、何度も。
言われる前に、自分から。流されたと思いたくないから選んだ振りをして、今まで。

「素直じゃない、って」
「誰が」
「判ってます。俺は、自分が一番イライラするくらい、素直じゃねぇ」
「馬鹿だな」

笑った人は優しい手を伸ばし、父親の様な包容力を惜しまず。


「素直じゃない男が、そんな悲しい顔をするものか。」



でも。
大好きな人は、素直じゃない自分をそれでも可愛いと言ってくれた人は、他人に柔らかな笑みを注ぎ、愛していると言った。

それはそれは大層可愛らしい男相手に、愛しさだけを浮かべた双眸で。
二人、ベッドの中で空が白むまで戯れ合った時の様に、甘い甘い声音で。


他の何も見えないくらい愛している、と。言ったのだ。



「馬鹿ですねぇ、嵯峨崎君」

楽しくて仕方ない表情の性悪は、心配げな恋人を引き連れて肩を震わせる。

「高坂君を失って、生きていけるんですか君は」
「ちょ、穏やかにお願いしますって!」
「構いませんよ山田太陽君、彼には暗喩では伝わらない。ねぇ?お馬鹿さん」

喧嘩をした。
些細な喧嘩。きっかけはもう覚えていない。


だって、小さくて柔らかそうな男な、愛していると笑いかけていた。


「…捨てられるくらいなら、捨ててやるだけだ」

いつもは喧嘩しても翌日には仲直りするのに、一週間経っても彼は迎えにきてくれない。

「君が?高坂を捨てる、と?」
「テメーにゃ関係ねぇだろ!」
「愛している癖に」
「っ」
「そんな未練がましい顔で、何を馬鹿な事を。ふふ」
「っ、煩ぇ!」

殴り掛かった右手は思わぬ所から防がれ、

「イチ先輩。理由はどうあれ、この人に気安く触らないで下さい」
「駄目でしょう、貴方が怪我をしていたら私は嵯峨崎君を殺していましたよ、アキ」
「だから穏やかに話し合えないんですか、ホント…」

羨ましかった。
愛し合っているのが嫌でも判る二人、仲睦まじい二人、お互い以外、見えていないとばかりに、二人は。


「…残念ですね、嵯峨崎君」

羨望の眼差しで眺めていれば、性悪は悪戯を企てた子供の様なあどけない表情で笑い、

「一週間も高坂君を放って、どうなるか考えた事はありますか?」
「どうせ親衛隊の誰かとセックス三昧だろ、羨ましいもんだ」
「期待に添えず申し訳ありませんが、高坂君ならこの一週間飲まず食わずで引きこもってますよ」

ああ、神様。


「誰彼構わず『喰い殺したい』発言を連発するほど愛しい誰かさんが、一週間も無視なさるから」

仏でも悪魔でも、何でも良い。

「な、ん」
「忙しいカップルですねぇ、君達も。カニバ愛は余所でやって下さいね、気色悪いので」
「喰い、殺したい…?」
「君、その内本気で殺されるんじゃありませんか?まぁ、私も山田太陽君の事は腸の中で飼い殺しにしたいほど愛しているんですがねぇ」
「いやいやいや、俺は食べれないナマモノですからねー?!」



謝るから、額で大地を割るほど土下座するから、まだ間に合うか教えてくれないか。



「セ、ントラル」

外見も性格も可愛げがない男を、強く抱き締めて可愛いと宣う人間が。

「セントラルライン・オープン!」

まだ、少しでも。
ほんの僅かでも、いつか愛してくれた何万分の一程度でも、愛してくれているなら。



「高坂、日向ぁあああああ!!!」

この溢れる様な愛を素直に伝えられる勇気を、くれ。



「捌いてパン粉まぶしたいくらい、好きだコラァアアア!!!」









「いやはや、危険な捌き愛でしたねィ。カラッと揚がった副会長もじゅるり…大変美味しそうですが、その後の捌き捌かれたであろう二人の燃え上がり具合を想像すると、涎やら汁やらが止まりませんのよ!」
「だが俊、揚げるなら俺を水揚げするが宜しおすもえー」
「カイ庶務、花魁コスプレはやめたまもえー。…ったく、公共のスピーカーで熱烈告白すんのやめて欲しいよねーはぁはぁ」
「サブボスー、涎出てるよお」

何が笑い話かと言えば、他人相手に「喰い殺したいほど愛してる」と惜しみなく宣う恋人に背後からすっぽり抱き締められて、

「うう、恥ずか死ねる…」
「気にすんな、アイツらは楽しんでるだけだ」
「いっそ俺をコロッケにして葬り去ってくれぇえええ!!!ドイツもコイツもにやにやしてんじゃねぇコラァアアア!」
「嵯峨崎、もっかいアレ言えよ」
「何でございましょうかねぇっ、高坂副会長コラァ!」

「『捨てないで、だぁりーん』」

つまらないプライドでも、時と場合によっては引くに引かれない時があるのだ。

「ふぅ。デカい男二人で何をほざくのか、もえー」
「くぇーっくぇっくぇ、カイちゃん!後は若い二人に任せましょっ、盗聴器とカメラだけ残して!」
「何かお腹減りません?だぁりん」
「おや、フレンチトーストでも食べに行きますか、だぁりん」

死んでも良いと思えるほど惚れた男の腕の中、死にたいほどの羞恥心に晒されながら。

「にやにやすんじゃねぇーっ、やんのかコラァ!」
「くっくっ。まぁ落ち着け、はにぃ?」
「うがーっ、畜生ッ!」

それでも死ねない幸せ者。
犬も喰わない、ただの笑い話だ。

←*#→
[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!