脇道寄り道回り道
とある患者の話[帝王院]
ああ、苦しい。




「ゲホゲホゲホっ、ぐ、けほっ」

咳が絶えず零れる。喉の奥が尋常ではない痛みを帯びた。鼻が詰まって息苦しい。
ぱりぱりに乾いた唇を開けば、引っ付いていた唇の柔らかい部分が痛む。目玉の裏が熱い。はぁ、と吐く息も熱い。頬がピキピキ痙攣した。

「あー…、暑ぃなボケ…」

2月が猛暑ってか。むやみやたら破壊してやりたい様な。氷河に飛び込みたい様な。余りの苦しさと苛立ちに舌打ちした。ああ、舌打ちまで熱を帯びている。


蹲った窓の下。
月はもう、遥か彼方西の果て。東側から昇った陽光が大気圏と言う名のレンズ越しに存在感を放っていて。

「…ば、ちゃん」

独りぼっちだと。思い出した。
熱を出す度に、庭で取れたかぼすを絞った水を飲ませてくれた祖母。白髪混じりの髪はいつもオールバックのポニーテールで、いつも笑っている様に見える目尻の皺も、ゆったり喋る口調も忘れてはいない。


ああ、独りぼっちなのか。
外はこんなにも明るくなったのに。
零時と同時に一つ大人になったのに。
祖母が朝食を作る包丁の音はしない。味噌汁が煮える音もしない。庭先を我が物顔で陣取る小鳥の囀りも、けぶる様な緑の匂いも。


最後に食べたケーキには、6本の蝋燭が用意されていた。
あの時も独りぼっちだった様な気がする。冷たくなった祖父母を見た日の夜、町内会の誰かに連れられて帰って来た日。
冷蔵庫の中に入っていた漬物とおひたし、田舎料理に不似合いな色鮮やかなホールケーキ。ハッピーバースデーの文字、茹でた玉蜀黍がダイニングテーブルの上で乾き切っていた。そんな記憶。今更。



「げほっ、………じ、ちゃ、」

じわり。
浮かんだ涙は熱に潤んだものなのか、それとも。



「じぃ、ちゃん」


答えは出ないまま、ひたりと頬を伝い落ちた。










何だろう。
冷たくて気持ちが良い。


「眠っている時は大人しいものですね」
「つか帝君部屋ちょー広ぇ!(*´口`) 何畳あるんだってマジ!」
「騒ぐなケンゴ、病人の前だぜ」

何だろう。
非常に聞き慣れた声がする気がする。
額が冷たくて気持ちが良い。何日着ているのか忘れた寝間着のジャージ、脱がされる気配と同時にひんやりした何かが鎖骨に触れた。



トントントン



何だろう。
とても懐かしい音がする。まるで野菜を刻む様な音がする。



グツグツグツグツ



何だろう。
とても懐かしい匂いがする。まるで味噌汁がたぎる様な音と一緒に。



「さ、嵯峨崎、君。じゃなくて、副総長。お皿はこっちで良い?」
「おう、そこに置いとけ」
「判った。あ、いや、判りました」
「テメーなぁ、俺ら同い年だろーが。無理に変な丁寧語使ってんじゃねぇよ川南」
「でも…」
「副長、携帯鳴ってっス」
「悪ぃな裕也、ケツに入ってから取ってくれ。健吾ぉ、冷えピタ冷凍庫に入れんなっつったろーが」
「俺じゃねーもんっ!カナメっしょ!(οдО;)」


とても賑やかで。
独りぼっちじゃないみたい。


「ぅ、るせー…」
「また寝言言ってら(*´∞`)」
「保冷剤が冷凍庫で、何故解熱冷剤は冷蔵庫なんですか?不可解な…」
「メンソール入ってっから冷凍すると乾燥すんだろ?多分(´Д`*)」
「副長、耳に当てますよ。総長からっス」
「あー、お疲れ様っス兄貴。はい?ああ、やっぱ寝込んでたみたいで…はい、はい」

賑やかで。
熱くて堪らないのに冷たくて、なのに暖かい気がする。何だろう。とても気になるのに瞼が重い。喉が痛い。ポカリ飲みたい。

「おい、ハヤトが唸ってねーか」
「熱上がったんかね(´`) よっしゃ、もっかい測っか(//∀//)」
「ついさっき測ったでしょう。面白がってる場合ですか」
「いや、インフルかも知れねぇんで。ああ、俺ら毎年ワクチン接種受けてんスよ。今回仕事で出払ってた隼人だけ外れてたんでしょうね。ああ、はい、夜には一度店に戻ります。心配掛けてすいません」

ふわり、と。
良い匂いがした。
さらさら頭を撫でる大きな手。
すぐ近くで低い声が笑った気がする。

「ああ、いや…。水分だけ採らせときゃ何とかなるとは思うんスけど。熱も39度まで上がって、今は小康状態ですし」
「あっ、それ俺のポカリ!(ノД`)゜。」
「お前はアクエリだぜケンゴ」
「あれ、そうだっけ?(*/ω\*)」
「副総長、ご飯炊き上がったみたいですけど」
「おー、テメーらテーブルに並べて大人しく食ってろ。病人の周りで騒ぐな。それでっスね、総長…」

唇に冷たい何か。
舌先に甘い何か。
味は良く判らない。喉を伝って体に染み渡る冷たい何かに息を吐けば、耳にぴとりと何かが触れた気がする。



『もしもし、ハヤ』


どうしよう。
返事、したいのに。


『沢山寝て沢山食べて、早く元気になるんだぞ』


待って。
起きてるから。切っちゃ嫌、もう少し、ねぇ、ちゃんと返事するから、


「総長、それ以上やったらこの馬鹿泣きそうなんで一旦切りますね」
『ああ、判った』

待って、酷い事しないで、もう少しだけで良いから、もっと喋って、切っちゃ嫌だ、また独りぼっちになってしまう。



『おやすみ、隼人』



どうして。








「おはよう、隼人」
「………あ?」

ぱちっと目を開いたら、真上に凄まじい目付きの飼い主一人。覗き込まれているのは判るが、今にも大量殺人を犯しかねない容姿で体温計を握り締めるのは如何なものか。

「36.9、まだ油断大敵だが随分楽になっただろう?イチ、ハヤタが起きたぞ」
「ったく、丸一日グースカ寝転けやがって」

何を考えているのか、白地に赤い大きな十字架のデザインシャツと白レザーパンツを纏う長身は、後半日起きなかったらもう一本入れたぞ、などと宣いながら小さな箱を振った。

「ざ、やく…?」
「座薬だ」
「昨夜ブチ込んだろ、覚えてねぇのか?」
「だ、れが」
「イチが」
「俺が」
「だれ、に」
「「お前に」」

一瞬で目が覚めた俺、神崎隼人が取った行動と言えば、飛び起きてパンク看護師気取りのセクハラ野郎へ殴り掛かった事だけだ。

「巫山戯けてんじゃねーぞ!殺す…っ、てめぇのケツ裂いてやらあ!」
「照れてるのかパヤ。こんなに元気になって」
「やんのかコラァ!病人だから手加減してやんぞテメー!」

手加減したらしい回し蹴りで沈没した。…くそ、体力足んないし。
べちょって転んだ床を見たら寮とは違う、集会場の喫茶店だった。いつの間に攫われたのかも判んないんだけどー、どーゆことお。

「病人を蹴る奴があるか愚か者が!」
「ぐっ」

キョロキョロ辺りを見回して、腹減ったなあ、なんてぽんぽん撫でてたら、バンドマン看護師気取りが派手に吹き飛んでった。
うん、流石ボス。幻の左ストレート一発でノックアウトなんて惚れ直しちゃうからー。ロン毛よい気味ー。ばーか、ばーか。

「何だ馬鹿ハヤト、もう復活しやがったのかよ(∩∇`)」
「よう、ハヤト」
「騒ぐ元気があるなら着替えたらどうですか、いつまでもそんなもの着てないで」

相変わらず冷凍庫の奥で干からびた期限切れ冷凍食品並みに冷たいカナメちゃんの目を受けて、何ともなく自分の格好よさを確かめてみたら。



「…何故に浴衣?」

寝乱れまくりの半裸セクシー隼人君が居ました。鼻血出すなよ!

「病人と言えば浴衣だろう、町内会の福引きで当たったものの、山吹色は俺には似合わないからな」
「総長がそれ着たら、ヤクザの親分と間違われそうだもんね(´ω`)」
「「ケンゴ…!」」


あーあ。
ボスが体育座りしちゃった。駄目だ、唐揚げにも反応しない。凹みモード突入しちゃってる。


「班長、ちーっす」
「ハヤトォ、地獄の淵から生還したかぁ?」
「腹減ったろハヤト、もう夕方だからな!」
「ハヤトさん、一応飯食って薬飲んどいた方が良いっスよ」

わらわらわらわら、そんなに仲良くない奴まで近寄ってきた。入隊半年の新参隼人君に、用事以外で話し掛けて来る奴なんか殆ど居なかったのに。

「副長、風邪引いた奴に片っ端から座薬突っ込もうとすんだよなぁ」
「あの人やっぱサドだな、あの面であんな美味いケーキ焼くだけある…」
「それ言ったら総長は鬼畜だろ、30人に囲まれて腹減ってたっつー理由で半殺しにしたんだから」
「ハヤトの熱30分置きに測って副長から怒られてたけどな」
「小腹が空いたっつって、作り置きのシチュー鍋一杯食って榊さんから冷眼光線浴びてたけど」

ゲラゲラ笑う奴らを横目に、帯を解いて乱れた浴衣を着直した。うん、着付け出来ちゃうなんて超格好よい隼人君。昔は大体浴衣着てたからねえ。


「隼人」

呼ばれて振り返ったら、山盛りのご飯をよそったユウさんと、料理には目もくれず内服薬って書いてある袋を持ったボスが何とも言えない顔をした。

「早く飯食っちまえ、片付かん」
「沢山食べて、薬飲むんだぞ」

何だろう。変な二人。

「いただきまーす」
「おう、味噌汁とコンソメがあんぞ。シチューはねぇ」
「ハヤタはお味噌汁が飲みたいだろう、うん、入れてきてあげよう」
「…総長、コンソメも飲んだっスね?」
「ハヤ、あさりの出汁が利いてるぞ。熱い内に食べなさい」
「肝心のあさりが見当たらないのは何ですかねぇ、総長…」

目の前にある食べ物なら糠漬け以外何でも食べちゃうボスがさあ、具だけ食べちゃっても汁残してくれるなんてねえ。晴天の霹靂。驚天動地。ミラクルだよねえ。


「はぁ。待ってろ、ポタージュ作って来てやる。粥嫌いっつってたから普通の米だしな。汁もの啜った方が胃に優しい」
「パヤ、この唐揚げちょっと大き過ぎるから小さく切ってあげよう。じゅるり」

ああ、ね。
何かね。こそばゆいの。


「二人共、優し過ぎてキモい」

ショックを受けた二人が体育座りしちゃってるけど。見てる奴らはゲラゲラ笑って、誰も否定しない。



あーあ。
ばあちゃんとじいちゃんも、体調崩した時はいつも以上に優しかったなあ、なんて。思い出した。



「ハヤトー、学校帰ったらお前ン所に泊まっから(*´∀`*)」
「はあ?何ほざいてんの、死ねば」
「あんな広ぇ部屋独り占めさせっか!Σ( ̄□ ̄;) 寂しがり屋のハヤト君が泣かない様に行ってやるから感謝しろw(*´∇`)」

ムカつくから蜜柑色の猿は殴っておいた。カナメちゃんの呆れ顔とユーヤの溜め息を同時に、


「エビフライ食べたーい」
「パン粉は駄目だ、胃に優しくない」
「ちぇ、ケチんぼ。ハゲて死ね」
「良い度胸だ隼人、完治した暁には海老と一緒に揚げてやらぁ」
「はっ、やれるもんなら?」

ちょっとだけ。
病人のままだったらよいのに、とかさあ。だっさいこと考えてなんかないんだからねえ!


「イチ、ハヤタ。そんなに仲良しなら、油じゃなくて風呂に入って来い二人で」
「「は?」」
「裸の付き合いと言う少年漫画お約束のイベントだ。ふぇっくしゅ!」
「総長、何か顔赤くない?└|∵|┐」
「大変だぜ、総長の熱測ったら42度越えたぜ」
「総長っ、まさかハヤトの風邪が…?!」
「げほっごほっ、ささ、俺の事は構わず二人で風呂に入って来なさい!ひっく、俺は独りぼっちで野垂れ死ぬ運命なんだ!あらん?イチが三人居るにょ、分身したにょ」

「「「総長ーっ!!!」」」


それから丸一日、高熱テンションで暴走しまくるボスとの死闘が繰り広げられた。
高熱でも強いボスに惚れ直しつつ、二日後熱がぶり返した俺と死屍累々のカルマが筋肉痛で泣いたのはトップシークレット。寂しいとか言ってる暇はない。

因みにボスは運動したら熱が下がったらしい。俺はただの風邪だったけど、ボスはインフルエンザだった。
やっぱ人間離れしてるねえ。


「皆、俺は初めてお粥を作った。ハヤタも好き嫌いはいけないぞ。ほら、仲良く皆で食べなさい」

半壊したカフェの中。怪しい虹色の煙が立ち上るお粥を前に、何人が願っただろう。



「お代わりは沢山あるからな、鍋10杯分」


今だけ独りぼっちになりたい。

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あきゅろす。
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