脇道寄り道回り道
とある満月の夜[帝王院]
「X=12、Y=-3、答えが108の場合、Yを二乗する事で得る式はX+YY、つまり二次方程式の応用だ」



青、緑、オレンジ。

綺麗に並ぶ三人はそれぞれ傷だらけで、それを遠巻きにする高校生らしき少年らも見るからに痛々しい姿だった。


「えっと、…じゃあ、タライを漢字で書いたら?(@_@)」
「盥、水を受ける皿、と覚えたら判り易いと思う」
「じゃ、亀山社中の話は知ってんのかよ」
「へぇ、君は歴史に興味があるのか。
  幕府直轄組織だった神戸海軍操練所の一部生徒と、歴史的に有名な勝海舟の影響を受けた坂本龍馬を筆頭に、当の神戸操練所の解散がきっかけで1864年に発足した。長崎の亀山と言う場所で結成したから俗に亀山隊、後の海援隊だ」

ノートを前に沈黙する要は切れた口元を押さえ、首を傾げる健吾は然し、呆然としている裕也に渇いた笑みを滲ませた。

「海援隊は亀山隊時代を加えても、1865年から1868年までの三年間しか活動してない。坂本龍馬は薩摩・長州の同盟結成に奔走する間、慶応元年薩摩藩の援助で貿易結社を設立した」

カルマ30人、一人残らずたった一人の男に破れ、負けた相手に傷の手当てまで受けて、テスト期間の学生ばかりの一同は珍しくペンを握っている。

「この所在地から亀山社中と呼ばれ始め、両藩の物資を調達する事で薩長藩の連合を現実のものにしたとされているが、実際暗殺されたと言う坂本龍馬は味方にも敵が多かったに違いない。
  明治維新には様々な人間が絡んでいるからな、新撰組も幕府によって潰れた様なものだし…」

総長、いや、今は自称副総長である嵯峨崎佑壱の命令だ。
馬鹿はカルマに要らない、と言う佑壱が県下屈指の進学校である帝王院学園の首席だからである。赤点一つでカルマ追放、などと言う暴君に今やカルマ一同は必死に勉強中だった。


「1866年6月、下関対幕海戦、まァ、二次長州征伐とも言うが、亀山隊は長州軍艦ユニオン号、長州藩乙丑丸で下関海戦に参加した。幕府を相手に長州の勝利に大きく貢献し、」
「判った判ったっ!もう良いからっ!(ノд<。)゜。」
「もう、イイのか?」
「…詳しいな、アンタ。普通、高校生がそこまで知らねーぜ」

物心付くまでドイツで育った健吾は、教師でもそこまでペラペラ並べ立てないだろうディープな日本史に涙目で、ほぅ、と感嘆の息を吐いた裕也は先程までの刺々しさが消えている。
諦めに似た息を吐いた要はノートを閉じ、


「…貴方がユウさん並みに聡明である事は判りました。ですが、俺はやはり貴方を認めていません」
「俺は勉強に自信は無いよ。従兄弟に西園寺学園へ進学した奴が居て、…殆ど親戚に圧されて私立に入っただけだし」
「私立の人間かよ」
「つか、オッサンも私立に通ってんの?(´Д`*) 俺達も、」
「まァ、真面目に通うのも今年一杯だろうけど」


きょとん、と見つめてくる三人に小さく笑って、何故か頬を染めた皆から目を離す。



「…俺の方が、余程不良息子だからな」



テストを受ける、行事には必ず参加する、高校へ進学する。
その三つを条件に、理事会は『不登校』を承認した。

単位さえ取れれば、万一取れなくても、『我が校の恥曝し』にならない程度ならば隠蔽する。なんて、笑えない。



午前中、一人で訪れた校長室。
ノックする前の緊張が嘘の様に帰り道の足取りは重かった。

少しくらいは怒られるかな、呆れながら『学校はちゃんと通いなさい』と言われるかな、などと考えていた自分が馬鹿みたいだ。



所詮、居ても居なくても同じ、空気みたいな子供だから、見放されているのだろう。
入学式、胸を弾ませて代表挨拶した数ヶ月前が懐かしい。梅雨が明けたばかりの空は晴れ渡り、蝉の鳴き声が重かった足取りを一軒のカフェへ誘うのは容易い。



『二週間振りですね、オーナーのお友達さん』

大人しい、と言うよりは物静かで知的なバーテンは、昼間だけきっちりブラックタイを絞めて、女性客から熱い眼差しを注がれていた。
私服姿のまま校長室にだけ顔出した中学生は家に帰れる訳もなく、差し出されるまま苦いコーヒーをお供に、買ったばかりの週刊漫画と使い慣れていない携帯を開いたり閉じたり忙しなかっただろう。

『これ、オーナーの試作品なんですよ。彼は本当にお菓子作りがお上手で、カフェのお客様は大半がオーナーのお菓子のファンなんです』

キャラメルソースで綺麗に縁取られたムースは、ラズベリーの酸味と程よくマッチしていて、いつの間にか炭酸入りのレモネードに変わっていた事にも気付かず、何度も何度もお代わりした。



『あ?…アンタ、この間の?』


誰だっただろう。
日が傾き始めた頃、最後の客が帰るのと同時にバーテンがクローズの札を飾り、引き替えに如何にも不良だと言わんばかりの少年達が店のドアを開けた。

体格も目付きの悪さも同級生とはまるで違う、憎いものや汚いものを見る様な視線に囲まれて。



『あー?何やってんの、テメーら(~Д~)』
『…つか、そいつ』
『カルマの領域に部外者は必要ない筈ですがね』


その不良達が道を開け頭を下げた三人が、何の前触れもなく殴り掛かってきたのだ。
何杯目かのレモネードがグラスごと弾き飛んで、何杯目かのムースが床で砕けて。



それなのににこやかな笑顔を浮かべたままのバーテンは、洗ったばかりのグラスを拭き取りながら、



『程々にして下さいよ、皆さん。オーナーのお友達は、コーヒーも飲めないお子様ですからね』


だから。
反撃するつもりなどなかったのだ、初めから。
避けるのも面倒で泣くのも面倒で、もう、読み終わった漫画を取り返すのも面倒で、だけど。



『あ、これ最新機種じゃね?』
『ラッキー、お前貰っときゃいいじゃん』
『カナメさん達、セレブだからな。要らねぇだろ』


それだけは、駄目だったのだ。
たった二つ、家の番号ともう一つ、二つしかメモリなど存在しない真新しい携帯だけは、駄目だったのだ。

これから毎月貯金を叩く事になるだろう分割払いの携帯だから、などと言う訳じゃない。
壊れたら買い直せば良い、盗られたら買い直せば良い、そんな囁きから耳を塞げば、







『…ああ、─────今夜は満月か。』




気付いた時、テラスの窓辺から注ぐ月光を見上げ、倒れ果てた不良達の上に座っていた。
茫然自失で見つめてくるバーテンに首を傾げ、自分が何を呟いたのかは謎だ。

差し出されたレモネードは真っ黒で、満月の様なレモンスライスが一枚。それがコーラだと気付いた時に、漸く傷だらけの皆が目に入る。

悔しげな健吾は手当ての間、終始畜生畜生呟き、無言の裕也は胡坐を掻いたまま睨み付けてきて、要は筆舌に尽くせない荒れ方で暴れ回った。
押さえ付けて手当てした事を恨んでいるのか、周りの不良達に当たり散らかしている。



今も。


「畜生、…テスト勉強ぐらい自分で出来るし(~Д~) 邪魔すんなよオッサン、つか帰れや(_´Д`)ノ」
「そうだな。…そろそろお暇し、」
「兄貴っ!」


テラスの窓が弾け散った。


「な、」
「うわっ」
「ちょ、」

茫然とそちらを見つめる不良達は言葉を失い、目を見開いた三人が口をパクパクさせているのを横目に、恐らくバイクのヘッドライトだと思われる光に目を細めながら、バイクごと突っ込んできた赤いそれを見つめる。


「はぁ、はぁ、やっぱ兄貴じゃねぇっスか!」
「イチ、スタントマンみたいな登場だな。ドアから入ってこれば良かったのに」
「いやいやいや、外から兄貴の姿が見えたっつーのにっ、これが慌てずに居られますか!」
「メール、しようかと思ったけど。絵文字、使い方判らなかったから。電話したら留守番電話だったし」
「すいませんっした、今日ちょい実家に行ってたんで…つかさっき掛け直したんスけど、」

言われてから携帯を開けば着信41件、初めて見る数値に瞬き、頬がにやけた。ぶらり立ち寄った本屋で設定したマナーモードは未だ初期設定のままで、バイブにもならなければメールも自動受信しない。メール問い合わせした瞬間、3ケタ表示したメールに唇が歪むのが判る。
購入二週間目にして初めての着信履歴マックスだ、これがにやけずにどうしろと言うのか。



「く、くくく…」
「あ、あ、あ、兄貴、そ、その笑顔は、その、ちょい、えっと、」
「イチの作ったムース、美味しかった。まだお会計してないんだ、お幾らですか?」

飛び散った硝子の破片を片付けていたバーテンに近付けば、目に見えて怯えた様子を見せたのに目を伏せる。
こんな事もあろうかと外で掛ける様にしたサングラスを取り出し、財布から抜き取った千円札を二枚、佑壱に差し向けた。

「何スか、これ。あ、一万円札に両替っスか?レジに入ってる万札全部持ってって良いっスよ、兄貴」
「違う、お支払いしたいんだ。ご馳走様でした、イチ」
「んなもん、要りませんよ。つか、もう帰るんスか?俺まだ来たばっかなのに…」
「ああ、もう8時前だから…イチ?」

頬に伸びてきた手から反射的に避ければ、ずんずん近寄ってきた赤い双眸が目に見えて不機嫌になる。

「…擦り傷、出来てますね」

凄い睨みだと息を呑めば、バイクのエンジンを切った男がカフェを見回し、





「テメェら、…総長に何したぁ?」


低い低い、初めて聞く凍えた声音で全てを威嚇する。
怯えた不良達が一斉に口を噤み、痙き攣る笑みを滲ませた三人が目を逸らす。
然し、それだけで大体の事情を悟ったらしい佑壱は拳を握り締め、ボキボキ鈍い音を発てた手を皆に突き付けた。

「どいつから死にてぇんだ?全員纏めて掛かってきやがれ、…片っ端からブッ潰してやんよ」
「ユ、ユウさんっ、だってそいつが、」
「俺らの総長はユウさんだけっス!」
「部外者がいきなりリーダーだと言われても、納得出来ませんっ!」
「黙れ!テメェらカスなんざ全員追放だ!Fuck you、全員地獄に落ちやがれ雑魚が!」



テスト勉強しなきゃいけない。

言い出したのは健吾だった筈だ。きっと手当てされた事に感謝したくなくて、けれど会話するにも限界があって、体よく無視する理由を探していただけだろうが。

必死に教科書を眺める不良達は、判らない所があると要に聞いていた。
然しその要が解けない問題に差し掛かると、ユウさんユウさん皆で口を揃えるのだ。


『ユウさんは喧嘩も強くて頭が良い』
『ユウさんは料理が上手い』
『この間ユウさんが焼き肉食わせてくれた』

子育て放棄した家庭、両親に恵まれない少年、様々な家庭事情の不良達はまるで佑壱を父親の様に慕っている。
ユウさんに出来ない事は算数くらい、などと笑い飛ばす様子は微笑ましく、カフェの壁と言う壁に張り巡らされたバイクの写真は、カルマの高校生皆がバイトして貯めたお金で買いたいバイクらしい。




佑壱の愛車だから。
たった今、それが判ったのだ。



「イチ」

皆が目を見開いていた。
掌に収まった力強い拳を握り締め、赤い瞳を瞬かせる佑壱に首を傾げる。


「テスト勉強、皆頑張ってるぞ。けどイチが硝子を割ってしまったから、勉強する場所がなくなった」
「あ、兄貴、手…!」
「ばっ、馬鹿じゃねぇ?!(>Д<) ユウさんの馬鹿力で骨折れてんじゃねぇの?!Σ( ̄□ ̄;)」
「無謀だぜ」
「ちっ…誰か、湿布と包帯を!」
「勉強する場所がなくなった」


慌ただしい皆が一斉に腰を落とし、硝子を片付けていたバーテンすら真っ青な顔で硝子が散らばったフローリングの上に尻餅を付いた。
佑壱が硬直し、ギシギシ耳障りな音を発てる右手にも構わず、生まれて初めて腹が立ったまま、



「…喧嘩はやめろ、俺は弱いもの苛めが大嫌いだ」
「は、はい」
「次にやったら、」

左手が空を切る。
生まれて初めて誰かを殴った左手が痛みを覚え、吹き飛んだ佑壱を庇った三人ごとテーブルの上を滑った。



「今度は、…手加減しないからな。」
「は、は、は、はい…!」


不良達が一斉に立ち上がり、驚愕の表情を隠しもせず見つめてくるのを睨み付け、





「貴様ら等しく全て、…月の女神に誓え。月が満ちた夜は魂が狂う」

囁いた唇はまるで別人の様に、



「脆弱な『悪』に染まりたくなければ、我が御膝に跪くがイイ」


獣の雄叫びに似た喝采を聞いた。
初めて誰かを殴った緊張の糸が切れて、いや、もしかしたら朝、家を出る前から張り詰めていたのかも知れない12歳の緊張の糸が切れて、



「兄貴ぃっ?!」
「ぅわっ、総長?!?!Σ( ̄□ ̄;)」
「総長っ、ちょっ、総長どうしたんスか?!」
「早く医者を呼んで下さいっ、しかりして下さい総長っ、まさかユウさんが割った硝子が刺さったんじゃ…?!」



騒ぐ声を子守歌に。



「ふぇ、焼き肉…、うぇ、三ヶ月振りの焼き肉…食べたかった…」
「テメェらっ、焼き肉用意しやがれぇえええ!!!!!」
「「「ラジャー、副長っ!」」」



目が覚めた二時間後、焼き肉セットが並べられたテラスで涙目のワンコからタレを差し出された。





「カナメ君とヒロナリ君とケンゴ君?」
「そうです、あ、総長そっちのカルビ焼けてますよ」
「ユーヤでも良いっス。あ、そっちの塩タンはまだ生焼けっス」
「あ、総長、ピーマンも食べなきゃユウさんに怒られるよ(´∀`)」
「はふん、ご飯お代わり下さるかしら?」
「ユウさんっ、総長もう8杯目っスよ!炊飯器空っぽっス!」
「何だと?!」

「ふぇ、ご飯…」

「錦織要、コンビニに走ってきます!」
「藤倉裕也、レトルト飯レンジに入れてくるぜ!」
「高野健吾っ、肉切れにつきスーパー片っ端から走り込んで来まっス!ε=┏( ・_・)┛」
「嵯峨崎佑壱っ、圧力鍋で炊飯してきますから!十分待って下さいっ、総長!」



「ふぅ、…お腹空いたなァ」



「「「「「「「「…」」」」」」」」




それは満月の夜の話。

←*#→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!