脇道寄り道回り道
虹色砂漠[帝王院]
その日、珍しく書斎から顔を覗かした父親は言った。






「例えるなら、虹色だね」



鼻で笑った、昨日。





僕の世界はちっぽけだ。
見渡す限り無人の砂漠にオアシスなど存在しない。

カラカラに渇いた体は灼熱に負けて、カラカラに渇いた魂は二度と元には戻らない。



それはまるで地獄に似た幸福。








(でもせめて)
 (一度くらいは笑って)
  (荒廃した砂漠に花を植えたい)








(呆れる程、大輪の花を)





「何、アンタまだ明日の用意してないの?」

何処の通信販売で買ったのか、怪しげな健康器具の上からのたまう母親を横目に、セーブしたばかりの携帯ゲーム機の電源を落とす。
誰からも気にされていないリビングの液晶テレビは下らないニュースばかり連日、リモコンを何ともなく弄びながら息を吐いた。

「後でやるよ。どうせ荷物なんか大してないし」
「とか言って、またゲームばっかやってんじゃないでしょうね。アンタがそんなんだから、夕陽も帰って来ないのよ」

双子の弟、それも長い間会っていない出来の良い弟の名前に目を細める。母親は毎回こうだ。

「宿題はやったの?」

書斎に籠もった父親が仕事をしていようが例えパソコンゲームをしていようが構わない癖に、息子にはグズグズ煩い。

「…ヤスだって、寮生活長いんだから里心付いてるだけなんじゃないの。それに俺は高等部に入学するんだよ、宿題なんてない」
「昔はお兄ちゃんっ子だったわよ、あの子は。アンタが苛めたんじゃないわよね」
「冗談」
「嫌だわ、本当。アンタって誰に似たのかしらね、面白くない顔しちゃって」

アンタに似たんだろ、と。
呑み込んだ台詞は、胃の中でいつか消化不良を起こすのではないかと考えた。









「でさ、彼女の誕生日なんだ」
「ふぅん」
「気のねぇ相槌だな、山ちゃん」

小学校時代の幼馴染みはいつの間にか大人びて、今時の高校生らしく染めた茶髪にアクセサリー。
同じくアクセサリーではないのかと疑いたくなる恋人の話に始終鼻の下を伸ばしていて、


「つかさ、井川先輩覚えてっか?」
「ああ、森川農林で一番悪い人だっけ?小学校の頃、校長室のドア壊した」
「あの人、クリーチャーに入ってたんだって」
「クリーチャー?…あ、2区のヤンキーだっけ」

鷹揚に頷いた幼馴染みは然し真剣な表情で声を潜め、


「でもさ、…先週やられたんだって。カルマのケルベロスに」
「カルマ、って。じゃあ、」
「山ちゃんトコの先輩、だよな?ケルベロスってさ、アレだろ。真っ赤な髪に真っ赤な目ぇした、さ」
「確かに紅蓮の君は先輩、だけど」

目を見開いた幼馴染みがガシッと手を掴んできた。やり掛けのゲーム機が落ちて、苛立ち紛れに睨もうとした自分はすぐに沈黙する。

「じゃあさ、山ちゃんの口利きで俺をカルマに入れてくれないか聞いてくれよ!」
「…はぁ?」
「カルマって人数少ないんだよ。入る為には何か試練があるらしいし、そもそもカルマの総長見れるのも稀じゃん?」
「知らないよ、興味ないし。大体、紅蓮の君は確かに先輩だけど接点もなければ俺なんかが話し掛けて良い様な人じゃ、」
「先輩だろ?!」
「相手は二年帝君だから、無理」
「何だよ、それ」

苛立たしげに舌打ちした幼馴染みは表情を変えて、一年振りに再会したとは思えない表情で吐き捨てる。

「進学校だか何だか知らねーけどよ、所詮山ン中の私立だろ?」
「平均偏差値62、特別進学クラス偏差値80。そのトップに立つ人だよ、無理」

数十分前の感動が嘘の様に、


「ちっ、使えねー奴。」


だから、形ばっかの友情なんか嫌いなんだ。
呑み込んだ台詞は、腹の中で爆弾へと変わっていくのかも知れない。








「ブッ殺すぞテメェ!」
「だからあ、ボクちゃん達の相手してる暇はないってゆってるでしょー?」

見慣れたクラスメートが不良に絡まれていた。ファーストフード店の目の前、で。

「隼人くんはねえ、忙しいの」
「死ねやコラ!」
「舐めてんじゃねぇぞ!」
「だからさー、…殺されてぇ奴から来いや」


別世界の人間。
強い人間。
帝君。
一瞬で不良相手に勝利を掴む、そんな存在と接点はない。


「ハヤト!貴方こんな所で何やってんのよ!」
「だあってえ、ジャーマネが無免駄目ってゆーから待ってたらさあ、絡まれちゃったんだもーん」
「ああもうっ、スキャンダルになる前にずらかるわよ!」
「はーい、隼人くん反省してまーす」

綺麗な女性の綺麗なオープンカーに乗り込む長身から目を逸らし、冷めたハンバーガーを齧る。


「…照り焼きにすれば良かったなー」

テイクアウトのハンバーガー片手に、独りごちた。








特に何もない日常。
明日もまた同じ日常が繰り返されていくのだろう。
砂を食べてもハンバーガーを食べても同じ。独りでも幸福な笑い声を発てる集団が通り過ぎても、同じ。





僕は砂漠に独りぼっち。




「ハンカチ持った?ネクタイ曲がってるわよ、気を付けてよね。ただでさえ新参企業って馬鹿にされんだから、うちは」
「はいはい」
「はいは一回!お父さんの恥になる様な態度はやめなさい!アンタ、一応跡取りなんだから」
「…判ってるよ」
「全く…、あ、電話」

口煩い母親は新調したスーツを着こなし切れないまま、近所の井戸端仲間と朗らかに長話しを始めた。
綺麗な服も化粧も鼻に染みる香水も目に痛いアクセサリーも全て、『出来の良い次男坊』の為。

後ろから数えた方が早いSクラス落ち零れの長男の入学式には目もくれず、近所で自慢の息子を愛でるべく飛んでいくのだ。



「お、もう行くのかなアキちゃん」

バスで行こうか徒歩で行こうか考えながらスニーカーの紐を締めれば、背後からの久方ぶりに聞く声に片眉を跳ね上げる。

「地下鉄だったら山の手バス停まで直通だろう?まだ早いんじゃないかな」

春休みで帰宅して2週間。
仕事以外で殆ど書斎から出て来なかった父親の、相変わらず能天気な面に溜め息一つ、

「今からだったら、地下鉄乗らなくてもいいから」
「二駅歩くつもりかい。男だね」
「小遣い浮かしたいだけだよ。母さん、交通費くれなかったから」
「ふぅん、新しいコスメ買い揃えてたから節約するつもりかな」
「だろーね。母さんの趣味はヤスの仕送りだし」

皮肉げに吐き捨てれば片頬で笑った弟そっくりな父親は、ポーンと手の中のキーホルダーを投げた。

「送って行こうか。寄り道しないかい、アキちゃん」
「寄り道?」

ちゃん付けで呼ぶなと百回以上言った台詞を呑み込みながら、のらりくらりと肩を揺する父親からゲーム機ごと鞄を奪われて。

「ワラショク新店舗が4区に出来たんだけどねー。隣に24時間の洒落たクレープ屋さんがあるのさ」
「クレープかい」
「パパ一人じゃ行き辛くてね、うん」
「思春期の息子の方が行き辛いとは思わないのかなー、親父」

身勝手な母親も相当なものだが、このマイペースな父親も相当だ。
にっこり笑う顔へ笑い返せば、ピシリと突き付けられた『福澤諭吉』、三枚。


「入学祝いのGショック代わりに、どうかな?」
「…生クリームで宜しいでしょーか」
「ツナサラダで宜しくねー」


どうやら、来週発売の新作ゲームを諦めず済みそうだ。







「…はぁ」
「溜め息ばかり吐くと幸せが逃げるよ、うん、うまい」

ハンドル片手にクレープを貪る父親を横目に、何の変哲もないお茶のペットボトルをチビチビ傾けながら窓の外を見る。

「吐いた息はね、世界を灰色に染めていくんだ。気付かない内にね、じわじわとさ」
「あ、そ」

父親と二人ドライブなんて何年振りだろうかと考えて、また、溜め息一つ。

「今日から賑やかになるね。高校時代が一番楽しいんだ」
「ふーん」
「やる気の無い相槌だね、アキちゃん」
「チャームポイントかもね」

愉快げに笑った運転席を横目に、地下鉄とバスを乗り継ぐよりもずっと早い車窓からの風景を眺めている。


流れていく流れていく。
きっと今何処かで誰かが幸せそうな笑い声を発てていて、きっと今何処かで誰かが幸せそうな笑顔を惜しみなく晒しているのだ。

全て他人事。
広い世界の何処か別の場所で繰り広げられている別世界の話。


だって自分の世界はこんなにもちっぽけなのだから。



「校門が見えてきたね。ゲートから地下駐車場に、」
「校門の近くでいいよ。入寮手続きがあるから、校舎よりこっちの方が寮には近い」
「十分は歩かなきゃならないでしょ、帝王院は広そうだから」
「まだ早いし。ゲームやりながらだと、すぐだから」
「そう」

緩やかに停車するホイール。
ドアに手を掛けて中身の少ない鞄を掴んだら、珍しく書斎から顔を覗かした父親はハンドルを握ったまま笑った。


「賑やかになるね、太陽。今日からはきっともう、【そんなコト】する暇もないかもね」

ちゃん付けで呼ぶな、と。呑み込み掛けた台詞は爆弾になる前に弾けた。
珍しくまともな名前で呼ばれて振り返れば、閉めたドアのウィンドウが緩やかに降りていく。

「良かったね、僕も君も」

起動したゲーム機が音を発てる。

「例えるなら、虹色だよ」
「は?」
「吐き出してきた灰色の爆弾さえ吹き飛ぶ光と色の渦。今日からはきっともう、息をする暇もない」
「何の話だよ」
「青空の話さ。見てごらん、」

ウィンドウが閉まって、窓の向こうで上を指差した父親が気障にウインク一つ。急激にアクセルを踏み込まれたセダンは忽ち見えなくなって、


「相変わらず、マイペースなオッサン…」

溜め息混じりに見上げた空は、青かった。
何年ぶりに空なんか見ただろう。


「中等部3年Sクラス、山田太陽です」
「ああ、そこら辺にコサージュとリーフレットがあっから、勝手に持ってけ」
「あんっ、あっ、あぁ、王呀の君ぃっ」
「…どーも、お邪魔しました。」

空が青かろうが灰色だろうが、世界は何も変わらない。
空が青かろうが灰色だろうが、明日滅びようが。


ずっときっと最後までこんなにも独りぼっちのまま、渇き切った砂漠に雨など降りはしないのだろう。





「ふむ、中世ヨーロピアンのカホリだ。ポンジュース!



  ………………………愛媛?」



空なんか何年ぶりに見ただろう。
虹なんか何年見ていないだろう。
ちっぽけな世界は一面砂漠、別世界は幸せそうに笑う見知らぬ誰かで彩られていて、だから足元も周囲も見ない様に手元ばかり凝視するだけ。



「いかんな、フランス語も勉強してくるべきだったらしい。…然し辞書を開こうにも本棚はBL小説に蝕まれてきた。ちょっとやそっとの覚悟じゃ、あの魔の手…いや、萌の手からは逃れられないポンジュース!


  ─────何かが違うな…」



ちっぽけな自分には。
所詮、ちっぽけなゲーム機がお似合いなのだ、と。



「僕は遠野俊ですにょ」


だから、まだ知らない。


「キャーッ、眩し過ぎるぅぅぅッ」


幸福過ぎて死にそうなくらい艶やかな地獄を、まだ。





(そしてせめて)
 (一度くらいは笑って)
  (荒廃した砂漠に花を植えたい)



(呆れる程、大輪の花を)




「宜しくお願いしますっ」





(七色に咲き綻びる、艶やかな花を)



  ─────君と二人。

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