脇道寄り道回り道
とある病院の古今東西
「久し振りだな、」

空腹には医者も敵わない。
現場で執刀し続けてこそ外科医の本分だと信じて疑わない遠野夜刀は、いつもは賑わっているナースセンター経由で食堂に向かう遠回りの道すがら、違和感を感じなかった訳ではなかった。

「我が友、夜の王よ。」

人間、生まれより育ちだと言う者がいる。
それが本当か嘘かには、この際目を瞑ろう。生後間もなく監禁紛いの生活を強いられ、実母の乳ではなく乳母の乳で育ち、必要最低限の人間とだけ会話する事を許された男は、外界を知るまで人間に性別がある事を殆ど理解していなかった。男も女も同じだと思い込んでいたからなのか、他人が寄せてくる思慕の様な類いには一切気づかない。

「き…貴様…」
「どうした、その面映ゆい表情は私に会えた喜びを噛み締めているのか?」

フッ、と。
最後に見た時より何故か若返って見える男の、自棄につやっつやな肌と己のしわしわな手を見比べてしまうのも、仕方ない話だった。

現状を説明するには、一時間遡る必要がある。
院長室からエレベーターで真っ直ぐ一階へは降りずに、生来の女好き性分は5階建ての階段も何のその。各階のナースセンターで看護師一人一人の顔を見ないとご飯が美味しくないと宣う通り、この日もエイサエイサと各階を辿って昼食にありつくつもりだった。

「態度と図体ばかり大きく、あちらの方は慎ましい男だと軽んじていたが、成程可愛い所もある」
「…どちらのあちらさんだと?!」

だが然し、神とは時に無情なものである。
目が覚める程の男前が、年齢を感じさせない美貌に余裕を感じさせる笑みを浮かべ、看護師に囲まれていたのだ。つまりは、目の前の馬鹿野郎が。

「ほう、事細かに説明しても良いのか夜の王よ?」

出合えー!出合えぇえええ!この不届き者を直ちに取り押さえんかァ!と、叫び出したい気持ちをグッと堪えたのは、愛くるしい白衣の天使達が居たからに他ならない。それ以外の理由などなかった。ある筈がない。

遠野夜刀49歳の主にこめかみの血管が幾らか震えたが、目の前でほくそ笑んでいるセクハラ男は気づいているのか。このままでは50歳の誕生日を迎える前に、高血圧で逝ってしまう。高血圧ばかりは手術のしようがない。

「…貴様、俺の為の俺による俺だけの楽園で何をやっている、陽の王」
「見て判らんか、ハネムーンの帰りだ」
「ああ?!何の羽根だと?!」

研修医時代から自称天才外科医と宣い続け、とうとう名実共に天才外科医の誉れを得た男は然し、重度のアメリカンアレルギーの持ち主だった。理由は一つ、唯一の弟である立場上義叔父の夜人が、アメリカ人に拐われて行ったからだ。
相手はとんでもない男だったそうだが、夜刀の預かり知る所ではない。出来れば捌き殺してやりたかった。やりたかったが、死人に口なし、死なば英雄。憎い相手は既にこの世には居ないらしい。

「羽田ではない、成田だ」
「羽田だろうが成田だろうが千歳だろうが知るかァ!今すぐ俺の前から消え失せろ、ド腐れ野郎がァ!」
「そう叫ぶな、私の鼓膜が破れるぞ」
「何が私だくそったれ!格好つけやがって、テメェ何様だァ!そうかァ!帝王院様かァ、畜生めぇえええ!!!」
「他人行儀な呼び方をするな、泣くぞ。刮目して見よ、俺は何処も腐れていない。が、医者のお前がそう言うのであれば、ついでに診察を受けて行こうか」
「はァ?!診察だとォ?!誰が誰の診察をするって?!」
「お前が俺の」

ふ、と。
優雅な笑みを浮かべた男が足を組み替えると、恍惚めいた表情で彼の動きを静かに窺っていた看護師達が、揃って吐息を漏らす。

「この俺の体は皮膚細胞の一つとして余る所なく舞子のものだが、長年の友であり舞子と俺の交際を誰より喜んでくれたお前に身を委ねると言えば、理解してくれるだろう。残念ながら現在、舞子はハネムーンで疲労した体を産婦人科で診察している所だ」
「さ、産婦人科?!」
「少々、頑張り過ぎたからな」

ああ、何と神々しい笑みなのか。
恥ずかしげに鼻を掻いた男の台詞は下ネタ同然のノロケだったが、聞いている誰もが再び吐息を漏らすのが聞こえてくる。まるで喘いでいる様だが、看護師だけでなく女医の姿もある事に気づいた院長は、ばさりと白衣を靡かせると、負けじと笑みを浮かべたのだ。

「何泊何日、旅したんだ」
「スケジュールの都合上、2泊8日が精一杯だった。中国とエジプトでホテルを使ったが、それ以外は飛行機の中…いや俺は舞子の中だったな」

誰かコイツを黙らせろと思った瞬間、夜刀の頬スレスレを飛んでいったカッターナイフが、椅子に腰掛けている男の肘置きに突き刺さる。

「な」
「陽炎か。俺を殺す気だったな?」

何処ぞを見つめて笑った男は表情一つ変えなかったが、夜刀はチビり掛けだ。危ない所だった。かなり。

「可憐の差し金か。婚約して早三年、漸く迎えたハネムーンに浮かれっぱなしの俺に、陽空はチクチクと小言を浴びせ、刹那は新潟で収穫した米で赤飯を炊き過ぎて糸遊に叱られ、俺は俺で人生の春を飽きずに謳歌しているが、まだ死ねん。良かろう、舞子の自慢話は可能な限り耐えよう」

スポッと肘置きからカッターを抜いた男は、側にいた看護師にそれを手渡した。

「今日明日にも産まれる子を、父親の居ない目に遭わせる訳にはいかんからな」
「たった一週間程度で妊娠が判るか!一発や二発で妊娠したら人口大爆発で日本沈没だろうが」
「そんなものか?何分初めての事で、コンドームの装着に苦労した」
「はァ?コンドーム?何でそんなもん着けたんだ?」
「マナーなのだろう?アメリカではコンドームを使わない男は屑だと言われていた。俺には永劫関わりない話だと、話し半分に聞き流したツケが回ったのだろう」

何をほざいているのか、この男は。
医者は遠い目をしたが、医者は医者でしかない。保健体育の授業は専門職に任せるべきだ。

「…貴様、本当に首席で入学したんだろうな」
「む?どうした夜の王、大便を我慢する土佐犬の様な顔をして」
「捌き殺すぞ。舞子ちゃんの診察が終わったら即座に帰れ、俺が外科医である内にな…!」

夜刀は拳を握り締めたが、ポキポキと言う音はしない。
蚊を叩いてもたまに死んでない事があるレベルで非力な男は、手術中の時だけ普段眠っている身体能力が覚醒するのだ。早い話が、仕事以外は何も出来ない男だった。産まれたばかりの娘を抱いてぎっくり腰になった時は、出産直後の妻が機敏な動きで赤ちゃんだけを取り上げると、『二度と抱かせない』と睨んできたものだ。

「グリーンランドへ行った」
「…」
「オーロラの時期ではなかったのが残念でならないが、見渡す限り地平線と水平線が続く、素晴らしい所だ」
「ふん、それがどうした」
「ふ。いや、それだけだ」

ぎっくり腰の痛みで起き上がれなかった夜刀はそのまま担架で運ばれ、自分の病院に1日入院する羽目に陥ったが、妻は一秒として見舞ってはくれなかった。産後間もなくでは当然だろうが、どれほど傷ついたか。

「アジア各地を見回る事は出来た。ああ、土産を持ってきたが院長室には入りきらないと言う事で、玄関先に置かせて貰っている」
「…何の」
「トーテムポールだ。立派な佇まいに胸が震えたぞ、お前にも感動して貰える事だろう。残念ながら高さが5メートル程ある為、室内に飾るには大幅な建て替えが必要か。良かろう、全て俺に任せておけ。この帝王院鳳凰に不可能な事は、最早この世にはない」
「何を、任せろと?」
「この地味にして平凡で何の面白味もない病院を、可及的速やかに且つ大胆に改築してやろう。加賀城建設の手に掛かれば、お茶の子さいさい…く、くっく、くぇーっくぇっくぇっ、俺の幸福をお裾分けしてやるぞ夜の王よ!喜べ、今日は幾ら食っても減らん赤飯で宴を開こうではないか!なぁ、友よ!」
「あらあら、楽しそうね鳳凰ちゃん」
「ああ、舞子!俺を十分も待たせるなんて、なんて悪い子だ!だがそこも愛しているぞ、腹の子はどうだった?!」

夜刀も男前だったが、如何せん笑顔が下手だった。それはまるで、般若の如く。



「今すぐ帰れぇえええ!!!」


吼え猛る院長の叫びは、心肺停止した患者の心臓を再び飛び起こしたとか何とか。


「院長!病院で騒ぐ院長が何処の世に存在するんですか!」
「こ…心の底から反省してます、すいませんでした…」

但し夜刀は、婦長にこっ酷く叱られたが。















ああ。
何と立派な………いや立派過ぎるトーテムポールだろう。

「何体あるんだ、これ」
「困ったなぁ、基礎を組み替える前にこれを何処に運び出せば良いんだか…」

遠野総合病院の大改築が敢行されたのは、前院長の娘婿が病院を継いで間もなくだった。
還暦を過ぎても元気良く手術を行っていた前院長の遠野夜刀は、妻に先立たれた事を期に現場から離れ、今は千葉県の沿岸沿いの診療所に引っ込んでいる。体が許す限りは住民の為の診察に励むつもりの様だが、そもそも彼が総合病院から追い出されたのは、今回の大改築、現院長曰く『無駄遣い』が事の発端だった様だ。

「数えてきましたけど、108体ありますね…。先に院長に確認しますか?」
「まぁ、撤去するのが一番だろうがなぁ。この手の像ってのは、何らかの守り神なんだろ?患者の健康を願ったものだったら、迂闊に処分する事も出来ないだろうからなぁ」
「ああ…。やだなぁ、あの院長怖いんですよねぇ…」
「顧客との直接交渉は現場監督の仕事だろ。ま、頑張れや」

見積もりにやって来た業者は、都内でも大病院に数えられる遠野総合病院の敷地内を一通り歩き終えると、入院患者の負担にならない作業手順を丁寧に話し合い、院長夫人である小児科の医師が持ってきてくれた差し入れに舌鼓を打つ。

「いつもすみません、美沙先生」
「ご遠慮なさらないで、沢山召し上がって下さい。ごめんなさいね、患者さんを受け入れる事を止める訳にはいかなくて、ご苦労があるでしょう?」
「いやいや、寧ろ工事中に騒がせてご迷惑お掛けするのはこちらの方です。出来る限り皆さんの生活を妨げないよう、尽力させて頂きますので」
「宜しくお願いしますね」
「出来る限りでは困る」

ぬぅっと足音もなく現れた男は、オールバックの下、酷く意思の強い眼差しを眇め、皺一つない白衣で包んだ背をぴんと伸ばすと、突然の事で反応出来なかった業者と妻を静かに見据えたのだ。

「死ねば終わりとは言え、生きている内は寝たきりの患者も擦り傷程度の軽傷患者も、何ら変わりはない。等しく全てが我が遠野総合病院が守るべき命だ」
「は、はは、はい!しょ、承知しています遠野院長…!」
「出来る限り、などと言う生温い算段では困る。貴様は家族の命が危うい時に、担当医から『出来る限り尽力する』と言われて、どう感じる?」

厳つい土木建築業者ですら震え上がる眼光の男は、困った様に肩を竦めている妻が嗜める様に見つめてくるのを無表情で躱す。

「不可能を可能にせねば、他人の命など救えん。肝に命じろ若造、精一杯やったが失敗したなどと言う下らん言い訳は、この現場では通用せん事を」
「っ、はい!全力で励まさせて頂きます!」
「その言葉に偽りがあらば、貴様の二つある内臓を一つずつ抜き取るからな。覚悟しろ」
「は、はひぃいいい!!!」

涙目で走り去っていく業者は途中で転び掛けたが、何とか体勢を整えて走っていった。可哀想に・と、気の毒げに呟いたのは産婦人科の医局長でもある遠野美沙だったが、その夫は表情一つ変えていない。

「意地悪ね。ただでさえ人相が悪いんだから、もう少し優しい言い方をすれば良いのに」
「喧しい。俺の人相が悪くて貴様に迷惑を掛けたか」
「俊江に祟ったわ。あの子は女の子なのに、困ったものね。この子はもう少し優しい顔立ちをしていると良いのだけれど」

白衣からそっと覗く、膨れた腹を撫でた女の台詞に、男は鼻を鳴らす。

「…ふん。糞ジジイが跡取り跡取り忙しないからな、男を産め」
「もう、難しい事を言わないで頂戴。俊江の時だってそうよ、最初は絶対に女だと言って聞かないんだもの」
「あの時と今では意味が…」
「何?」
「…とにかく、確率はたったの50%だろうが。四の五の言わず男だ、さっさと跡取りを産んでジジイを黙らせろ。直通電話が鳴りっぱなしで、騒がしくて敵わん」
「電話線抜いたら駄目よ?まぁ、どうせ貴方が大人しく院長室に籠ってる事なんてないでしょうけどね。そんな所だけお父さんに似てるんだから、もう」
「似てない」
「そっくりよ。古くからの患者さんは皆言ってるわ、私より立花先生の方が夜刀院長と親子の様だって」
「馬鹿な事を宣う患者が居る様だ。追い出してやろうか…」
「私のお祖母ちゃんが立花だって言ったら、皆さん納得してくれるわよ。貴方が立花の養子だって事は、誰も知らないんだもの」

優しく腹を撫でる妻の手を、遠野龍一郎は静かに眺めた。
自然妊娠での性別振り分けは一般的に50%、エコーで確認が出来るのはまだ、止めどなく動いている小さな心臓だけだ。双子ではない事だけは判っているが、今現在の医療では性別が判明するのはまだ先の事。

「…首の座りが悪い」
「あら、ムチウチ?」
「そう言う意味ではない。直ぐ様答えが出ない問題は、気に入らんだけだ」
「変な人ねぇ」

クスクスと笑っている妻は、生後半年で歩き始めた娘の成長が早すぎる事を何の疑いもなく喜び、間もなく職場に復帰した。今現在、家で雇っている家政婦が娘の世話を見てくれているだろう。
遠野夜刀が医者になって間もなく建てた家は、当時夜刀の実力を買っていたとされている帝王院俊秀から贈られた土地にある。広さだけは近所でも有名で、夜刀は難しい手術を成功させる度に家を少しずつ広げ、現在の大屋敷にまで築き上げたのだ。

「お父さんは5人でも6人でも産めって言うけど、私の歳を判ってるのかしら。女性がいつまでも妊娠するものだと思われてるなら、心外よ」
「腐っても医者が知らん筈があるまい」
「魚も捌けない癖に外科医を目指すなんて、やっぱり星夜お祖父ちゃんの意思を継いだのかしらね…」

早くに両親を亡くし、弟も行方不明だった夜刀は大家族を夢見ていた様だが、妻との間に授かったのは、結局一人娘だけ。
結婚当時から娘に対して孫を気前良く産めと言い続けている男は、俊江が産まれた事で素直に千葉へ引っ込む決意を固めたかと思えば、舌の根も乾かない内に今度は跡取りを見せろと騒ぎ始める。

「知ってる?昔、酔っ払ったお父さんに聞いた事があるのよ。遠野は本当は、東北の雪深い所で暮らしていたそうよ。私の曾祖父ちゃん、一星の代までは…」
「…吉凶とされている双子を産んだ事で、鬼子の一族として郷里を追われた話だろう」
「知ってたの?」
「多性児を不吉と抜かすとは、無知が如何に罪深いか判るな。自然界は多頭出産の方が多い。理由は単純、遺伝子の本能だ。種の保存こそが生きる者が負った宿命であり、人の出産率の低下は反して、遺伝子の本能が人間を不要と判断したからに他ならない」
「…悲しい事を言うのね。無知は罪と言うなら、知識に恵まれる度に、文化が発展する度に、少子化が進んでいくのは罪ではないの?」
「何が言いたい?」

パタパタと、鳩が飛んで来た。追い払っても追い払ってもめげずにやって来るのだから、院内に入ってこない限りは目を瞑っている。
衛生的に宜しくないと医者が弁を論じても、平和の象徴は真っ白な建物が好きなのか、単に人が多い所で餌を期待しているのか、毎朝早くから群れでやって来るのだ。そうして、道行く患者や医者を穏やかな気持ちにさせる。

「好きな人の子を産み育てたいと思うのは女の本能よ。そこに罪なんてあろう筈がないわ。双子でも三つ子でも良い、育てるのが辛くて泣いてしまう事があるかも知れない。それでも産むのは本能か、もしかしたらエゴかも知れない。産まれた子を誰かが凶だと言うなら、私は子供以外の全てを捨てるわ」
「…それがお前に流れている遠野の血、か」

ひらひらと、鳩から抜けた羽根が一枚、落ちてきた。

「母親にとって、子供より大切なものなんてないもの」
「どうだかな」
「え?」
「狭い世間で見聞きした事が全てではあるまい。お前の様な見事な腹積もりの母親があれば、子を愛せないまま産む女もあろう」
「そんな」
「ないと言い切れるか、小児科と産婦人科を知るお前が」
「…」

それは近くのブルーシートの上に落ちて、軈て風に拐われていく。
敷地内の、新たに建築が始まる場所には既に資材が積まれていて、基礎工事が間もなく始まるだろう。全ての完成予定は5年、もしかしたら更に懸かるかも知れない。

「…貴方のお母様は、どうだった?」
「恵まれない女だった」
「そう…」
「夫が全て、子は恐らく二の次だったろう。だからと言って、母として不足を感じた事はない。…我が家の家訓はたった一つ、食事は家族揃って」
「ああ、もうこんな時間。お腹空いたでしょう、だから機嫌が悪かったのね。おやつに虎屋のどら焼きを買ってきてるわよ、さっき差し入れにもお渡ししたの。ほら」

かさりと紙袋を鳴かせれば、鬼と名高い現院長は切れ長の瞳をカッと開く。そわそわと急に落ち着かなくなったのが、明らかだ。

「先にそれを出せ。飯は後でも構わん」
「そんな事言って良いの?今日の定食は、貴方の大好きな魚卵尽くしなのに」
「何だと?」
「ししゃもフライと明太子だそうよ。日替わりメニューを見ていないの?貴方が明太子明太子言うから、わざわざ福岡から取り寄せて下さったそうよ」
「辛子明太子か…」
「辛くない明太子を選んでくれたそうだから、不安そうな顔をしないの。貴方が今まで食べてたのは明太子じゃなくてタラコだそうよ、全然違うんですって」
「あい、判った。早くしろ、行くぞ」
「はいはい。それよりあのトーテムポール、改築が終わったら何処に移すの?聞いたわよ、処分はしないんでしょう?」
「帝王院財閥寄贈の物を下手に処分する訳にはいかん」
「そうねぇ。融資して下さってるスポンサー様だもの、改めてご挨拶に伺いたいわ」
「若いとは言え、駿河会長は多忙な方だ。折を見てからにしろ、お前も身重だろう」
「ええ、そうします。帝王院様にお会いするのにこのお腹じゃ、失礼ですものね」
「それは気にせんと思うが…」

こうして病院の改築は始まり、患者と鳩と医者に建設業者が加わる事になる。
改築が進み新たな病棟が増える度に、診療科が増えていき、総合診療を筆頭に当時日本には少なかった複数の科目が加わると、医師の数も改築前の数倍に跳ね上がった。


















「と言う訳で、今季の社会見学は遠野総合病院にお邪魔します」
「「「よっしゃぁあああ!!!」」」

その日、一年Sクラスは一人を除いて盛大に盛り上がった。
帝君でありながら椅子に体育座りで座り、背中を限界まで丸めているオタクは何を隠そう、主人公であり社会見学先の遠野総合病院を最後まで拒否していた男だ。

「うっうっ、何が悲しくて母ちゃんの実家を見学しなきゃなんないのょ!隅から隅まで、何なら敷地内に点在するトーテムポールの位置まで知ってるっつーの、畜生!オタクを馬鹿にしてェ!」
「いつまで不貞腐れてんのさ。仕方ないじゃんか俊、お前さんが希望してる場所は、ちょいと無理がありすぎるんだもん」
「でもタイヨー!病院なんか見学して何になるにょ?!」
「知らないのかい?Sクラス生徒の進学先は、医学部や法学部が多いんだよ。OBにも医師免許や弁護士免許を持ってる上で、大企業で働いてる人も居るんだ」

ずらららら〜っと総勢30名…いや確実に30名以上居そうな気配でやって来た一同は、先頭で眼鏡を涙の海に沈めている帝君の首根っこを無表情で掴んだまま、反対側の手でワイヤレスマイクを握りバスガイドの格好をしたデカ過ぎる背中が振り向くのを合図に、ピタッと足を止める。

「正面に見えるのが遠野総合病院中央病棟エントランスホールでございまぁす、だ。良いか有象無象共よ、高鳴る胸の内は察するに余りあるが、例え患者と看護士のステルスラブやエリート医師と研修医のオフィスラブを見掛けようとも、萌えは胸の内のみで叫ぶよう心掛けよ」
「「「「「はーい、カイカイ添乗員様ー!」」」」」
「あはは、俺は突っ込まないからね?」

山田太陽が仕事放棄した為、いつもながらツッコミ皆無だ。

「全く、折角の社会見学が高々都内だなんて貧乏臭いにも程があると言いましたのにねぇ」

患者や医師らが唖然としているエントランスに、つかつかと足音を響かせてやって来た男は、ただでさえ白いブレザーの上に白衣を羽織り、それはそれは優雅に眼鏡を押し上げる。
その手に嵌めた白い手袋の甲には真っ赤な太陽のマークが刻まれており、白衣の背中には一面に『サンライズ親衛隊』と書かれていた。最早医者なのか暴走族なのかただの馬鹿なのか難しい所だが、残念ながらただの叶二葉だ。

「どうせ医療現場を見学するのであれば、セントラルUSAの技術班本部にするべきなんですよ。特別機動部にはCOO執務室もありますからねぇ、特別機動部だけに特別にステルシリーCOOと面会する機会を与えましょう、勿論ハニーだけですがねぇ」
「あはは、だから俺は突っ込まないからねー?」
「あは。見て見てカナメちゃん、じーちゃんの白衣かっぱらって来たんだよねえ。似合う?」
「サイズが合ってないじゃないですか。袖がつんつるてん」
「うひゃひゃひゃひゃ、マジ俊江姐さん話が判るっしょ!(*´`*) 見ろやハヤト、ユーヤとユウさんがナースコスしてんべ!つーかユーヤの足が綺麗過ぎて腹筋が割れそwww」
「つーか何でユウさんが此処に来てんだ?」
「ふ、愚問なのさ藤倉氏。Aクラスの君達がうっかり我々の社会見学に忍び込んだ様に、」
「年度末の忙しさでうっかり倒れてしまわれた光王子の検査入院(ほんの半日)が心配で心配で、目が合った生徒を片っ端から吊し上げようとなさった紅蓮の君に、我ら天帝親衛隊メガネーズがそっとハミングしたのさ」
「「ナースに萌えない男は男じゃないのさ」」
「ふ。待ってろ高坂、テメーの命は俺が守ってやるぜコラァ」

バキバキと拳の骨を大音量で奏でながら、ムッキムキの太股にガーターベルトまで装着した赤毛は颯爽とポニーテールを靡かせ、見る者全ての『何だあれ』視線をものともせず、偶々診察室から出てきた高坂日向の精神を昇天させたそうだ。

「高坂?!おい、何で俺を見るなり血ぃ吐いて倒れたんだ?!死ぬな、生きろ!おい!」
「あはは、あははははは、俺は突っ込まないからね?血を吐いたっつーか血を吹いたなんて突っ込まないからね?」
「あ、ハニー。二人っきりでCTを撮りませんか?少し狭いでしょうがMRIにも一緒に入りましょう、ふーちゃんは怖くて一人じゃ入れません」
「む。何とした事だシュンシュン医局長、霊安室に遺体が…」
「きゃー!霊安室はらめぇえええ!ピギャ!ヒィ、何で霊安室でトーテムポールが寝てるにょ?!」
「ぁ、この方が雰囲気出るかなぁって思って〜、借りてきたんだょ。ぅふふ、俊君は恐がりだねぇ…ぅふふ、かわぃ」
「いやァアアア、ブラック桜餅降臨ー!!!ハァハァハァハァ、あらん?カイカイキャビンアテンダント、僕ちんを抱えて何処行くにょ?」
「案じるなシュンシュンポリデント、分娩室でほんの一時間ほど股を開いてくれれば良い。さっと終わらせる自信がある」
「ぷはーんにょーん。ナニを?!」

この日、帝王院学園生徒一同は顔色の悪い院長に出入り禁止を告げられ、滞在時間ほんの30分で遊園地に進路変更を余儀なくされた。


「きゃー!婦長っ、霊安室にトーテムポールNo.44が!」
「何ですって?!」

霊安室に安置されていたトーテムポールがあらぬ噂を招き、病院七不思議の一つに加わったと言う話がまことしやかに囁かれたが、そのトーテムポールを贈った男と贈られた男の血を引く一人の腐男子は遊園地に到着するなりお化け屋敷に放り込まれ、お化けより恐ろしいバスガイドに食われていたので、何にせよ、



病院では騒がない様にしましょう。

←*#→
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
無料HPエムペ!