帝王院高等学校
地獄の沙汰もマネー次第ってコトだねー
誰にも悟られないよう、極めて小刻みに手首を捻り続けてみたが、やはりどうにもなりそうな気がしない。
俺は人生で最も苛立っている・と、猿轡の下で歯を噛み締めた男は近づいてくる気配に気づき、息を潜めた。

「…良かった、まだ起きてないみたい。そろそろ時間よ、大叔父さんはまだなの?」
「あの二人、特に息子の方は薬が殆ど効いてなかった。説得に応じる様子もない」
「プライドの高い小林一派の加勢は無理でしょ。これを期にヴィーゼンバーグが動くかも知れない時なのに、これじゃあんまりにも人手が足りないじゃない」
「学園内にステルスが到着したそうだ。お前こそ、リンの説得はしないつもりか?」

若い女と男の声だ。
どちらも聞き覚えがあると、高坂向日葵は暗闇の中で耳を澄ませた。

手首、目、口、拘束のお手本の様に五感の殆どを封じられているが、耳栓をされていないのは不幸中の幸いだった。意識が戻ってすぐは混乱したが、やはり妻を怒らせて押し入れに放り込まれた説は、考え過ぎだった様だ。
若気の至りで結婚当初に軽い遊び心で浮気をした時に、三日ほど縛られてドラム式洗濯機に詰められた事がある。
あの時はいつスイッチを入れられるのか怯えたものだが、あの時の恐怖に比べれば、見えない分マシだ。

「リンは駄目って言ったわよね。それは大叔父さんも了承してくれた、知ってるでしょ?」
「ふん。龍の宮にさえ悟られなければ、こちらとしては構わない。失敗するなよ」

所詮堅気のやる事だと嘲笑い半分、容易に抜け出せない縛り方をされている己の身を恥じなくもない。光華会会長でありながらこうも簡単に拉致られていては、組員に向ける顔がないではないか。
冗談でも妻と息子には知られたくなかった。怒ったら何をするか判らない妻と、ただでさえ盛大な反抗期中の息子である。怖くてとても言えやしない。


(…小林の糞野郎が、だから奴は信用出来ねぇっつってんだ!それをあの阿呆オカマ野郎が…!)

今更嵯峨崎嶺一を呪った所で無意味だ。
暫く会話していた二人が遠ざかる気配を確かめて、転がされている高坂は詰めていた息を吐いた。

(動いてる気配はねぇ。でも奴らが入ってくる前、微かにガソリンの匂いがした。つまり、地下駐車場の車内か…)

道理で静かな筈だと、見えないながらある程度の予測を整える。
息子の通う学園に武器を持参する様な不躾な真似はしていない為、気を失っている間に全身チェックをされていないとしても、使える道具は皆無だ。

(ちっ!脇坂か宮田が気づいた頃だと思いてぇが、アレクにまで手ぇ出してやがったら、あの野郎は嵯峨崎ごとぶっ潰してやる…)

叶とは縁を切ったと公言していた筈の鬼畜を、真に受けていた自分が情けなくてならない。小林守矢がどんな男なのか、自分は昔から知っていたではないか。

(…それにしても、魂胆は何だ。捕まえた女と小林にどんな接点があるにしても、狙いが俺だけなら、どっかの組が叶に依頼したとしか考えらんねぇ。だが、あの冬臣がンな小さい仕事を受けるたぁ思えねぇしなぁ…)

危害を加えるつもりなら、わざわざ拉致などせず殺せば良い。
何にせよ生きていると言う事は、誘拐だの営利目的の犯行ではなく、他の理由があると考えるべきだ。光華会を敵に回して得する者など、少なくとも表向きは存在しない。
裏社会の人間であれば、高坂と叶が親戚同士である事は、誰しも知っている事だ。ヴィーゼンバーグの名は、ヨーロッパマフィアならば知らない者はない。

(やっぱ組関係は除外だろう。ヴィーゼンバーグ絡みのが判り易いとして、何で俺だ?ババアが欲しがってんのは日向だろうが…)

無論、ステルシリーを知らないマフィアのボスも居ないだろう。知らないもぐりであれど、光華会高坂組に堂々と仕掛けてくる事は、今まで殆どない。関西や九州の極道とは度々一悶着する事もあるが、この数年は平和なものだった。
極道に於いて、帝王院を知らない者は居ない。金に縁がある者であれば、一度は帝王院当主の名を聞いている筈だ。政財界の大物ですら敬称をつけて呼ぶのが、当主の帝王院駿河だった。
その駿河の目と鼻の先で堂々とヤクザを拉致する様な物好きなど、どう考えても叶以外には考えられない。然し叶冬臣が命じたにしては、余りにもお粗末だ。

(訳判らん。まっさか、皇子の企みじゃねぇよな…?恨まれる様な事をした覚えはねぇんだが、………あれか?俊を極道に誘っちまったのがバレたとか?)

ぶるりと高坂は寒気に震える。
大先輩に向かって『裏切ったら洗脳する』と笑顔で脅迫してくる様な山田大空の雇い主は、あの帝王院秀皇だ。30人相手に一人で乱闘して、擦り傷だけで勝つ様な女を妻にした、物好きである。

(龍の宮がどうだのほざいてたから、冬臣の線は消したとしても…)

高坂向日葵の死んだ父親である先代は、組長の座を息子に譲ってからは、光華会会長の席には残り続けたが、事実上は隠居生活だった。
元々剣道の道場を営んでいた高坂の道場は、昭和の末から門下生が減った事を理由に閉めていたが、晩年は父豊幸と共に、高坂の妻であるアリアドネも手伝って、今では生徒の数も多い。

そんな高坂の道場に、時々やって来ていたのが遠野俊江である。
高坂より二つ若い幼馴染みは、豊幸曰く『男だったら極道しかなれない』と言わしめた逸材で、二歳から竹刀を握っていた高坂をたった一年で倒してからは、高坂組員相手に空手だの柔道だのを習い、中学に上がる頃には向かうところ敵なしの恐ろしい女に成長した。
学園を抜け出しては遊び回っていた高坂や脇坂も、俊江に怯えた一人である。

何だかんだ医者になる事を知った時、高坂向日葵は真顔で言ったものだ。殺すなよ、と。
その時は恐ろしいチビから股間を蹴られたものだが、あんな女でも高坂の初恋の相手なのだから、我ながら趣味が悪い。
お陰様でボーイッシュな女にばかり目が行き、男子校生活で男にも目覚めてしまってからは、父親と血まみれの親子喧嘩を繰り広げたり、物静かな先々代である祖父から『ああ…曾孫が見たい…曾孫…曾孫ぉ…』と囁き続けられたりもしたものだ。どちらも外では極道だったが、家の中では良く泣いていた覚えがある。

あの当時は泣きくたびれて縁側で寝転がっていた父親を馬鹿にしたものだが、現在、愛息子の日向からゴミを見る目で接せられている高坂は、あの時の父豊幸の気持ちを痛いほど理解していた。今ではお盆には墓前で手を合わせながら、何度も謝っている。
日向の冷たい目で睨まれ、冷たい声で『うぜぇ』と言われた時の悲しみは、言葉に出来ない程だ。俊江に股間を蹴られた時にも匹敵する。

(然し、さっきの言い分だと、文仁の娘が絡んでるっぽかったな。冬臣には通じてねぇ話なら、動いてるのは叶の一部だけか…)

そんな『小』悪魔を通り越えて、鬼の様な女を18歳で誑かした勇者、帝王院秀皇がまともとは勿論思っていない。
高坂より十若い秀皇との学園内での記憶は皆無だが、中央委員会会長だった高坂は、いずれ秀皇も会長になるだろうと予感していた事がある。それほど、初等部時代から優秀さが知れていた男だ。

何の策略もなくグレアムに挑む様な男ではない事は明白で、学園内に居たのを見た時から嫌な予感はしていた。ただでさえ俊江が暴れれば、高坂や組員ではどうする事も出来ない。お手上げだ。
それ以上に、俊江に惚れて日本まで追い掛けてきたアリアドネを怒らせるのは得策ではないと考えているのは、高坂だけではあるまい。

(判んねぇなぁ。まさか糞オカマの仕業…いや、もしかして?!邪魔な俺を消して、日向を嵯峨崎の息子と引っ付けるつもりじゃねぇだろうな!待て!確かにちょろっと反対はしたが、ひなちゃんの片思いは気づいてたぞ!パパ判ってるぞ!判ってるから!結婚式にも大人しく出るから!ひなちゃん!もうやめて、パパなんてちょっと無視されただけで何回も死にかけてるんだから、ひなちゃん!!!)

可愛い日向が今回の事を計画したなんて、とてもではないが考えたくない。涙が止まらなくなるからだ。鼻水も止まらなくなるからだ。怖すぎてチビりそうにもなった。
我が子ながら、日向は極道に最適な行動力とえげつない強さを兼ね備えている。父親を殺す事くらい躊躇いそうな気がしない。何故なら、高坂もまた、父親を殺してやろうと思った頃があるのだ。

(いや、ひなちゃんを殺人者にする訳にはいかん!パパは…生きる…!何が欲しいんだ日向、小遣いか!小遣いが足りないなら後で振り込むから!頼む、お前じゃねぇと言ってくれ…!)

それらを鑑みても、秀皇が高坂を捕らえさせたと考える方が、難しく考えるより正しい様な気がする。理由は考えれば考えるほど心当たりがあった。
俊江に色目を使うなだの、俊をスカウトしやがってだの、心当たりだらけだ。どうしたものか。大空に洗脳される気はないが、それ以前に帝王院財閥を敵に回すつもりなど更々なかった。

帝王院には手を出してはならない。
それこそ、死んだ祖父のたった一つの遺言だ。

(自業自得とは言え、小林の野郎…!糞面倒な事になっちまった。とにかく、目隠しだけでも取れりゃ、何とかなりそうなんだが…)

ごろごろと、高坂は転がってみた。
転がってみた時、今のはにゃんこがゴロニャンしている感じだったのではないかと気づき、目隠しの下ではっと目を見開く。

(やべぇ!今日は日曜じゃねぇか…!)

しまった。
今日は飼い猫達の定期検診の日だ。



大多数の組員と大勢の飼い猫を抱えた日本の親父は、釣りたての魚に負けないほど、跳ねた。跳ねて跳ねて跳ねて時々ゼーハーゼーハーしつつ、何とか目隠しをズラす事に成功した。

パパの戦いは此処からだ。






















「あちょー!」
「青蘭、きっちり止めを刺せと教えたでしょう?」
「…煩い!お前が俺に命令しないで下さい!」
「ほわちゃー!っと、おわわ…っ」
「大丈夫ですかハニー、転ばない様に私の後ろに居て下さいね。…青蘭、蹴り倒すなら向こうに倒しなさい。ハニーが怪我をしたらお前の首では済みませんよ」
「黙れと言っているのです。貴様こそ荷物を抱えていつまで遊んでいるつもりか知りませんが、精々後ろから狙われない様に気を付ける事ですよ」

荷物…。
ゾンビの様に次から次へと出てくるピエロの集団を倒していく叶二葉と錦織要に挟まれて、うろ覚えのカンフーで応戦しているつもりだった山田太陽は崩れ落ちる。
彼なりに二葉や要を守っているつもりだった様だが、一撃も当たっていない所か、二葉と要が倒したピエロに躓いて転びそうになったり、二人が倒し損ねたピエロが微かに動く度に驚いては転びそうになったり、全く活躍出来ていない。

視界に太陽が割り込む度に気が逸れてしまう要は、叫びそうになるのを必死で耐えながら暴れ回っていた。
引き換えに要より動き回っている二葉は息一つ乱さず、笑顔でピエロの頭を踏み潰したり、笑顔でピエロの頭をへし折ったり、笑顔で転びそうな太陽を支えたり、無駄に楽しそうだ。

「うー。俺のキックもちゃんと当たってれば、ホームランだと思うんだけどなー」
「そうですねぇ。おやハニー、後ろ狙われていますよ」
「野球でもあるまいに、何がホームランですか!いい加減足を引っ張るのはやめて下さいませんか、山田君!」
「ご、ごめん。俺、俺の足が少し短めだから…!」
「少し待っていて下さいね、ピエロより先に錦織要の首の骨を折ってきます」

もぐら叩きだ。それも悪趣味な。
要の夢の中に現れた太陽と二葉は、氷の中から突如飛び出てきたピエロの群れに驚いた風でもなく、待ってましたとばかりに戦闘を開始した。その辺りから二人の頭の上に、メーターの様なものがある事に気づいた。そして、数字が変動し始めたのを見たのだ。が、それ所ではない。

「馬鹿ですか貴様、その眼鏡は伊達ですか!敵を間違えてますよ!」
「おや?何も間違えていませんよ、抵抗すると苦しさが増すだけです。大人しく死になさい」

ちゃらりーん、と言う音が響く度に二葉の数値が上がっていき、今では100を越えている。初めは意味が判らず出遅れた要も、襲われる度に反撃をしている内に、今では80を越えていた。

誰よりもやる気に満ちている太陽は、然し0のまま全く増えていない。彼の攻撃が届く前に、二葉が敵を仕留めているからだろうと思われる。

久し振りに本気の二葉に狙われた要は必死で逃げ回りながらも涌いてくるピエロを倒しつつ、二葉への反撃の機会を窺っていたが、相手が悪過ぎるのだ。
頬を掠めた二葉の白い手袋が、まるで刃物の様にも思えた。

「っ、山田副会長!ペットの躾が出来ていませんよ!どうにかして下さい!」
「二葉先輩、錦織君苛めたら駄目だよー?」
「これは可愛がっているんですよハニー。ライオンは可愛い子ほど崖から落とすんです」
「あーね」
「あーね、じゃないですよ…!何でそれで納得するんですか!大体、俺は犬ですから!犬!訳の判らない理由で殺されて堪りますか!」
「うーん。それもそうだねー。二葉先輩、錦織君苛めたら駄目だよー?そんな事より俺がお姫様抱っこしてあげるから、おいでー」

この状況で良くそんな事を宣う余裕があるなと、二葉を抱き上げようと試行錯誤している太陽を眺め、要は眉間を押さえる。
何処まで行っても真っ白な景色から変化がない氷原は、氷と言う氷の下に、ピエロが封じられていた。どれが目覚めて飛び出してくるかは完全にランダムで、全く動かないものも居る様だが、油断すれば命取りだ。何せ、数えきれない程のピエロが氷の下に見えている。

「はぁ、はぁ…。いい加減、何が起きているのか説明して頂けますか…!」
「う…うん、ちょいと待って、もうちょっとで持ち上がりそう…やっぱ無理ー」
「諦めないで下さいハニー、次は出来ると思います。はい、もう一度」

身長差、どう見ても10cm以上。
体重差まで知った事ではないが、要の目から見ても二葉の長すぎる足と背を抱えて顔を真っ赤にしている太陽は、膝が震えている。
どう頑張っても無理だ。何故逆ではないのかと要は思ったが、言うだけ無駄だろう。

明らかに三人の中で最も強い二葉を庇おうとしている気配が見られた太陽は、いつもよりほんの少し眉が吊り上がっていた。
初めにピエロの集団が出てきた時は、酷く男らしい声で「俺に任せて!」などと宣っていたが、「はい」と素直に頷いた二葉があっさり倒してしまったので、太陽の出る幕は全然なかったのである。

「あ!ご覧よ、宿屋があるよ!」
「は?宿屋?」
「ああ、確かにホテルが見えますねぇ」

太陽のメーターが先程より増えている事に気づいた要は眉を寄せ、太陽が指差す方向へ目を向ける。
そんな馬鹿なと思っていたが、確かに真っ白な氷原の向こう、ぽつんとパッションピンクな建物が見えた。

「ホテル、アモーレ?あれの何処が宿屋ですか…」
「使用目的を間違えない限り、ラブホもモーテルもただの休憩施設でしょうに。相変わらずお前は柔軟性がない」
「柔軟性、ね。流石、死体を枕に出来る方の台詞は違う」
「動かないものは無機物と同じでしょうに。意思のないものは石も死体も枕みたいなものです」

たったったと軽快に走っていく太陽を早歩きで追い掛けながら、要は二葉には目もくれず鼻で笑った。勿論、その程度では表情も崩さない二重人格には効果はない。
つるんと氷の上で滑り転んだ太陽を認め飛び上がった二葉と要は、太陽の周囲からガシャンと出てきたピエロが、倒れている太陽を襲う前に辛うじて仕留めた。

「おのれ、私の目の前でハニーに襲い掛かるとは何事ですか!粉微塵にするまで許さん、消えろ雑魚共が!誰のもんに手を出したか思い知れ…!俺の!アキに!ぶっ殺す!」
「大丈夫ですか山田君!こんな時に勝手な真似はやめて下さい、貴方が死ぬのは勝手ですが、洋蘭と俺を二人きりにしたら怒りますよ!」
「あ、あはは、ごめんねー。うっわ、二葉先輩が大量虐殺してる…」
「あの場は洋蘭に任せて、俺達は建物の中に避難しましょう。明らかに罠でしょうが、背に腹は代えられません」
「そうだねー。氷の下には無数のモンスターが氷漬けになってる訳だし、地面がある所に行きたい」

成程、流石の太陽も何も考えていなかった訳ではないらしい。
少なくともいつ襲われるか判らない場所、それも氷漬けのピエロの上で呑気に長話などしている余裕はなかった。
太陽が襲われそうになったからか、笑顔を消した二葉は、ピエロの方が哀れに思えるほど荒ぶっていた。顔色が悪い太陽は二葉から目を逸らし、要の手を引いてホテルまで足を進めていく。一人になるのは危険だと自覚した様だ。

「つーか、氷って結構滑るんだねー。ゲームの中では華麗なコントローラー捌きで回避出来るけど、実際に歩くのは大変だ…」
「冬場は余り外に出ませんからね、我々は。雪が積もっても、登校する前には除雪されていますし」
「だよねー。あれってEクラスの人達がバイトで雪掻きしてくれてるんだって、知ってた?」
「ええ、まぁ。うちの阿呆三匹が工業科なので、少しは」
「ああ、そっか。えっと、松木先輩と竹林先輩と梅森先輩?」
「良く出来ました。馬鹿ですが悪い奴らではないので、見掛けた時くらいは話し掛けてやって下さい。何かされたら俺に報告を」
「何もされないと思うけど、そん時は神崎に言うよ。えげつない仕返ししてくれそうだもん」
「まぁ、ハヤトでもケンゴでも良いんですがね。総長は駄目ですよ、怒らせたら洋蘭どころではありませんから」
「嘘、俊ってそんななの?」
「俺の覚えている限り、総長が息を切らしていた所を見た事がありません」

ホテルの周りは、ピンクの煉瓦が敷き詰められていた。
此処なら少なくともピエロの姿は見えないと、荒ぶる二葉が一息吐くまで待つ事にした太陽の隣で、周囲を警戒しながら要は言う。
瞬いた太陽は「確かに」と呟いて、黒光りする黒縁眼鏡を思い出した。

「はぁはぁはしてるけど、疲れてるとこは見た事ないかも。俊ってカルマに居る時もあんな感じだった?それとも、さっきみたいな無愛想な感じ?」
「去年までは間違いなくさっきまでの総長でした。昨日までの総長は、俺達からしてみれば、総長とは全くの別人です。腐男子と言われても未だにピンと来ないんですがね」
「今の俊はホモ好きな雰囲気じゃないもんね」
「当たり前でしょう?!俺は総長の声で判りましたが、天の君が総長だと気づくのは、ハヤトが一番遅かったんですよ!」

要が声を荒らげる意味は、判らなくもない。
普段はだれている神崎隼人は、あれでも要より成績が良い、少なくとも先月までは帝君だった男だ。ヘラヘラした笑みを浮かべているのは同じでも、他人に弱味を見せる様な男ではなかったし、気分屋なので授業にも滅多に出てこなかった。

「そう言えば、中等部から三年も同じクラスで過ごしてるのに、俺、あんまり神崎のこと知らないなー」
「…カルマでしょっちゅう顔を合わせていた俺も、そんなに知りませんよ。そんな男なんです、あれは」
「ん?でも一番仲良いのって、錦織君じゃないの?」
「は?」
「あ、いや、俺の個人的な意見だけどさー。ほら、中等部時代も時々目で会話してなかった?」
「してません、変な言いがかりはやめて下さい」
「あはは、勘違いかー。つーか俺、最近まで錦織君がカルマなの知らなかったし、神崎と仲良いの変だなーって思ってたんだ。あ、でも、高野と藤倉は錦織君にも神崎にも話し掛けてたけどさ」
「見ている様で見ていないんですね」
「え?」
「話し掛けて来るのはいつもケンゴだけですよ。ユーヤから俺に話し掛けて来る事は、ほぼありません」

怪訝げな太陽を横目に、一人で何体のピエロを倒したのか、漸く歩いてくる二葉に気づいた要は肩から力を抜いた。情けない話だが、叶二葉が一人存在するだけで、地獄の様な世界も日常の様に思える。完璧な刷り込みだろう。我ながら情けない。

「ケンゴの前では仲間の振りをしていますが、本当は俺の事が嫌いなんですよ、ユーヤは」
「そっかなー…」
「ケンゴが居ない時のユーヤは大体寝てます」
「ああ、そうかも。寝る子は育つって言うけど、錦織君と藤倉は身長同じくらいだよね、そう言えば。錦織君の方が細いから、藤倉が大きく見えるけど」
「君だって細いでしょうが。細い=弱いと言う評価は受け付けませんよ、あの男を見なさい」

若干腹が立った要は二葉を見る事なく指を差し、太陽は額を掻きながら頷いた。確かに細さで言えば、二葉の線の細さは強そうには見えない。
脱いだら凄い事を太陽は知っているが、ゲームのキャラクターばりに敵を倒していく二葉を認め、男として負けた様な気になったのは秘密だ。コントローラーさえあったら、太陽は負けない自信がある。敗因はリーチの長さなのだ。身長差ではない。

「うう。足の長さが俺のHPを減らす…」
「は?えいちぴー?」
「錦織君、男は足の長さじゃないよ、器のデカさだよ!」
「ああ、まぁ、異論はありませんけど、いきなり何ですか」
「二葉先輩の足の長さがムカつく訳ではないよ」
「ムカつくんですね」

吹き出した要は口元を押さえ、眉を潜めてやって来た二葉から目を逸らす。二人の会話が気になっていたらしい二葉は、若干服が乱れていたが、流石に傷一つなかった。

「細切れにしてやろうと思いましたが存外数が多く、頭を潰すだけで終わらせて来ました。申し訳ありませんハニー、このお詫びは体でお返しします。宿泊しましょう」
「宿屋で俺に何をするつもりか知らないけど、一部屋しか借りないからね?」

一番後から来た癖に、太陽の肩を抱いて意気揚々とホテルへ入っていく二葉は、無人のフロントで部屋を物色し始める。敵は居ないかと暫く辺りを見回していた要は、二葉からの「邪魔だ消えろオーラ」を感じたが、気づかない振りだ。

「固まってないとさー、誰か一人だけ襲われたら困るでしょ?冒険のセオリーさ」
「ハニー、恋人同士でホテルにやって来て邪魔者と同室なんて絶対に間違っていると私は思います」
「お前さんだけ一人部屋でもいいけど?」

ああ、太陽のメーターがちゃらりーんと音を発てた。
成程、二葉に精神的ダメージを与えて経験値を貯めている様だ。一体もピエロを倒していない太陽の数値が増える意味が判らなかったが、999と言う数字で止まっている二葉がロビーのソファーで膝を抱えているので、倒した事になったのだろうと思われる。

「山田君、気づいてましたか?このメーター」
「ん?ああ、ステータス?気づいてるよー、だってこれ、俺が作ったんだもん」
「は?作ったんですか?」
「うん、俺が一体目のピエロを倒した時にさー、経験値入ってたら楽しいだろうと思ったら、何か出てきた」

平然と宣いながら、一番広い部屋を選んだ太陽がパネルをポチっと押すと、ガコンとパネルの下から鍵が出てくる。ラブホテルになどおよそ縁がなさそうな太陽は、然し鍵を掴むと迷いなく歩き始めた。

「待って下さい山田君、部屋が何処にあるか判るんですか?!」
「ん?201の『三角木馬と蝋責め地獄の部屋』だから、二階じゃない?何かさー、北棟に似てるよね、ここ」

ああ、どう言うチョイスなのか。
ぱくぱくと声もなく喘ぐ要の隣を通り過ぎた二葉もまた、何とも言えない表情をしていた様な気がする。

「あ…貴方達、一体どんなプレイを…?!」
「変な想像はやめなさい、殺しますよ」
「まさか、山田君がマゾだったなんて…。やり過ぎて殺さないで下さい、よ…」
「…この私がそんな事をすると思っているのですか!」

二葉のSさを知っている要は、太陽の背を同情の眼差しで見つめながら呟き、当の二葉は底冷えする笑みで要を睨んだが、階段を上ってすぐの部屋にキーを差し込んだ太陽は、酷く晴れやかな笑みでドアを開き、

「うっわ、ぶっとい蝋燭と鞭がある!いいねー、この鞭は貰っとこっかな。この蝋燭、どうやって使うんだろー。火をつけて投げつけるのかなー?」
「「………投げ…?」」
「うわー、この足がついた三角の奴が木馬?って事は上に座るの?股間が潰れちゃうんじゃない?何か痛そうだなー、ちょいと二葉先輩、試しに座ってみてよ!」

目を見合わせた叶二葉と錦織要は、己らの想像が完璧に間違っていた事に気づいた。目を爛々と輝かせている山田太陽は、到底縁がなさそうな鞭を笑顔でビシッと奮い、嫌に様になっている。

「オ客サマ、当ほてるハ、前払イデス」

開けたままのドアの向こうに、ピンクのピエロが立っていた。
いつからそこに居たのかと身構えた二葉と要の隙間を、目に見えない早さで何かが飛んでいく。



「俺さー、いつも思ってたんだよねー」

二葉の髪と要のブレザーを掠めていったそれは、鞭だったらしい。一撃で真っ二つに裂けたピエロは、上半身と下半身がバラバラに暫く動いて、沈黙する。

「宿屋の主人が居なくなれば、何処でもタダで泊まり放題なのにって。」

ピエロを裂いた男は、にこにこと戸口まで近寄ると、落ちているピエロの下半身を廊下へ蹴り転がし、ぱたりとドアを閉めた。

「何だい、二葉先輩も錦織君も、俺の顔に何かついてるかい?」
「いいえ」
「何もついていません」
「とりあえず落ち着いたから、ミーティングしよっか。でもその前に他にも武器になりそうなのないか、探してもいいかい?」
「はい」
「気の済むまでどうぞ」

ああ。
微動だに出来ない要は冷や汗を垂れ流したが、二葉も微動だにしていないので、情けないとは思わない事にする。

「おー。でっかいお風呂あるけど、入りたい人いるー?」
「「いいえ」」

あの鞭で攻められたら確実に死ぬと言う事だけは理解したので、太陽のメーターがこれ以上増えない事を願うばかりだ。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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