脇道寄り道回り道
そして僕は恋に溺れる[帝王院]
一体何処で何を間違ったのか。

今更愚痴を零した所で仕方ないと物分かり良く溜め息一つに留め、両手に収まるゲーム機の小さなディスプレイから漸く顔を上げた彼は、如何にも『麦茶だと思ったらめんつゆだった』と言わんばかりの表情、とどのつまり『アンタ何を言ってんすか』を顔に示した。

「…幾ら俺でもその不細工な面には勃たない」
「はい?!」
「いや、すみません。つい本音が」

普段の麗しい微笑そのままに低い声音で呟いた男は優雅に眼鏡を押し上げ、可愛らしく小首を傾げる。
羊の皮、ではなく女神の外見を被った狼、ならまだしも『魔王』を前に塩っぱい目でゲームの電源を落とした平凡と言えば、飲み掛けの緑茶を一口、定年退職した老人張りの息を吐いた。

「…婆さんや、爺さんは最近耳が遠くてねー」
「私のこの輝かんばかりの美貌を前に婆さんとは何ですか、愉快千万」
「時に白百合閣下」
「嫌ですねぇ、好い加減『愛する可愛いふーちゃん』と呼べば宜しいのに、照れ屋さん」
「うん、爺さんは婆さんの鼓膜を張り直してあげたいよ。…人の話を聞け」
「おや、亭主関白」

フラッシュが瞬いた。
振り向く必要はほぼ無い。恐らく、と言うか十発十中、親友(と呼ぶには些か問題が有り過ぎる)左席委員会長の仕業だからだ。


ぷはーんにょーん


と言う満足げな叫びと「もえー」と言う棒読みな低い声音が、帝王院最強の二人を教えている。
無断で撮影すんな、などと言った所で呑気にターンなど決めてはポーズを取っている恋人は勿論、職権濫用甚だしい『最近ちょっとお変わりになられた神帝陛下』にも効果はない。

躾…と言うか調教、し過ぎて最近では眼鏡を輝かせ怒られるのを待っている遠野俊に至っては叱るだけ無駄、悦びの涙で眼鏡を濡らし叫ぶだろう。
それはもういつもの如く、


「ハァハァハァハァハァハァ、ドSっ!どえす平凡っ、どえすどすえぇえええ!!!」

平凡だと思っていた自分は最早非平凡街道まっしぐら、最近になって自分はもしかしたら帝王院唯一の常識人ではないかと思えてならない。
気の毒そうに近付いてきたもう一人の親友(こちらは文句無く親友だ)安部河桜が、然し帝王院に咲き綻ぶ(自他称)白百合に頬を染めながら自作らしい羊羹を差し出してくる。

「二切れで大丈夫ぅ?」
「うん、ありがとー」

もう片手に重箱サイズの羊羹を持っているが、恐らくそれは自分のものではないだろう。そんなもの貰った所で腐らせるだけだ。

「最近の執務室はぁ、賑やかだよねぇ」
「…何で中央委員会が堂々居座ってんのか、全く判らないけどねー」

執務室と言うには地味過ぎる六畳間、を有した平凡愛好会部室にはその地味さを補って余りあるメンバーで犇めいていた。
元々ロッカールームだった室内の半分は以前のまま物置小屋と化していたが、仕舞い込んでいた一昔前のテーブルゲームやボードゲームを引っ張り出した健吾らカルマによって、近頃六畳間以外はゲーセンと変化している。

「そこだって、違ぇ、右!Σ( ̄□ ̄;) あーっ、………危ねぇ。今の油断したっしょ阿呆ユーヤ!(Тωヽ)」
「うるせ。集中出来ねーぜ」
「次、俺!代われ!(*´艸`)」
「テメー、さっき三回やっただろ」

放課後やって来れば十中八九、相棒の裕也と共にインベーダーゲームをやっている所を見ると、授業中も間違いなく入り浸っている筈だ。
まぁ、元々Sクラスだった二人に授業に参加しろと言った所で、罪の無いAクラス生徒が哀れになるだけだろう。見たまま最強クラスの不良二人と、授業など受けたくはないに違いない。

「何であんな昭和の喫茶店にあった様なゲームで殴り合いするかなー…」
「仲良しさんだねぇ、ケンちゃんとヒロ君。あ、白百合閣下も栗羊羹如何ですかぁ?」

子供を見守る母親の様な慈愛に満ちた眼差しを注ぐ桜を横目に、オタクカメラ小僧の撮影を一通り終えたらしい恋人(…多分)へ向き直る。

「そこの君、私はロイヤルミルクティーとフレンチトーストで構いませんよ」

年中オコタな六畳間の中央に陣取った炬燵、それも太陽が座っているにも関わらず同じ場所から遠慮なく足を突っ込んだ男は、呆れ顔で立ち上がろうとした太陽を優雅に抱き寄せ膝に座らせて満足げな微笑を零す。

「キャアアアアア!!!お膝抱っこ!まさかのお膝抱っこじゃアアア!ハァハァハァハァハァハァ、げほっごほっ、二葉先生ィイイイ!グッジョブそこで一気に押し倒せ寧ろ抱いてフォーリン萌え!ハァハァ」
「…俊」
「愛がっ、二人の愛が溢れて止まらな…鼻血もノンストップ!ハァハァ、最早生き地獄!エクスタシー!ゲフ」

鼻血を吹いたらしいこの部屋の本当の主、つまり左席委員会現会長はフラッシュと共に眼鏡を吹き飛ばし、左席委員会庶務、早い話が雑用である中央委員会現会長によってやはり優雅に素早く見事なまでの手際で連れ去られた。

「きゃー」

何処へ連れ去られたのかも天皇猊下にこれから起こるだろう事態にも誰も突っ込みはしない。


命が惜しいからだ。


「…俊君、せめて僕がスリムで筋肉もりもりだったら…」
「桜、相手が悪過ぎる。後ろの変態だけでも手一杯過ぎる俺は、寧ろ暖かく見守るよー」
「陛下に適う相手などそれこそ猊下くらいですよ、ええ。それよりお爺さんや、誰が変態ですか誰が」

尻を這い回る嫌らしい手を炬燵の中で叩き落とし、甘える様に恋人の胸へ背を預ける、と言う風体で頭突きをカマす。
無言で顎を押さえる魔王を余所に、桜お手製栗羊羹を一口齧ろうとした所で、皿が空っぽだと言う事に気付いた。

「あれ?…ちょいとお前さん、何で俺の羊羹勝手に食べたんだよ。アンタは食パン食ってろ」
「ひ、太陽君、」
「私ではありません」
「うっさい!俺は怒ってんだ!言い訳すんな!」
「ええ、言い訳はしませんが」
「食べたのはぁ、俊君…と、カイさんだよぅ………多分」
「…は?」

恐々口を開いた桜が言うには、二人が部室から出ていく間際、妖しく光る眼鏡が栗羊羹をブン盗っていったらしい。

「間違いなくお二人の仕業ですよ。目では認識しましたが、体が反応した時には既に手遅れでした。すみません」

魔王でさえ無抵抗のまま盗まれた羊羹。されど羊羹。
そんな人間離れした芸当が出来るアクティビリティなオタクは、この世に二人しか居ない。

「…盗み食いに無駄な身体能力発揮しなくても…」
「ぁ、ぁはは」
「所で、山田太陽君」
「何さ」

ぎゅむ、と抱き締められた太陽は油断していた。オタクの皮を被った盗人皇帝二人に呆れていた所為だと言えばそれまでだが、ゲーセン気分を味わっていた筈の健吾と裕也がいつの間にか壁際に避難している事に気付き青冷めた所で、全く以て今更過ぎる。


「…恋人の俺を疑っておいて、ごめんなさいのキスも無いのか?」

囁かれた甘い甘い声音に全く幸せな気分を味わえないのは、悲しいかな自称恋人が見たままの性格ではないからだ。
太陽がドSならば、嗤うドSをドMにしてくれようホトトギス、を格言に掲げる(かどうかは不明)叶二葉の辞書に『素直に謝る』と言う言葉は無い。

あの世界最強である神威にすら悪戯を仕掛けるらしい二葉が微笑の下でブチ切れていようものなら、下手すれば世界が滅ぶ。


その二葉が『すみません』などと宣った代償は、…察するに余りあり過ぎる。

「え、えっと、その、疑ってごめんねごめんねー」

へら、と痙き攣った笑みを浮かべた太陽に笑い返した二葉の所為で、二人のヤンキーと桜が素早く逃げていく。

「聞こえない」
「えっと、その、キスとか俺のキャラじゃないとか、思ったり」
「ふーん」

俺を見捨てるなと言うテレパシーは、残念ながら届かなかった様だ。
否、届いていても無視されたのだろう。だから理由は単純明快、



「…余程此処で犯されたいらしいな」


命が惜しいからだ。


「ゴムなんざどうせ要らねぇ、足りないからな。丁度巧い具合に二人きり、シチュエーションは万全だ」
「し、し、し、白百合閣下」
「ふ、た、ば」
「ふ、ふ、ふ、風紀委員長」
「ふ、た、ば」

繰り返し己の名前を一言一句明確に発音しながら素早く押し倒されて、恐怖のあまり泣きそうな太陽がワサワサ、ゴキブリの様に逃げようと足掻く。

「何を踊ってんだ」
「抵抗してんだよっ、これでもー!」

無意味だが防衛本能だ。悲しいかな、恋人相手に防衛本能が働く自分は何なんだろう。

一体何処で何を間違ったのか。

今更愚痴を零した所で仕方ないと物分かり良く溜め息一つに留めた先程を全文撤回、直ちに世界の果てまで逃げたい。

「嫌すぎるー!初体験が部室!然も非合意なんてー!」
「うふふ、精々可愛らしく喘いで御覧なさい。まぁ無理でしょうけどねぇ、私くらいの美しさが無ければ」
「酷過ぎるー!こんな奴が恋人なんて何処で何を間違えたのさ、俺のアホー!」
「おや、お馬鹿さんなのは先刻承知の上ですよ。気に止まずとも手取り足取り腰取り、この私が掛け算からポルトガル語まできっちり教えて上げます。さ、お尻出しましょうねぇ」
「ヒィイイイ」

男ならばこそ人前で脱ぐ事に抵抗はほぼない。此処が腐れ果てた男共の巣窟帝王院だろうが、大浴場にも行くし体操服にだって着替えるのに躊躇いはない。
だが然し、恋人を不細工だの馬鹿だの笑顔で罵りまくる男の手によって意気揚々脱がされる訳にはいかないのだ。

「ふ、ふ、ふ、ふー!」

鳴らない口笛の様な猫の威嚇の様な惨めな声が出る。すっかり外されたベルトの金属音とかファスナーが開かれる音とか、こんな絶望的に聞いた事はない。

「煩い」
「ふ、ふ、ふ、二葉二葉二葉ふーちゃんっ!」
「何でしょう、お爺さん」

まがりなりにも口でファスナーを開きながら尻を揉み扱いていた人間とは思えない女神の微笑を滲ませ、やはり可愛らしく小首を傾げた二葉を前に山田太陽はポロリと目尻の雫を零した。

「お、お前さん、それ以上やったら別れるからな…。そんで弄ばれたって遺書に書いてやるかんな!」
「おや、振られるのは私ではないのですか?」
「うっさい!…何だよ、馬鹿だの不細工だの言っといて、嫌がらせか!どうせアンタに惚れてる俺を嗤ってんだろ!」
「おや」
「平凡野郎がって、っ、馬鹿にしてんならもう構うなよ!こっちだってなーっ、」
「震えるほど、可愛らしい…」

囁かれた甘い甘い、ただ甘いだけの声音に唇を奪われて、見開いた視界一杯に薄いレンズが見えた。
至近距離から見る長い睫毛を堪能する間もなく痛み始めた網膜を瞼の下に押し込んで、宥める様に角度を変えては降ってくる唇を素直に受け入れる。

キスされるのは、平気。
経験値1の素人は未だに一人としかした事が無いキスで、例えば嗤われていても目を閉じれば判らないし感覚に支配されて余計な事は何も考えられなくなるからだ。
もしかしたらそれを判っていてこの男は口付けてくるのではないか、本当は抱くつもりなんか無いのではないか、などと余計な事を考えたけれど。

「他の誰も見向きしないくらい、醜く愚かに成り果ててしまえば良いものを」
「…ん?」
「周囲から、…世界から拒絶されてしまえば良いものを。孤独の淵に追い詰めて囲い込んで、縋り付けば良いのに」

囁かれた台詞の甘さに泣いてしまうかと思った。

「寂しいから誰も居ないから寒いから怖いから、たった一時の寂寥を紛らわせる為だけの理由を探して、…貴方が私に縋り付けば良いのに」
「…」
「嫌われたらどうしよう、捨てられたらどうしよう、毎日毎時間、そんな下らない事ばかりで思考回路を麻痺させて、…私だけの機嫌を窺っていれば良い」
「考えてる、よ」

だから素直に呟いてしまったのだ。なのに儚いくらい美しく笑んだ唇は容易にそれを否定した。

「嘘ばかり」

何故、と。
尋ね返す事は出来ない。

「捨てられたらどうしよう、飽きられたらどうしよう、今は良くても一秒先には嫌われているかも知れない。本当は惨めな私を知り嘲笑いながら、…本当は同情で。貴方は傍に居るのかも知れない」

憐れなものでしょう?
そう呟かんばかりの眼差しが甘く蕩ろけて、だからもう、泣いてしまうかと思ったのだ。
手を繋ぎましょう、などと。何の前触れもなく宣った男とは思えない覇気の無い声音に、今は。

「いつ私が貴方を笑いました?いつ貴方は私に縋り付きました?憐れなものでしょう?想像ばかり膨らむから、今のこれが現実なのかさえ判らない」
「…」
「今、貴方は言いました。そうですね、毎日貴方は言います。私に向けて手を伸ばし、寂しいから誰も居ないから寒いから怖いから傍に居て欲しい、他に誰も居ないから『お前で我慢する』」
「何、それ」
「だから愛してやる。そう、毎日。想像の中で可愛らしく微笑む愛しい人が、毎日」

幸せそうに微笑む唇を呆然と眺めて、無意識に男の胸元を握り締めていた手を振り上げる。

ぱちん、と。
渇いた音を聞いた。
まるで避けなかった二葉の眼鏡がズレ落ちて、染み一つ無い頬に赤みが差す。


「巫山戯けんなよ、お前さん」

ネクタイを掴んで引き寄せて、それと同時に上体を起こした。見開いた蒼い左目を睨みながら睨みながら、

「この俺が惚れてるっつってんじゃんか。アンタは大人しく愛されてりゃいーんだよ」
「…」
「判ったかい?!」
「…何の夢だ、これ」

恐らく無意識に囁かれた声と息が濡れた唇に触れた。自分から捧げた拙い口付けは誰からも咎められる事無く、

「手を繋いで一緒に帰りましょうね、なんて。意味不明なコト言ってないで、したけりゃ勝手にすれば良い」
「嫌そうな顔、する癖に」
「するけど、嫌なら嫌って言うし。駄目だ言っても執拗いなら殴る。頭突きする」
「ああ、…確かに」

囁きながら覆い被さる体躯に抱き締められて、すりすり頬擦りしてくる男に溜め息一つ。


「ったく、変なトコで弱気な奴め」

一体何処で何を間違ったのか。

だから結局、今更愚痴を零した所で仕方ないと物分かり良く溜め息一つに留め、甘やかしてやるしかないのだ。

「然し俊は趣味が悪い。カイ君よりお前さんの方が絶対格好良いのに…足も長いし」
「…」
「大体俺の何処が萌えるのかも未だに謎だし」
「………」

恐らく今の自分は不細工な顔をしている事だろう。きゅっと眉を寄せて目を細めたら父親が不機嫌な時に見せる表情そっくりなのだ。

「前言撤回します」
「ん?」
「欲情しました」
「ぶっ!」

言いながら益々抱き締めてくる腕に仕方ないなと最後の溜め息を零して、石頭の熱烈キスを送った。

「愛が痛いです」
「言ってろ」


一体何処で何を間違ったのか。


もう今は、もっと間違ってくれれば良いのに、と。


「今日は何だか肌寒いから、…手。繋いで帰ってもいーよ」


甘やかされた魂は愚かに幸せな独り言を、密やかに。

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あきゅろす。
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