脇道寄り道回り道
とある副会長の備忘録
嵯峨崎零人は貞操観念を除けば、一般的には優秀な人物であるだろう。少なくとも中央委員会会長としての彼の手腕は、欠点が見当たらなかった。

「ひーめー。おい、光姫ちゃーん」

ただ一つ、それを除けば、の、話だ。

「あれま、シカトかよ。困ったお姫様でちゅねー、ご主人様の呼び掛けにシカトするとか、世が世なら打ち首だぞ?」
「…」
「俺が寛大な男だからツンデレ可愛いで済むけどな?」

にやにや、明らかに揶揄を滲ませた笑みは極力目に入れない。高坂日向が早々に編み出した回避方法は、回を重ねるごとに胃痛を深めている様だ。
日中は執務室で、夜は街のクラブで。会いたくないと思えば思うほど会ってしまうのは、一重に中央委員会だからだ。そうでなければ、ABSOLUTELYのメンバーにはならなかった。

考えるだけ無駄だと日向は印刷に回したデータを保存し、パソコンの電源を落とす。ソファの上で珍しく目を閉じている従弟が本当に寝ているのか否かは、この際問題ではない。

「ああ…何て麗しい寝姿だろうか、我が君…」
「白百合様、俺は貴方の為ならば死ねる…!」

暑苦しい叶二葉の親衛隊は、その大半が風紀委員だ。二葉に惚れて猛勉強を始めた体育会系が多く、稀に努力が実り、進学科へ昇級する者も見られるのだから捨て置けない。
中央委員会役員は多い時でも十人弱、然し役員の親衛隊に限っては、立ち入りに対して目を瞑るのが暗黙の了解だ。現に、零人の膝の上でシャツをはだけている最上階の男子生徒は、自治会役員ですらない。

「どうでも良いが、此処でヤんなよ年中発情期。他の奴の迷惑になる」
「お前がヤらしてくれるんなら、最高級スイートを用意するぜ?」

ああ、苛々する。
今やただの『代理』でしかない癖に、いつまでこの男の姫呼ばわりに耐えねばならないのか。真っ向から殴り合えば、少なくとも、負ける気はしない。
頭脳と同じく恵まれた運動神経で形を装ってはいるが、零人のそれは喧嘩ではなく、ただの武道だ。聞いた事はないが、幼い頃から何かしら習っているのではないかと思われる。喧嘩のスキルだけで言えば、この男の弟の方が格段に上だろう。

「やだぁ、ゼロの意地悪ぅ。僕にもスイート、用意してよ」
「あ?何で俺が。エスコートは年上の役目だろ、センパイ」
「もー。じゃあ良いよ、スイート取ったらメールするからぁ、ドタキャンしたら怒るからね♪」
「はいよ」

ブチュ、と言う激しいキスシーンに日向は冷めた目だが、他はそうもいかなかったらしい。未だにソファの上で転がっている二葉は目を閉じたまま、激しいキスシーンに狼狽えている風紀委員に囲まれ、まるで白雪姫のよう。

「ばいばいゼロ、またね♪」
「今度はノーパンで来いよ」
「やだ!ゼロ最低!」

きゃっきゃ嬉しそうに退室していった部外者に溜息一つ、プリンターから吐き出された印刷物に一通り目を通して、数枚を抜き取り、寝ている二葉の顔の上に叩きつけた。残りは零人の机に置いて、今日の業務は終わりとばかりにチェストの紅茶缶へ手を伸ばす。

「おいおい光姫ぇ、部活動の予算って、こりゃ自治会の仕事だろ?」
「アイツが来日してる事に勘づいてる奴らが手を回してんだよ」
「見たけど?で、それが何?」
「自治会じゃ話になんねぇから陛下にお目通りを、っつー事だろうが。つまりテメェは舐められてんだよ、カス」
「はっ。良いねぇ、光姫。その冷たい目、マジゾクゾクするわ。な、本気でいっぺんどうよ」
「ちっ。…テメェの面見てると吐き気がするぜ、糞が。死に晒せカスが」
「おい姫、何処行くんだよ」
「テメェには関係ねぇ、」
「部活棟ですね」

がばりと飛び起きた二葉が手ぐしで髪の乱れを整える気配を横目に、ポキリと首の骨を鳴らした。

「高坂君、部活棟に行って畏れ多くも陛下に予算アップ願いなど提出してきた馬鹿共を叱るんでしょう?」
「ンな面倒臭い事、俺様する訳ねぇだろ。大体こんなもんシカトしてりゃ良い」
「そうですか。…チッ、使えないチビだ」
「…テメェ、何か企んでやがるな?」
「いいえ。所で高坂君、予算改善希望を出してきたのはどの部ですか?」
「バスケ部だけだ。中等部の加賀城だけ優遇してんのが気に喰わねぇんだろ。帝王院を直々に指名して来やがった」
「阿呆ですねぇ、今此処には帝王院会長の代理でしかないお飾りの嵯峨崎会長しか居ませんのに…」
「顔が美人じゃなかったら良い所が全くない白百合よ、悪口は聞こえない様に言おうか?」

笑顔で見つめあう零人と二葉の白々しさに、日向は眉間を押さえる。もう突っ込むのも面倒だ。二葉が部活棟に何の用があるのかは知りたくもないが、任せられるなら任せたい。
とっとと街へ繰り出して、バータイムに切り替わる前に、喫茶店の遅いランチにありつきたいと思っているのは秘密だ。

「高坂君、嵯峨崎会長が苛めます。仇を取って下さい」
「安心しろ二葉、本気を出したお前に勝てる奴なんかいねぇよ。そいつは殺しても構わねぇ、帝王院が何とかしてくれる」
「光姫?お前実は俺がオトコ連れ込んだから妬いてんな?良し良し、体でお詫びしてやるから来いよ」

ブチッと、己のこめかみが痙き攣る音を聴いた。
高坂日向15歳が怒り狂う前に怒りを飲み込んだのは、嵯峨崎零人の顔が苦手だからとしか言えまい。


「おやおや、ラブラブですねぇ、お二人共。ふーちゃんはヤキモチ焼きましたよ?」

にこやかな二葉の顔をぐちゃぐちゃにしてやろうかと考えながら、日向は愛らしい美貌を壮絶に歪め、舌打ちを響かせた。








然し繰り返すようだが、嵯峨崎零人の人間性、苦手な『顔』を除けば、言う事はなかった。少なくとも仕事に対しては真面目で、中央委員会業務が滞った事など一度としてない。


然しどうだ。
あれほど居なくなれと思っていた人間が居なくなって、胃痛が益々悪化した現実は、何だ。



「………何してやがる、アンタ」

およそ高校生とは思えない体躯が、いつか二葉が転がっていたソファに転がっていた。三人掛けのソファで足が余ると言うのは、いっそ清々しい程に羨ましい話だ。

「見て判らんか、昼寝をしている」
「俺様が何回回線開いたか判っててほざいてんのかぁ、ああ?テメェが外に出てんじゃねぇかと思って、わざわざ捜索隊まで出してんだよこっちは!」
「残念ながら私のセキュリティの前では、そなたの呼び掛けは届かなかったらしい。ただの権限差異だ。私のクラウンセキュリティは、上院、乃至、同一権限にのみ解放される」
「下院の会長なんざテメェしか居ねぇだろうが!それとも何か、自治会長なら通じんのか!この俺様より格下が!」
「自治会長では不可能だ。クラウンである私の対は、クロノス以外には存在しない」
「はは!…こんの人格崩壊者、それが言い訳になってると思うのか?」
「私がそなたに何を弁解する必要がある?」

上には上が居るもの。
あの零人より、感嘆するほどに仕事の早い『神』は、気が向かない時は執務室にさえ現れない、究極のマイペース男だった。やれば出来ない事などない癖に、興味がないと囁いて、積もり積もった書類には見向きもしない様な、人格が崩壊しているとしか思えない人間だ。

「テメェが中央委員会会長だって判ってんですかねぇ、マジェスティ」
「然り、烈火の君より押し付けられたつまらん役職だが、お祖母様の喜ぶ顔が見られたのは僥倖だろう」
「だったら少しはまともに仕事をしやがれ!」
「もう終わらせている」
「あ?!」
「暇潰しにすらならん、些細な手遊びだ」

日向はまさかと思いながら、会長デスクに重なる書類を眺めた。溜まりに溜まった仕事に発狂し、ほんの小一時間前に神威を探しに出た時のまま位置は変わっていない様に思える。
然し手に取った全ての書類に調印が施されてあり、慌てて齧りついたデスクトップを見れば、データの細かなミスも訂正されていた。日向が後で直そうと思っていた所まで、抜かりなく。

「…マジ、かよ」
「何か不服があるか?訂正があれば聞こう」
「………ねぇよ、んなもん」
「ならば昼寝をしても?」
「好きにしやがれ」

いつ見ても冷ややかな白銀の仮面、現実味のない長い銀髪には癖一つない。この男に関しては苦手のレベルを越えている。零人の『顔』もそうだが、どう足掻いても届きそうにない全てが。

「………ちっ。おい、帝王院」
「どうやらそなたは私を眠らせたくないらしい」
「寝る気があるのか?」
「外はこの頃雑音が酷い。温室は些か日差しが強い季節だ」
「場所がねぇってのか。お得意のテクで何処ぞの女ん所にでも転がり込めば良いだろ」
「…女?あれはもう、飽きた」
「飽きたってお前、16歳になったばかりだろうが…」
「雄が雌に興味を持つのは、己とは違う肉体だからだ。多少の差異はあれど数をこなせば、軈て興味も失せる。秘書の一人が男を勧めたが、私と同じ体をわざわざ組み開く価値を見出だせん」
「アンタと同じ体の男なんざ滅多に居ねぇよ。鏡見た事ねぇのか」
「そなたが愛らしく誘うのであれば、些か情熱を取り戻せるやも知れん。どうだ高坂、跪いてみるか」
「黙れ、ただの弾切れだろうがインポ野郎。テメェは後先考えずヤり過ぎなんだよ」
「そなたほどではない」
「テメェと同じ括りにすんな!ちっ!…ちっ!」
「せっかちな仔猫よ。だが、セカンドよりはそなたの方が嘘が巧い」
「…あ?はっ、似合わねぇ事しやがる。そりゃあ、喧嘩売ってるつもりか?貴族は貴族らしくお高く止まっとけ」
「そなたが私を探すのは、私をファーストから遠ざける為だろう?」

ああ、これだから嫌なのだ。
顔半分を覆う銀色の仮面、晒された唇が、酷く似ている。そうだろう、身内ならば当然だ。

「そなたは私を不真面目だと言うが、ならば何故、一度として顔を出さないファーストを呼びつけようとしないのか?サブマジェスティたるそなたの要請に、あれが拒絶する権限はない」
「べらべら回る口だ。たまに喋りゃロクな事ほざかねぇな、アンタはよ。…仕事が出来てりゃ文句はねぇ。余計な話してる暇があったらとっとと、」
「セカンドが庭園で寝ている」

見事に話が刷り変わった。
胃痛と共に頭痛に襲われ耐えながら、珍しい事もあるものだと目を伏せた。昨夜は集会にも姿を現さなかったが、それこそ何処ぞのご婦人とシケ込んでいたのかも知れない。

「まだ春とは言え、美しい猫の肌が紫外線に晒されるのは、好ましいものではなかろう?だが私が寄った所でセカンドが、」
「式典からこっち下らねぇ仕事が山積みだったんだ。あれでもアンタよりは働き者だ。たまには部下に場所を譲ってやれ」
「そうか。あそこも飽きていた所だ。そなたも休むのなら、左から14枚目のグラスウォールが良い。あれはそなたに似合う」
「はぁ?」
「プラタナスの向かい、花月の鉢が並んでいる」

一瞬、聞きなれない名に眉を寄せ、それが『金のなる木』と呼ばれる植物を指す単語だと気づいて、ピキッと音を発てたこめかみを揉み解す。これ以上、この男相手に会話を続けたくない。醜態を晒そうが耐えようが、結果的に惨めになるだけだ。

「…次の仕事が入るまでは好きにしろ。アンタが不能だろうが絶倫だろうか知った事じゃねぇがな、会長ならそれらしい態度を、」
「高坂」
「あ?」
「騒がしい」

怒りは何とか呑み込んだ。
胃の中でどう消化されたかは定かではないが、無意識で蹴りつけた観葉植物の鉢植えが想像以上に吹き飛んでしまったのは、何となく罪悪感がある。


吹き飛ばしたいのは、帝王院学園中央委員会会長、ただ一人だ。






とことん相性が悪い。
親衛隊すら入室させた事のない屋内庭園である温室に籠り、敷き詰められた芝の上で舌打ち一つ。

「まだ腐れゼロのがマシだったってか…ちっ」

咥えたシガレットに火を着けた途端、スプリンクラーから降り注ぐ水、水、まるで滝だ。ずぶ濡れも良い所で舌打ちすら出ない。

「…最悪だ!」

八つ当たり混じりに投げ捨てたライター、濡れて溶けた煙草の残骸を排水溝へ投げ込み、濡れた前髪を掻き上げる。絞まるネクタイを弛め、張り付いたシャツの違和感に眉を寄せても今更だ。着替えを運べなどと宣えば、自身の失態が明るみになるばかり。
二葉は笑顔で手錠を持ってくるのではないか。スプリンクラーを切り忘れた馬鹿が喫煙未遂を自白したとばかりに、満面の笑みで。

「………これか、金の成る木」

小さな鉢植えが並んでいる。
名の割りに面白くない草にしか見えないそれは、タグを掲げられていた。どう見ても木には見えない鉢植えに、花月と書いてある。

「花月、なぁ。無駄な知識だけは上等じゃねぇか、糞男爵…」

和名。
幾つ名前があるんだと眉を跳ねながら、鉢植えを持ち上げた。



「…俺様は別に、帝王院に踊らされてる訳じゃ、ねぇ」

縁紅弁慶。
言い訳は余りにも惨めに響き落ちた。これを土産に顔を出せば、どんな反応をするだろうか。今日は平日だ。相性の悪い中央委員会の皇帝ではなく、カフェの皇帝は居るだろうか。

話をしようと唆す様に。
甘いものは好きかと恐ろしい誘い文句と共に、手招いてくれるのだろうか。いつものように。



嵯峨崎佑壱は何を差し置いても忠誠心だけは堅かった。
少なくともカルマ最強の犬としては、申し分のない男だ。



「いらっしゃい、ピナタ」

睨み付けてくる犬共の中央、王冠のクッションに座るクラウンシーザーはサングラスの下、今日も読めない笑みを浮かべている。捧げた土産の鉢植えを彼は物珍しげに眺めて、カウンターの中央に置いたのだ。

「イチ、ダラープラントの花言葉は不老長寿、一攫千金だ。良かったな、儲かるぞ」
「間に合ってますよ、儲かってるんで。ンなダセェ鉢は外に置いて下さい総長、長生きすれば良いってもんでもないでしょ」

減らず口の犬は狼の獰猛さをもって、睨み付けてはこなかった。あの単純にして扱い難い王子様は、歴代中央委員会会長よりずっと、タチが悪いのだ。

「うひゃ。ググったら、金の成る木って幸せを招くって言う花言葉もあるみてぇっしょ(・∀・) 副長、丁度フられたばっかだし、」
「黙れ健吾…逝くか?あ?」

騒がしいカフェカウンターの中央、素知らぬ顔で林檎のクッションに座る高坂日向は頬杖をついたまま、ほくそ笑む。


「シュンシュン、紅茶二人で飲もう?はい、ストロー♪」
「ぎゃーす!そそそ総長!騙されたら駄目っしょ!それ、カップル飲みっスよ!(´°ω°`)」

とりあえず、シカトされようが紅茶をしれっと蜂蜜5割で割られていようが、注文したオムレツが何故か伊達巻として出されようが、終始笑顔だった。
こっそり鉢植えに水をやっている赤毛が何を拝んでいるのかは、彼のみぞ知るところだ。

「なァ、ピナタ。紅い縁は何と何を結ぶか知ってるか?」
「えっ?な、何の事かな〜?」
「小指と小指、だ」

密やかに笑う唇が立てた小指を覚えている。
彼は全てを見透かしている様だった。



ああ。
神威より余程、逆らいたくない。


喉に張り付いた蜂蜜が塊となり、ゴクリと落ちた。

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