脇道寄り道回り道
■珍獣の飼い方10の基本[帝王院]
まずはかわいがってきにいってもらいましょう
「俊、これを」
「なァに?お菓子?」
差し出された小さな包みに首を傾げれば、目元だけで微笑んだ恋人に僅かばかり見惚れた。始めから無表情な恋人の些細な表情を読めた訳ではない。だから少し前までもっと笑えば良いのに、なんて。考えていたと思う。
今になればなんて馬鹿な事を。
「あらん?黄色い石ころ?」
「俺の手元に残る、唯一の『母親』だ」
包みから現われたのはくすんだ黄色の石一つ。弾かれた様に顔を上げれば、伸びてきた長い指が頬を撫でた。
眼差しに暗い色合いはない。それでも、神威がこうして昔の話をするのは珍しい事なので。息を呑んだ。
出会った当初に話してくれたのは、今になればまだ神威の中で自分が『大多数の一人』に過ぎなかったからで、ペットに等しい存在だったから。
だから、意味がある。
「俊」
抱き寄せられても拒んだりはしない。口付けられてももう、拒んだりはしない。
「些か長話をしても良いか」
囁く声音に頷いた。
もう、一人ではないのだから。もう、独りぼっちにはならないのだから。
「お前の全てを寄越せ、神威。ただの一つも知らないものがない様に」
ああ、もう。
嬉しそうな顔で誰よりも人間らしく笑う、愛しい人を。
「ああ、魂の奥底まで攫い尽くすが良かろう」
何処かに閉じ込められたら良いのに。
とてもきちょうで、めったにてにはいりません
「金剛石の文字通り、琥珀に近い」
「ダイヤなんて初めて触ったにょ!かっ、返すなりん。壊したら弁償出来ないにょ!」
「俊」
笑う気配。
「然程価値があるものではない。ドイツの流れを汲んだサラ=フェインの母親が届けたものだ」
「カイちゃんのお祖母ちゃん?」
「サラ=フェインを火葬した後、遺骨の一部を加工しこれを作ったと聞く。9つの春、爵位戴冠祝いに贈られた」
心臓が跳ねる。
ならば今、掌に転がるこれは、愛しい人を産んだ人の。
「メモリアルダイヤモンドと言うらしい。態とらしく琥珀へ精製したのは、当て付けかと思っていた」
「ぇ」
「ブロンドではない俺への。…サラを殺し、彼女が望んだ栄誉を与えなかった私への」
ふわり、と。
「然し違った様だ。…先日、目通りを願い出た」
「会いに行ったにょ?」
「そなたに教えられた人の感情、両親を失った私が初めて肉親への思慕を覚えたんだ」
笑う唇、笑う眼差し。
無意識に抱き締めれば、首筋に擦り寄ってきた鼻先に眩暈がする。
「向こうは向こうで、我儘放題だった娘を案じていたそうだ。そして、葬儀の後から私の動向を探らせていたと」
「きっと、心配だったなり。お祖母ちゃんだから」
「そう、言っていた。大きくなったとも言われたな」
「カイちゃんのお目めと同じ色ね」
ふ、と。耳を擽る吐息が泣いている様に思えた。実際は微笑んだままの眼差しに涙など見当たらない。
「このダイヤさん、」
「お祖父様が命じたそうだ。…孫の双眸と同じ、ハニーゴールドを精製せよと」
抱き寄せられた。
バランスを崩して倒れ込んだソファは、二人で座る分には広くても寝転がるには不自由過ぎる。
「愚かで、…優しい人達だ」
なのに為すがまま、掻き抱かれて掻き抱いた広い背中をぎゅっと離さない様に。
擦り寄ってくる鼻先に頬を擽られて、目尻に口付けられて。いつの間に眼鏡を奪われていたのかも判らない。神威の背中に回った右手元は、愛しい双眸と同じ蜂蜜色の宝石。愛しい人を産んだ女性の、宝石。
「持っていてくれないか」
「でもっ、こんな大切なもの!」
「今にして尚、母親を慈しむ事が適わぬ私の代わりに」
「…カイちゃ、」
「憎む事も愛す事も思い出す事も出来ぬ愚かな息子の代わりに、お前が。…俺の代わりに」
高い鼻先が見える。
後はもう、覚えていない。口付けるのに無我夢中で、離さない様に抱き締めるのに一心不乱で。
愛しい人の重荷になるものは全て代わりに、愛しい人の妨げになるものは残らず代わりに。抱えるから。
死んだら二人、この琥珀色の石の様に小さく小さく圧縮してくれれば良い。決して離れる事が無い様に、この世で最も固い炭素結合物にして欲しい。
「大切なものなど、俺の世界にお前を置いて他に存在しないのだ」
ああ、今すぐにでも。
少しの隙間もないくらい、口付けよりも繋がるよりも確実に。混じり合えれば良いのに。
かわったものにきょうみをもちます
眠る顔の眉間には、いつも皺が寄っている。他人は「渋い表情」だとか「寝顔も恐ろしい」などと異論を唱えた。
こうも愛らしい寝顔など、宇宙の何処を隈無く探しても見当たらないに違いない。
「単純にして愛らしい生き物だな」
囁こうが例え口付けようが、安らかとは言えない愛しい寝顔が瞼を開く事はないだろう。文字通り貪る様に抱き尽くして、精根尽き果てた恋人は沈む様に意識を手放したのだから。
「同情しただろう。庇護欲に駆り立てられただろう。…世間一般の子を護る親の様に、もうお前は俺を振り解く事が適わない」
浮かぶのは笑み。
肉親も死んだ母親も自分にとっては些細な事だ。僅かな興味もいつかは確かに存在したが、とうに消え果てた。
だから、全てが罠でしかない。
「永遠に一刻も途切れず永劫、お前の世界に於いて俺が唯一の保護対象で在れば良い。
他へ目を向ける余裕なく。
他へ伸ばされる事が無いよう、その腕が俺だけを。この眼差しも唇も五感の全てがひたすら俺だけを感じていると良い」
哀れな生き物。
人間とは斯様に哀れな生き物なのか。
感情など存在するから身動き出来なくなるのだ。もう、逃げる事も出来ない。護るべき対象を前に雄の闘争本能を掻き立てられた刹那から、この目前で眠る人間は自分だけのものだ。
「哀れな、俊」
何せ、眉間の皺が消える頃目覚めるだろう愛しい人がその目に映す『雄』が、身を以て証明しているのだから。
護っているつもりで囚われている事に。離さないつもりでただ離して貰えないだけの事実に。
このまま眠り続けて、世界の終わりまで気付かなかったら良い。
だっそうにきをつけましょう
「そんなトコに座り込んでどーしたんだよ、俊」
「ひっく、タイヨー」
「何その声?!風邪でも引いた?ほら、立って」
「ふぇ、立てないにょ。ぐす」
「は?熱は…あれ?熱くない」
「カ、カイちゃんがっ、い、嫌って言ったのに、ひっく、10回も…っ、うぇ、うぇぇぇん」
「ままままさか」
「弱りましたねぇ」
「ぅおわ!いきなり現われんな!」
「恋人に何と言う反応をなさいますか、失敬な。ああ、それより先程陛下が素晴らしく物騒なお顔で天の君を探してらっしゃいましたが、こんな所に。さぁ、行きましょう」
「ひっ。ゃ、やだっ、帰りたくないにょ!ふぇ、やだァ!うぇん」
「ちょ、そんな無理矢理酷いコトすんな!」
「ですが今にも無差別殺人に繰り出しそうな勢いだったんですよ、陛下が」
「そ、それはまたあからさまにマズいやないか〜い」
「所詮、昨夜の営みがちょっと執拗かったとかそんな所でしょう?さぁ、行きましょう遠野君」
「やっ」
「俊、カイ庶務…つか神帝が殺人はマズいだろ?」
「いつまでも人の恋人の部屋の前で膝を消えてないで、とっとと仲直りして下さい。うかうかベッドに引き摺り込めません」
「…おい、誰を引き摺り込めないって?」
「嫌だ!俺はタイヨーと暮らすんだ!…拒むなら二葉先生だろうが容赦はしない!」
「…貴様、一度死にたいらしいな」
「やめろ!俊!二葉!」
「邪魔するなタイヨー」
「アキ、下がってろ」
「怒るぞ!」
「「…」」
「仲良くしないと…家出するぞ」
「二葉先生、お茶しましょ。お菓子いっぱい持って来たにょ。僕達仲良しですもの!」
「おや、ではフレンチトーストをご馳走しますよ遠野君。私達は無二の親友ですからねぇ」
さびしがらせてはいけません
「おい、二葉」
「どうなさいました高坂君」
「お前が匿ってんだろ、判ってんだよ」
「何の話ですか?」
「…おい」
「おや、もうこんな時間ですか。では私は失礼します」
「させるか!見ろ帝王院を!最早人間に見えねぇ面してんじゃねぇか!」
「陛下は憂い顔までお美しい。流石です。では失礼、」
「二葉ぁ」
「申し訳ありませんけど、今回ばかりは譲れない理由がありましてね」
「ちっ、流石に限界だぞ。二週間だからな」
「判ってますよ。…本人に戻る意志がないのですから仕方ないでしょう?こちらも好い加減迷惑している所です」
「欲求不満な顔をするな、チビるか思ったわ」
「陛下よりマシでしょ。キス程度なら許される私とは違って、いよいよ限界でしょうから」
「判ってんなら何とかしろよ。遂に嵯峨崎すら理解出来ない言葉で喋り始めてんだからな」
かまいすぎるのはあまりよくありません
暗い。
目の前が暗い。
斯様に静かな世界など存在したのだろうか。
まるで沈んでいる様だ。
浮かび上がっている様だ。
天地の判断が付かない。
己が本当に存在しているのかも判らない。貪欲過ぎる程の眠気を帯びた倦怠感、もう、意識を保つ事すら面倒だった。
カイちゃん
ああ、求めて止まない声音が呼んでいる気がする。求める余りの幻聴だろうか。それとも、闇に包まれ尚この逸脱した鼓膜が拾ったノイズだろうか。
カイちゃん
願わくばもう一度。この腕に繋ぎ止めたかった。許されるならもう一度。光に満ちた笑みへ口付けたかった。
この狂気染みた、けれど何よりも純然たる感情を愛と呼ぶのなら。やはり、自分は人間に成れたのだ。違う、始めから。ずっと。人間だったのだ。
「神威!」
凄まじい引力に引き揚げられた様な錯覚。重力の存在すら感じる間もなく開いた瞼の向こうに、涙で濡れた黒曜石がある。
「かぃ、カイ、カイカイカイ神威…っ」
眠っている時以上に顰められた眉間、なのに垂れ下がった眉尻。飛び付いてきた温もりが、果てしない闇色と果てしない静寂を奪い去った。
「俊」
ああ、そうか。
そうだ。校庭で何かの実習をしていた生徒達の中に俊を見付けて、凝視する余り窓から身を乗り出し過ぎた。恐らくあのまま落ちたのだろうが、コンクリートに叩きつけられる寸前まで愛しい生き物が駆け回る様を見ていたから。受け身など取った覚えもない。
「じゅ、18階から落ちるなんて馬鹿だろっ」
「心配させないで下さい、全く…」
ああ、顔を真っ赤にさせた太陽と疲労が滲む二葉が見える。もう、あの暗い世界は何処にも。
「カイちゃ、カイちゃん、ごめ、ごめんなしゃいごめんなしゃい」
「…何故、謝る。俺がお前を怒らせたのだろう?」
「お、俺の所為で二週間ずっと寝てないからっ、あ、あんな…!ごめんなしゃい、ひっく、ごめ、うぇぇぇん」
泣き虫な眼差し。
目一杯寄った眉間の皺。
18階から落ちた己より大きな雄を躊躇わず受け止める肉体を持ちながら、躊躇わず頭を下げる生き物。潔いまでに。
だから、付け込まれるのだ。
嫌なら存在そのものを消し去らねばならない。非情と謗られようが貫かねばならない。
「淋しかったんだ」
だから。
こんな言葉で陥落してはならない。
「苦しかったんだ」
「っ」
「会いたくて、」
こんな。子宮の中でまだ1ミクロンにも満たない染色体だった頃から、人格形成に欠陥を携えた生き物の言葉など。
容易く受け容れてはならないのだ。
「毎日、悲しかった」
嫌なら。
顔も見たくないなら、
声も聞きたくないなら、
もう護るつもりがないなら、
「優しくしておいて、突き放すな」
つまり、情け容赦なく逃げ出してしまいたいなら。
「愛しているんだ、俊」
そんなに。
潔いまでに綺麗な涙を流しながら抱き締めては、いけないのに。
おこらせるとおもわぬはんげきをうけます
「カ、イちゃ」
「…嫌なのか?」
至極悲しげに見上げられて、寧ろこっちが泣きたくなった。二週間の痴話喧嘩の顛末、過度の寝不足だった神威が校舎の上から落ちてくるのを見た時は、心臓が止まりそうになった程だ。
実際数秒止まったかも知れない。
「も、チューしたら、めー…っ」
「足りない」
「病み上がりだから、」
「淋しかったんだ」
無意識に走り出して脇目も振らず腕を広げた。校庭を囲む様に植えられた植樹が無ければ、最悪の事態だったろう。
樹木がクッションになってくれたお顔で、体重こそ軽いが背が高い神威を何とか受け止められた。つられて付いてきたらしい太陽に支えられて、目を覚まさない神威を抱き抱えて。
二葉にも日向にも佑壱にも他の誰にも触れさせず一人で。運んだ医務室、何時間待っても神威は目を覚まさなかった。
「ずっと、お前の事を考えていた」
「ぅ、んんんっ」
「ただの一刻も絶える事無く」
もしかしたなら頭を打ったのかも知れない。
検査に異常は見られなかったけれど、もしもこのまま目を覚まさなかったら危険だと。全国から医者が沢山やってきた。叔父までもが。
2日間ずっと付きっきりで傍にいた。寝てないのではなく眠たくならなかったのだ。このまま仲直りも出来ずさよならは嫌だったから。
もう一度、名前を呼んで欲しかったから。もう一度、抱き締めて欲しかったから。もう一度、キスして欲しかったから。
愛していると。二週間ずっと淋しかったのだと。悲しくて会いたくて泣いて暮らしたのだと。迎えに来て欲しかったのだと。隠れていたのは自分の癖に。攫う様に連れて帰って欲しかったのだ、と。
言いたかったのに。
目覚めた神威を見て、何の言葉も思い付かなかった。現実だと確かめるのに夢中で、謝るのに夢中で、もう、今度こそ一生離さないつもりで抱き締めるのに夢中・で。
「お前を抱き締めていなければ、眠れない」
「ぅんっ、ぷはっ、はっはっ、ふにょ、んんんっ」
「…淋しかったんだ、俊」
辛かった。
会いたくて悲しかった。
愛していると。
全部。言いたかった台詞を、全部。言われてもう、何も考えられなかった。
醜い自分に嫌気が差して。愛されているのか確かめたくて逃げ出した自分に吐き気がして。攫う様に無理矢理、醜い程の独占欲を顕にして欲しかったなんて理由で。こんなに真っ直ぐ自分の感情を曝け出す人を傷付けた自分の浅はかさに死にたくなって、消えたくなって、なのに離れたくなくて。
「目の前が真っ暗で、何も聞こえなくなったのに、…お前の声だけが聞こえたんだ」
もう、滅茶苦茶にすれば良い。
随分怒らせたのだろう。本当は、蜂蜜色の眼差しに秘められた怒りに気付いているけれど。
「嫌なら拒んでくれ」
「…ぁ」
「愛しているんだ、俊」
幸せ過ぎるだけのお仕置き。幾らでも、気が済むまで、何度でも。
寂しがり屋の淋しかったの言葉が本物だと、知っているから。
かいぬしのへんかにびんかんです
「何かさー、最近明るくなったって前にも増してモテ期に突入したね」
「カイさんがぁ、神帝陛下だって知った時はびっくりしたけどぉ」
「確かに近頃は表情も豊かになられましたね」
「カナメちゃんはいつも不機嫌だけどねえ」
「あの顔で微笑まれたら落ちねぇ奴居ないっしょ(´∀`;)」
「副長、逆っス。握り締めて逆からクリームはみ出てるぜ」
「あんな奴に奪われるとは…!畜生っ、毎晩毎晩総長に可愛がられてやがんのかあの野郎…!」
「おや、嫉妬は醜いですよ高坂君」
「おい、シュンシュンはどうした。さっきまで居ただろ」
「ああ、俊なら凛々しい表情で颯爽と歩いて行ったぞ。…俺に懸念した人間共へ釘を刺すつもりだろう」
「「「「「は」」」」」
「ふ、面の皮一枚微笑んでやるだけで喜ぶと生き物とは面映ゆい。罷り間違って俊に懸想する愚者が芽生えぬよう、等しく全ての動物が俺の美貌に跪くが良かろう」
「「「「「…」」」」」
「万一俊に良からぬ感情を抱いた輩は、躊躇わず排除する」
「しゅーんっ、逃げろー!うちの鬼畜以上の腹黒から騙されてるよー!」
きほんてきにマイペースです
「俊」
「なァに」
「俺を構え」
「はいはい、こっちおいで」
「…」
「よちよち、カイちゃんはいつ見ても美人さんでちゅねー」
「俊、俺は子供ではない」
「よちよち、カイちゃんの息子さんはとってもご立派にょ。もうちょっと小さくならないかしら?」
「…不可解だ。想定外の力が働いている気配がする」
「もうパパは何処にも行かないからねィ、カイちゃん」
ていきてきにけづくろいをしてあげましょう
「カイちゃん、ポテチお食べなさい。あーん」
「俊、俺は赤子ではない」
「はいはいカイちゃん、抱っこしてあげまちゅよー」
「いかん、限りなく想定外の事態だ。軌道修正せねば、」
「カイちゃん、チューしましょー」
「…」
「よちよち、カイちゃん大好きにょ」
「…ふむ、これはこれで吝かではあるまい」
「カイちゃん、お耳掃除しましょー」
「今暫し様子を見るか」
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