帝王院高等学校
噂の天国まで行けますか?
目を合わす度に、避けては通れない事を互いに理解していた。
早い話それは、似た者同士と言う無粋な言葉がお似合いだったのかも知れない。

「ちょっと、そこ邪魔なんだけど」
「へー?こんな朝早くから帝君の部屋に何の用だい?」
「どんな用か知りたいなら教えてあげようか?…ああ、それとも知ったら卒倒するかもね。男の嫉妬は見苦しいよ、榛原君」
「あはは、言ってくれるねー、カオルちゃん」

爽やかな入学式典当日の朝、真新しいネイビーグレーのブレザーには効きすぎた糊。

「そんなに嫌わないでくれるかい?そりゃ、僕は東京生まれ東京育ちの根っからシティーボーイだよ。お鍋にご飯を入れちゃう君の故郷の文化は、どうにも馴染めなくてねー」
「キリタンポの味も判らないなんて、流石は無知な東京だね?ただちょっと人口が多いだけで何を勝ち誇ってるの、狭い土地に大金払って喜んでる馬鹿なだけでしょ?」

初等部にはなかったネクタイが増えて、一段大人の階段を上った様な気分で、クラスメートの足を踏む。

踏まれる。
見つめあう。

否、睨めつける。

「…そうかいそうかい、そんなに羨ましいのかい。でもごめんねカオルちゃん、生まれはどうにもならないんだよ。あーあ、僕もナマハゲに追い掛けられたかったなー」
「人の話聞いてるの君。地方非難は結構だけど、東京以外の46道府県を敵に回す覚悟はおあり?」
「あはは、やだなー、そんなつもりないよー」
「どうだか。チェスだの麻雀だの、引きこもりが好きな遊びばっかやってて、正直引くんだよね、君」

踏み返す。
頬をつねられる。

「ひゃなせ(離せ)」
「いひゃら(嫌だ)」
「っ」
「あた!」

つねり返せば、とうとうひっぱたかれた。いつもの事だ。

「あいたー。カオルちゃんに叩かれたって秀皇に言いつけちゃおっかなー」
「っ、お前が僕の名前を気安く呼ばないでくれる?!」
「はっ、お前さんこそいつまでも秀皇に纏わりつくのはやめたら?言っとくけど、キスなんか秀皇にとっては挨拶みたいなもんだから」
「っ、うるさい!」

怒りの余り顔を真っ赤に染めたクラスメートの、元々大きな瞳が限界まで見開かれるのを、努めて笑顔で見つめたまま。

「…その程度で勝った気になるなよ!お前の家が危ない事は、知ってるんだからっ」
「はいはい、そうですねー。所で掲示板はチェックしたかい、一ノ瀬君。優秀な君は三番だったねー」

ああ、最早声もないらしい。
突き刺さる様な足音を聞きながら、肩を怒らせて去っていく背に手を振る。


「ま、超優秀な俺は二番な訳だけどねー。あははははは」

大人げない事は先刻承知の上。
覇気のない己の笑い声に溜息一つ、痛いところを突かれたと頭を掻いた。








常に対等であるから「親友」なのだと、親友は言った。
だから自分が間違えた時はお前がそれを指摘してくれと、正してくれと、その言葉が与えた嬉しさと寂しさをどう表現すれば的確だろう。

傍に居られるから、親友だと思っていたのだろうか。
誰からも認められた中央委員会会長。彼の傍らに在るのは自分だと信じて疑わなかったから、左席委員会会長と言われても、喜びなどなかったのかも知れない。





…昔話だ。
遠い、もう戻らない、遥か昔の話だ。
















「お主、俺の好みじゃねェけどそこそこイケメンだなァ。若く見えっけど幾つだよ」
「答えてやっても良いが、汝も我に実年齢を教えるか?」
「あァ?女性に年齢を聞くなんざ男の風上にも置けねェぞ、お主」
「風上ではない、天上だわ。我を誰と心得るか小娘、大河白燕だぞ」
「や、知らねーし。つーか誰が小娘だジジイ、遠野俊江様だぞ。上から目線で喋ってんじゃねェ、直ちに跪きやがれェイ」

何と不毛な諍いなのか。
止めるだけ無駄だと早々に悟った長身二人は、先を行く白髪と茶髪を交互に眺め、ほぼ同時に息を吐く。

「大河を知らんとは、とんだ尻の青さよ。それで帝王院の跡取りに嫁ぐとは、無知とは何と恐ろしい事か」
「はァ?ンなもん、年上の魅力に決まってんだろーが。俺ァ、昔から男女問わずメロメロにしてきたフェロモン女優ざます」
「はっ」
「鼻で笑いやがったなテメェ!」

チビの飛び蹴りで吹き飛ばされた男は辛うじて踏みとどまると、片方の目に嵌めたモノクルを軽く押さえた。

「おのれ、我の死角を突くとは…」
「あ?何、お主、そっちの目、もしかして見えねェの?」
「何、狭視野と言うだけだ。綺麗に半分見えん」
「病気かよ。網膜剥離?」
「否、幼い頃に目玉を抉り取られそうになった事があるだけだわ」
「………は?」

あっさりと吐き捨てられた言葉に硬直した小柄な体躯を見やり、吐き捨てた男はにやりと笑みを滲ませる。

「無論、我に斯様な無礼を働いた者共は一人残らずあの世に旅立った。今ではその様な命知らずは居らん」
「嘘臭ェ」
「我の亡き父の名は白雀と言う。物静かな男だったが、死ぬ間際に一度だけ、長く喋った」
「ふーん」
「その時に帝王院の血が我の体に流れている事を知らされた。駿河殿と我は、一回り離れておる」
「それって、秀皇の…?」
「ああ。…ほれ、見えてきたぞ」

人目を避ける様に地下を経て外に出た先、木々深い森の中へ出た。
外へ出て背後を振り返れば、延々と続くコンクリートの建物に扉がついている光景が目に飛び込む。

「でっけー…」
「懲罰棟と言うらしい」

遠野俊江の鋭い目が丸まり、染めた様に真っ白な髪の下で笑った男は、ぱちりと鉄製の扇を鳴らした。

「この壁は300メートル四方に連なっている。壁の向こうは初等部・中等部が利用する小グラウンドがあるが、地下は罪を犯した生徒を禁固する為の施設らしい」
「良く知ってんな。初めて来たんだろ?」
「入学案内のパンフレットに載っておる。汝、本当に一切合切忘れておるのか?」
「…」
「その様子では、心当たりがあるか」
「ねーよ、そんなもん。…ただ」
「ただ?」
「秀皇がうちに来た時、連れが居たんだ。雪も降らないくらい寒い夜で、秀皇もそいつも、コートを着てなかった」
「ほう。着の身着のままか」

黒いシャツに黒いスラックス。
まるで夜に溶ける様な二人は、夜に乗じて逃げてきた様に思えたものだ。

「独身寮たァ名ばかりの、アパートを改築したワンルームに住んでてな。夜中に騒いだからか、次の日には親父にバレた」
「父親のう。やれ、恐ろしい名を思い出すわ」
「恐ろしい?」
「冬月」
「ふゆつき」
「オリオンとシリウスと呼ばれた天才を越えた双子を、我の界隈で知らぬ者はない」
「界隈って、お主もしかしてヤクザ?」
「くはっ。ヤクザとは、面白い事を言う。我は清く正しい銀行員と言ったろう?」

わざとらしい程の笑みを浮かべた男を見やり、俊そっくりな地味顔を極悪面に染めたオタク母は「嘘臭ェ」と再び零す。
口の悪さは息子を遥かに越えており、足癖の悪さも息子以上だった。チキンを自称する息子とは真逆に、どの角度から見てもチキンではない。ただの荒くれものだ。何せヤクザがビビる。

「おお、見えてきたぞ。あれが帝王院学園が保有する敷地の中央、レオと呼ばれる御神木から最も近い、時計台だ」
「真っ赤なあれが、時計台…?煉瓦の塔じゃねェか」
「良く見よ、木々の狭間からラピスラズリで造られた青い羅針盤が見える。文字盤に針が計6対も施された、巨大なものだわ」
「針が6対?」
「正十二芒星が帝王院の家紋でもある。校章にも施された、太陽の紋様だ」

真っ直ぐ、淀みなく真紅の塔へと向かっていく背中を追い掛けた。背後には体格の良い男が二人、従順に沈黙したままついてくる。
まるで逃がさない様に見張られている様だとすら思えた。食事を用意してくれた祭美月が悪い人間には思えなかったが、目の前の背中を向けている男だけは判らない。

敵ではないとしても、味方であるとは限らないからだ。


(…もし俺の記憶を消したのが秀皇だったら、ここにいるのは不味いのかも知れない。本当に、素直についてってイイのか)

考えた所で答えはなかった。
自分の頭の中が信じられない今、無意識に撫でた腹の中にはもう子供など居ない事を、ひたすら自分に言い聞かせるばかり。




























「ほっほう?つまり、さっきまで神崎を人質にした神帝がバブルスライムと、」
「バイオジェリー」
「…こほん。そのバイオジェリーと戦って、うっかり死んだんですねー?」

時遡る事、某エージェントがスコーピオを出発して間もなく。
神崎隼人が大量の鼠に追われ泣きながら地下道を走っている頃、てんやわんやな第4キャノン周辺の芝生にそれは現れた。

「いやいや死んでないって。全然俺の話聞いてないじゃん、3代目ってば〜」
「おったまげ〜」
「大体、ユーヤさんと俺らで逃がしてやったのに、何でそいつと一緒に居るわけ〜?」
「え?そいつって?」
「「「そいつ」」」
「あ、二葉先輩のコトみたい」
「おや?」

笑いに飢えているお笑いモンスター、別名山田太陽と、その犬だ。

「全く、成績でも美貌でも何一つ私に優る所のない素晴らしい才能の持ち主が、この私に向かってそいつとは何ですかそいつとは」
「馬鹿にされてるんですけど〜」
「そんな才能要らないんですけど〜」
「出来る事なら殴りたいんですけど〜」
「顔は殴らないでやって下さいねー。顔しか良いとこないんですからー」

へらり。
晴れやかな笑顔で猛毒を吐いた太陽に四人の視線が刺さったが、三匹が吹き出しそうになった瞬間、魔王の殺気を浴びて凍りつく。山田の太鼓判を捺された『顔しか良いとこない』男と言えば、浴衣の襟をそっと直しながら憂いを帯びた無駄に麗しい表情で息を吐く。太陽の猛毒など聞こえない振りだ。

「宜しいですかカルマ共、私の事は尊敬と敬愛を込めて山田副会長の補佐官と呼びなさい」

そもそも顔を合わせる度に山田太陽からあらゆる悪口を言われ続けながらも、毎朝毎朝懲りずに話し掛けてきた、ある意味勇者である。ドMとも言えよう。つまり、山田の犬だ。

「黙りやがれ陰険眼鏡っ子。何が補佐官だっつーの、ABSOLUTELYの癖に」
「左席委員会はカルマ限定なんですぅ、叶は魔界に帰りやがれファッキュー」
「地獄で腹黒焼かれてきやがれカマ野郎ぉ」
「おやおや、私が幾ら神に愛された美を誇る叶二葉だからと言って、あまりジロジロ見ないで頂けますか?ハニーの為に存在するこの美しさが甚大に減るのでねぇ」
「「「畜生、コイツも人の話聞いちゃ居ねーよ」」」

180cm台の長身に挟まれた自称169cmは、睨み合う三年生らを華麗にスルーし冷や汗を垂れ流す工業科教師と何やら顔を突き合わせ、暫くするとやはり無言でバイクに飛び乗り、顎をくいっとしゃくった。

「ふーちゃん、いつまで俺以外の男とイチャイチャしてるんだい。お嫁さんに行けない体にするよ?」

ジト目で宣った山田太陽のお陰で、叶二葉を含めた全ての人間が凍りつく。いち早く復活したカルマが誇る阿呆三匹と言えば、顔を見合わせ、

「3代目は馬鹿だったかぁ…」
「総長直々の指名なのになぁ…」
「総長ぉお、カムバーック!!!」

然し彼らの背後を、時速15kmほどの超安全運転で駆け抜けて行った自転車…ならぬバイクに、凄まじい目付きの男と白衣の姿があったが、凍りついた叶二葉のと言う滅多に見られない光景を前に霞んでいた。

「ふ。…俺の存在感のなさな、本当に主人公なの?」
「どうした俊、恋の悩みなら俺に相談してみるか?言いにくいなら鳳凰に代わってやるぞ?」
「ヨーコさんにもユーコさんにもタイヨーにも振られた。俺はいつまでもしつこく迫ったりはしない」
「ふむ、次の愛を探すって決めたのか。粋だねぇ」

チャラ三匹に呼ばれて振り返った遠野俊は、然し華麗に無視されたので若干落ち込んだ表情で部活棟方面へ消えていく。

「太陽君、頑張って〜ぇ!」
「よーし、任せとけー」

黄色い声を高らかに放った安部河桜の傍ら、げっそりしている西指宿麻飛はヨロヨロと東條清志郎の肩に倒れ掛かる。芝生を大型バイクで颯爽と駆け込んできた裸眼の浴衣男と、その背中に張り付いていたヘルメット男が全ての原因だ。

「俺が歴史に名を残すのをしっかり目に焼き付けといて」
「ウエスト、貴方は後程騒ぎが落ち着いたら私の部屋に来なさい。ハニーが溺死したなどと良くもこの私を騙しましたね」
「俺はお前さんに溺れてるよ、ユリコ」
「訂正しますウエスト、良く報告して下さいました。後程ご褒美をあげます」

ガチャッ、などと口で効果音を宣ったヘルメットは、肩に太い筒を担ぐ。危険物マークがしっかり刻まれた、業務用ガスボンベだ。


「…ねぇ桜、今ヴァーゴの後ろに乗ってた奴が山田太陽なの?」

流石に裸眼は目立つと、工業科の生徒が冗談半分で差し出した鼻眼鏡を二葉は素直に掛けて、工業科の教師らから話を聞いていた太陽の失笑を得た。プフッと吹き出した太陽の唾が派手に直撃しても、二葉が怒る事はない。
これに、二葉の姪の立場にあるリン=ヴィーゼンバーグは驚愕し、二人が去るまで身動きが出来なかったのだ。
無論、西指宿によって手足を拘束されていたのも理由の一つではあるが。

「ぇ?ヴァーゴってぇ?」
「叶二葉の事よ!アイツが他人を後ろに乗せるなんて、前代未聞だわ!」
「わわっ、そ、そぅなの?」
「何なのよ!裸眼だったし、寝間着でほっつき歩くなんて今までのアイツからは考えられない事だった!桜っ、あの山田太陽って何者なのよ!」
「何者って言われてもぉ…」

ゲーム脳を遺憾なく発揮した太陽曰く『火炎放射機』、正式には溶接用のバーナーを颯爽と担いで行った太陽の目が輝いていた為、哀れカルマが誇る阿呆三匹を筆頭に、工業科の誰もが太陽を止めなかった。バーナーで庶務を焼くと冷たい笑みを浮かべていた太陽は、あれでも左席委員会副会長だ。

気弱な教師は太陽の言う庶務が誰なのか尋ねもせず、ひたすら壊さないでくれと叫び続けたが、結果は山田太陽の良心に掛かっているだろう。

「…あちゃー。局長、すっかり猛毒が抜けちゃってる系。今後ちょっかい掛けるの控えよっかな、山田副会長」
「お前にしては珍しい事を言うな、ノーサ」

聡い川南北斗は、二葉よりも太陽の方がヤバい人間なのではないかと悟りつつあるが、顔に似合わず天然らしい東條清志郎は真顔で首を傾げている。
西指宿麻飛に至っては放心状態だ。二葉のご褒美が怖すぎて、どちらにしても行きたくない。

「ん〜。さっきからぁ、何だかキシキシ聞こえなぃ?」

掘削作業で剥がれた煉瓦や芝を直している工業科の作業を手伝いながら、桜は首を傾げた。
空だけは不気味なまでに、晴れている。













世に生きる、哺乳類で最も無知な者共よ。霊長類で最も残虐な一族よ。

悍しい天災の前は、比較的静かなものだ。
激流は崩壊と共に訪れる。崩壊とは天災ではなく、常に人の行いがもたらすものだった。

止まない雨、轟く雷鳴、光る空は夜をも照らし、星々の煌めきを分厚い雲で覆い隠す。慈悲を求める声など届きはしない。救いを与える手など伸ばされはしない。
姿なき神に逆らい我こそ神と錯覚し謳う人間共よ、最期は己らの過ちを償うばかり。


私は私を書き連ねただけの回顧録に等しい物語を帰依した果てに、何が残るのかを考えた。つまりは洪水が過ぎた後の、崩壊した先の事だ。



然れど、死んだ後の事など考えて、一体どうなると言うのか。












親愛なる君へ





覚えているかい。
俺と言う主人公が、唯一果たせなかった約束を。


君は悲しげに歌う。
君が失った『家族』が誰なのか知ったその日に、俺は俺が存在している所為で起きてしまった悲劇を知ったんだ。


可哀想に。
たった二歳で幸せから放り出された哀れな子。
可哀想に。
たった二歳で殺意を頂いた哀れな子。

白い白い、羊の群れが帝王院学園に住まう生徒であるのならば、黒い黒い、死神の遣いは俺の事だ。



俺は君から全てを奪う。(殺せと願うその声すらも)
君を絶望へと陥れた全てを剥奪する。(俺と言う人間の証さえも)
そうしていつか君が空っぽになったとすれば、残るのは優しい何かだけなのだ。(そこには俺はきっと、存在しない)
(存在してはいけない)
(もう二度と、奪う事がないよう)


歌おう、今度こそ愛に満ちた歌を。
踊り疲れたその果てに、君は新たな夜明けを見上げるばかり。

(俺は何処から何処までが自分なのか知りたかった)
(けれど答えは見つからないまま)
(俺の中に流れる幾つもの他人の血が)
(俺と言う個人を喰らい尽くしてしまったからだ)
(まるで産まれた日の空の様に)
(混沌に染まった遺伝子)
(複雑に絡み合う螺旋は幾つある?)

(判らない)
 (判らない)
  (ただ、愛しいだけだ)(それすらも自分の感情だと言い切る自信が万一あったなら)



俺の魔法は君には効かない。
悲しみを消し去ってあげたくても俺は、君には何一つ出来ない事を知っている。



何度生まれ変わってもそれは、永久に変わらない輪廻だ。
(信じたかっただけなのかも知れない)










帝王院鳳凰は、
滾る憎悪の果てに、ささやかな慈悲と、迸る殺意を抱いた。
(憎むは己の浅はかさよ)
(愛しい者を亡くすまで遂に)
(他人を疑わなかった己の愚かさを)


帝王院駿河は、
父が己と共に燃やせと命じた母の手記を見た瞬間に、恐怖を抱いた。
(血が沸騰する音を聞いたからだ)
(自分には鬼にも等しい血が流れている)
(なればこの感情は圧し殺さねばならない)
(帝王院当主たる者の運命として)


帝王院秀皇は、
憎悪の欠片から目を逸らし続けた果てに、崩壊した。
(敬愛する義兄のその下で)
(親友たる義弟が組み敷かれているのを見た刹那)
(彼は己の名を叫んだのだ)






「悪夢を取り払ってくれ、秀皇」



 (自分に命じるかの如く










憎悪の螺旋は繰り返される。
絶望から続いた輪廻は遥か彼方、昔から変わらない。

俺はその果て。
初代から繰り返され、108番目に産み落ちた天神の末裔だ。輪廻は煩悩の数、ぐるりぐるりと廻る。まるで羅針盤の様に。何を指し示すでもなく。時空の定めるまま。ぐるりぐるり・と。



人の煩悩は全て淘汰された。
俺には初めから何一つ存在しない。

憎しみとは何だ。
慈しみとは何だ。
その答えはいつ手に入るのだろう。

俺の中は白だった。
空っぽだったのだ。
あらゆる物語を読み、俺は人を覚えていった。

その逆、あの子の中は黒だった。
無理矢理掃き捨てたのだ。
あらゆる可能性を拒絶し、虚しさを埋める何かばかり探し続けている。


俺が興味があるのは答えだけ。
君が興味があるのは退屈な時間を埋める何か。



それは俺ではないと、俺は初めから知っていた。













「ふぇ」

目覚めると、乱れたベッドシーツと漫画に埋もれた美貌が眠る光景を見つける。まるで天国の様な朝は、日替わりスープバーの味を確かめる事から始まった。

「カイちゃん、ネンネしてるにょ。またいっぱい本散らかして…はァ。益々腐ってきたわねィ!…イイぞ、もっと征け」

高校生になったのだからお洒落に朝シャンなど嗜もうかと思ったが、初日に寝起きの神威が一糸纏わぬ姿で乱入してきたので諦めた。シャワーを浴びるなら起こせと無表情で睨まれたからだ。

「今日注文してた新刊が届くんじゃないかしらん。もう勉強どころじゃないにょ。入学して早一週間で退学の危機を迎えるかも!」

と言うのは建前で、男子なら気になってしまう股間のナニソレが、文字通り「何それ兵器?」だったからだとも言えよう。
朝から恐ろしいものを直視する勇気は、断念ながら15歳童貞にはなかった。

「それにしても…スープバーとコーラZEROの蛇口があるのに、何で普通の水は出ないのかしら?イチ先輩が僕のキッチンじゃご飯が作れないって困ってたにょ」
「そこに見えるシンクのパネルを押せば、内部水道が切り替わる仕組みだ。コーラに飽きたら水に変えれば良い」
「駄目なのょ、イチ先輩はパネルが押せないタイプのイケメンなんざます。男は黙ってアナログ。知ってる?イチ先輩の腕時計ってば、今時まさかの………手巻きなのょ!」
「ほう」
「手巻きはお寿司だけでイイなり!海苔に巻かれて死ぬなら本望…ほんもう?ふぉんもう………ふぉんもう?フォモォオオオ!!!ホモは何処ですかァアアア!!!」
「そうか」
「あ、カイちゃん。おはにょ」
「ああ」

8時を前に、インターフォンが鳴る。
それと同時に空腹を的確に刺激する…最早暴力的とさえ思える匂いが漂ってきた。

「はァい」
「おはようございまス!」
「あ!ご飯と…イチ先輩!おはよーございますん!」

跳ねる様にドアを開ければ、重箱と鍋を抱えた巨大な犬…ならぬ、オカンは今朝も血色が良い。気がする。
相変わらずサーファー泣かせの焦げ肌なので、オタクには見分けがつかない。

「今朝はシチューとガーリックトーストっス」
「68点」
「と、手羽先の唐揚げっス」
「89点」
「唐揚げで点数が跳ね上がりやがった…」
「唐揚げを舐めてはいけません、唐揚げを笑うオタクは唐揚げに咽び泣く運命ざます!唐揚げは僕を救う!遠野俊です!」
「は?」

先程までパジャマだった神威がビシッと制服を着込み、もじゃっとした黒髪のカツラをパイルダーオンしている。

「カイちゃん、イチ先輩にご挨拶は?」
「唐揚げ如きで気安く俺の機嫌が取れると思うな」
「…あ?テメー、朝から喧嘩売ってんのかコラァ!」
「ヒィ!違うんです、違うんです!今のは俺様攻めに目覚めようとしてるカイちゃんの精一杯の口説き文句なんですっ!そこは一つ大目に見て頂きたい!

 そして!
 はにかみながらも一言頂きたい!

『唐揚げ如きで気安く俺の機嫌が取れると思うな。俺は、唐揚げよりお前が欲しい』
『だったら俺を喰わせてやろうか?…但し、先にお前を俺に喰わせろ、カイ』
『…何だと?』
『お前は俺の下で喘いでる方がお似合いだぜコラァ』

 ヒィ!ヒィイイイ!!!ハァハァ、攻めと攻めの攻防?!たまんねェエエエ!!!!!じゅるりらじゅるり」
「あ、あの?大丈夫っスか?」
「流石は腐男子の風上にしか置けん男だ。俊、そろそろ涎を止めねば干からびるぞ」
「ハァハァハァハァハァハァ」

人見知りなのだろう、俊以外の前では大体この姿なので、突っ込む事はしない。何せ自分もまたもっさりしたオタクなのだ。オタクはオタクを笑わない、オタク皆平等。

「カイちゃん、骨付き唐揚げって何でこんなに美味しいのかしらねィ?がつがつ、お代わりィ!」
「骨付き唐揚げだからだろうもきゅもきゅ、お代わり」
「居候の分際で図々しい奴だなテメー!いつまで居座るつもりだ、遠野の迷惑を考えろ!」
「ほぇ?別に迷惑じゃないわょ?」
「だそうだが?」
「Shit!」

近頃、佑壱はシットシットと騒がしい。何に嫉妬しているのかは謎だが、犬だけに散歩に連れていかないとストレスが溜まるのかも知れないと思った。

仕方ない、今夜のパトロールには佑壱を連れていこう。
人相が悪いので出来れば連れていきたくないが、人相については自分が言える立場ではない事は痛感している。類は友を呼ぶのだ。
何せ初対面で殴られそうになった。


「おはよー、俊」
「ぉ邪魔します〜」
「タイヨーちゃん、桜餅、いらっさいまし!ささ、つまらないものですがシチューとガーリックトーストと手羽唐がございます。召し上がれェイ!」
「…つまらんもんで悪かったスね」
「俊、残念だが骨付き唐揚げはない。あるのは骨だけだ」


ああ、ああ。
何と穏やかな毎日だった事か。

←いやん(*)(#)ばかん→
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あきゅろす。
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