帝王院高等学校
ベルサイユ、薔薇と獅子と時々ヤクザ
『かごめ、かごめ』


何だ。


『かごのなかのとりは、いつ、いつ、でやる…』


これは、誰の声だ?
(懐かしい様な気がしている)
 (けれど聞き覚えなどない)


『ひかり、ひかり。
 ひかりのなかの、ひつじは。
 いつ、いつ、そまる』


昔聞いた事のある様な歌だと思ったが、記憶と少し、違う様だ。
いつ何処で聞いたのだろうと考えてみたが、思考がうまくまとまらない。


『夜明けの晩に、偽り光が消えた』


瞼が重い。
頭が痛い。
体が痺れている。



「後ろの正面、だぁれ?」
「!」

酷くはっきりした声が耳元で響いた気配に目を開けば、視界一面真っ白だった。


ぴちゃん。
ぴちゃん。
遠くから水が滴る様な音が聞こえてくる。唐突な目覚めに理解が到達しない。
暫く無抵抗なまま水音を聞いて、漸く、自分が横たわっている事に気づき、躊躇わず起き上がる。

「………何処だ、此処は」

上体を起こせば、360度真っ白な世界の、地面だけ水に包まれていた。然し水位はそれほどない。恐らく立ち上がっても足首まであるかないか、大した量ではなかった。
今の今まで水の中で寝ていた割りには、背中が濡れている気配はない。余りにも奇妙な状況に、直ぐ様これは現実ではないと理解した。

「眠たかったのは認めるが、いつ寝たんだ俺様は」

独り言。返事は勿論ない。
ぴちゃん、ぴちゃん、天井もないのに水が滴る音だけが定期的に響き、高坂日向は乱れた前髪を掻き上げた。

「欲求不満か?それとも疲れてるだけってか?糞程つまんねぇ夢を見るもんだ。どうせなら嵯峨崎を出せ、俺様の嵯峨崎をよ」

寝起きは悪くない。
お陰様である程度最後の記憶を掘り出した所で、欲望に忠実な唇から勝手に愚痴が飛び出た。それと同時に、日向の目の前に、真っ赤なそれが現れたのだ。

「…あ?」
「ねぇ、義兄様知らない?」

燃える様に真っ赤な髪、海より深い、ダークサファイア。
座り込んでいる日向が微かに見上げた先、褐色の肌の子供は厚めの唇に笑みを描いている。こんなに無垢な笑顔、初めて見た。

「さ、がさき?」
「何?」
「何…何でお前、若返ってんだよ…」
「嬉しくないの?」
「は?」
「僕に会えて、嬉しくないの?」

きょとんと、初めて会った時の嵯峨崎佑壱と同じ姿形をしたそれは、首を傾げている。余りにも可愛らしい仕草に、哀れ日向の思考は停止した。真っ白だ。なので表情がついていかない。

「う、嬉しい」
「良かったね」
「あ、ああ」
「ねぇ、高坂」
「おい、高坂」

日向を覗き込みながら膝の上に乗ってきた子供の背を、恐る恐る抱えようとしたからだろうか。子供の背後から、聞き慣れた声が聞こえてきた。
それほど大きくない幼い佑壱が抱きついてくる様に屈めば、その背後にそれは、余りにも良く見える。

「さ、嵯峨崎…?」
「テメー、俺よりンな餓鬼が良いのか?」

ああ。
何が起きているのだ。
いや、判っている。判り切っている。これは完全にただの夢だ。それも自分の願望が100%形になった、余りにもアレ過ぎる夢だ。普段真面目に働いている自分への、ボーナスタイムと言っても良いのかも知れない。
つまり、ご褒美。

「ねぇ、僕より俺を選ぶの?違うよね?」
「おい、俺より僕を選ぶつもりかよ。ぶっ殺すぞテメー」

膝の上に一人、頭上から一人、見上げてくるダークサファイアと、覗き込んでくるクリムゾンレッドを交互に眺めた日向は、暫く首を上下に動かしてから、悟りを開いた様に目を細めた。


「こんなもん、どっちも選ぶに決まってんだろうが」

開き直ったのだ。単に。
どちらも嵯峨崎佑壱なのだから、日向の選択は決まったも同然だった。この佑壱を選びこの佑壱は捨てるなどと言う選択肢は、全くないのだ。貰える佑壱は貰っとけ、躊躇う必要などない。夢の中まで我慢する馬鹿が何処に居るのだ。

「「どっちも?」」
「ああ、どっちも俺様の嵯峨崎。小さくてもデカくても可愛い。俺の為に出てきてくれて有難う、愛してる」

現実では絶対に言えない様な台詞も、今ならスラスラ出る。
見た目こそ日本人からは掛け離れた色合いの高坂日向の中身は日本人寄りなので、普段は臆面なく愛を囁く様な性分ではない。然しこれが夢だと理解した今の彼に、恥も外聞もなかった。
可愛いものは可愛い。欲しいものは欲しい。好きなものは好きなのだ。

何より、自分の夢の中だ。
つまり、何をしようが振られる心配はない。殴られる心配もない。睨まれて怒鳴られる心配もまた、ないではないか。

「高坂は僕を愛してるんだって」
「違ぇ、高坂は俺を愛してるんだ」
「高坂は僕に一目惚れしたんだよ、お前じゃない」
「ああ?高坂は俺で抜いた事もあるんだ、オメーみてぇな餓鬼はお呼びじゃねぇんだよハゲ」
「目の前で嵯峨崎と嵯峨崎が俺を取り合ってる。成程そうか、俺は此処で死ぬのか…」

遠い目で真っ白な天井を見上げた日向は、ごそりと目元を拭った。泣いてなどいないのに目元を拭いたくなったらしい。報われない男だ。現実では一生有り得ないだろう今の状況に、自分の死期を悟ったのかも知れない。
別に今死んでも困らないと言う覚悟を決めた男は、片腕に五歳の佑壱を抱えて立ち上がり、17歳の佑壱を真っ直ぐに見つめた。

「確かに最初惚れたのは小さいお前だが、初めて勃起したのはお前が小四の時に初めて股間に毛が生えたと聞いた時だ。勝手に想像して昂った。ごめん」
「僕が小四」
「俺が10歳で、高坂11歳って事かよ」

キリッと宣った男は、無駄にイケメンだった。
どうしようもなく見た目だけはイケメンだった。言ってる事は余りにも最低だが、外見だけは何処までもイケメンだった。何せ抱かれたい男ナンバーワンと言う、有り難いのか体力的にしんどいのか判らない称号を頂いているからだ。

「ついでに、こないだのソープ嬢も色々やばかった。お前が出てった後、静めるのに時間が懸かって本気で不味かったんだ。大体、俺様は自分で処理した事がない」

キリリ。
真顔でスラスラ暴露している男は、もしかしたら混乱していたのかも知れない。目を丸めている二匹の赤毛にある意味で萌え過ぎ、人として駄目になってしまったのだろう。

「嵯峨崎、真ん丸な目で見てるの可愛い」
「「…」」
「裸眼のお前もカラコン入れてるお前も可愛い。俺は認めるぞ、ああ、認めるとも。余裕で抱ける。抱けるっつーか、今すぐ抱きたい。ごめん」

好きな子にセクハラをしたくなる男の性が、今の日向には痛いほど理解出来た。

『抱こうなんざ考えた事もない』

帝王院神威の精神的に抉る様な問いに対して、あの時は曖昧な答えを返したが、本音はこの程度だ。肉欲のない愛など存在しない。人は、等しく獣なのだ。

「帝王院にお前の股に挟んでんの見られてたが、奴はその内必ずこの世から消すから。ああ、違う、お前は帝王院の事が好きだから嫌がるかも知れないだろうが、安心しろ。お前はもう俺のベッドに繋いで飼い殺しにする事にした。お前の見えない所で帝王院をぶっ殺すから、気にするな」

ああ、夢の中だと良く喋る。
我ながら呆れる程に開き直っているなと思ったが、一頻り暴力的な想いを投げつけてみると、胃の中がスカッとした気さえする。
満足げにうっとりと微笑んだ日向は、動かない17歳サイズの佑壱の頬へと手を伸ばすと、己の唇を舐めた。

「キスだ。キスがしたい。お前としかした事ねぇけど、セックスより余程悦いな、あれ」

片腕で抱いた幼い佑壱には目も向けず、真っ直ぐ見つめるのは薔薇の様に紅い瞳。今の日向の記憶に根付いている嵯峨崎佑壱は、目の前の大きな男なのだ。

「お前が俺に覚えさせたんだろう、エアフィールド=グレアム。だから、然るべき責任を取れ」
「然るべき責任」
「天使の癖に人を誘惑しやがって、…なぁ、お前は何がしたいんだよ」

ああ、邪魔だ。
純粋に天使だと信じていた幼い頃の初恋は、欲に塗れた今、ただの枷でしかない。
日向はなだらかな褐色の頬を撫でながら、髪も手足も短く幼い腕の中の佑壱に微笑み掛けた。

「ごめんな、消えてくれるか?」
「どうして…」

幼いダークサファイアが見開かれるのを見た。だからと言って罪悪感などない。
細い首へ手を掛けて、抱き潰す様に胸元へ抑え込めば、ぶわりと赤い花弁と化して消えた子供。質量を失った左腕は最早自由で、再び目を戻せば、残っているのは今の嵯峨崎佑壱と、自分だけだ。

「ほら、俺はお前を選んだ」
「何で」
「さっきまで可愛らしくテメェと俺を取り合ってた癖に、訊くのか?」
「だってお前は」
「堕落した人間は二度と楽園へは戻れない。創世記に書いてあるだろう?お前は知ってるんじゃないのか、エデン=テレジア」

美しい。何と美しい、赤。
人はそれに魅入られる。逆らう事など出来はしない。祖先が、アダムとイブが手に掛けた、毒々しい程に赤い林檎はきっと、目の前の男の様に熟れていたのだろうと思う。

「なぁ、お前は何がしたいんだ。嫌いな男にキスなんかして、思わせ振りな態度を取って、何がしたかったんだ」

それなら、それが罪だろうと躊躇わなかったに違いないのだ。今の自分の様に。

「俊の為?山田の為?違うだろう?なぁ、本当は何がしたかったんだ?」
「知らない」
「山田と賭けでもしたか?二葉と俺をどっちが早く落とせるか、なぁ。勝った方は何が貰えるんだよ」
「そんな事、知らない!」
「ああ、良いな。顔を歪めるお前は、どんな面よりも興奮する…」

夢の中だ。
それなのに怯える表情で後退りした男の手を掴み、引き寄せた。真っ赤な髪、真っ赤な瞳、そして真っ赤な、首輪。

「繋がれた犬。何でもっと早く気づかなかったんだ。そうだ、俊は正しい。犬も鳥も繋いでおかないといけないんだ。何処にも行かない様に、離れていかない様に」
「離せっ」
「なぁ。何で考えようとしない?自分の行動が本当に自分の判断なのか、お前は考えた事もないんだろう?」
「やめっ、」

夢の中だ。
それなのに拒絶する言葉を吐こうとする唇に噛み付いた。全ての言葉を封じる様に。呼吸を許さない様に。血液だけではなく唾液すら、混ざり合う様に。


「…お前の中は、俺で埋め尽くされてる」

くたりと崩れた体躯を抱き留め、煩わしい他人がつけた首輪を解く。かちゃりと音を発てて落ちた赤は、地面に衝突した瞬間、赤い赤い花弁に変化して弾けた。

「胃で溶けて、全身を巡る。動脈から静脈…」

喉仏から、胸元まで指で撫でる。
真っ赤なカプセルはこの下を通って胃に届いているのだ。

「錆びて劣化した血は排出される。何度も、何度も、絶えず」
「こ、さか…」
「お前の肌は太陽に愛されてるみたいだな、嵯峨崎」

焼けて、焼けて、いつか燃え尽きてしまうのか。

「俺の名前を知ってるか。日向って言うんだ」

それならきっと、嵯峨崎佑壱を灼き続けるのは自分であるべきだ。それ以外の例外などない。一つとして。許しはしない。

「不死鳥は煉獄で全てを焼くんだろう?残念だったな、俺には効かねぇらしい」
「ん、んん」
「エアフィールド。空白。飛行場。お前の中身は空っぽだ。いつでも飛び立てる癖に、首輪なんかで繋がれたりするから」

人から教えられた口付けで、それを教えた男が目を潤ませていくのを見た。安い夢だ。現実味がない。現実世界の嵯峨崎佑壱は、こんなに容易く落ちる男ではないと知っている。

「なぁ。繋がれたいだけなら、俊でも帝王院でもなく、俺でも良いだろう?」

頑ななまでに硬質で、咲き綻ぶ間際の薔薇の蕾の様に柔らかいそれではないと、知っていた。
こんな妥協案の様な提示に素直に頷く様な男ではないと、高坂日向。

「うん」
「…そうか」

お前は、知っている筈だ。

「ごめんな、消えてくれ」

晒された喉元へ噛み付いた。
まるでライオンが獲物を仕留めるかの様に、一切の躊躇いなく。



吹き出した真っ赤なそれは、血などではなかった。
初めから本物ではないと知っていたから、哀れなまでに潔く本音を欠片も残さず晒せたのだ。



「…あー。吸血鬼にでもなった気分だ」

真っ赤な世界。
真っ白だった世界は遂に、綻びた赤い花弁で埋め尽くされた。
ぴちゃん、ぴちゃん、それはまるで滴る血の様な、滴る涙の様な音が繰り返されて。

「趣味の悪い夢だ。いや、夢じゃねぇな」

ぽつりと呟いた日向は一度大きく息を吸い込み、二人目の佑壱を己が殺した瞬間に枷が外れた様な全身を見つめた。

「生々しい程のバーチャルリアリティー、夢の中なら自分の思い通りになる筈だ。実際俺様の夢に出てくる嵯峨崎は、猫のエプロンをつけて言うんだ、『お帰り貴方、プリンにする?ミルクセーキにする?それとも俺?』ってな」

本来、夢に選択肢などない。
現実に何かを迫られている時であればともかく、日向が佑壱の事で決断を迫られた事などないのだ。

「選ぶのはいつでも俺じゃない」

期待していないから。
初めから、期待など出来る立場ではないから。
妥協に慣れているから。
佑壱が誰と何処で何をしていようが、あの時の様に嘆き悲しむ事がないのであれば。

怖くない、怖くない、と。
宥める役目は何も、自分でなくとも良いのだと。とっくの昔に納得している。

「だからこれは、趣味の悪い催眠状態だ」
「成程、やはり馬鹿ではないか」

ぶわりと舞い上がった佑壱の破片が、ぶわりぶわりと人の形に集まりながら、知らない男の声を放った。
今更動じる必要などない。何が起ころうと、日向が佑壱以外の事で狼狽えた事などないのだ。ただの一度も。

「やっとお出ましか。テメェが黒幕かよ」
「ふ。少しは良い夢が見られただろう?」
「少しはな」

ああ、そうだ。
最近一度だけ、肝が冷えた覚えがある。入学式典の日。屋内庭園で、あれは恐ろしく冷えたものだ。

「何を企んでるか知らねぇが、俺は嵯峨崎以外に手加減なんざ出来ねぇ体質でなぁ?」
「四季は三度訪れる」
「は?四季だと?」
「正しき年が閏う時、真の闇は訪れる。三度の四季は十二の罪を裁く。三対の四季は神の器の戒め、三つの黎明を贄に、夜の帝は目を覚ますだろう」

意味が判らない。
然しそれを言った所で疑問を払拭する言葉が返されるとは限らないと、日向は静かに男の言葉を聞いた。
朧気だった花びらの塊が、漸く人の姿を描き上げる。

「陰陽は対をなす。朝と夜。…緋の系譜は『否』、符の系譜は『負』」
「否と負?」

それは黒髪の、然し甘い甘い蜂蜜の様な色合いの眼差しを讃えた、見知らぬ男だ。
彼の奏でる言葉が一つずつ、日向の脳内で漢字へと変換された。まるでテレパシーの様だと目を細め、佑壱の花弁で作られた、佑壱とは似ても似つかない男を見据えるばかり。

「朝の系譜の王たるは、帝王院の最後の末裔であるお前に課せられた戒め」
「…いよいよ訳の判らない話になってきやがった。それは帝王院が言った、俊秀公の弟の話だな」
「疑問を解放しろ。お前は他人の模写が出来る。お前は他人の望みが見える。お前は疑問から目を逸らし続けた。お前は自ら過去の罪を被る、哀れな羊」
「馬鹿にしてんのか」
「容赦は常に、王の与える褒美だ」

流石に頭に来たぞと、高坂日向は唇を吊り上げた。
自分の隠してきた本音をこうも呆気なく曝け出されて、つまりを図星を突かれて、苛立ったからだ。

「お前は王である己を求めている。何故ならば男爵を葬りし罪深い家名を纏い、殺される事で浄化したいからだ」
「もう良い、黙れ。折角可愛い天使と遊んで浮上した気分が、テメェのお陰で急降下した。最悪だ」
「ヴィーゼンバーグの罪はジャンヌダルクの刃を以て砕かれるべきだと、お前は望んでいる」
「喧しい」
「グレアムに着せた災いを、グレアムから着せられる事で赦されたいからだ」
「んな事、いつ誰が言った?寝言は自分の夢の中でほざけ、名無しのエキストラが」
「私はスケアクロウではない」

男は腕を広げた。
まるで指揮者の様に、ゆったりと。


「我が名は宰庄司秀之」

そうして、その鋭利な美貌に男は、粗野な笑みを浮かべたのだ。
ああ、今頃、思い出した。誰かに似ていると思ったのだ。

「聞き覚えがあろう、我が子よ」

朧気な記憶に残る、不器用で、けれど誰よりも愛情深かった、祖父に。

「テメェ、は」
「高坂の真名は神坂。明神は神の名を名に抱く。常に」
「…」
「お前に山田太陽の声が効かぬ理由が理解出来たか?お前は緋の系譜に連なる三人の王の一人。灰原である同じ緋の王の力が作用せぬは、道理よ」
「まさかテメェ、俺に曾祖父さんなんざ、呼ばせたい訳じゃねぇよな」
「無論。光が描く四季には甘い容赦など存在しない」

曾祖父を名乗る、けれどどう見ても自分と大差ない若さの男の指先から、赤い赤い、まるでカプセルの様な銃弾が、ぽつぽつと作り出された。

「さっき、十二の罪っつったな。つまり、円卓って事か」
「ああ、賢い子孫で私は嬉しい」
「俺の他に三人、光、緋、つまりは灰皇院空蝉に在りながら、帝王院の血縁である三人だ。それは恐らく俺と、藤倉、…考えられる最後の一人は、山田か」
「その聡明さを以て、兄上の系譜に課せられた呪いを解き放てるか」
「兄上、だ?」

ぴちゃん、
ぴちゃん、
銃弾が増える度に何処かから水の音が聞こえてくる。

「この野郎、黒幕が判ったぞ!このシナリオは俊が書いたのか…!」
「やはり何と賢い曾孫だろうか。軈てお前が王の座に座る日をこの目で見る事が出来ない事だけが、私の唯一の未練」

真っ白だった空に、夥しい数の銃弾が浮き上がっていた。
この状況で判らない馬鹿が何処に居るのだと、日向は可笑しくもないのに笑う唇をそのままに、躊躇わず走り出した。

「征け。逃れる事など出来はしない、血に刻まれた呪印から何処へなりと」

ぴちゃん、と。
一際大きく聞こえた様な気がする水の音を最後に、号砲の様な銃声の雨が世界と鼓膜を満たした。



「通りゃんせ」

(痛み?)
(熱い?)
(判らない)
(背中にまるでシャワーの如く)
(それは降り注いだ)
(容赦なく)
(全てを否定する様に)
(避ける事など出来ない、まるで日差しの様に)

「通りゃんせ」

意識は何処にある。
感覚は何処にある。
自分はまだ、この世に存在しているのだろうか。
自分はまだ、この世に存在していたのだろうか。

「此処は何処の細道じゃ、天神様の細道じゃ」

歌が聞こえる。
つまり鼓膜はまだ、この世に存在しているらしい。

「朝と夜の間にたゆたう黄昏。曾孫の骸から溢るる真紅の脈動は、地平を染める夕日の様だ」

例えば、大水害から逃れたノアの方舟も、今の自分の様に銃弾の様な叩きつける雨から逃げ延びたのだろうか。恐ろしく唸る雷雲から、必死で逃げ延びたのだろうか。

「……………朝…と………宵、だったか?」
「ああ、まだ生きているのか。我が子孫ながら、強欲な」
「だったら、円卓は、二つあるって事かよ」

痛みなどない。いや、もしかしたらあるのかも知れないが、麻痺しているのだろうか。それとも躊躇わず飲み込んだ、赤い赤い錠剤のお陰なのだろうか。

「そうか。…お前は兄上の様に、愚かしき雲隠の血を取り込んでしまったのか」
「…んだと?」
「最早裁きは下された。人成らざる雲隠の血に穢れた者など、我が子孫である筈もない」

目の前に、茶色の眼差しで見下してくる男を見た。
どうせ何をされるかなどわざわざ考える必要もない事だ。いつ死んでも構うものかと、この頃特に、良く考えていたから。

「鬼と化したお前の魂を、私が救ってやろう。容赦こそが王の定め」
「…勝手にしろ。死人の癖に生者と関わろうなんざ、強欲にも程がある」

やはり指揮者の様に振り上げられた手が、真っ直ぐに落ちてくるのをただ、見ていた。



「おい」

けれどその裁きの鉄槌は、ついぞ落とされない。

「………は?」
「勝手に俺様の孫を殺してんじゃねぇ、糞親父。」

凛と立つ勇ましい虎を刻んだ背中が、日向の目の前で男の手を掴んでいたからだ。



















あれを夜だと、騎士だと唱えるのであれば、私は何と形容されるべきか。

黒羊でありながら人の形をしている、朝に産み落とされた癖に日差しに拒絶されている、私は何であるべきなのか。



我が家は朝と夜を渡る、星が産み出した太陽の家紋を頂いていた。
日本とアメリカを混ぜた様な、朝と夜の家。
それは彼こそが良く似合うのだと考えた。
愛しくも憎ましい私の弟。私はお前の産まれる以前から、お前の事を考えてきた。


私はお前の名を考えたのだ。拙い字で何度も何度も書き直し、お前の名を考えたのだ。
父上が父上に与えた名のように、私達は同じ名であるべきだ。何故ならば私達は、兄弟なのだから。


けれど15年を経て現れたお前は、私とは似ても似つかない名を名乗っていた。
私達は家族であるのだと信じていた私を、お前は裏切ったのだ。



ならば最早、肉親の情など必要あるまい。
如何に畏れ多い罪と謗られようが、私は私が望むまま、朝と夜の狭間でお前に手を伸ばす。









見ろ、世界は限りなくグレーだ。
だからお前はもう何処へも、帰れはしない。



















何と言う恐ろしい予感がしたのだろう。
全ては自分の招いた現状なのかも知れないと考えた瞬間、否定する間もなく全身を恐怖が包んだ。


「今、何と言った」
「俺は物語を一つに繋げる事に成功した。何処から何処までが他人の記憶なのか、今はもう、その境が曖昧だ」

目の前のそれは唇を吊り上げる。

「私を覚えているか?」
「な…」
「明神は耳が目だ。
 冬月は忘れる事が出来ない。
 榛原は歌う。敵の絶望を促す為に、敵の大切な人間の声を真似る事が出来る。今の榛原は偽物だと、俺は気づいてしまった」
「…」
「灰原は神を失った帝王院に残された者を指す隠語。本物の神原は、狂った帝王院俊秀に愛想を尽かしたんだ。我が子を閉じ込めた無慈悲な男に。だから彼は名を変えた」

何故だ。

「高坂向日葵の父親の名は豊幸。高坂組は豊幸の父親の代に作られた。名は秀幸。帝王院俊秀、高坂秀幸。…似ていると思わないか?」

それは自分すら知らない話。それなのに一体何処で、誰が、作り話にしては出来すぎている。

「俊秀には妹と弟がいた。妹は宮司である神木家に嫁ぎ、昭和初期に姓を改めた。今の名は榊」

神よ。
誰が嘘だと、言ってくれないか。

「俊秀の弟は、生後間もなく灰皇院の養子に入った。母親から継いだ、強い明神の力を秘めていたからだ。その弟は、雲隠を妻に娶った兄を見限り出奔、以降、帝王院の系譜には残っていない」

目の前のそれは、誰だ。
どうして自分さえ知らない話をそれは、知っているのだ。まるで自分の経験の様に、こうも淀みなく話せるのか。

「彼は明神当主の外戚と結婚した。だから姉弟は『神』に嫁いだと書かれている。戦後の混乱した時代に設立された高坂組の初代は、高坂秀幸。帝王院俊秀の弟の名は、宰庄司秀之。…他に質問は?」
「…もう良い、判った。それは正しいのだろう」
「じゃ、話を変えようか。この話の続きは聞きたくないんだろう?」

罪が目の前に姿を現すのをただ、視ている。逃れる術はない。

「頭を弄られる夢を見た。榊外科部長が叫んでる。この子を助けてくれ、この子を助けてくれ。けれどバイク事故を榊雅孝は手術の甲斐なく、哀れ13歳でその生涯に幕を下ろした。俺はその光景を自分の事の様に覚えている」

その時、初めて人間に恐怖を抱いた。
中学に上がったばかりの、今や目線も大差ないとは言え60歳以上離れている子供を前に、舌に乗せる言葉を一つとして見つけられないのだ。

「雅孝は最後の最期まで『俺は此処に居る』と叫んだ。自らの脳を弄られる音を聞きながら、脳が欠損していると叫ぶ声を聞きながら、父親へ助けを求め続けたんだ。俺はそれを自分の記憶に摩り替えた。俺の中では死にかけているのは俺で、助けてくれるのは『外科部長』じゃなく、『院長』」
「…」
「息子を失った榊外科部長が可哀想だ。何故ならば彼らは、この俺の家族なのだから。そうだろう、冬月龍一郎」

懐かしい声を聞いた瞬間、世界の恐ろしさに戦慄した。
何故その声を知っているのだと叫ぶ前に、自分の血を分けた孫の体に流れる血を、痛感したのだ。

「帝王院鳳凰は、その人生の半分以上を絶望と憎悪で費やした。俺はそれを、まるで自分の事の様に記憶している。最愛の妻を殺した加賀城を憎み、愛し、矛盾を抱えたまま地獄へ落ちた」
「大殿はその様な方ではない!」

全身を這った感情は恐怖。これはそれ以外の何物でもない。

「鳳凰は自らの命を終わらせる事で、人の道を外れた罪を洗い流したつもりだったのか。それとも、単に生きる事に絶望したのか。でも俺の中で繰り返される言葉がある。

 赦しを与えてはならない。
 輪廻に戻る事を許さない。

 地獄の底で俺が、刹那の容赦なく焼き殺し続けてやる。何度も、何度も、何度も」



ああ、神よ、仏よ。



「二度と廻らぬ朝を希い、犯した過ちを悔い続けろ。」

←いやん(*)(#)ばかん→
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