脇道寄り道回り道
とあるバーテンの日記[帝王院]
抱いてくれ、などと言えば始まる前に終わってしまう。
好きだと言うには醜く腐れ果てた元純情は、今となって『憎悪』に近いのかも知れない。

食らい尽くしたいだけだ。
微塵も残さず、魂ごと同化してしまえば憎まずに済むだろう。
それこそ何処までも綺麗なだけの純情で、守る様に抱き締める様に愛し続ける事が出来るのだ。



僕は貴方を愛している。
本当はたった一言で事足りるのに。



愛していると言うには、最早。この魂は汚れ果てていたのだ。









榊太郎はその日を、後にこう締め括った。
『思ったよりも捨てたもんじゃない』、と。





「………文学的最高傑作だ。」

その日、カフェは異常に静まり返っていた。
珍しく一番乗りした彼は、バーテンから差し出されたコーラフロートを既に14回お代わりし、遅いランチを楽しんでいた女性客から注がれる熱い視線に全く気付かないまま、カウンターの隅にぽつりと置かれていたノートを開いて早二時間余り。

そのノートに、男のものとも女のものとも見て取れる流暢な文字で書かれた『傑作』の数々に、サングラスを陶酔で染めている。


「ケーキのお代わりはどうしますか、総長」

五・六年前まで暴走族の頭を張っていたと言う、その風貌からは想像も出来ない知的なバーテンがクローズドの札を店先に掲げ、ベストとブラックタイを脱ぎ捨てながら首を傾げた。

「今の俺は胸が一杯だ…、チーズケーキ3つくらいしか食べられない」
「ラズベリーソースは?」
「おたま二杯くらいでイイ」

プルプルと生まれたての子馬宜しく震えていた俊は、どう見ても成人男性にしか見えない年齢不詳な表情に何とも言えない苦汁を滲ませ、チーズケーキ3つは勿論、普通あの甘ったるいラズベリーソースをスプーン二杯ではなくオタマ二杯も求める人は居ないよな、などと言う常識人の呆れを一切表情に表さない出来たバーテンがオーダー通りのケーキを差し出す。
その心中で、見た目自分と代わらない年頃の『不良』を、

『お気楽なもんだ』
『世間を舐めやがって』

などと罵っていたとしても、一見優しげな雰囲気を漂わせている彼は表情には出さないだろう。

「何を見てるんですか?」
「さっちん、これは芸術だ。芸術は爆発だ。はっ、と言う事はこれは爆弾なのかァ?!」

バーテンさっちん、こと榊太郎が勤めているカフェのオーナーは生粋の高校生であり、不健全な事に不良グループの副総長である。
今、カウンターの端から二番目と言う微妙な席を陣取った男は、そのオーナーが恭しく従う上司、つまり総長だ。

「…流石にノートは爆発しないと思いますけど、」
「あら、レモンシャーベットちゃんが居なくなってます…めそり。俺が腑甲斐ないばっかりに、余所の男の所へ行ってしまったんだな!」
「溶けたんですね、新しいフロートに取り替えます」
「あ、待って、勿体ないから飲んじゃう」

学生時代の非行をものともせず、高校中退していた彼は通信教育で高校を卒業し、今や医学部の一年生。
どんな遍歴か、自称天涯孤独らしい彼は一人暮らしをしていて、莫大な学費と僅かな生活費を稼ぐ為にバイト掛け持ちで走り回っていた所、このカフェのオーナーである嵯峨崎佑壱と出会った。

このカフェの歴史は、中々に奥深い。目の前の謎めいた総長が知っているか否かはそれこそ謎だが、ほんの二年前までこのカフェはホストクラブで、榊が掛け持っていたバイト先の一つだった。
当時のオーナーが怪しい商売にも手を出しており、遅かれ早かれこの一帯を仕切る裏稼業の人間から締め上げられる瀬戸際。いち早く気付いていた榊は巻き込まれたら御免とばかりに辞めるつもりだったのだが、入店半年でNo.1に上り詰めた榊をクラブオーナーは執拗に縛った。

今でこそのんびりバーテン雇われ店長、などと言う枠に填まっているが、つい二年前に彼は生きるか死ぬかの選択を余儀なくされたのだ。
怪しい商売に手を出していたクラブオーナーが失敗を犯したらしく、店の存続は勿論我が身も危ないと悟り、榊を人質に国外逃亡を図った日。



『光華会二代目若頭だ。…落とし前付けて貰おうか?』

たった一人の、それも制服を着崩した未成年相手に呆気なく捕まって。
色々あった榊はその後、生活費の八割を稼いでいたホストの職を失って夜の街を歩いていた所を、現在の雇用主である嵯峨崎佑壱に【捕獲】された。


「…いや、クソ生意気な餓鬼に喧嘩売って負けたんだけどな」

ポツリと呟いた彼は、だからこそ今の【給料公務員以上】【勤務時間適当】な職を得るに至った経緯を思い出し、こほんと咳払いする。
美少女中学生の様なヤクザに身ぐるみ剥がされ、職を失い、やさぐれていた先に美少女ヤクザと同じ制服を纏っていた『クソ生意気』な赤毛小僧に八つ当たりして、完膚無きまでに潰された。

それは現役時代無敗を誇っていた彼には有り得ない失態であり、


「…然し、まさかアレが零人の弟とはなぁ」

ABSOLUTELYと言う最強チームの前副総帥、と言う立場だった榊は、引退と同時にその役目を引き渡した後輩の上司、自信に満ちた赤髪の美貌を思い出して嘆息した。

「人の不幸を笑いやがって、ゼロの野郎。…ま、顔も中身も良く似た兄弟だ」

榊をボッコボコに叩きのめした佑壱は、ただの暇潰しか否か、ズルズル榊を引き摺ってとある廃墟に連れ込んだ。
そこには如何にも育ちが良さそうな、然し今時の少年達が屯っていて、

『奴隷一号を見付けて来たぜ。おい、俺は今日から族を立ち上げる。手始めに集会場だ、何処か心当たりねぇのか奴隷』
『座れて、寒くなくて暑くない所じゃぞ、奴隷(´∀`)』
『衛生的な建物の中が一番良いでしょうね。奴隷なら奴隷らしく探してきて下さい』
『オレは寝れる所なら何処でも良いぜ』
『予算は一千万以内だな。一千万ユーロでどうにかしやがれ、俺の全財産だコラァ』

舐めた餓鬼共だとは思った。
誰が奴隷だと頭に来た。けれどいつか仕返ししてやるなどと固く心に誓いながら、売りに出されていた元クラブを紹介した自分は、3日と待たずカフェに改装された元クラブで黒のベストと黒のリボンタイを纏う羽目になる。

『アジトの維持、近所付き合いとか面倒臭ぇ事の一切を任せる』
『目眩ましに喫茶店店長役やれって感じ?(∀) 何なら本当に商売しても良いんじゃね?(^m^)』
『そうですね、利益が見込める様なら仕入れ分だけ返納して貰って、売り上げは全て給料と言う事でどうですか?』
『あー…、眠てぇなー…彼女欲しいぜ…』

生意気を差し引いても、美形ばかり集まっていればカフェの開店から繁盛するのは目に見えてる。当初は世間を舐めやがって、が口癖だった彼も今は【クールビューティー】なバーテン店長だ。
それから一ヶ月もしない内に、二年生に進級した中学生オーナーの様子が可笑しくなり、夏の到来と同時にこのカフェは『城』と化した。


「さっちん、そんなに感動したのか?」
「は?」

少しズレたサングラスから意志の強い眼差しが見つめてくる。条件反射で怯みながら、いつの間にか握り締めていた開いたままのノートに気付いた。どうやら目の前の男から手渡されたらしい。

「えっと、…ああ、確かに情熱的な詩ですね、どれも」

ちらりとノートに目を落とせば、大袈裟に頷いた男がサングラスを輝かせ、

「そうだろうそうだろう、俺は感動した!感動したらお腹が空きました!オムライスが食べたいです」
「はいはい、オーナー作り置きのチキンライスがありますから、すぐに用意しますね」

初めて見た時は見掛け倒しの平凡な男、その程度にしか見えなかった黒髪の青年は、今や銀髪サングラスの完璧な不良のトップだ。
コーヒーも飲めない子供、と思えばブラックなら飲めるがカフェオレは駄目、ホットは苦手、アイスコーヒーなら樽一杯飲み干す。かと思えばコーラにレモンスライス代わりのレモンシャーベットを浮かべれば喜び、ホールケーキを数分で食べ尽くすのだ。


「…あの嵯峨崎弟を一発KOしちまうし、意味不明だな本当」

人相以外は普通の男が、佑壱を左手一つで殴り倒した時は圧巻だった。逆らう気力を奪い尽くし、魂までも奪い尽くす様な眼差しと立ち振舞いの威圧的な雰囲気、思い出して笑ってしまう。
いっそ清々しい程の敗北感に、清々しい程の達成感が織り交ざった。

復讐する為に従順な振りをしていただけの佑壱に、憎しみ以外の感情が産まれるのと同時に。
それまで反抗していた『部外者』を『ご主人様』として受け入れた少年達が、『世間を舐めやがって』と思いながらも可愛く見える様になったのだ。


「チィース!(´∀`) あらっ、総長早いじゃん!(´Д`*)」
「…はよっス、本当早いっスね総長」
「あー、ボスだー。抱っこー、抱っこさせてー」

続々やって来た少年らで、元ホストクラブも忽ち賑わう。60人収容出来るキャパも、成長期の少年らが40人以上入れば決して広いとは言えない。

「オーナーが焼いたフランスパンをスライスしてますから、サラダの残りとハムでサンドイッチにして下さい。セルフサービスでね」

それぞれのオーダーを慣れた様子で聞き遂げた榊は、要の取引先である業者から毎年贈られてくるハムを切り分けた。

「サンドイッチ…じゅるり」
「飼い犬の餌にまで手を出さないで下さいよ、ファーザー」

成長期の少年らによって、ランチタイムの残りはすぐに減っていく。涎を垂らしながらそれを眺めている俊の横顔に小さく吹き出しながら、


「…ったく、オーブンと圧力鍋が足りねぇな。もう一式買い揃えっか」
「オーナー?いつから居たんですか?」

パティシエ姿で厨房から入ってきた佑壱に、追加のハムを切り分けていた榊が目を眇めた。長い赤毛を三つ編みにし、且つヘアクリップで上に巻き上げている佑壱は、その髪型に疑問が無いらしい。
その顔でその乙女チックな髪型はやめろといつも言っていると言うにも関わらず、だ。


「総長が来る3分前からだな」
「相変わらず、凄い予知能力…と言うか嗅覚。何か作っていたみたいですね、三時間以上籠もっていた所を見ると」
「ああ、今夜の晩飯と明日のデザートを、………そ、総長?」

ビールサーバーから勝手にビールを注いでいた佑壱が、俊の手元を見やり硬直した。見る見る赤く変色していく表情に、サンドイッチを貪っていた少年らの視線も注がれる。
涎を滝にしていた俊が、榊からハムを丸々貰って晴れやかな表情を浮かべていたが、佑壱の滅多に見れない照れ顔に気付いた様だ。

「イチ、熱があるんじゃないか?」
「そ、それ…、な、中、み、…見ました?」

佑壱のジョッキを持っていない方の手の指がノートを差し、俊の視線が手元に注がれる。

「ああ、文学的最高傑作か。読んだとも。素晴らしい感性を持った作品ばかりで、俺は時間と空腹を忘れた」
「わ、わ、わ、」

ガシャン、と転げ割れたジョッキを慌てて片付ける榊はその直後、苦笑を零した。


「忘れて下さいーっ、総長ぉ!!!」
「何だ、イチが書いたポエムだったのか。俺はこれが好きだ、『僕は貴方を愛している』」
「総長ーっ!すんませんでしたぁあああ!!!」

俊の手からノートを奪った健吾を、土下座していた佑壱が殴り飛ばす。弾かれたノートが隼人に渡り、佑壱の表情が般若になった。

「えーと、なになに?微塵も残さず魂ごと同化してしまえば、」
「ブッ殺すぞ隼人ぉ!」

笑う声、少年達の快活な表情をいつもの様に。カウンターの中から眺めている榊太郎は、その光景をこう表現したのだ。



「思ったより捨てたもんじゃないな、…この生活も」

最近は目標だった医者よりも、このお気楽バーテンの方が気に入ってる様な気がする。


「さっちん、イチに牛乳プリン食わせてやってくれ。今日のイチはカルシウムが足りない様だ」
「ファーザーはキャラメルプリンで良いですか?」
「大好きです」

そう苦笑した榊も、見た目や言動に反して『純情』なオーナーに影響されているのかも知れなかった。





「テメェら全員ブッ潰す!」



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あきゅろす。
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