脇道寄り道回り道
とある真夏の1日[帝王院]
何度も何度も何度も何度も何度も、繰り返し夢を見る。
きっとそれは随分と地獄の様で何よりも幸福で、だから尚更余計に惨めになってしまうのだ。


「…閣下ぁ?」

欲に上気した頬や目で見上げてくる雄が、惨めさに拍車を掛ける。
コイツはアイツではないのだ、と。気付く度にもう数え切れないくらい何度も何度も何度も何度も何度も、

「チッ、…出してやっから存分に呑み込め」
「んふぅ、ぁんっ」
「…淫乱が。」





ああ、何て惨めな自分。





「どうした」

蝉が泣いていた。
その黒と白で造られた飾り気のないカフェテラスにはチラホラと女性客、真向かいの至極小さな公園には滑り台とブランコ、ジャングルジム。たったそれだけでゲラゲラ笑いながら走り回る小学生に舌打ちしながら、うだる様な暑さにカシストニックを飲み干した。

「明日さ〜、誕生日じゃん」
「ああ、そう言えばそうだったか。もう夏休みも終盤だな」

目の前には真夏にも関わらずレザージャケットを羽織った、『王様』。
いつもいつも邪魔なサングラスが煌めく、口元には揶揄めいた微笑。それが眼差しと交ざり合って化学変化する事を知っている。


「明日、来るの〜?」
「ん?」
「今日はさ〜、満月じゃん」
「ああ、イチがケーキを焼いてくれるそうだからな。日向もおいで」

そうやってそうやってそうやって。
邪魔なサングラスの下で笑う唇を見る度に惨めは加速する。

「イチのケーキは美味いからな」

知ってるよ。と。
飲み込んだ台詞は何処に消えた。胃の中なら消化不良を起こしそうだ。

「甘いじゃん、ケーキ」
「日向は甘いものが好きじゃなかったのか?なら、甘くないケーキを焼いてくれるよ」
「…シュンシュンの命令なら、ね」
「日向?」

馬鹿じゃない。
アイツは貴方しか見ていないの。貴方はアイツの名前を口にする度に何て幸せそうな貌、割り込む隙は全然存在しない。


「総長ー、5時のおやつ出来たっス。げっ、高坂」
「今日のおやつは何だ?」
「アップルパイっス」
「美味そうだな」

林檎色の髪をポニーテール、赤い赤い林檎を皮ごとパイに包んだアイツは赤い目で存分に笑う。

「美味いに決まってんじゃないっスか!」
「そうだな、冷たい紅茶と一緒に食べようか」

まるで飼い主しか見えていないレトリバー、そして愛犬を撫でる背中も振り向く事はない。



「だって総長の為に焼いたんスもん」



惨めさに泣いてしまうかと思った。



「…馬鹿じゃねぇの?」

暑過ぎて汗が目に入っただけだ。

「んだと?」
「イチ、おやつ作りで疲れただろう?今、冷たいコーラ持って来てやるから待ってなさい」
「冷たいビール…じゃなくて、コーヒーでお願いします」
「お酒は二十歳になってからだ」
「…はい」

だから何でこんなに苛々するのか判れば苦労しない。
嫌な夢ばかり繰り返し繰り返し観てきたから、頭が可笑しくなったのだ。きっと。


「…はん、情けねぇもんだなファースト=グレアム。いつからテメェは犬になったんだぁ?」
「その呼び名を口にすんじゃねぇ、ベルハーツ=ヴィーゼンバーグ」
「お互い様だろうが、…男爵の分際で」

カラン、と。
グラスの中で溶けた氷が小さな悲鳴を上げた。

「俺に爵位が回って来る筈がねぇだろ」
「はん、どうだかな」
「俺が居なくなった所で、テメェに貸したセカンドが残る」
「努力の天才と天性の天才とじゃ規格外だな」
「…テメーみてぇに後ろ暗い生き方は性分じゃねぇんだよ」
「努力する事を放棄しただけだろう、テメェは」
「殺すぞ、チビ餓鬼」
「敗率増やしてぇなら、どうぞ?」

可愛くない可愛くない可愛くない。
背後に神を背負った負け犬、逃げ出した癖に認めようとしない負け犬。今では野良犬。
身内も他人も信用しようとしなかった癖に、


「イチ、日向。冷たいレモネードを持って来たぞ」
「あ、すんません。…高坂の分まで持って来なくても良かったのに」
「熱中症になったら困るからな、ビタミン補給だ」

ほら。
他人から差し出された飲み物を軽々しく口にする様な人間だったか?

「日向、汗で髪が張りついてる」

擽る指先、頬に、額に。
冷たい指先が熱を奪っていく。同時にまともな思考回路も。

「もう皆、向こうで食べてるぞ。取り皿とフォークを貰って来た」

暑いのに冷房の利いた室内から程遠く、未だに騒がしい公園と未だ沈まない太陽とCLOSEの札を掛けられたテラスで、ほら。



「二人共シナモンはどうする?好き嫌いがあるからな」


他人から差し出された食べ物を軽々しく受け取る様な人間だったか?



俺もお前も。








「生クリームが付いてますよ、ほっぺに」

冷たい指先が頬を撫でた。
冷房が利いた室内では取り留めて何とも無い指先が、薄い唇に運ばれる。

「シナモンの味がしますね。ウィンナーシナモンでも飲みましたか?」
「アップルパイだ」
「おや、辛党の貴方らしくないですねぇ。可愛らしい見た目にはぴったりの素材ですが」
「ちょっとデケェからって図に乗んな」
「そろそろ来ますよ、貴方にも」
「あ?」

真っ黒いコーヒーを飲んでも安っぽいビールを煽っても未だ消えない甘さ。

「遅い成長期が、ね。もうすぐ」
「…チッ」
「明日はお誕生日でしょう?何か欲しいものはありますか?何なら外食に行きましょうか」
「…明日は、用がある」
「明日も甘いものを食べるつもりですか、頑張りますねぇ」

揶揄めいた眼差しが指先を舐め上げる。知っていた癖に、知らない振りをするのはこの男の特技だ。
欲しいものを前に欲しくない振りをするのも、要らないものを大切にするのも、全部。

器用な癖に不器用な男の特技だ。

「どうせ毎回毎回付いて来てんなら、態らしい聞き方すんじゃねぇよ」
「私は君のボディーガードですから。影は光に従うだけ、表舞台には出ないものですよ」
「ウゼェ」
「月末、31日には学園へ戻りましょうね。新学期からまた、忙しくなりますから」
「…来月、か?フェインが戻って来るんだったな。何年振りだ?」
「ざっと十年振り、ですかねぇ」

9年逃げ回った犬はどうするのだろう。
十年沈黙していた男は日本で何をするのだろう。

「欲しい物、か」
「新しい時計でも買ってあげましょうか?」
「そう言うお前はどーなんだよ。31日って言や、誕生日じゃねぇか」
「おや、そうだったですかねぇ。とんと忘れてました」
「テメェな…」
「私は高坂君が立派な成人になってくれれば他に何も望みません。今はまだ、ね」

蝉の幻聴を聞いた、気がする。

「もしフェインもファーストも死んで、お前が残ったらどうする?」
「有り得ませんね。陛下は私が命に代えても守りますから」

欲しいものを前に欲しくない振りをするのも、嘘と真実を混ぜ合わせるのもこの男の特技だ。
何処から何処までが真実か判らない。まるで繰り返し見る夢みたいに。

「そうかよ」
「君もね、守ります。それが私の責務」
「ウゼェ」
「それもこれも強く美しい私の罪です。ミアモーレ!」

うだる様な暑さは外に押し込めて、密閉した室内から何処へも行けないまま、



「…新しい車、だな」
「ふむ?」
「メルセデスオートクチュールの、クリムゾンレッド」
「誕生日プレゼントにはやや豪勢ではありませんか?」
「親父に買わす」
「喜んで買ってくれるでしょう。但し日本免許を取ってから乗って下さいね」

今日もまた、夢を見るのだろうか。

「捕まるヘマなんざすっか、ボケ」
「私もフレンチトーストを300枚程おねだりしますかねぇ、愛しい組長に」
「愛人クセェ言い方すんな」
「おや、だったら私は高坂君の義理の母と言う事に」
「なるか。死ね」
「死んだら泣く癖に」
「泣かねぇよ、相変わらず脳味噌沸いてんな」
「私は泣きますよ」
「嘘泣きで、だろ」
「ええ」

欲しいものを決して言わないこの男と、欲しいものが何だったのか判らなくなった自分とでは何が違うのだろうかと考えた。
繰り返し繰り返し繰り返し、答えは出ない。


「それにしてもクリムゾンレッドですか」
「何か文句あんのか」
「別に。あ、そうだ高坂君。明日は私も同行しますよ」
「表舞台には出ねぇんじゃなかったのかよ」
「実は真向いの公園が気になって居たんです」
「あ?」
「いえ、ブランコがあるでしょう?」
「何だそれ」


馬鹿じゃねぇの、と。
吐き捨ててから、曖昧に笑う唇を見た。見逃した眼差しがどんな表情だったかなんて想像した所で、答えは出ない。


「どうせなら情熱的な赤にしませんか?深紅のメルセデス、…まるでお日様みたいなね」
「趣味じゃねぇだろーが、お前も俺も」
「確かに。それじゃ名前は私が付けますからね」
「あ?」
「車の名前」
「…嵯峨崎二号かよ」
「何処に行くんですか?」
「性欲処理」
「おやまぁ、元気な事で何より」

ああ、もう。
今夜はまた夢を見る。
誰を抱いたって無意味なのに、だから馬鹿じゃねぇのと呟く癖が出来たのだろう。



『どうせなら情熱的な赤にしませんか?』

口の中の消えないシナモンみたいに。
鼓膜を擽る蝉時雨みたいに。

「ひ〜なちゃん、パパとお風呂に入りましょー」
「…絞め殺すぞセクハラ親父」
「アレク!どどど、どうしたら良いんだ俺は?!ひなちゃんが反抗期に!」
「ひな、恋人が出来たなら連れてこい。問答無用で我が政宗の露にしてくれよう」
「家ん中で日本刀振り回すなや、お袋」


だから、また。
きっとそれは随分と地獄の様で何よりも幸福で、だから尚更余計に惨めになってしまうのだろう。


「…夏なんか終わっちまえ、畜生」

紅翼を生やしたサングラス姿の男に焼き尽くされる夢を観る。
その両翼で。唇に笑みを浮かべたまま、容赦なく。



「くっそ苦いシナモンティー、飲みてぇ」


きっと、明日も。

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あきゅろす。
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