帝王院高等学校
Transfer System of the End
何と言う恐ろしい予感がしたのだろう。
全ては自分の招いた現状なのかも知れないと考えた瞬間、否定する間もなく全身を恐怖が包んだ。

「今、何と言った?」
「そう、つまり俺は物語を一つに繋げる事に成功した。何処から何処までが他人の記憶なのか、今はもう、その境が曖昧だ」

目の前のそれは唇を吊り上げる。人の形をした何か。

「久しいなオリオン、私を覚えているか?」
「な…」
「明神は耳が目だ。冬月は忘れる事が出来ない。榛原は歌う。敵の絶望を促す為に、敵の大切な人間の声を真似る事が出来る。今の榛原は偽物だと、俺は気づいてしまった」
「…」
「灰原は神を失った帝王院に残された者を指す隠語。本物の神原は、狂った帝王院俊秀に愛想を尽かしたんだ。我が子を閉じ込めた無慈悲な男に。だから彼は名を変えた」

いつ、これは此処まで狂ったのだ。

「高坂向日葵の父親の名は豊幸。高坂組は豊幸の父親の代に作られた。名は秀幸。帝王院俊秀、高坂秀幸。…似ていると思わないか?」

それは自分すら知らない話。それなのに一体何処で、誰が、作り話にしては出来すぎている。

「俊秀には妹と弟がいた。妹は宮司である神木家に嫁ぎ、昭和初期に姓を改めた。以降の名は榊」

神よ。
誰が嘘だと、言ってくれないか。

「俊秀の弟は、生後間もなく灰皇院の養子に入った。母親から継いだ、強い明神の力を秘めていたからだ。その弟は、雲隠を妻に娶った兄を見限り出奔、以降、帝王院の系譜には残っていない」

目の前のそれは、誰だ。
どうして自分さえ知らない話をそれは、知っているのだ。まるで自分の経験の様に、こうと淀みなく話せるのか。

「彼は明神当主の外戚と結婚した。だから姉弟は『神』に嫁いだと書かれている。戦後の混乱した時代に設立された高坂組の初代は、高坂秀幸。帝王院俊秀の弟の名は、宰庄司秀之。…他に質問は?」
「…もう良い、それは正しいのだろう」
「じゃ、話を変えようか。この話の続きは聞きたくないんだろう?」

罪が目の前に姿を現すのをただ、視ている。逃れる術はない。

「頭を弄られる夢を見た。榊外科部長が叫んでる。この子を助けてくれ、この子を助けてくれ。けれどバイク事故を起こした榊雅孝は手術の甲斐なく、哀れ13歳でその生涯に幕を下ろした。俺はその光景を自分の事の様に覚えている」

その時、初めて人間に恐怖を抱いた。
中学に上がったばかりの、今や目線も大差ないとは言え60歳以上離れている子供を前に、舌に乗せる言葉を一つとして見つけられないのだ。

「雅孝は最後の最期まで『俺は此処に居る』と叫んだ。自らの脳を弄られる音を聞きながら、脳が欠損していると叫ぶ声を聞きながら、父親へ助けを求め続けたんだ。俺はそれを自分の記憶に摩り替えた。俺の中では死にかけているのは俺で、助けてくれるのは『外科部長』じゃなく、『院長』」
「…」
「息子を失った榊外科部長が可哀想だ。何故ならば彼らは、この俺の家族なのだから。そうだろう、冬月龍一郎」

懐かしい声を聞いた瞬間、世界の恐ろしさに戦慄した。
何故その声を知っているのだと叫ぶ前に、自分の血を分けた孫の体に流れる血を、痛感したのだ。

「帝王院鳳凰は、その人生の半分以上を絶望と憎悪で費やした。俺はそれを、まるで自分の事の様に記憶している。最愛の妻を殺した加賀城を憎み、愛し、矛盾を抱えたまま地獄へ落ちた」
「大殿はその様な方ではない!」

全身を這った感情は恐怖。これはそれ以外の何物でもない。

「鳳凰は自らの命を終わらせる事で、人の道を外れた罪を洗い流したつもりだったのか。それとも、単に生きる事に絶望したのか。でも俺の中で繰り返される言葉がある。赦しを与えてはならない。瑞穂と瑠璃子には、輪廻に戻る事を許さない。地獄の底で俺が、刹那の容赦なく焼き殺し続けてやる。何度も、何度も、何度も」
「…」
「二度と廻らぬ朝を希い、犯した過ちを悔い続けろ」

その言葉は聞いた事もなかった。
けれどその声は遠き日に死んだあの人に似ている。そうだ、この子はそもそも、あの人の声にそっくりだ。

何せ、彼の血を引いているのだから。

「鳳凰は105代目。俺が紡いだ記憶が告げている。108の罪が描く星座は、六芒の系譜だと」
「お前、は、何を…」
「巳酉伯母さん、どうして俺の手を取ったんだ」
「っ」
「家が燃えている。家の内側が燃えている。赤い赤い、これは炎の中」
「俊!」
「殺す価値もないあの男の後を追う必要なんか、」
「もう良い、やめろ!」

理解の範疇を越えている。

「赤い赤い、これは火の中。優しかった兄姉は最後に言った。幸せであれと。お前は『光』だと」
「な…」
「リヴァイ=グレアム、灰の町で生まれた光は夜と共に在る事を望んだ。二度と名乗れない本名を初めて教えた、四人目の配偶者にして最後の恋人。名を、遠野夜人」

砂漠が水を吸う様にあらゆるものを記憶する孫に、興味がないものは覚えない自分が与えてきた昔話は今、鋭い牙を剥いたのだろうか。

「星には月が寄りそう。夜は陽を乞う。ならば陽と夜が交わるのは道理」
「俊江と秀皇か…」
「夢を見た。窓の外が赤い。彼らは皆、笑っている。禁忌に触れたからだ。神の遺体から取り出した脳の情報をデータ化する事は出来なかった。母の体にメスは入れられない」
「…貴様こそ」
「同情だろう?同じ炎に家を奪われた神に。神の願いを叶えてやりたいと思った。あれほど仲の良かった二人に子供が出来なかった事が気掛かりだったからだ。そう、遠野夜人のDNAを持つ女が居たとしたら」
「儂の罪そのものだ!」

考えるだに悍しい。
悪い夢だと、今はただ、そう思いたかった。


「食事は家族で頂きましょう。それこそ、唯一の家訓なのです」

女の声だ。
人の声帯とは、こうも千差万別隔てなく、音色を変えるものだろうか。歴代当主の誰もがどの家より非力で、なのに灰皇院最強とまで謳われた榛原が、いつか化物と呼ばれていた事を知っている。

「龍流さんは仰いました」

最早恐怖が麻痺してきた。
どうしてその声を知っているのかと、そんな些細な事を疑うべくもない。判らない事を知った所で、恐怖が積み重なっていくだけだ。

「いずれ不治の病が簡単に完治する、そんな時代がやって来ると」
「………愚かな夢を見た、父の口癖」
「なのにどうして、お父様が倒れているの?」
「お許し下さい母上、俺は…」
「憎い。大切な家族を奪った人間が憎い。両親を殺した人間が憎い。私の龍流さんを奪った人間が憎い。一人で死ぬのは悲しい、死ぬなら一緒に逝きましょう?私が間違っていたのです。
 龍一郎、龍人。私の可愛い子供達を残してはいけない」

足元が崩れ落ちる様な気がする。実際は膝を着いただけだ。
鼓膜を支配する懐かしい母親の声が、現実のものなのか、やはり夢でしかないのか、それすらどうでも良い。
これは希望なのか、絶望なのか、それ以外の何かなのか。神よ、答えは何処にあると言う。

「帝王院は呪われた系譜。
 俊秀が課した枷によって十口は京都から出られなくなった。
 敗戦を迎える事で自由を得た鳳凰が初めて絶望を覚えたその日に冬月は消えた。
 鳳凰が罪を犯した日に嵯峨崎は掟で縛られた。
 駿河が助けを求めたが故に明神は分裂した。
 秀皇の願いに従う榛原もまた、破滅へ向かう運命」
「お前には、何が、見える…?」
「俊秀が斬りつけた大樹、鳳凰が切った守護者の縁、駿河が取り壊した社、呪われた系譜から逃れた秀皇は己の身代わりを用意した。物語を紡ぐように、一つ一つ細い藁を紡いで産まれた子供は、人に紛れた人成らざる『黒羊』」

何処で間違えた。
初めから間違えていたのだろうか。ああ、今更時を戻す事など出来はしない。

「審判は近い。解き放たれたカルマでアリエスを黒く染め上げた日、俺は人として完成するだろう」
「お前は人だ。馬鹿な事を言うでない。お前は儂の、宝…」
「俺の体を使おうとしただろう?」

神よ。

「凍結保存した神の遺伝子をより完全な姿で残す為に、自分の最も大切な人間を生け贄にしたじゃないか」
「…」
「曾祖父の力を継いだ父の血液が神に酷似している事を利用して、縋ってきた女の願いを踏みにじり、二つの罪を残したじゃないか。シスAB型」
「何処まで…」
「全ての血液型を有したAB型にしてO型の子。帝王院に秘められた秘密。陰陽道の禁忌。なァ、じーちゃん。レヴィの複製とキングの複製、それだけじゃ足りなかったんだろう?」
「お前は…」
「朝と夜が産む奇跡を見たかったんだろう?自分の娘の卵子に、神に最も近い帝王院秀皇の遺伝子情報を複製して書き換えたキングの精子を授精させた子供の名は、命威。命を愚弄した罪の証」
「既に人の領域を外れたのか、俊」
「レヴィの精子と、遠野夜人の遺伝子情報で書き換えた卵子を授精させた子供の名は、X。夜の完全体。完全なる神の遺伝子を有した、ノアと夜の奇跡」

目の前のこれは、いつから孫の姿をした化け物に入れ替わったのだ。

「プロトタイプは二体。まるで弟が産んだアダムとイブの様に」
「…」
「ロードとクリスの様に引き離す事はない。夜の完全体は二人。レヴィと同じ血であれば成功率が上がるのではないかと、孤独な研究者は考えた。神、それはレヴィの他にもいる」
「違、」
「答え合わせは後にしよう。
 俺は産まれたその瞬間に未来を操る術を得た。俺の描いた脚本は決して覆らない。何故ならば天網は俺の血に描かれた。俺は生きるプラネタリウムだ。呪われた系譜を断ち切り、鳳凰にも出来なかった輪廻回帰を果たすのは、俺の責務」
「…輪廻?」
「俺はあらゆる偶然の連鎖が産み落とした、朝と夜の狭間の偶像。輪廻に刻まれた必然なる自然の摂理が俺を象り、圧倒的絶対なる時の流れを唯一手繰り寄せる事が出来る。何故ならば俺は帝王院鳳凰と遠野夜刀、朝と夜の王から作られた王の子」
「人には時を操る力などない。何億の研究者が一生を捧げようと、それは不可能だった」
「そう、俺には過去に戻る力は与えられていない。だから前しか見ない。どんな過去を突きつけられても無関係だ。何の意味もない。生きた藁人形である俺には必要のない、他人の記憶の連鎖」

藁人形は微笑んだ。
神々しいほど晴れやかに、一切の穢れなく。

「藁人形として俺はあらゆる罪を浄化する為に、愛する人の目の前で死ぬ運命。この脚本は決して覆らない。朝と夜の狭間、水平線から逃れられない俺はその時きっと、人間になるのだと思う」
「死ぬだと?!お前は正気か?!」
「Close your eyes.」

しまった、と。
思った瞬間にはもう、世界は時を止めている。


「藁人形は己の体を紡ぎながら他人の記憶を観てきた。まるで映画を観るが如く、終わらない物語は世代を越えて尚続き、藁人形は数多の罪を己の身に刻み込む事で、喜びを覚えた」

嬉しそうに語る唇、嬉しそうに細められた眼差し、人の形をした別の何かはひたすら囁き続けた。止まった時の中で、まるで物語を朗読するかの様に。

「俺は遠野龍一郎が犯した罪の証。主人への冒涜、娘への裏切り、その輪廻は帝王院秀皇と遠野俊江が結ばれた事によって必然と化した。
 俺は他人事の様に記憶している。馬に乗った。怯えていた馬は俺が撫でた瞬間暴れ、俺を振り落とした。俺は頭から落ちた。体が小さく、頭が重かったからだ。
 自分の子供の血を見た日、母は初めて泣き叫んだ。彼女は忌まわしき過去から目を逸らし、形振り構わず父親へ救いを求めた。出産を最後まで許さなかった父親から、逃げるように家を出たにも関わらず。それは何故か。
 彼女は自分が可笑しい事を知っている。父も弟もAB型、母はB型。なのに彼女だけ、O型」

確率は何割だと。
悪魔の様に囁く声、それは誰のものだった?

「有り得ない訳じゃない。ただその確率。知っていた筈だ。AB型だった筈の遠野夜人の血中に、存在する筈のないB抗原を見つけたその時に。
 一人の研究者は考えた。低カリウム血漿のキングは、レヴィの奇特な遺伝子が起こした奇跡的な劣性遺伝。シスの証。彼は二重遺伝子を保有した神の子。キングにはA・Bどちらの抗原も存在しない。つまりはO型だ。レヴィの色素欠乏は遺伝していない。キングの遺伝子は著しく欠損している。生きている事が奇跡な程に。
 欠損は生殖器に現れた。神の奇跡は種の保存を淘汰し、男の姿をした天使を作り出したんだ。彼は永久に一人だ。ヴィーゼンバーグの長命さを継いでいたとすれば、家族に恵まれないまま長い人生を過ごさなくてはならない。一人の研究者は考えた。

 それは余りにも、哀れだと。」

どうして。
教えていない個人の感情まで見えてしまったのか。言葉を奪われ、一方的に与えられる暴力にも等しい声をただ、聞いているしかない。まるで映画の様だ。襲われると判っているキャストを観客は助ける事が出来ない。
叫ぼうとも、祈ろうとも。

「クローンなんて野蛮な考えは初めからない。欲しいのは『キング』の家族。レヴィとナイト=メアの血を継いだ、完全なるAB型のキメラ。遺伝子の奇跡。けれどシンフォニア計画は難航した。レヴィと同じ血を持つ者は存在しない。何故ならば彼は、神の奇跡」
「やめて、くれ、俊。それ以上は…」
「待ち兼ねた彼は自分の結婚を利用した。遠野夜人の女体化を企んだ。遠野夜人の遺伝子に酷く近い女性体、TSEの一人目はO型。これは、神への冒涜に対する裁きではないのか。
 彼は計画を中断せざる得なかった。哀れなキングの為と言う大義名分で己を騙し続けるには、育っていく娘の何と愛らしい事か。けれど神の怒りは終わらない。試練の時、選択を迫られた。待ち兼ねた神が転生したからだ。レヴィに酷似したキメラ、AB型でありながらA型に酷く近い、二人目の神の奇跡の名は、帝王院秀皇」

そうして話は巻き戻る。
レヴィ=グレアムと遠野夜人の再来、人として守らねばならない倫理は、甘い誘惑を前に崩壊した。

「然し躊躇った。当然だ。その研究者にとって、帝王院への冒涜は神への冒涜にも等しい。鳳凰の遺言通り見守ってきた駿河の子、それは自分の息子にも等しい存在。出来る訳がない。してはいけない。何度も、何度も、何度も、彼は己の理性に語り聞かせた」

アダムとイブが禁忌を犯した様に、楽園に実る林檎は甘い。

「自分が残した計画を継いでしまった弟の犯した罪。その名はシンフォニア・エデン、アダム。ロードはこの世を憎んだ。捧げられる愛を信じられず、幼い女に囁いた。秀皇の子を成せ。全て、冬月龍一郎の犯した罪」
「罪…」
「健気な女はロードの子を望んだ。罪は罪だ。これ以上どんな罪を重ねようと、地獄へ落ちる事は変わらない。そう思ったろう?」
「…本当に賢い子だ。お前こそ儂が犯した、最たる罪の証だったとはな…」
「子供には幸せになって欲しい。人は勝手な生き物だ。人の形をした娘の体、友人の息子には手が出せなかった。それなら他人の体を使うだけ。成功率は格段に落ちるだろうが、秀皇と俊江のDNAを使い続ければ、いつか三人目の奇跡が生まれるだろう。秀皇と俊江には傷一つ残さず、誰にも知られる事なく」

計画は一人目の被験者で奇跡的にも成功したのだ。
臨床実験、試しのつもりで二卵性双生児を女の体に着床させた。女の名は、サラ=フェイン。

「どう足掻いてもサラの願いは叶えてやれなかったんだ。月経が始まっていない彼女は、排卵が望めなかった」
「その通りだ。…雅孝にも言っていない事を、いつ判った?」
「じーちゃんはそこまで酷い人間じゃないと思ったから。秀皇の子とロードの子で悩んだサラの為に、双子を妊娠させたんだろう?太郎は後悔していた。いつかサラの墓前で謝りたいらしい」
「…そうか」

大人びた美貌に色香を漂わせる体躯、およそ14歳には見えない女だった。彼女はロードの死を受け入れず、ロードのダークサファイアを継いだ子供を手離し、心を病んだらしい。

「白髪だったアルビノの子供に比べて、淡い茶髪だった方の子供を金髪だとあの娘は信じた。俊江が産まれた時の事を思い出した。あれは今でこそ黒髪だが、子供の頃は赤毛と苛められて…捻くれたんだ」
「二人の子供の内、最後に残ったレヴィの精子を使った子供が、神?」

わざとらしく首を傾げた子供を前に、いつの間にか呪縛が解けていたらしい体を動かした。
この埃臭い研究室は、もう必要ないのかも知れない。片付けるとなると気の遠くなる話だと自嘲し、積み重ねてきた文献で埋め尽くされた本棚を見た。

「アルビノ、レヴィ陛下もそうだった。皮膚は透ける様に白く、昼間は外に出ない夜の住人。その癖、目を離すと勝手に出掛けていく。人を見る目に長けていた。何処で捕まえてくるのか、素性の知れん者を家族の様に囲う。幼くして、本当の家族を失ったからだろう」

家の書斎は医者だった自分の全て。そして此処は、摂理に逆らったマッドサイエンティストの犯した罪の全てだ。

「真紅の塔で産まれた二人の『塔』、鳳凰公が青春時代を軟禁状態で過ごした牢獄が、ルークを裂いた。片方は神の子として、片方は罪の子として。後に神の奇跡がノアになったと聞いた。レヴィ陛下に瓜二つの子供に育ったろう。キングが亡き父に重ねたのも、無理はない」
「中国に渡ったもう一人の子供が、本当のブラックシープか。グレアムの姿形をした、遠野の血を持つ黒髪の黒羊」
「…神の裁きだ。遺伝子情報を消した俊江の卵殻を用いて、秀皇をベースに発達しなかったナインの精子をこの手で作った。然し外見こそ遺伝したが、遺伝子配列は俊江のそれに近い」
「俺の兄」
「DNA配列だけを見れば、な」
「神の審判は下された。同じ顔をした二卵性双生児の『他人』、AB型とO型のシンフォニア。一人はレヴィ、一人はキングの子供」
「…儂には説明する言葉が見当たらん。DNAだけを見れば、ルークとお前は他人に等しい。いや他人だ。父の様に兄の様にそして母の様に慕った夜人の体にメスを入れられなかった儂は、夜人の遺伝子を持っていなかった」
「ルーク=ノアの母親…卵子は、本当は誰のものなんだ?それだけがどうしても判らない」

その問いに答えた瞬間だけ目元を和らげた孫が何を考えていたのか、その疑問からは目を逸らすしかない。犯し続けた罪は神の審判として、一人の裁判者を産み落としたのだろう。
己の孫の形をした、呪われた帝王院がもたらした、人ではない何かとして。

「落馬した俺の傷は、運ばれてきた時には既に治っていた?」
「そうだ。儂はお前の体には何もしていない。信じるか否かは、お前が決めるが良い」
「俺には何処から何処までが自分の記憶か、明確に判断する事が出来ない。きっと俺は可笑しいんだ。膨大な記憶はまるで宇宙に点在する星の様にざわめいている。俺は俺と言う宇宙に幾つもの星を抱え、まるで神様になった様に思い掛けている」
「違う。お前は人間だ」
「俺はそれを望んでる。藁人形は呪いから解き放たれた時に人になれる。俺は朝と夜の狭間。天国と地獄の狭間。神と人の狭間。今はまだ、形がない」

慈悲深い帝王院の血を持ち、決して忘れない冬月の血を持ち、雲隠の完治能力を有し、元老院が真の神と崇める黒髪のノアの血を継いだ、神でも人でもない何か。それは、何だ。

「秀皇と俊江は星の記憶に導かれるまま、神の脚本通りに出逢った。そこには人の企みなど存在しない。まるで罰。娘が神の子を孕んだ。鳳凰の血を継いだ駿河、その息子である秀皇の血を継いだ、その子を誕生させてはならない」
「そう思った時もあった。…駿河にどれほど叱られたか」
「それでも娘の体にメスは入れられない。悩んでいる内に娘の出産を迎えてしまった。難産だ。このまま失敗すれば、最悪、娘の命だけは助ける自信がある」

それなのに、初めて娘の血の色を知った時の恐怖を覚えているか。何も判っていなかった。人の力の及ばぬ神の奇跡、出産の気高さ、尊さ、それを目にした時に、本当の罪を思い知っただろう。

「駿河にお前の存在を知らせた。会いたがっている様だが、言い出せないらしい」
「会わせたい?」
「…会わせれば、お前を帝王院に譲られねばならなくなる。自分勝手だと思うか。冬月でありながら、何物にも縛られず自由に生きよと宣っておいて、儂はお前を譲りたくない。和歌にしても舜にしても、ただ一人欠ける事なく、お前達はこの遠野龍一郎の家族だ」
「判った。じゃあ、会わない」
「良いのか…?」
「俺は映画を観ている。作者にして観客。主役はいつも、スクリーンの中。それでイイ」

何ら感情を窺わせない表情が口にした台詞は、その真意を図る事は出来ない。

「俺は遠野俊。名前はそれだけだ。そうだろう?」
「ああ、お前は遠野俊。…儂の孫だ」
「俺はカルマを解き放つ。抱えてきた罪を浄化し、いつか愛を歌いながら、あの人の心の中に残ったその時に、人になるんだ…」
「…俊?」
「俺は藁人形。家族の幸せを願い続ける、感情のない人形…」

何故。人はどんなに願おうと神になどなれる筈もないと、知っていた筈なのに。

「俺には人の喜怒哀楽が理解出来ない。目を見れば、声を聞けば、その人間をほぼ完璧に把握出来た。然し俺にとっては世界の全てが紙に描かれた小説か、映画か、物語でしかなかった。明神の力が強すぎたからか?」
「…」
「俺は努力した事がない。教科書は一度見れば覚える。武術は手を抜かないと初めから敵がいない。それは冬月の力か、雲隠の力か」

神よ。
これが王なのか。
皇帝となるべき子なのか。犯した罪の証、下された罰なのか。

「一人だけ、出会ったその日に俺を睨んだ子供が居た。初めて受ける初めての視線に、俺は自分の本当の声で挨拶をした。その瞬間にその子は跪いた。一瞬前まで俺を睨んでいたその目は、もう何処にもない」
「よもや、榛原の…」
「俺がそれを歌だと知らなかった所為だ。だから母は俺に歌う事を禁じた。俺は母には逆らわない。何故ならば俺は、生まれ落ちた瞬間に騎士である事を義務づけられていたからだ」

徐々に、自分の頭が可笑しくなってしまったのだと思った。
自分の記憶していない他人の過去を何の感慨もなく語り続ける唇を前に、

「何故ならば俺は、生まれた瞬間からの記憶を全て保持しているからだ。冬月の力が強すぎたからか?」
「お前の言う生まれた瞬間とは…まさか…」
「文字通り、生まれた瞬間。母の胎内で一粒の卵が脈動を始めた、その瞬間から」

ああ。
やはり頭が可笑しくなってしまったのだ。自分も孫も、寸分の狂いなく、狂ってしまっているに違いない。

「俺を生むなと男は言った。対して女は、己の身に課せられた罪状に思い至る。そうして女は、自分がまともな人間ではないからだと理解した」
「………」
「彼女の願いは一つだけだった。愛しい男の子を産んでみたい。理由は彼がそれを望んでいたからだ。結婚する事など望みもしなかった。彼の子を彼の腕に抱かしてやりたい、けれどその些細な望みは叶えられそうにない」

喉が焼けつく音がする。
気管支が痙き攣り、肺の近くで心臓が激しく酸素を送り続けた。

「ならばと、女は考えた。年末、雪が舞う二月。自分しか頼れなかったと言った愛しい男を救うべく、家には帰れないとだけ呟いた男の両親を怒鳴りつけんが為に、一人向かったのは山奥の白い学園」
「や、めろ。判った…」
「そこで彼女は見た。降り積もる雪の中、その白に紛れる様にして包帯を巻いた子供が山道を彷徨っている。無惨にも解け落ちた包帯の隙間から真紅の双眸が見えた。女は外科医だ。すぐに子供の病状に気づいた」
「…もう、良い」
「彼女は車から降りた。父親を探していると言った子供を後部座席に乗せた。彼女の目的地からやって来た子供は親の躾が良かったのか、真っ先に名を名乗った」
「俊」
「名は帝王院神威。彼の探す『ひでたか』が誰なのか、聡明な女は瞬時に理解した。理解した上でその子を拐ってしまおうとも考えた。探しているその子の父親は彼女の部屋に居る。たった一言、そう言えば良かった筈だった」

どくり、どくりと。
鼓動は針が刻む早さよりもずっと速い。

「けれど彼女は、子供を学園に送り届けて踵を返す事を選んだ。その子の母親を見る勇気がなかったからか?己が身籠っている事に対して罪悪感を抱いたからか?頼ってくれた男を裏切る事が出来なかったからか?どれにせよ、彼女は雪の積もる山道を降りた。途中でスリップ事故を起こして以来、彼女は車を運転していない。ただの不注意か?雪の所為か?それとも、混乱していたからか?」
「…判っている。お前は儂の所為だと言いたいのだろう。だからと言って、今更儂に何が出来ると言うか…」
「罪とは同等に贖う義務を負う」
「…ああ」
「死せば許される罪などない。道を外れたロードであれど、落ちた龍であれど」
「そう………そうだな…」
「トランス=シンフォニア=エデン。
 俊江。罪の証、夜と月が負った反逆の烙印。冬月俊江。消えた当主の子。
 冬月直江。現冬月当主の子は歌う。冬月和歌。彼は全てを記憶している。彼は全てを放棄している。何故ならば彼は産まれながらに死んだ子供の生まれ変わり。夜の家に産まれた白い子。星は瞬いた。星の子は生まれ変わった。再び兄の元に。それは弟として。



 生の物語とは常に繰り返される。けれど俺は?」
















導かれし者の終着点
Transfer System of the End

-TSE-








「それなら俺の始まりは、いつから?」

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あきゅろす。
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