脇道寄り道回り道
■恋ってやつは5題[帝王院]
1.些細なことをきっかけに生まれるらしい


「おはようございます、山田太陽君。相変わらず残念なお顔ですねぇ」
「…有難うございます、白百合閣下。ではさよなら」
「待ちなさい、私の美貌を見て何か言う事はないんですか?」
「授業がありますので」
「死に物狂いでお勉強してらっしゃい、少しでもまともになる様に」
「………の、野郎っ」

「危ない!」

殴ってやりたいと一瞬殺意が芽生えた男が、食えない笑みを消す瞬間を見た。背後から上がった声に振り向くより早く引き寄せられた体、ガツっと鈍い音を聞いた間際、凄まじい悲鳴を聞いたのだ。

「ぉわ!」

地面で打ち付けた背中が痛い。打ち付けた頭を押さえながら、上に乗った何かを振り払う。


「は、え?」

どさり、と。
転がった白がリノリウム、ツルツルの廊下に横たわっている。ヒビ割れた細身の眼鏡、白に滴る赤、転がる鉄の玉。砲丸が何でこんな所に、などと。
瞬く網膜に映り込んだ、美貌。

「白百合サマ?」

喧嘩した。
恥ずかしいくらい些細な理由で喧嘩した昨日、どっちが好きの度合いが強い、なんて。イチャイチャカップル宜しく喧嘩した。どちらも譲れない争いは16時間目にして、今。
決着が着かないまま、眠った様に動かない恋人の美貌を前に、

「ふ、二葉。二葉!二葉っ!」

負けても良いから怒っても良いから早く目を開けて、と。身勝手に叫び散らしている。


下らない理由で始まった些細な喧嘩が、『不戦勝』になるのはもうすぐ、だ。





2.お金では買えないらしい


「太陽君…」
「…何、桜」
「泣ぃてるの?」
「まさか。白百合様の怪我が治って、学園中大騒ぎじゃん。お祭り騒ぎのわっしょい気分だよ」
「…太陽君」
「俺なんか庇った所為で二日も目を覚まさなかったんだ。親衛隊にはチクチク言われるし、委員会からはネチネチ言われるし、やっと肩の荷が下りた」
「太陽君!」
「仕方ねーだろ!覚えてないんだから!」

三日前に喧嘩した恋人は。
怪我をする前と同じ美貌で、けれど怪我をする前とはまるで違う愛想笑いを張り付けて囁いた。

『どちら様ですか?』

冗談にしては質が悪い。性悪名高い恋人は平気で嘘を吐くから、また、喧嘩を売る様な言葉を浴びせたのだ。まだ根に持ってんのか、などと。助けてくれた礼も忘れて。
呆れ果てた高坂副会長が落ち着けと言った。訝しげに首を傾げた恋人は彼を「高坂君」といつも通りに呼び掛けて、蝿を払うかの様に手を振りながら、

『何だこの糞生意気な餓鬼は』
『何だも何も、テメェの恋人だろうが』
『冗談は顔だけにしとけよ高坂、チョコレート食わせるぞ』

涙も出ない。
いつもの様に口論し合う二人は本当にいつもと同じで、なのにいつもと同じ美貌にいつもとはまるで違う冷たい眼差しの下、いつも、いや、自分以外にはいつも向けられていた非の付け所がない愛想笑いで、彼は。

恥ずかしくて滅多には言えないけれど、愛しいあの人は。
きっと、あの時までは愛してくれていて。きっと、だから身を挺して庇ってくれたのだと痛いほど判っているから。


『目障りなのでそろそろ出ていって下さいませんか、おちびちゃん?』

だから。
涙も出ないのは、無傷な筈の自分が傷ついているからなんて。


言える筈がないではないか。





3.勝手に大きくなるのを止められないらしい


離れていると有難みを痛感する。その価値に後から気付いて悔いても、悔いは常に後悔として現れるものだから最早どうする事も出来ないのだ。
それはもう、一週間も繰り返されていた。


「好きだった?」

笑みを帯びた囁きに首を振る。訳知り顔で首を傾げた友人を、僅かばかり睨み付けて、

「…過去形じゃない」
「フォーリンラブ、恋に落ちる。落ち続けて果てがない地獄か」
「地球には重力があるからね」
「悲しいのか」
「まさか」
「泣きたくても泣けない顔だ」
「悔しいだけだよ」

守られてしまった事だけが。
守ってやりたい人から庇われた情けなさだけが、唯一。あんなにも愛していたのに、今はあの日より、昨日より、一秒前よりまた、想いが加速する。
尽きない尽きない。繰り返し加速する愛しい心は何処で止まるのだろう。

自分以外に笑い掛ける姿を見ると、逆恨みしてしまいたくなる。

「例え愛想笑いでも」
「好きなら仕方ない」
「好きだ、なんて。何度言っても届かない。乞われてる時には出し惜しみした癖に」
「無くしたものを惜しむのが人間の性だろう?」
「胸が。パンクしそうなんだ」
「愛しい愛しいと繰り返す心が」
「泣けない代わりに、血を流してる」

詩人だろう?と、他人事の様に呟けば、詩人だね。と、親友は眼鏡を押し上げながら小さく笑った。
この仕草が好きだった。愛しい人の、もう笑いかけてはくれない人の、眼鏡を押し上げる仕草、が。

「好きなんだ」
「うん」
「明日はもっと、今より好きになってる」
「そうか」
「…何で、忘れちまったんだよ!」

叫んでも殴り付けても涙なんかやはり出なかった。
ずきり、ずきり、痛みを増す左側を押さえながら、けれど笑ってしまう唇は何を考えているのだろう。


愛していると。
叫ぶだけで元に戻るなら、喉が張り裂けるほど叫ぶのに。





4.追いかけると逃げて行くらしい


「告白したいんです」


聞いて下さいますか、と言えば彼は目に見えて不機嫌になった。
分不相応だと喚く周囲を睨んで、腕いっぱい抱えた白い百合の花束を真っ直ぐ、真っ直ぐ。

「貴方が好きです」
「これはこれは有難うございます。ああ、誰か頂いた花束を預かっておいて下さい」

親衛隊の一人が狼狽えながら花束を奪った。

「華道を少々嗜んでいますけれど。他人の手による切り花には、余り興味がないのでね」

想いの丈を詰め込んだ花束は、彼の腕に届く事すらない。
目の前に居るのに。

「ではご機嫌よう」
「叶先輩」

踵を返した人が、ゆるりと振り返る。薄いレンズ越しに睨まれて、怯むより先に嬉しいが先行した自分はマゾなのかも知れない。
やっと、ちゃんと目が合った。

「貴方が、好きです」
「申し訳ありませんが、私は名字が嫌いでしてね」
「知ってます」
「おや、では故意だと仰いますか」
「故意で、恋をしています」

貴方に、と。
真っ直ぐ見据えて口にした途端、凄まじい早さで近付いてきた手が喉に伸びた。

「…笑えないジョークは好きじゃないんですよ、残念ながら」
「っ、う、」
「子供だからと言って目を瞑るつもりはありません。躾は必要ですからねぇ、猿でも覚える」

凄まじい力で締め上げられる、喉。ああ、こんなにも。今にもキス出来そうな距離に居るのに、こんなにも。
遠い、遠い、こんなに、大好きなのに。

「ぁ、んた…が!っ、ぐっ、好、き!」
「身の程を知りなさい」
「好きです…っ!」
「猿以下ですねぇ」

呆れた様に息を吐く唇、虫を見る様な眼差しに、生理的に浮かび上がった涙が増殖した。
今にも絶えそうな肺の空気を絞りだす様に、何度も。恥ずかしくて言えなかった愛の言葉を繰り返したけれど、届かないらしい。走り寄ってくる日向の叫び声、『雄姿を見守ってる』と言った親友が大声で呼んでいるのが判る。


だから、タイヨウじゃないと、言っただろう。


「す、き…」
「好い加減に黙りなさい、耳障りな」
「ふた、ば」

何故か。
見開かれた蒼い眼差しと、力が緩んだ拘束に気付いたのだけど。


「あ、いして…」

既に空っぽだった肺では、もう。
愛していると言う事すら、難しくて。





5.うまく育てると愛に進化するらしい



目が覚めたら。
濡れたシーツの感覚にまず眉を寄せて、左手の違和感に気付いた。

「な、に…」

酷くしがれた声に顔を顰めるより早く、自分の左手が誰かに握られている事に気付く。
目で追えば、その手の主は世界の終わりだと言わんばかりの泣き腫らした眼差しで、くしゃりと顔を歪めたのだ。

「不細工な、顔…」
「…自分、を。殺したいほど恨んだのは、これが初めてだ」
「ふは。殺、させない、から。けほっ」
「死にたいと思った事は何度もあるのに、…殺したいほど恨んだのは、」
「ふた、ば」

ああ、何て酷い声だ。
ああ、何て酷い風体だ。

「ふたば」

泣き笑いを浮かべた人は相変わらず綺麗な顔をしているのに、握られた左手が余りにも震えていて。自分のがらがら声以上の哀れさに、笑いしか出ない。


「アンタが、好きだよ。ちゃんと、覚えてる?」
「死んでも良いと思える。…今は」
「二葉の癖にこの俺を忘れるとはいい度胸だよねー、ぶっ殺すぞ」
「…はい」
「そんで、生き返らせる」
「ふ」

やっと。
震えが止まった人の手を引き寄せて、濡れたシーツの上で頬を寄せる。
ああ、愛しい人の頬が異常に赤いのは誰かに殴られたからだろうか。

「ね、俺の可愛い二葉を殴ったのは誰だい?後で百倍返しにしてやるから」
「…勇ましい人ですねぇ、この俺でも適わない相手ですよ」
「俊、か。判った、裸で吊してやる」

覆いかぶさる様に抱きついてきた人が肩に顔を埋めてくる。

「小遣い叩いて買った百合、大切にしろよ」
「は、い」
「そんで今度発売のソフト買ってくれたら許してやる」
「幾ら、でも」

小刻みに震える背中が何度も何度もごめんなさいを繰り返すから、酷く幸せな気分でその震える背中を撫でながら、優しい親友への仕返しを考えるのは後回しにした。

「謝るくらいなら、愛してるって言え」
「愛しています」
「後悔なんかで悔やむくらいならキスしろ」

後から悔いても何の得にもならないから。


「ん。…お前さん、塩っぱい」

どうせ一秒後には今より加速しているだろう愛しさで、一秒前の後悔なんか忘れてしまうのだから。


「泣いても綺麗な顔だなー、俺の二葉」
「愛しています」
「うん」
「愛しています」
「俺は滅多に言わないけど、お前さんは毎日言えよ」


愛を覚えると人は皆、我儘になるのだ。

そんないきもの




(C)確かに恋だった
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