脇道寄り道回り道
とある二人の夕暮れ[帝王院]
その日、無敗を誇っていたカルマに激震が走った。



「ユウ、さん…」
「副長…」
「そんな、まさか…」

カルマNo.2であるケルベロス、嵯峨崎佑壱が近年稀に見る不様な風体で姿を現わしたからだ。

「ちょ、その顔どうしたん?!Σ( ̄□ ̄;)」
「ユウさん、誰にヤられたんですか?!」

先にカルマ集会場であるカフェに来ていた健吾と要が立ち上がり、唇の端を紫に変色させている佑壱へ詰め寄った。

「…」

舌打ちを零さんばかりに表情を歪めた佑壱は無言で、いつもの席へ乱雑に座る。
物言いたげなバーテン兼店長は、今にも暴れ出しそうな佑壱へいつものコーヒーではなく、佑壱お手製のミルクセーキを僅かばかり温めてカップに注いだ。

「副長?」

佑壱が蹴り開けたまま開きっ放しのドアから裕也が現れ、珍しく目を見開いている。

「ふわぁ、ユーヤ邪魔ー」

眠たげな隼人がそれに続いてドアを潜り、欠伸を発てた為に滲んだ涙をそのまま、一瞬で表情を変えた。



「おい、何だその汚ぇ面は…」

冷え渡る様な声音に、近年チャラ男へ変化した隼人しか知らないメンバーが腰を抜かす。
幹部メンバーで最も遅く入隊した隼人の昔を知る要達は、久し振りに見る素の隼人に口を閉ざし、


「…煩い、黙れ隼人」
「まさか負けて来たなんざ抜かすなよ、あ?」
「誰に物言ってんだ!」
「っ、噛み付く前に吐けやコラ!」

ミルクセーキに手も付けず、近場の舎弟から取り上げた煙草を咥えた佑壱を前に、無表情でその佑壱の肩を掴んだ隼人が叫ぶ。
ボクサー顔負けの拳を辛うじて避けながら、今にも発狂寸前の表情で、


「誰がテメェの面ぁ、ンな目に遭わせたんだ!」
「テメェには関係、」

悔しくて堪らない、と饒舌に語る隼人の双眸を睨み付けた佑壱は、然し凄まじい音を発てた戸口に口を閉ざす。



「嵯峨崎ぃ…!」

赤に黒の紋様が描かれたコート、赤銅色の仮面、カルマで最も背が高い隼人と並んで遜色ない長身。
その男の名を知らぬ者は、9区に存在しなかった。

「テメェ、よくも俺様に喧嘩売り、」
「落ち着きなさい、サブマジェスティ。こんにちは、カルマの皆さん」

それに続いて静かに入って来た黒衣の男が、青銅色の仮面を押さえたまま優雅に会釈する。


「おや、貴方も被害者でしたか」

恐怖で痙き攣った表情のカルマメンバーを横目に、隼人が胸元を掴み上げている佑壱の目前へ歩み寄った。

「…そのカッコ、そっちもヤられた口かよ、セカンド」
「ええ。うちの可愛い子猫達がねぇ、十人も。陛下が甚く御心を傷付けて居られます」
「その冗談は笑えねぇな、アイツが心を痛める訳がねー」
「貴方も高坂君と同じ事を仰いますねぇ、ファースト」

二葉の台詞こそ佑壱へ注がれているが、仮面で表情こそ隠しているブロンドの長身が舌打ちを零し、バーテンへジンジャーエールの注文だ。

「チッ、じゃあ何処の小虫がンな巫山戯けた真似してやがんだ」

完璧な男になるまで会えない愛しい人の為に、姿を隠してやってきたものの。飲酒喫煙を良しとしない俊の城でもある此処では、とてもではないがビールなど飲めはしない。
炭酸水ごときでは払拭出来ない怒りに、長い足を組んだ日向が近くのカルマを威嚇した。

「高坂君、今は最強グループ同士が抗争を起こしている場合ではありません」
「うぜぇ、判ってんだよ」
「ならば、」

弾かれた様に振り返った二葉と、目を見開いた佑壱、毛を逆立てた隼人、足を組み直した日向がそれぞれ沈黙する。





「邪魔させて貰おうか、人神皇帝の飼い犬共よ」


その凄まじい威圧感を滲ませ、奇妙な圧迫感を与えてくる男が。
囁きながら、恐怖の余り微動だにしないカルマに構わず、優雅に左胸へ手を当てた二葉の元へ歩み寄って来た。


「わざわざ足をお運びになられずとも宜しかったんですよ、陛下」
「我が聡明にして美しいセカンド、大儀だ」
「それ即ち、唯一神の冥府揺るがす威光を須く知らしめんが為に」
「何しに来やがった、アンタ」

品良く会釈する二葉を前に、空になったグラスを叩きつけた日向が低く呟く。その声音は不良が逃げるカルマメンバーさえも恐怖に陥れるに十分だが、


「威勢の良い生き物が恋しく、…一刻も早くその首を我が眼前へ捧げよ、と。通告に馳せたに過ぎない」
「…気違いが」
「私に刃向かうとは面映ゆい生き物が存在するではないか、ベルハーツ。…そなたも、些か愉快げだな」

生涯のライバルとして認めているのか否か、佑壱の腫れ上がった口元をチラリと一瞥した日向が冷えた笑みを滲ませていた。
仮面で覆われている為に、気付いた人間は少ない。



「そなたらの王は、姿が見えぬ様だ。…申し伝えよ、私の物に手を出す事は許さぬと」

佑壱すら怯ませ言葉を奪った男が、プラチナの仮面で覆われていない口元に愉快げな響きを滲ませ、静かに戸口から消えていく。


「あれが、…神帝ですか」

圧倒的威圧感が消え失せ、いつも冷静なバーテンでさえ思わず安堵の息を吐してしまう様だ。
バーテンの無意識だろう呟きに二葉が首を傾げ、


「つまり、今回の件は我々が対処致しますので、貴方々は手を出さないで下さい。陛下の怒りを買えば、カルマなど一夜で消滅するでしょう」
「寝言抜かしてんじゃねー、何なら今すぐ死ぬか、女男が」
「神崎隼人君、戯言はせめて嵯峨崎君に匹敵する強さを得てからになさい」

クスクス、子供を相手にするかの様な笑みを零す二葉へ怒りを顕にした隼人は、然し佑壱に止められて殴り掛かる事は出来なかった。


「フェインに伝えとけ。奴らの数は少なくとも百、その内の半分以上が何らかの有段者だ」
「承知しました。…まぁ、貴方にそこまでの傷を負わせる相手ですからねぇ」
「十人以上ブッ飛ばしてやったがな!…出来るなら、そっちで片付けやがれ」

カルマは動かない、と面倒臭げに呟いた佑壱に、隼人だけならず要や健吾達も弾かれた様に振り返った。

「ちょ!Σ( ̄□ ̄;)」
「冗談だろ、副長」
「どう言うつもりですかユウさんっ」
「完璧、笑えないよお、ユウさんー」

副総長が傷を負わされる事態だと言うのに、仕返しも出来ないなんて冗談じゃない、と。
新しく入ったばかりのメンバーでさえ、驚愕を顕にしている。


「ちっ、負け犬が…」
「およしなさい、高坂君。…何か事情が有りそうですねぇ、嵯峨崎君」
「ああ、だから出来るなら、テメーらの王様に潰させろ」

だが然し、僅かばかり表情を歪めた佑壱に、その恐怖の色合いを感じた皆は口を開かなかった。



「今夜は満月だ。」


その言葉の意味を知るのは、カルマだけだ。
怒りを飲み込んだ隼人が明確な狼狽を滲ませ、然し苛立たしげにテーブルを殴り付ける。





「…下手したら、百人分の死体の山が出来んぞ」




その囁きは、忽ち静寂を招いた。














夕暮れ時は世界が悲鳴を上げる。
この世とあの世が黄昏の橋を掛けるのだ、などと。夢物語みたいな話を思い出した。


「おい、そこのお前」
「お前、カルマの奴だな」
「あそこから出てきただろ」

覆面姿の男達に取り囲まれて、長いプラチナブロンドを優雅に掻き上げた男は片手を上げる。

「そなたらか、我が愛しいルビーに疵を付けた愚か者は…」
「何言ってんのか判らないなぁ!」
「カルマもABSOLUTELYも終わりだ!」
「ブッ潰してやる!」

目視だけではその人数すら判断出来ない人間達が、黄昏を背後に襲い掛かってくるのを、





「そこのお嬢さん。」


微かな興味で浮き上がった感情が、心待ちにしていたと言うのに。
目前で、殆ど一瞬だったと記憶している。恐らく二十人は居ただろう、覆面男達が倒れたままピクリともしなくなった。


「…」
「お怪我はありませんか」

黄昏を背後に、サングラスを押し上げるその細身のシルエットが笑った様な気配を感じる。

「そなた、」
「最近は物騒な事件も減って来た筈だったんですけどねィ、…まだ時折、こんな愚か者が現れる」

その口元に滲んだ笑みが、逆光だろうが良く判った。死んだ様に動かない覆面男達を振り返った背中が、クツクツ揺れて。





「………出ておいで、俺のイチに傷を付けたショッカー共…」

囁く様に呟いたその背中が、狂った様な笑い声を響かせるのを。

「お、お前、」
「カルマ、カオスカイザーか!」
「く、くそ…っ!」

姿を現した覆面姿の男達が、然し目に見えて狼狽しながらその光景を眺めているのを。



「はははははっ、この俺に高々70人程度で刃向かうつもりかァ!」

半ば感心していたのかも知れない。
目視だけではその人数すら判断出来ない筈だが、その背中は一瞬でその数を弾き出した。

「な、なにが可笑しい!」
「カオスカイザーだろうがたった一人で何が出来るっ!」
「─────カオスカイザー?」

ピタリ、と笑い声を止めた男が、微かに首を傾げる。




「違うなァ、今宵は月が満ちる。カオスはシルバーへ、」


最後の黄昏を反射させる、そのシルバーブロンドを。





「暗黒は銀月を満たし、人を狂わせる闇は魂を狂わせる光を放つ。判るか?




  弱い生き物は、…闇の底へ。」



ただただ、視ていた。







「朝へ願い、魂の安らぎを求めるがイイ。」
















その日、満月を従え姿を現した皇帝は酷く晴れやかだった。
何故かマスクを付けている佑壱にも構わず、いつものコーラフロートに浮かぶレモンシャーベットを貪りながら、


「今日、綺麗なお姉さんを助けたんだ」
「ボス、隼人君が目を離した隙に浮気したのー?」
「銀髪でサラサラで、俺より大分大きいお姉さんだったけど、悪い奴らに襲われて恐かったんだな。気付いたら居なくなってて、俺は泣いたぞ」

ブーブー頬を膨らますワンコ達に気付かない男は愛用のサングラスを押し上げ、

「そうだ、イチ」
「はい?あ、ケーキお代わりっスか?幾つ要ります?」
「寧ろホールごと頂こう。…イチ、テレビ電話の最中に喧嘩するのは駄目だぞ」
「─────あ。」
「いきなり目の前でショッカーが現れた時は興奮した!イチが仮面ダレダーみたいに見えて、ハァハァ、うっかりポテチを吹き出すかと!」

珍しく饒舌な銀皇帝に、カルマメンバーもやはり楽しげだ。






翌日、関節を外された百人の覆面男達が病院へ運ばれたと言うニュースが町を賑わせた。
それを目にした不良の誰もが神帝の仕業だと噂し、カルマの皆が悔しげにその噂を聞いたそうだが。



「二葉、…アレ、本当にアイツがやったと思うか?」
「…さぁね、幾ら陛下が人間の域を越えているからとは言え、あそこまでするとは思えませんが」


中央委員会業務に勤しむ二人は、無表情で書類に調印しながら時折青空ばかり眺めている会長に、怪訝げな眼差しを注いでいる。
但し、その秀麗な唇が零した微かな囁きは、二人には聞こえなかった様だ。


『先月末、9区で起きた通り魔事件の続報です。意識を取り戻した被害者の少年が先頃、満月に襲われたと担当警察官に証言している事が明らかになりました。
  暴行を受けた際の精神的ショックが原因と見られ、近く回復を待ってカウンセラーによる心のケアが施されるとの話です』

空には満月よりも神々しい光を放つ、太陽。
翌年の同じ日に二人の神は出会う定めだが、それは春の太陽さえも知らない未来の話だ。


『また、被害者である少年達が事件前日までに十件を越える傷害事件に関与していた事が判明。警視庁では、通り魔事件の捜査を続ける傍ら少年らを傷害事件の被疑者として立件する方針を明らかにしました。


  次のニュースです』




流暢なアナウンサーの声音が途切れ、物騒な事件などまるで無関係だと言わんばかりの長閑な春の日差しが降り注いでいた。
その囁きはただただ、静かに。





「………あれが、人神皇帝か。」


真実は、二人の神と満月だけが知っている。

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あきゅろす。
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