脇道寄り道回り道
とある二人の深夜2[帝王院]
少し肌寒くなった10月末の夜、星一つ無い新月の空は静かな闇で満ちていた。
夏場だけウッドテーブルを並べて、昼間の間、一般客に解放しているらしいテラスはただの板張りと化し薄暗く、カフェから絶えず響く馬鹿騒ぎが遠くの様に思える。



「…珍しー」



埃臭い板張りに小さく小さく背を丸め、右腕を枕にして眠る人が居た。
右腕を枕代わりにすやすやと、二週間振りに見るその寝顔にはサングラス。
頬を預けた右手の指先が僅かに紫へ変色している事に気付き、無意識に脱いだシャツを掛けてやり抱え上げた。

「…かっる。」

想像以上に軽い体躯を抱いたまま、板張りの上に腰を落とす。
誇り臭い板張りはひんやりしていて、ズレ落ちたサングラスを緩く奪えば、あの全てを平伏させる様な威圧感など何処にも存在しない。


「寝てんの?ブラックシーザーだっけ、カオスシーザーだっけ。…ま、どっちでも良いか」

規則的に上下する薄手のセーターはタートルネックで、ダメージ加工を施したシンプルなジーンズに太めのベルトを巻いただけだ。
けれど判る。自分に良く似合う服を知ってる人間のセンスが、職業病だろうか。


今なら、このまま喉元を締め上げても。目を醒まさない様な気がした。



「………煩ぇな、雑魚ばっか。」

『仲間』と言えるか否かは別にして、絶えず笑い声ばかり聞こえる明るい場所に苛立ちばかり。
その中心にはあの赤毛が居て、新月の夜さえ照らしてしまいそうな灼熱の光を撒き散らしているのだ。



恵まれた人間だから。
家にも富にも名声にも、全て。恵まれているから、何も気付かない。



『お前、鎌倉の分校から上がって来たらしいな』

嫌な過去を思い出させる台詞にどれだけ殺意を抱いたかになど、きっと気付こうともしない。


嵯峨崎佑壱。
父親は日本を代表する実業家、母親はハリウッド女優、兄は中央委員会生徒会長。
自らも帝君の名を欲しいままにする優等生で、このカフェのオーナーだ。少し調べただけで次々浮き彫りになった情報は、苛立たせる以外の何者でもなかった。



『然も、分校から来た癖に帝君なんスよ!(T_T) 今まで一番だったカナメが二番、俺三番(~Д~) いっつも同点のユーヤは、高野と藤倉の出席簿順だから四番だじぇ(∀)』
『カンニングを疑うぜ』
『テメーの汚ぇ字が読めるか!(@_@) 失礼なっ!( ̄□ ̄;』
『13歳にもなって下んねぇ喧嘩してんじゃねぇ。ほら、ドーナツの型抜いた残りの生地揚げた奴やっから、少し黙っとけ健吾』
『端っこ?!(~Д~) ケチっ、ケチ副長!(T_T)』
『なら食うな、ケンゴ』

賑やかに華やかに、恵まれた人間ばかりが楽しげに。


『あ、こっちのココア、ヒビ入ってんな。こりゃ駄目だ、このヒビは芸術性がねぇ』
『ユウさん、ドーナツのヒビに芸術を求めるだけ無駄だと思いますが』
『ホワイトチョコ塗って隠したら?(´Д`*)』
『ンな手抜き、総長が許してもこの俺が許さん』



吐き気がするほど、壊してやりたくなった。



『おい、これやっから食え、隼人』


呼び捨てにする目前の男も、揚げたてのドーナツなんかで乾杯を始める周りの奴らも、全部。





『…馬鹿じゃねぇの、アンタら』

だから、目前で見せ付ける様に握り潰してやった。油を切ったばかりのドーナツは熱かった。
床に叩き付け踏み付けて、御馳走様でした、と舐めた台詞を吐けばすぐに怒り狂った周囲が吠えながら殴り掛かってくる。

片手を上げただけで制した男は、



『手ぇ冷やしとけ。火傷は進行するからな』


眉一つ動かさず揶揄いを滲ませた眼差しを向けてきて、敗北感に支配されたのだ。





恵まれた人間と恵まれない人間の差。


例えば、両親から抱いて貰った事すらない子供は、そのままならば未来は決まっていた。
外見ばかり気にする両親は、生かす事も殺す事もしない子供を金と一緒に祖父母へ預け、小学校入学と同時に全寮の私立校へ放り込むつもりだったらしい。


『あんな馬鹿娘、こっちから願い下げだ!』
『ええええ、お爺さんの言う通りですよ。隼人は婆さんの息子、神崎の子供は隼人たった一人よ』
『爺ちゃんの若い頃にそっくりな色男になるぞ。
  テストは満点ばっかり持って帰ってくるわ、畑仕事はお手のものだわ、爺ちゃん鼻が高いのう。これ以上鼻が伸びたらブラックピットになってしまう』
『ブラットピットですよ、お爺さん。然し隼人や、来年には小学校だねぇ。早いもんだ、ついこの間までオネショしてなさったのに』
『隼人、爺ちゃんヘソクリ投げてランドセル買ってきたんだ。ちょいと背負ってみてはくれんかのう?』
『おやおや、まだ9月ですよお爺さん。気が早いこと』


両親から恵まれなかった子供は、それ以上に恵まれた祖父母の元で健やかに育ちましたとさ。



不幸の始まり?
それとも人間80年の人生に仕掛けられたただのイベント?



何処で歯車は狂ったのだろう。



『隼人は体が大きいから、ついつい爺ちゃんの畑手伝わせちまうのう。遊びたいだろうに、いつも悪いなぁ』
『隼人が拵えた茄子は何処の市場でも見られない立派なもんですよ。さて、ヘソクリ叩いたお爺さんの為に、今夜は麻婆茄子でもご馳走しましょうかねぇ』
『じゃあさー、裏山に生えてる松茸農協に売って来たら良いじゃん』

『『松茸?!』』

『何かさー、育て方判ってきたから、去年こっそり裏山に秘密の栽培所作ったんだー。来月くらいには刈り時じゃないかなあ』
『おやまぁ、魂削た子…』
『育て方が判ってきた、とは…』
『大丈夫だよ!試しにこの間、熊青果店に売って来たから毒キノコじゃないよ!
  まだちっさかったけど、ちゃんと松茸だってオジサン言ってたもん』
『じゃ、もしかして父の日に偉く立派なネクタイをお爺さんに上げたのは、』
『福引きで当てたんじゃなかったのかい、…隼人』
『えへへ』
『まぁ、困った息子だねぇ』



だから不幸の始まり、いや、ただのイベント…まぁ、どちらにしろ、それはすぐにやってきた。

何年か振りにお化粧をした祖母は家宝の様に仕舞い込んでいた着物を纏い、昔から農家だった祖父は結婚式にしか着ないスーツ姿にビシッとネクタイを締めて。
愛車の軽トラに孫と収穫した松茸を目一杯詰め込み、夫婦仲睦まじく商人へ転職したのだ。



まさかその帰り道、交通事故に遭うなど誰が考えただろう。

孫への土産と思われる玩具や真新しい文房具、真新しい洋服、血塗れの遺品を茫然と、薄暗い霊安室にそんな時まで仲睦まじく横たわる祖父母をただただ見つめ、葬儀にも参列しなかった母親の代理人である弁護士と慌ただしい葬式を終えて。


広いだけが取り柄の古い日本家屋に、裏山を含めた膨大な土地。
両親から毎月送られてきた養育費に全く手を付けていなかった祖父母は抜け目無く、家や土地の名義を早い内から孫のものに書き替えていて、遺された子供が税金対策に悩まされる事も無かった。


こんな事が無かったら、祖父に買い与えて貰ったランドセルを背負って地元の小学校に入学しただろう子供は、両親の目論み通り私立校に入学する事になる。


それでも、本校こそ選ばれた人間ばかりが通う名門だが、地方の分校は地主や成金ばかりが集まり、人数も少ない為に不自由はなかった。
亡くなった祖父母に恥じぬ人間になるべく、そして未成年と言う理由だけで母親に奪われた祖父母の家と土地を取り戻す為に必死で勉強し、



だから、不幸は始まったのだ。





『正式に中央委員会から辞令が降りた。君は来年から、本校の中等部に進みなさい』


汚い大人の世界を見て、汚い大人から生まれた子供は。


『我が校からは本来、高等部まで本校へ進む事は認められていない。特例中の異例だ、中央委員会に感謝しなさい、神崎君』



今、─────汚れ果てている。





「………ドーナツなんか揚げてる奴、久し振りに見た」


ちくりちくり小さな痛みを訴える掌を舐めれば、甘い甘い蜂蜜の味がした。貪る様に何度も何度も掌を舐め上げ、何の味もしなくなってから唇を放す。

こんなに甘いなら一口くらい噛っておけば良かった、などと。
考えて苦く笑う。投げ付けて踏み付けた菓子に、何の未練があろうか。



世界に独りぼっち。
帝君、と言う肩書きが増えて両親は人が変わった。



自分には腹違いの兄弟が居るらしい。
自分の外見は金になるらしい。



年老いた父親は、如何に己の息子が出来損ないかつらつら語り聞かせた後、本邸へ来なさいと手を差し出した。
煌びやかだが化粧が濃い母親は、今まで会おうともしなかった息子の外見を誉め散らかし、うちにいらっしゃい、暫くは隠し子スキャンダルで騒がしいでしょうけど、これも宣伝の内よ、などと妖しく笑った。



数多くの愛人を囲いながら、跡取りに恵まれなかった父親も。
落ち目の女優が、野心を抱き惨めにも復活を夢見る光景も。

哀れだと思っただけで、肉親の情など湧かない。



あんな二人から与えられた金で生きるのは嫌だ。稼げるなら何でも良かった。
小学校時代、祖父母の遺族年金には僅かに手を付けたが、帝王院で生活するのに出費は少ない。本校に招かれる理由となった帝君、両親に目を付けられる理由となった帝君、その肩書きだけで生活費は全て学校が与えてくれる。

故郷に残してきた家の管理費、母親から取り返す為の費用、稼ぐ為なら何でも良い。

ナンパする様に声を掛けてきた女を抱けば、スカウトをしていると言う。禿げ上がった小太りの、然し人の好さそうなプロダクション社長から熱烈なバックアップを受け、半年も懸からずJメンズトップへ昇り詰めれば、高等部入学までには家も土地も取り戻せる目処が立った。



けれど心の底で何かが燻っている。
いつもいつも、子供を生かす事も殺す事も放棄した両親の遺伝子が唸るのだ。

生きるのも死ぬのも面倒で、殴り殴られた時だけ『生』を実感する、そんな壊れた生き物に成長して、今。



10月27日、祖父母の命日は新月の静かな夜。



「…ハッピーバースデー、隼人くん」

蠍座の毒が祖父母を殺したに違いない。孫の毒が優しい祖父母の命を奪ったのだ。





「誕生日なのか、今日は」


何の前触れもなく開いた瞼から、宵空より深い黒が射抜いた。
伸びてくる指先を条件反射で振り払い、抱いたままだった体を突き飛ばして立ち上がる。

「シャム猫みたいだな。近付いてきたと思えば、触れる前に逃げてしまう」
「…狸寝入りかよ、質悪ぃなテメェ」
「蠍座はスコーピオ、クロノスの羅針盤を駆ける秒針を尾に持つ『死神』だ」

凄まじい早さで背筋を這い上がった殺意が、もしも形を持てるならば恐らく核爆弾以上の破壊力を秘めていたに違いない。
何も彼もを見透かした様な双眸が静かに空を見上げ、


「今日は朔月だ。暇なら少し散歩しようか、一緒に」
「…呆れた馬鹿だな、テメェ」
「月の無い夜は、人が狂う。
  月の満ちた夜は、魂が狂う。
  朔望月を経て、今から29日後まで悪しき魂が蔓延る事が無いよう」
「朔望月?望朔月じゃねぇのか、あ?」
「俺の世界は常に、闇から始まる。新月から半月、軈て満月を経て再び新月へ。29日で二度、世界は狂うんだ」
「意味不明だね。…俺は毎日狂ってんだ、誰かの苦悶に満ちた面が見たくて堪んねぇんだよ!」


無意識に震えていた足で板張りを蹴り、佇む男へ拳を叩きつける。
けれどそれは届かない。





「Was do you beat up again?(もっぺんブッ殺されてぇのか、テメー!)」

薄い笑みを滲ませた赤い双眸に阻まれて、誰にも届かない。

「イチ、邪魔だ。」
「兄貴…」
「ドーナツが出来たなら、全員外に呼んでこい。ライトと、夏の残りの花火があっただろう?」
「あ、はい、確か裏の倉庫に」
「向こうの通りのケーキ屋で一番大きいケーキを買ってきてくれ。蝋燭は…13本で良いのか?」

見つめてくる凛とした黒い眼差しが、足元に落ちていたサングラスで隠された。



「蜂蜜を使った奴の方が好きなんだろう?」
「総長っ、ドーナツとコーラ持って来たよ!(´Д`*)」
「総長、グラス足りねぇみたいなんで、残りは紙コップで良いっスか」
「倉庫からテーブルとチェアーを搬出します、レイアウトはどうしますか総長」

わらわらわらわら、今までカフェの明るい場所に居た人間が、騒ぎそのままに駆け寄ってくる。
総長総長、たった一人を囲んで、その隣の部外者を忌々しげに睨んだ。



ああ。
恵まれた人間が、また、一人。


「ねぇねぇ何すんの?!今日は何すんの?!線香花火長持ちゲーム?(∀) ドーナツ早喰い競争?(´∀`)」
「花火ならケンゴの負けだぜ。落ち着きがねぇからな」
「カラオケ大会にしませんか?近隣への挨拶は俺が務めますから!」
「カナメさん、声フェチだからなー」
「総長っ、テーブル班オッケイっス!」
「椅子班オッケイです!総長の椅子にはクッションもオッケイです!」
「因みに俺の膝枕もオッケイっス!」
「「「「「「黙れ。」」」」」」

賑やかに賑やかに、それは対面の幸福でしかない。
全身を支配していく黒い何か。それは爪先から毛髪一本一本まで残さず染め上げていった。



「ああ、皆イイ子だな」

まるで英雄を讃える様な喝采が、薄暗かったテラスを一気に光で満たしていく。
自分とは真逆に、



「さァ、今夜の主役を、天岩戸に隠れた月の女神すら呼び起こすほど持て成すがイイ」

肩を掴んだ手に引き寄せられて、暫し意味が判らなかった。
目を見開いた騒ぎの源が沈黙し、漸く我に還って今更な抵抗を始める。



「はは、どうしたシャム猫ちゃん、コーラがあるぞ?」
「離せっ!クソがっ、気安く触んなっ、殺すぞっ!」
「ああ、そうだケーキにメッセージを書いて貰わなければな。親愛なるシャム猫ちゃんへ、お父さんより愛を込めて」
「誰がシャム猫だ…!テメェ、殺す!今すぐ殺してやる!」

殴り掛かろうが蹴り掛かろうが、目を細め揶揄めいた声音で囁く男はまるで抵抗らしい抵抗を見せない。
なのに、攻撃は酷く容易く避けられて、





「捕まえた。」



  ─────腕の中。

微動だにしない強靱な力は、そうと感じさせず自然にクッションの上へ招いた。


「にゃんこ、名前を付けてやろう」

初めて、下心無く抱き締められた。亡くなった祖父母ですら、抱き締めようとしなかった体を、他人が。

だって、愛人に生ませた子供に名前すら与えなかった父親や、両親の葬式にさえ顔を見せなかった母親の血を引いた、汚い生き物なのだ。



「さ、わん…な」
「カナタ、にゃんこの名前は何にしようか?」
「え?…あ、いや、彼は神崎隼人と言う名前が、」
「総長っ、そいつこの間喧嘩吹っ掛けて来た奴じゃぞ!(><)」
「テメェ、総長に傷一つ付けてみやがれ。…嬲り殺しだぜ」

鮮やかに、鮮やかに、目前の三人が宙を舞い、パンパン手を叩いた男がサングラスを握り潰した。



「兄弟喧嘩は控えろ。今夜はにゃんこの誕生日だ。…貴様らが祝わずとも、この俺だけだろうが祝い尽くす所存だ」
「何、言ってんの、アンタ。…馬鹿じゃねぇ?」
「馬鹿じゃない、俊だ。うちの駄犬達は誰一匹覚えようとしないが…、ああ、お母さんが帰って来た様だぞ、にゃんこ」

バイクの音が近付いてくる。
テラスの柵に乗り上げた男が澄んだ声を上げ、宵闇に舞う赤へ手を挙げた。


「イチ!無免許は今夜だけだぞ!次やったら絶交だからなァ!」
「マジっスか!再来年まで絶っ対ぇ、乗りません!」
「ケーキはどうだィ!」
「ショートケーキをホールで三つ買って来ました!一つは総長が独り占めコースで!」
「任せろ、寧ろ3ホールでも構わん!」


くるり、と振り向いた男が、何処までも果てない威圧感を滲ませた眼差しのまま、



「誕生日は家族で祝うのが普通だ。にゃんこ、今夜は白日に再会するまで騒ごうか」

皆が一際大きな声で腕を上げた。
今夜は朝まで総長と一緒だ、やったなお前のお蔭だ神崎、今夜はとことん騒ぐぞ、掌を反した様に友好的な表情で近寄ってくる皆に呆然と、呆然と、


「にゃんこ、…イイ加減名乗らないなら、このままずっとお前はにゃんこだぞ?」
「…アイツが言っただろ、青髪が」
「カナタから聞いた話じゃ何の意味も持たない。俺が、お前から聞きたいんだ」


ああ、もう。
泣いてしまいたかったのかも知れない。今まで自分の名前に意味などないと思っていた。





「…隼人。今度にゃんこっつったら、─────絶交だからな」
「ああ、肝に命じようハヤタ」
「変なあだ名付けんじゃねぇ!」
「あだ名は親愛の印だぞ?」
「やっぱテメェ、殺す!」
「はは、」


それは月の無い夜、





「何だ、…シャム猫じゃなくて、ドーベルマンじゃないか。」



初めて、家族が出来た深夜の話。




「ハヤタには、黄色が似合うだろうなァ…」

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