帝王院高等学校
導くと言う漢字は道に似てますか?
「ぎゃー!」
「シロちゃん、こっちは危ないからあっちに逃げるんですよ?あ、でもそっちも危ないわね?」
「まだまだだ!貴様の腕はその程度か舞子、他人の身を案じるなど笑止!」

大海原で龍の如く躍り狂うしゃちほこと、蒲鉾板一枚で戦う人の壮絶な戦闘で海の水が吹き上がる度に、バシャバシャと振り掛かっては波に飲まれそうになりつつ、加賀城獅楼は逃げ続けた。

「可憐さん、お願いします!」
「お任せ下さい、舞子様!」
「おのれ…!逃げるか帝王院舞子、嵯峨崎可憐!折角蘇ったオレを失望させてくれるなよ!」

人相の悪い褐色の肌の女は鉄の翼を生やし、舞子を抱えて空を飛んでいる。
炎の翼が生えている癖に飛べないらしい舞子は、『伝説のエクスカリバー』と言う剣で戦っていたものの、途中で海に落としたらしく、以降は蒲鉾板だけで凛々しく応戦していた。

「ははは、ははははは!良いぞ、貴様らの命を全て摘み取り、俊秀への土産にしてくれようぞ!ははははは!弱い弱い、相手にもならんわ!ははははは、ははははは!!!」

巨乳な癖に今まで登場した誰より気性が激しいらしい女は、高笑いを響かせながら、時々獅楼にも斬りかかって来ようとするから堪らない。寸前で可憐と共に飛んできた舞子が蒲鉾板で斬りかかってくれている為、逃げなさいと言われるままに獅楼は逃げ回っている。

「どうしてシロちゃんの所に出てこられたんですか、お義母様っ!そんなに切り刻みたいのであれば、他の方の所へ行って下されば良いのに!」
「鳳凰を悲しませた家など許しておけるか!貴様もそう言っておったではないか、嵯峨崎の娘よ!尻の青い小娘共が、邪魔立てを致すな!」
「畏れながら、私は舞子様の忠実な下僕。陽炎さんは貴方のお子ではなく、灯里様の子息であらせられます」
「良かろう、愚かにして弱かった火霧とオレは違う。最早親族の縁など通用せんと知れ!」

女が怖くて逃げるのは情けないとは思うが、相手がまともな女ではないのだから、間違ってない。獅楼は泣きながら何度も己に言い聞かせた。

「それ!通りゃんせ、通りゃんせ…!舞子の血は、さぞ赤いのであろうな!ははははは!」
「あら、お義母様のお髪にはかないませんわっ」
「陽炎さんの瞳の方がもっと赤いですよっ」
「頑張れ舞子!フレッフレッ舞子!」
「可憐………ファイト………」

超怖い。声の大きい女は、本当に怖い。そしてたまに何処からともなく出てくる男達は、しゃちほこが吐く炎の餌食になり、すぐに消えてしまう。
逃げても逃げても、ドカンドカンと海が爆発する音が離れない。これが映画ならアカデミー賞総舐めだ。夢にしたって、恐怖がリアル過ぎる。死にそうな気配が半端ない。

「う、う、うわぁ!!!ユーさん、ユーさぁん!総長っ、そーちょーっ。おれマジで死んじゃう、誰かっ、誰か助けてーっ」

波打ち際から砂浜を辿って反対側は、何故か鬱蒼と生い茂るアマゾンに変化しており、蛇や見た事もない獣が彷徨き回っていた為、獅楼は泣きながら引き返したばかりだ。

「シロ!大丈夫っ?!」
「ほ、ほほほ、ホークさん?!本物っ?!」

然し砂浜にはドカンドカンと大量の水飛沫と津波がやって来る。逃げ回って息も絶え絶え、もう駄目だと半ば諦め掛けた時に、アマゾンから聞こえてきた声に目を見開いた。
ああ、アマゾンから傷だらけで飛び出してきた、あの甘いミルクティー色の髪は、間違いなく川南北緯だ。でもどうせ来てくれるならもっと強そうな仲間が良かったと、うっかり失礼な事を思った獅楼の元に駆け寄ってきた北緯は、何故か首に巨大なアナコンダを巻き付けていたのだ。

「ほほほっ、ホークさん?!その蛇、何で巻いてるの?!」
「これは俺が試練の洞窟で倒した、七色の蛇の子供だ!大丈夫、噛むけどそんなに痛くないから!」

それ大丈夫じゃなくね?
腰が抜けた獅楼は砂浜に崩れ落ちたが、獅楼の傍らを颯爽と通り抜けた北緯は、健吾に続いて可愛らしいと評される顔立ちで真っ直ぐ海に入っていく。
何をするつもりだと放心したまま目を見開いた獅楼は、アナコンダの尻尾をガシッと鷲掴んだ北緯が、「とう!」と言う掛け声と共に舞い上がるのを見たのだ。

「な」
「うぉおおおおお!!!」

文字通り、北緯は飛んでいた。
キラキラと舞い散る水飛沫の中、握り締めたアナコンダを、しゃちほこの上の赤毛に向かって雄叫びをあげながら振りかざし、

「副長の女体化は見飽きてんだよ、コルァアアア!!!」

まさかのアナコンダぶん回しと言う、とんでもない攻撃をカマしてくれたのだ。

ざっぱーん!!!

加賀城獅楼は真ん丸に丸めた目でしゃちほこが沈んだ海を見つめたまま、すてんと音もなく転んだ。あの巨大なしゃちほこを、二メートルくらいのアナコンダで叩き潰すなど、誰が考えても無理だ。何せそれは、鯨より大きなしゃちほこだったのだから。


「「「…」」」
「はぁ、はぁ、はぁ…。ったく、ドイツもコイツも、カルマの副長を何だと思ってるんだ…!フユツキがどうだのタカモリがどうだの、訳が判らない事ばっかほざきやがって!俺は川南だって言ってんだろ!」

珍しく、北緯が荒ぶっていた。
ぷかぷかと海に浮かんでいる巨大なしゃちほこへ、飽きもせずアナコンダを振り回し、何度も何度も攻撃を仕掛けている北緯は、ざばんざばんと波しぶきをあげているが、尚もやめる気配はない。

「シロちゃん。あの素敵な殿方はどなた?」
「あ、えと、ホークさんです…。ハヤトさんのチームで、いつもはもっと大人しい感じの…変だな、おれ、夢でも見てるのかなぁ…?」
「ふん。少しは骨のある男がおるがや。獅楼、おみゃあも見習え」

見るも無惨にしゃちほこをボコボコに粉砕した北緯は、血まみれの顔を拭いながら嫌に男らしい表情で海から上がった。
何があったのかは知らないが、あの恐ろしいアマゾンから出てきただけに、良く見ればあちらこちら服が破れており、怪我も見える。

「シロ、此処にはお前しか居ないの?」
「え?」

北緯に見つめられた獅楼はビクッと震えつつ、今の今まで女二人が立っていた所を見やった。然し二人の姿は既になく、混乱の余り声もない。

「俺の所は頭悪そうなオッサンと、女装した無駄に乳のデカい副長が出たけど、何かムカついたからぶっ殺して来た。総長がどうだのほざいてたから、本当はもう少し痛めつけたかったんだけど…」

少し落ち着いたのか、アナコンダに頭を喰われ掛けている北緯は真顔でアナコンダの尻尾を掴み、ブンッと海へ放り投げる。今まで四天王の影に隠れていたが、やはり彼もまた、獅楼が憧れたカルマの一人なのだろう。
可愛らしい顔立ちに騙されてはならない事を、獅楼は高野健吾と言う悪魔のお陰で痛いほど知っていた。

「シロ?いつもより不細工な顔して、何?」
「う…うわぁん、ホークさん?!本物の北緯さん?!」
「本物って、お前まで訳判んない事言わないでくれる?あ、シロ、お前、何も食べてないよね?」
「えっ?うん、ユーヤさんはぶん取ったキューリとか色々かじってたけど、おれは昨日から食べてないよ」
「そうじゃない、此処に来てから」
「へっ?」

神妙な面持ちの北緯は、自分がやって来た樹海方面を指差す。男らしく血まみれの顔をシャツの裾で拭い、プッと血が混じる唾を吐いて、乱れた猫毛を掻き上げた。

「あんま頭に来て考えるのを後回しにしてたけど、これ、多分総長の作った物語の中って事なんだと思う」
「総長の作った物語?…あっ、そうだよ、おれもそれに近い事考えたんだっ!さっきから総長の家族とか、ユーさんみたいな赤毛の人とか出てきて、死ぬかとっ」
「やっぱ、シロも巻き込まれてたんだね。森の中に居た時に、カナメさんの声が聞こえた様な気がするんだけど、あの蛇の親玉と戦ってて流石にそっちまでは気が回らなくて…」
「た、戦ってたんだ…?」
「何?お前もアレと喧嘩してたんだろ?」

怪訝そうな北緯が指差す先、沈んだのか、既に姿が見えなくなっているしゃちほこと戦っていたのは、獅楼ではない。然しそれを説明した所で、流石は雑魚と罵られるだけだ。
ただでさえカルマでAクラス一貫なのは獅楼だけ。たった一度Aクラスに落ちたが、半年でSクラスに戻った川南北緯は、嵯峨崎佑壱から直々にスカウトされて入隊しただけに、皆からの信用も厚い。

「一人で良く頑張ったね、シロの癖に」
「でもおれ、その、勝ってないし…。倒したのホークさんじゃん」
「舎弟を庇うのは兄貴分の義務だから、気にすんな。お前はカルマで一番弱いんだから」
「うっ」

ガーン!と落ち込んだ獅楼は、然し頼れる北緯に力を抜く。
何処までも続く砂浜を改めて見回して、これからどうするのかと考えた。同じ様に足元の星の砂を見下ろしなから、北緯も静かに頭を働かせている様だ。

「ふー。駄目だ、俺が考えても判らない事を、シロに聞くだけ無駄だよね」
「えっ?何?何も言われてないのに、おれ今、馬鹿にされたよねっ?」
「だって馬鹿じゃん」
「そうだけどさぁ…」
「あれぇ?」

ふわふわと、呑気な声が聞こえてきた。
くるりと揃って海を見やった獅楼と北緯は、兄弟の様に揃って目を見開いたのだ。

「ぉっきな地震が来てぇ、地面が割れたと思ったらぁ、急に夜になっちゃうなんて…」
「俺の方は夕方だったが、無事に会えて良かった…!怖かっただろう桜。もう大丈夫だ、今度こそ俺がお前を守ってや、」
「ぁ!セイちゃん、見て見てぇ!あそこにぃ、加賀城君と川南さんが居るょぉ?」

ポカンと獅楼が見つめる先、何処までも続く海原だった筈の海は、今や小川ほどの細さを隔てて、桜並木の夕暮れと、深夜の砂浜に別れている。
その二色の景色の丁度中央に、見慣れた二人が立っていたのだ。

「あ、安部河っ?」
「イースト、お前そこで何やってるの?」
「わぁい、加賀城君、何か久し振り〜ぃ!」
「…川南?お前こそそんな所で何をやってるんだ、総長と副長は?」

今にも安部河桜に抱きつきそうだった東條清志郎は、桜に顔を押され、ぐきっと首を折りそうな勢いで北緯を見つける。クラスメートの感動的な再会にしては、クールな二人は表情が変わらない。

「中央委員会の手駒に成り下がって自治会に入る様な馬鹿に教えられる事なんか、何もないよ。シロが入ってお前の席はなくなったから、安心してABSOLUTELYの手下やったら?」
「お前がノーサと縁を切ったりするから、俺達にまで当たられるんだ。お陰で仕事がやり難いって事を自覚した上で言ってくれているなら、副長に一言言わなきゃならないな」
「は?嵯峨崎に選ばれたからって勝った気になんないでくれる?俺だって直接声掛けて貰ったんだから」
「俺は総長から直々にクロノスリングを頂いた」

バチバチと睨み合う二人の二年生を呆然と眺めている獅楼の前に、ぽよんと小川を飛び越えた桜は、ぷるんと腹の肉を震わせてから、さくっと踏んだ星の砂を見つめた。

「綺麗だなぁ。僕も海に出たんだけどぉ、ケンちゃんにそっくりな平安時代っぽぃ格好した人に怒られてぇ、貝石料理を作ってたんだぁ」
「へ?懐石料理?」
「ん〜ん、貝石料理だょ?」

獅楼と桜の会話は噛み合わない。
いつまでも睨み合っている二年Sクラスの二人は、それぞれを獅楼と桜が宥めて、何とか落ち着きを取り戻させた。

「クラスメートなのに喧嘩は良くないよ、ホークさんっ」
「セイちゃん、機嫌が悪いからってぇ、川南先輩に八つ当たりしちゃ、駄目だょ?」
「こんな情けない奴に成績で負けてるなんて、俺は絶対、認めないから」
「だったら俺より前の席に移ってから言ってくれないか、川南」

成程、川南北緯と東條清志郎は判り易く仲が悪いらしい。
今まで考えもしなかった現実を目の当たりにした加賀城獅楼はおろおろと目を彷徨わせたが、安部河桜だけはにこにこと、いつも通りのまったりした雰囲気だ。

「喧嘩するならぁ、二人共、俊君に叱って貰うからねぇ?」
「ちょっと、総長に告げ口するなんて卑怯だよ安部河!お茶汲み係の癖に!」
「桜を馬鹿にする気か川南。同じカルマだろうと、それは見逃せない」
「セイちゃん?」

にこり。
背後に黒いものが見える恐ろしい微笑みに、素早く黙った東條とつられて黙った北緯は、獅楼から見ても怯んでいる。
もしかして安部河桜とは怖い人なのではないかと、唐突に背を正した獅楼は、自分より小さい桜を恐る恐る見やった。

「良ぃ?これは俊君の円卓に相応しい12人を選抜する、選定考査なんだょ?皆がライバル同士だからってぇ、闇雲にいがみ合ってても仕方なぃでしょぉ?」
「総長の円卓?」
「然し桜…」
「はぃはぃ、判ったらぁ、喧嘩はやめましょぉねぇ?時間がぁ、勿体なぃからぁ」

獅楼は桜の背後に、真っ黒な影を見た。
北緯にも東條にも見えていないのだろうか。あのゆらゆらと燃える様な、真っ黒な炎が。

「あ…安部河って…」
「なぁに、加賀城君?」
「な…何でもない…」

獅楼には見える。
桜がやって来たと言う、夜の砂浜に夥しい数の鳥居が続いている光景が。

「さぁて。負の系譜が何処まで続ぃてるのかぁ、探険しに行きましょ〜」

これを例えば試練と呼ぶのであれば、一人だけ余裕そうな表情をしている桜だけが、異質なものの様に思えてならない。
減りつつある時間と戦いながら答案用紙を埋めていく生徒達の必死さなど、彼からは微塵も感じないからだ。

「野蛮な喧嘩ばっかじゃぁ、楽しくなぃもんねぇ♪」

それ所か必死になっている子供達を横目に嘲笑うかの様な、ただただ終わる時を待つばかりの。
まるで試験監督の様にさえ思えてならない。



















じわりじわりと甚振る様な打ち方をすると、跳ねられて倒れた自陣のポーンを横目に、クイーンを手に取る。

「あっ、女王様取られちゃったよー、俊」

わざとらしく傷ついたと言わんばかりの表情で、自陣のキングへ話し掛けた男は、泣き真似の様な仕草をしながら、神威のクイーンを跳ねた。

「なーんてね。クイーンの取り合いは序盤のお約束だもんねー」
「口数の減らん男だ。口輪筋を鍛えるべきではないか?」
「えー?そんな筋肉あるの?」
「ああ、所詮は21番とセカンドが言っておったな。お前程度でも配属されるとは、進学科の所属条件を今一度改めるべきと言う事か」
「あはは。引退した癖に、今更何言ってんだい?お前さんは俊から嫌われるのが怖くなって、逃げるんだろう?」

かつりと、駒が音を発てる。
灰色の冠を被った男はやに下がった笑みを浮かべたまま、盤上へ注いでいた視線を上げた。

「お前さんの番だよ、カイ庶務」
「時間の縛りはないと言ったな」
「いいよー、好きなだけ次の手を考えて?俺は俊とお話ししてるから。ね、俊」
「…お前には言った事がなかったか」
「えー、何がー?」
「私の名を呼ぶ権利を与えた覚えはない。穢多の分際で気安く呼ぶな」
「あー、いけないんだー。神帝陛下がそう言う蔑称を使うなんて、育ちが悪いと思われるよー?俊もそう思うよねー?」

にやにやにやにや、唯一人の形をしているキングへ顔を近づけている男は、狂気さえ匂わせる目だけ離さずに。かちり、かちり・と。ゆっくり駒が盤を滑る音。

「大体、穢れてるのはどっちだい?灰色の俺か、真っ黒なお前さんか」
「…」
「黒にも色々あるもんさ。お前さんみたいな汚くて冷たいノアもあれば、俊みたいに優しくてあったかい黒もある。俺はね、思うのさ。お前さんみたいな人間の出来損ないが、気安く近寄るなって」

これは本当に現実ではないのか。
かつかつと互いに互いの陣地へ進め続ける駒は、徐々に早くなっていく。制限時間はないのに、ものの数分で終わりそうな早さだ。

「神帝なんて呼ばれて勘違いしちゃったかい?代々帝王院の当主は『天神』って呼ばれるんだ」
「…知っている」
「だからお前さんは俊に『天』をつけたんだろう?他の誰も、お前さんにその銘を与えてくれなかったから」
「…」
「『王』と『天』は似てるよね、お前さんもそう思っただろう?でもね、天は人の上に人を作らないんだ。だから王様の上にも下にも誰もいない。お前さんは神帝だったけど、その帝の字が、帝王院と同じだとでも思ったの?」

互いに駒が減っていく。

「傲慢だね。悉く愚かだよ」

チェス盤の上を太陽の駒は踊る様に動き回っていたが、神威の駒は、太陽のキングを追い詰める事はない。まるで逃げる様に他の駒を射止めては、太陽のキングをチェックメイトしない様に離れていく。

「お前さんの名前は『神威』なのかい?それとも『CHI』なのかい?」
「………黙れと言ったろう。耳障りだ」
「尊敬する父上から頂いたたった一つの名前は、本当に我が子を思う親から貰ったもの?それとも十番目への皮肉?」
「チェック」

まるで太陽を黙らせる様に、俊の形をしたキングに賢者を差し向けた。と言ってもチェックメイトではないので、鼻唄混じりに俊を逃がした太陽は、未だ余裕の表情だ。

「勝つ気が見えんな、山田太陽」
「俺としては勝っても負けても失うものがないからかな?」
「ならば、やる気を出させてやろう」

盤上に残る駒が俊だけになる様に、神威は表情一つ変えず、太陽の駒を跳ね続けた。
ヘラヘラ笑いながら自陣が犯されていく様を眺めていた太陽は、一層笑みを深めて、キングとビショップが残った神威の駒を見つめたのだ。

「そっちは王様と賢者、俺は王様だけ。これじゃ、俺の負けは決定的かなー」
「引き分けはないと言ったな」
「そう、ステイルメイトはないんだ。この世は無慈悲な弱肉強食だからね、勝つか負けるまで、終わらない」
「ならば王の首を落とすまでだ」

ビショップを掴んだ神威に、太陽は満面の笑みを見せた。
早く落とせと言わんばかりに、期待が窺える眼差しで己のキングを眺めている。


「チェックメイト。」

然し、何ら変わらず立っている俊ではなく、それを眺めていた太陽の頭がごろりと、盤上に転がり落ちたのだ。

「あはは。そう言う事か、えげつないねー」

頭を失った太陽の背後、無表情で立っている二葉の目が、チェス盤に落ちた太陽の頭を見ている。

「お前さんの賢者は白百合様だったね。忘れてたよ、マジェティ」
「王を落とせば終わるのであれば、それは何も俊である必要はない。そうだろう、クラウンを持つ平民よ」
「あーあ。…ま、いっか。俺の負けを認めてあげる。良かったね、冠はお前さんの物だよ、ルーク=フェイン=ノア=グレアム」

けたけたと、体から切り離された顔は笑い続けた。
神威がビショップから手を離すのと同時に、二葉の姿は消えた。正しく人の形をしているのは今、神威と俊だけだ。


「…」

姿形だけ。
動く事も、喋る事もない、人の形をした駒。それは落ちている石やマネキンと何ら代わり映えしない、無機物だ。
そうだと思いながら、沈黙した太陽の頭になど目もくれず、凛と佇む敵方の王へと手を伸ばしたのだ。

「ヴォイニッチの残した空想には、人の失った記憶を戻す手懸かりはない。何万人もの考古学者の興味を一身に集め、21世紀に於けるまで解析されていない、神の手記だ」

神にも出来ないのであれば、誰に何が出来るのだろう。
動く事も、喋る事も、ましてや笑う事もない人形とは、まるで今の遠野俊と同じではないか。

「笑え」

例えばその笑みが、自分以外に向けられていても、構わない。
例えばその笑みが、そっくりな形をした人形でも、構わない。

けれど手に取った駒は表情を変えず、定められた方向を静かに見つめているだけだ。

「…何が狂った?」

最初にして最後、ほんの一時、近くから見てみたいと思っただけだ。
桜吹雪に彩られた外部からの侵入者が、余りにも艶やかに笑う様を見てしまったから、出来る事ならもっと近くで。考えていたのは、それだけだった。

『貝?』
『しじみより、あさりの方が好きです』

鼓膜に触れ、脳に刻み込んだ全ての言葉を一つ残らず。

『ばいばい、裸の王様』
『彼のお陰様で俺の人生は狂いました』
『確実に元の生活には戻れない事でしょう。俺には判ります』

まるで拐かされた様だ。
戻り道の判らない世界へ、神隠しの様に。

「迷い込んだのか、導かれたのか」

希望的観測。人は為す術なく追い込まれた時に、神に祈るらしい。
掌に転がった漆黒の双眸を見つめたまま、脳に溶解した声を手繰り寄せる。
それを人は、思い出すと言うのだ。

『受けも鳴かずば攻められまい。昔から言います、鳴かぬなら鳴かせてみよう強気浮け』
『うぇ、ふぇ、カイちゃん僕を残して死んだらめーにょ!』
『ぼ、僕、もう要らないんだって…!うぇ、独りぼっちで死んじゃうにょ』
『俺を捕まえる事が出来たら、答えてやろう』
『演者の行動パターンに興味はない。定められた結末へ向かうだけの退屈な時間を、呼吸を繰り返しながら待つ。人の本能だろう?』

何処かに。
神すら不可能な事を、もしあの生ける闇が可能であるならば。人の思考を乗っ取り、地獄の様な檻の中へ誘う死神に、少しでも人の心が存在するならば、だ。
何処かに鍵の様なものが存在するかも知れない。

『遠野俊、哀れにして脆い一人の人間だった』
『けれど壊したのはお前だろう?
『焦がれる様にただの人間に、神の偶像を押しつけた』
『罪の烙印はどう購おうと消えない。全てのカルマを刻み無に還す、それが俺の役目だ』
『お前が知っている俺は何処にも居ない』

廻せ、廻せ、脳に刻み込んだ音を奏でる為に。
記憶をオルゴールの様に。
微かな手懸かりを手繰り寄せ、紡ぎ続けろ。

『タイヨーは俺様な生徒会長とラブラブなんです。だけど皆から好かれてしまうんです』
『お腹空いちゃうと死んじゃうにょ』
『カイちゃん、愛の告白シナリオは僕に任せるにょ』

何処かに。
(あると信じなければ)
(期待しなければ)
(まるで人の様に醜く抗わなければ)
(そして絶望しなければ)
(許されないのだろう?)


『1週間徹夜で頑張りますっ!そしてめでたく俺様攻め昇格!生徒会長と熾烈な愛のタイヨー争奪戦!』
「………まさか」
『えっと、生徒会長は俺様で、偉そ〜で、チワワをいっぱい食べてて、でも壇上から本命を一発で見付けちゃうんですっ!』

幻聴の様に、記憶した言葉を集め続けて。
何の確証もない推測に瞬けば、撫でていた駒が微かに笑った様な気がする。

「まさか、そなた」
「Chaos will be king when sight moonless night.(朔月の夜、キングはカオスに)
 Chaos will be silver when sight fullmoon night.(望月の夜、カオスはシルバーに)」

ぱくぱくと、手の中で沈黙していた唇が動くを見たのだ。
それはまるで人の様に言葉を紡ぐ。囁く様に、歌う様に。

「こんにちは、カイちゃん」
「…俊?」
「僕の心臓は、まだカイちゃんの中にありますか?」

声だけだ。
唇以外は人形の如く動かない、小さな小さな駒は囁き続ける。その眼差しは何処かを見つめたまま動かないのに、酷く楽しげだ。

「僕の心臓はまだ動いていますか?僕の心臓は歌っていますか?寂しがり屋の右胸で、夏の蝉の様に高らかに、テンポを刻み続けていますか?」
「俊、そこに居るのか、俊」
「喜劇喜劇、脆弱な体は闇の中♪」

笑う。
笑う。
望んだ通りに声だけは、笑っているのを聞いている。

「心と心で結ばれるのが愛。だからもう、体は要らなくなった」
「何を言っているんだ、お前は」
「待ってるだけじゃ終わらない事を、お前は知っていただろう?終わらせる気がないお前と終わらせたい俺は決して交わらない。地平線と水平線の様に、並び続けても、交わらないんだ」

かちり、かちり・と。
まるでチェスの様な音がする。

「運命に導かれた駒。俺もお前も、運命からは逃げられない」
「俊」
「だから俺は諦めた。どうにも出来ない物語に幾ら書き加えても無駄だと、知っていたからだ」
「俊」
「さようなら、俺の大切な宝物」

無意識に両手で握り締めようとした『王』が、砕ける様に、弾け飛ぶのを見た。



ああ。
砕け散ったステンドグラスの破片が、散っている。



「此処は、何処だ…」


ステンドグラスの上には蒼い羅針盤。
ひたすらに刻を刻み続ける針は何の時間を刻んでいるのか、答えは何処にあるのだろう。


進む道など何処にもない、空虚な世界で。

←いやん(*)
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