脇道寄り道回り道
とある子ども達の夏休み[帝王院]
額に滲む汗、ポタリ


蝉が鳴いている。


「蜩だ」
「ひぐらし?」
「この鳴き声」

そうなの?と、膝の上から見上げてきた子供の重みに眉を寄せながら、頭上の銀杏を見上げた。
秋になれば黄金の葉を茂らせ、異臭をまき散らすのだろう。

「ちぇ。またハズレだよー」
「昨日、当たったろ。ンな頻繁に当たる訳ゃない」
「ちぇ。子供の少ないお小遣いで買ってるんだからさー、気を利かせて欲しいもんだねー」
「…意味判って言ってんのか?」
「えー?何がー?」

目を落とせば、広い額に汗が滲んでいる。この暑い中、よくもまぁ、こんな密着出来るものだと思ってはいたが、凄い量の汗だ。
いっそ感心する。


「アキ」
「なーに、ネイちゃん」

面食いを自称する子供が真っ直ぐ見つめてくるので、呆れ混じりに手を伸ばした。

「汗だく。…汚ぇな、マジ」
「くすぐったーい」

無邪気にケラケラ笑っている子供を見ている内に、むず痒さに耐えられなかった唇の端が震え始める。

「あ。ネイちゃん、変な顔ー」
「失敬な。何処から見ても美人だろうが」
「うん、そうだねー。美人さんだよねー」

ヘラヘラ、飽きもせず笑いながら手を伸ばしてきた子供が、滲む額の汗をそのままに目を細めた。
何の下心もない台詞、それも分別も付いていない子供のそれに言葉を失いながら、

「ふー、セミさんは元気だねー。こんなに暑いのにさー、あ。暑いから文句ゆってるのかなー」
「…馬鹿か。蝉が鳴くのは、暑いからじゃねぇよ」
「そーなの?」
「雌に求愛してるんだ」
「キューアイって、青汁?アキちゃん、青汁も好きだけどー」

子供の額で、キラリと汗が光った。


「ネイちゃんが一番好きだよー」

膝の上で蝉が笑っている。








この木なんの木



「銀杏だ」

縁側で大量の馬鈴薯を剥いていた女性の声に振り返れば、居間のテレビに映るワイドショーを見ていた人の横顔。

「秋に実を付け、凄まじい異臭を放つ。だが旨い。私は茶碗蒸しが好きだ」
「ちゃわんむし」
「卵料理の一種さ。誉れ高きプリンスノアには、縁がない食事らしいな」

馬鹿にするでもなく投げつけられた台詞に首を傾げ、西に傾いた緋色の太陽を見やる。

「残念ながら、その木は雄だ。実が生るのはその隣。銀杏にも雄雌があるのだよ、ルーク次期グレアム」
「それは先祖が殺し損ねた悪魔への皮肉か、Mrs.高坂」
「やめてくれ。最早、私はヴィーゼンバーグとは縁が切れた身」
「ならば私とて同じ事。我が身は本来この国に産まれ、この国の食事で育った」

緩やかに振り返る気配、ザルに馬鈴薯を落とした人が深く頭を下げる光景を横目に。

「済まない」
「息子と同じ年の子供に謝罪する。そなたこそ、王の素質を備えた人間だ」
「いや。私は兄の教えに育てられた身。年の離れた彼こそ、王たる選ばれた人間だったのだよ」
「そうか」
「…ネイキッドは、兄上には似なかった様だがね」

呟きを聞けば、蝉の声がまた、大きくなった。夏は活躍の時だ。求愛の合唱を聞くだけで、蝉の世界の雄が如何に多いのか思い知らされる。

「王ですら、人を慈しみ愛する。私には理解出来ない感情だ」
「いつか君も、誰かを自分より大切に思う時が訪れるだろう。触れたいと望み、守りたいと願い、永久を祈る。そんな相手が、ね」
「下らんな。子孫を遺す為に植え付けられた本能の副産物に過ぎん、後付け理論だ」
「それこそ子供の意見だろう」

最後の一つを剥き終わった彼女は、神よりも濃いブロンドを覆い隠していた三角巾を外しながら、微かに笑んだ。

「刮目せよ小僧。いずれお前の左胸を容赦なく陵辱せしめし侵略者が現れ、その身に劣情と言う最も汚い感情を宿す」
「…詮無い戯れ言を言う」
「我々は動物だ。蝉も銀杏も、愛によって結ばれ、新たな命を刻んでいる」

おやつにしよう、と。
台所へ消えていった背中が、フライドポテトだと言った気がする。
食事中にポテトチップスを副菜にする高坂組長の食生活は理解出来ないが、ざわざわ風に靡く新緑を木を見上げれば、たった今、幹に羽を休めた蝉がジジジを震えていた。

「そなたも雌を呼ぶか」

たった一匹の蝉が鳴いている。
か弱く、けれど力強く。


「そろそろ、日が沈む」

見知らぬ誰かと約束を結んだ。
些細な好奇心が身を焦がし、灼熱に呑み込まれていく。



「ナイト」

触れた太い幹は、蝉の求愛を奏でながら日差しを受けた温もりに満ちていた。







ミーンミーンミーンミーンミーン…



「お背中流しましょうか、枢機卿」

いつも以上に不機嫌な表情で、彼はノックもなく風呂場の戸を蹴り開けた。

「ネイキッド=ヴォルフ=ディアブロ。そなた、とうとう大陸を撃ち落としたか」
「何の話だ」
「プリズンの一級殺人犯が泣き崩れた時の顔だ。余程、喜ばしい事があったらしい」
「…失敬な」
「あの時は、テイラー準教授を全治三ヶ月に追い込んだ時だったか」

無言でボディタオルを鷲掴んだ彼は、やはり無言でボディソープを連打し、凄まじい眼光で泡立ててから顎をしゃくった。
これが部下の態度だろうか。

「日焼け…のレベルを越えてるな。良く何ともない面が出来る」
「シンフォニアの賜物だろう。私の痛覚か通常の四分の一だ」
「ふん」

左右非対称の眼差しを眇め、羨ましい事だと宣った男が背中を優しく洗っていく。
この国で他人に背を流させたのは初めてだ。アメリカには頼んでも居ないのに洗いたがる者が、幾らでもいる。

「ファーストは逆だ。あれの痛覚は人の倍」
「初耳だ」
「治癒力の早さと引き替えに、全ての痛みに敏感だ」
「…ふん。今頃、何やってんだかな。大好きに兄様が居なくなって、暴れ回ってんじゃねぇか?」

排水溝に泡が流れていった。
柚が浮かぶ湯船を何ともなく眺めれば、シャンプーを連打した男がシャワーヘッドを手に、

「すだち湯か。手が込んでる」
「すだち」
「あ?何ですか」
「柚だと」
「ああ、確かに似てるっちゃ似てるが…」
「…そなた、昼頃逢い引きしていたらしいな」

ニヤニヤ馬鹿にした笑いを浮かべていた二葉を無表情で見やれば、一瞬で凄まじい表情に変わった二葉がほんのり赤く染まる。
湯気に火照った訳ではないだろう。彼は服すら脱いでいない。

「そうか。とうとう…」
「何の話だ」
「唇でも奪われたか」
「っ、テメェ!何処から見てやがった、ああ?!」
「案ずるな。今日は外出していない」
「なっ、なっ」
「ふむ。つい先日プロポーズを受けていたかと記憶しているが、…手が早いな山田太陽」

真っ赤っかな表情の二葉が、今にも人を殺しそうな顔でパクパク喘いでいる。
自分で手早く頭を洗い流し、もう一度湯船に浸かり直せば、僅かに開けていた小窓から蝉の鳴き声が聞こえてきた。



「みーんみんみん、ねーいねいねいねい」
「っ、っ、っ」
「セカンド、そなた宛ての求愛が聞こえんか」
「Fuck!ぶっ殺す、テメェ!」

ガラッと開いたドア、掴み掛かってきた二葉がキッとそちらを睨めば、サッカーボール柄のビニールボールを抱えた日向が素っ裸で瞬いている。

「何、二人で入ってました?チューしてたですか?」
「する訳ねぇだろうが糞餓鬼ぁ!」
「え?でも、さっきアイツと…」
「ふむ、その話もう少し聞かせてくれんか、ベルハーツ」
「黙れ糞ルークがぁああああ」
「ベルハーツって呼ばないでって言ったのにっ、グレアムのバカ!」

二人から怒鳴られた男は、無表情で窓の外を見つめる。


「ならば私の事は帝王院と呼べ。そなたの様にルークの名も、セカンドの様にグレアムの名も好まんからな」

ミーンミンミンミン。



ミーンミンミンミン…ミーンミンミンミーン。





「いつの日か、私の真名を呼ぶ者が現れる・と」

日が落ちても情熱的に繰り返される求愛のように、いつか誰かを強く思う日が訪れるのだろうか。


蝉は何も教えてくれない。

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あきゅろす。
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