帝王院高等学校
虚構なる世界にうつろう者の系譜
「昔々、一匹の龍がおりました。
 神の使いであるその龍は、いつもそよそよと雲の上を泳ぎ、太陽が進む方へ方へと飛んでいます。天照の慈悲で星を包む様に、毎日毎日、世界を一周していました。

 ある日、龍はどうしても雲の下が気になりました。
 真っ白なその向こう側はどうなっているのか、何故か唐突に、どうしても知りたくなってしまったのです。

 龍は好奇心の囁くまま、陽を追い掛ける事を中断して、雲の下へと降りていきました。するとどうでしょう、無限に広がる青と緑の世界には、小さな小さな人間が暮らしていたのです。

 空とは違い、雲の下には海と大地がありました。
 目映い青と白の世界である空とは違い、人間の暮らす世界はなんと艶やかな極彩色で埋め尽くされているのか。

 ああ、綺麗だ。とても綺麗だ。ずっと見ていたい。
 それまで青い空と白い雲海、そして光しか知らなかった龍は、甚く感動したのです。


 人々は強大な龍を神と崇めました。
 龍はすぐに人の事が大好きになりました。けれど龍は余りにも大きく、人は余りにも小さい。

 龍はもっと近くで人を見たいと思いました。
 龍のままでは聞こえない、人の言葉を聞きたいと望みました。
 龍は己の願うまま一匹の小さな蛇へと姿を変え、人々の暮らす大地へと降りたのです。

 …するとどうでしょう。
 それまで龍を神の様に崇めていた人間は、蛇を見るなり大声をあげ、武器を振り回しました。龍には何が起きたのか判りません。
 判らないまま、龍は何の抵抗もせずに、人間から殺されてしまったのです。

 天照大御神は嘆き悲しみました。
 心優しい龍を殺した愚かな人間共に、天罰を与える事にしたのです。

 世界から太陽が消えました。世界は大雨で包まれました。雷鳴が轟き、海原は唸り、恐ろしい竜巻と台風が人間を襲ったのです。
 地は裂け、海は割れ、大地の奥底、沸騰するマグマのまだ奥底から女の笑い声が聞こえてきます。

 …黄泉比良坂の扉が開いたのでしょう。
 天照の慈悲を失った暗い世界は、地獄へと落ちるのを待つばかりでした。






 雨は止む気配がありません」

















構なる世界にうつろう者の








「そこへ近づいて来るものがありました。
 それはあの巨大な龍の脱け殻が、荒れ狂う大海原を彷徨う内に形を変え、まるで一隻の方舟のようでした。

 人々は伊邪那美の声から逃れる為に、ただただ、方舟へと手を伸ばしたのです」



その日の寝物語は、結末がなかった。

「愛を失った女は怖い。男の裏切りを決して許さない。見境なく逆恨みするのは女の特権だ。逃れる術は憎まれない事だけ、男には随分と分が悪い。神話の時代から語り継がれてきた説だ」

それに気づいた人間が何人居たのか。酷く静かな夜、世界は凪いで、空には細やかな星の光があるばかり。
月の姿はない。

「スコープを覗いて見える星の光のほぼ全ては、真円ではなく楕円を描いている。人が銀河と呼ぶ星雲は原子配列図と同じ形をしている事を、知っているか」

今夜の様な夜を星月夜と言うのだと、語り手は囁いた。
彼の話は創作ばかり、まるで母親が子供に語り聞かせるお伽噺の様だと、思った様な気がする。けれど定かではない。

「丸い、円い、宇宙の中で俺達の遺伝子は、丸く、円く、二重螺旋を描き続けた。人の形を成す為に」

誰も彼も眠たげな表情で、ただただ、与えられ続ける取り留めのない話を投げつけられるまま、抵抗など出来なかった。言葉が刃であれば誰一人生きてはいないだろう。無抵抗だ。眠りと言う深淵が目の前に見えている。

「始まりが判らないものの終わりを知る術はない。宇宙の真の始まりがビックバンであるのなら、終わりもまた、爆発なのだろうか。けれど圧縮されて消えると唱えている者も存在する。誰しも答えを知りたがっているんだ。理由は単純に、答えを知らないから」

(冬休みにはまだ早い)
(学校がある何人かは名残惜しげに帰っていき)
(帰る所のない大多数はカフェに残った)
(近頃客が増えた店は人手不足気味で)
(早朝の仕込みを手伝うと泊まり込んでいる)
(どうせつまみ食いが目当てだろう、などと)
(笑いながら指摘したのは誰だったか)



「海原を貫く渦潮は、海中で螺旋を描いている。それは正に竜巻の様に」

新月なのか違うのか、静かなのに明るい夜。
寝相の悪い高野健吾は藤倉裕也を敷き布団代わりに、枕を腕に抱いて、掛けるべきタオルケットを枕の代わりに頭の下に敷いている。
寝起きの悪い部屋の主、嵯峨崎佑壱は決して皆の側では眠らない。記憶はないが自分の低血圧時の凶暴さは理解しており、本人なりに反省はしている様だ。

「回る、廻る、太陽と月が入れ替わる様に。廻る、回る、子がいずれ親へと役職を変える様に。廻り続ける。星も人も、運命も…」

皆に用意してくれる朝食の準備の為に早起きする時は、早々に寝室へ籠り出てこない。佑壱の寝室へ入れるのは一人だけだ。
凶暴な彼を簡単に組み敷く事が出来る、たった一人の飼い主だけ。



「総、長…」
「ああ、何だ?」

青い羽根が顎を滑る。ピアスをつけている側を上に、横向きに転がっている眠り人は、ぱちぱちと目を瞬かせ、今にも眠りそうな眼差しで己の指先を見やった。

「ピアノもバイオリンも、…本当は、少し前まで触ろうとも思わなかったんです」
「そうか」
「それでも、弾きたくて弾きたくて仕方ない時がありまし、た。一度触れば後悔すると知っているのに…」
「後悔?」
「音が違うんです、よ…。それはもう、別次元の様に違うんです。まるで、クラリネットと洗濯ネット」
「ほう」
「………すみません、冗談のつもりだったんですが」
「すまん」
「もう、謝らないで下さい」

囁く声音は頼りない。今にも溶けそうだ。

「俺は、完璧な音を知っています。そして自分がそれを奏でられない事を嫌でも知っている。愛しいピアノは触れる度に、耳障りな声を出す」
「お前は耳がイイからだ」
「自己嫌悪は不毛だと思っていました。捨てたものを今更拾うなんて出来る筈もないでしょう?だから遠ざけるんです。自分が不十分だと認めたくないから、それすらも認めたくなかった。…総長が来るまでは」
「そうか」
「…遠い、誰も知らない何処かへ行きたいと思った事はありますか?」

眠りに落ちる間際、酷く拙い声音で彼は呟いた。
今にも溶けそうな瞼はゆったりゆったりと落ちていき、瞑る刹那の、微睡みの中。

「逃げる為と言うよりは、…得る為に」
「ない」

対して、意思の強い眼差しをそのままに、何の感情も感じさせない声音できっぱりと吐き捨てた男は、窓辺で丸くなっている毛布の塊を一瞥し手を伸ばした。

「何故ならば、何処に行こうと俺が俺である事に変わりはないからだ」
「…総長が総長である事に?」
「自分らしくある為に見知らぬ何処かへ行きたいのであれば、それを楽園と呼ぶのであれば。それは常に、己の心の中にしかない」
「…」
「弱くあるも強くあるも等しく全て、己が意思の残骸だ。目的へ向かう最中に至った結果に過ぎない。何故ならば評価とは常に、事後に他人が与えてくるものだと、俺は考える」
「………そう、ですね」
「元来、人は物事の経緯を重要視しない。全ては結果の示すがまま。結果が伴わない努力を口では誉めても、本心では結果が伴わない事を落胆している」

ならば結果さえ良ければ良いのだろうかと考えて、ああそうか、これは一般論だと思った。綺麗事は誰しも口にする癖に、誰もが結果しか求めていない。

「総長は強いからだと思います」
「違う。逃げる勇気がないだけだ。俺は運命に縛られている」
「運命?」
「カルマだ」
「ふふ。それきっと、屁理屈ですよ」

結果があってこそ、物事は成立するのだ。でもそれは、先程の問い掛けに対しての答えとしては、成立していない気がした。

「それでも、お前はお前が思う様に生きていくべきだ」
「…え?」
「他人の理屈なんて、その本人以外には全てが屁理屈だ。正論と詭弁の違いは感じた人間が勝手に決める。…さて、答えを一緒に探そう」

そう思った事を読み取ったのか、男は漆黒の眼差しを僅かに笑みで彩って、囁く様に宣う。誘う様に。歌う様に。

「そこには正しい経緯など必要としない。そこにはあるべき経過など必要としない。他人の評価とは結局、何の得にもならないものだ。違うか?」
「…はは。そう、他人に何を言われた所で、一円にもなりませんね」
「人は群れを成して発言する。それは弱く愚かだからだ。人は個を認めない。それは寂しいからだ。人は逸れる者を許容しない。それは、己には出来ない経過だからだ。それが与える結果を見ていない」
「…」
「寂しい癖に一人になりたがる奴が存在する。例えばこの子の様に」

その手はまた、毛布の塊を撫でた。

「望んで一人になりたがる理由は多かれ少なかれ、他人に傷つけられる事を嫌うからだ。一人になる事で何が得られる?それはきっと逃げじゃない。逃げているのは、他人を傷つける事でしか己を保てない脆弱な人間の方だ」
「…」
「お前はその脆弱な人間を切り捨てる事で、『傷つかないで済む生活』を得ようとしているのか?それは違う。お前は自分の義務と共に権利を手放しただけだ」
「権利、ですか…?」
「その脆弱な人間の脆弱さを突きつけて更生させてやる義務と、自分が自分らしく生活する権利、そのどちらも」

冬でもないのに毛布の中に潜って眠る大きな体、群れるつもりはないとばかりに、彼だけがぽつりと。いつも一人で窓辺の下に。
仲間外れの様だと思った。それではまるで、自分達がそうしている様だとも。けれど口にはしない。

「本当に嫌なら来ない」
「…は?え?」
「負の感情は感染する。少なからず、気づかない内に」

そうだ。言われた通り、嫌なら来なければ良いのにと、錦織要は毎回思っていた。
好かれていない事は感じていたが、恐らくそれは、他の誰もが友好的ではないからだろう。それは、いつかと同じ事だ。

「人は少なからず差別化している。己と己以外。喰う者と喰われる者。どんな聖人君子も飯を喰う。生きるとはそう言う事だ」
「………」
「誰が誰を苛めようが俺の知る事じゃない。誰が何処へ行こうと俺が止める事じゃない。何故ならば俺は、俺として産まれたその瞬間から、死ぬまで俺のままだからだ」

神崎隼人に対しての自分の行動は、いつか目の前の男にしたそれと、どう違う?いつか要を中国人として差別した、日本人達とどう違うと言うのか。

「けれど俺は正すだろう。俺の大切な家族が過ちを犯そうとした時は、躊躇う事なく。何故ならば他人がどうなろうと興味がないからだ。俺は俺の大切なものだけを存在するものとして認めている。それ以外は等しく全て、存在しないものだ」
「存在しない、もの…」
「俺を傷つけられるものは俺以外には存在しない。誰に何をされても俺は何も感じないだろう。俺の世界には俺と俺の大切なものしか存在しないからだ」
「…」
「大切ではないものから何をされたところで傷つく事などない。理由は単に、俺の世界には初めから存在しないものだからだ。何を言われようと何をされようと、それら全てが存在出来ない。俺が俺の世界に、それを認めていないから」

たった今、錦織要は己の過ちに気づいた。
気づいた所で今更、己が間違っていたと認める勇気はない。手に余る隼人を放置していたのは自分だけではない・などと、みっともない言い訳を吐いてしまいそうだからだ。

「俺にはお前達の心が聞こえる。まるでこの目で見る様に。…なァ、要。今も俺が苦手か?」
「まさか!」
「今もまだ、誰も知らない何処かに行きたいと思うか?」
「それは…」
「新しきを得るには、古きを捨てなければならない時もある。隼人が一人を捨てて、こうやって来てくれた様に」

撫でる。撫でる。その手だけは優しく、平等に。


「お前はまだ中学二年だ」

静かな声音はクラシックの様に子守唄。
他人の背を撫でるその手はまるで神聖な楽器に触れるかの様に、優しく、優しく、優しく。

「他人でも家族になれる。他人だからこそ家族以上に気遣える事があるかも知れない。でもそれは、多かれ少なかれ遠慮を孕む。無知な大人は考えるだろう。子供が遠慮をするとは思えない・と」
「…」
「それは違う。感受性は子供の方が強い。大人よりずっと多くのものを見聞きして、多くのものを感じ、考える。その分、幾つもの感情が混ざるんだ」

ああ。声に撫でられている様だ。

「嫌われている事に気づいても、知らない振りをするしかない。誰にでもそんな時がある。助けてくれる人がいない場合は尚更、それは例えば子供にとっての保護者だ」

いつか苦手だと思っていた相手の言葉がゆっくり染みていき、抵抗など考えもしない。これは、慣れたのだろうか。

「お前には判るだろう?」
「………は、い。そうです。俺には、物心ついた時からずっと、肉親が居なかった」
「我慢ばかり重ねてきたから、自分が本当に求めているものに気づかない。言いたい事を飲み込む癖を覚えて、何を飲み込んだのか忘れてしまう。お前の腹の中には色んな言葉が詰め込まれて、消化しないまま…それは何処に消える?」
「判りません」
「遠い何処かに行けば、誰も居ないそこで一人になれたら、お前は寂しくないのか?」

ゆったりとした声を聞いている内に、眠気は霧散した。
それと同時に瞼の内側から勝手に溢れた水滴が、ぼろりと零れていく。

「争いが生むものなど何もない。それでも、孤独がもたらす平穏が生むものもきっと、何もない筈だ」

誰も居ない、平和だけが存在する場所。
泣く事も憤る事もないそこは、きっと穏やかだ。

「何処に居ても俺が俺である事に変わりはない。大勢の他人は、大勢の他人と己を比較して生きている。多かれ少なかれ優劣をつけて、自分を自分と言う個として差別化している。それでも考えつかない。負ける相手がいなくなったその時、己が如何に孤独であるかを」

けれどなんと、寂しい世界なのだろう。
(自分以外がその他大勢)
(自分だけが一人)
(群れを嫌えば)
(群れから嫌われる)
(平穏とは一人のもので)
(でも、そこには何もない)

「…寂しい…」
「寂しくない人間なんか何処にもいない」
「総長も、寂しいと感じる事があるんですか?」
「ふ。俺は人間だぞ。いつだって、お前と似た様な事を考えている」
「信じられない…」
「そうやってお前は俺を仲間外れにするのか?」
「っ、すみません!そんなつもりは…っ」
「判ってる。でも、自分が崩れそうな時に怒りを他人へ向ける事で自我を保てるのであれぱ、その怒りは俺へ向ければイイ。他の誰でもなく」

凪いだ夜空の様な双眸が笑う。

「大切ではないものから何をされても俺は、傷つかない。逆に、大切なものから何をされてもまた、傷つかない」
「………ぷっ。ふふふ、それじゃ、総長は絶対に傷つかないんじゃないですか。狡いですよ」
「耐久性には自信があるんだ。俺のメンタルは豆腐を通り越して納豆だからな」
「納豆?」
「例えばとあるビルの駐車場の警備員を三時間でクビになっても凹まない、粘り強い男の精神力」
「え?」
「…まさか医師会が会合しているなんて思わなかったのょ、はァ。お陰様であの時から太郎ちゃんが眼鏡をビンビン光らせてて…はァ」

もそりと。
丸い毛布の塊が動いた。煩かったのだろうか、閉じていた瞼を眠たげに開いた男は背中を撫でている手を一瞥し、色素の薄い光彩を要へ向けてきたのだ。

「論破しようとして吹っ掛けた癖に、最後には笑ってるってさあ。馬鹿女のヒステリーみたいだねえ、王響さん」
「…何だと」
「寝た振りはやめたのか、隼人」
「ねえ、ボス。敵なんか何処にも存在しない圧倒的な勝者が弱者に与える優しさってさあ、なあんか、毒々しいと思わないー?」

最初から起きていたのかも知れない。

「綺麗事って、聞けば聞くほど空しくなるんだよねえ。言ってる人間の方はさあ、言えば言うほど気持ちよくなっちゃってるんだろうけどお?」
「貴様…!それはどう言う意味ですか!」
「おいで、カナタ」

カルマの誰もが自宅の様に入り浸っては寛いでいる嵯峨崎佑壱のマンションの、中央の部屋で。彼だけはきっと未だに慣れないまま、派手に誕生日を祝われてもまだ、馴染めないまま。

まるで子供をあやす様に呼ばれ、要は広げられた腕を見た。
素直に飛び込むには成長し過ぎた。躊躇っている内に漆黒の双眸は要から隼人へと映り、その手は、眼差しを若干遮るバイオレットのサングラスを押し上げる。
その時、漸く錦織要はサングラスの存在を思い出した。そんなもの存在しないも同然な程に、薄いレンズ越しの眼差しが強かったからだ。

「そう、俺は毒を与える。致死量に至らない僅かな毒を長い時を懸けて、少しずつ」
「…死なない程度、ってことー?」
「どうなると思う?」

まるで、群れの中の孤独。

「免疫だったらよいけどねえ?耐性だったら、あんま救われないかなあ」
「む。救われない?」
「慣れってさあ、単に鈍感になってくって事じゃん。そんなん、隼人君はお断りだねえ」

犬の群れに紛れた狐は、優しげな目元に妖しげな笑みを浮かべた。




















「日本の風は生温いわね」
「湿ってる!湿ってる〜ぅ!湿度オールキル!」

風は随分滑らかに吹いている。
まるで舐めるようだと笑う唇は、赤い。

「ああ、煩いのが来たわ…。ちょっと、貴方の飼い主、小煩いセルファレスはどうしたの?」
「我々経理監査部マスターは、早速お召し替えでぇす★陛下にお会いする前に、念入りにメイクアップなさるそうでぇす★なので代わりにサブマスターの私がお邪魔してまぁす!」
「あっそ。…それにしても面白い事になっているわよ。コード:サマエル、貴方の部署から消えた数人が付近にいるわ」
「ならば丁度良い。陛下にお会いする前に捕らえ、目的を聞き出すか」
「ふへっ。やぁだ、おじさんったら恐い事を言うんだから。此処は日本よ。無闇に血を流して良い国ではないわ、ナイト=メアの墓があるんだもの」
「構うものか。あの方の骸はこの国にはない。レヴィ=ノヴァと共に、地球で最も広い島の大地に埋葬されている」
「そう、グリーンランドの平和な大地に」

彼らは静かに囁き合う。
人々の群れに溶け込む様に、または避ける様に。極々、自然に。

「亡きナイト=メアに代わりなんか要らない。ノアはルーク=フェインだけで十分よ」
「でも暴動は起こった。これは終わりかしら、始まりかしら」
「どちらにせよ、帝王院秀皇が黒幕であるとすれば、二人のノアが正式に選定される事になるだろう。ルークか、ナイトか。答えは近く下される」
「ふへっ。マスターネイキッドが黒幕だったりしてね♪ネイキッドが手懐けられない獣だって事は、陛下もご存じでしょう?」
「…あら、今回はマスターファーストが牙を剥いたと考えるべきよ。元老院の半分は血統主義者だもの」

若々しい少年らの視線を集めた女は笑顔を振り撒きながら、ゆったりと囁き続けた。嘲笑う様に。

「ヴィーゼンバーグの末裔であるネイキッドよりは、アビスレイの血を引いたとしても、忠実なアランドール=アシュレイ様の孫娘が生んだゼロ=アシュレイは強い武器になるわ。シスター=テレジアに生まれたキリストは、生まれながらに執事であるアシュレイが兄なんてね…」
「あーあ、弟にかしずく運命の兄。良いわねぇ、ぞくぞくしちゃう♪クライスト卿がもう少し若かったら食べちゃいたいんだけど〜」
「貴方、コード:エルメシスみたいな事言わないで頂戴」
「経理監査部は対陸情報部より順位が上なのでぇす」
「っ、マスターがマスターなら、部下も部下だわ!」

入りたくはないが、誰かが仲裁しなければ女達の不毛な争いは終わらない様だ。

「…いつまでつまらない話をしている。馬鹿共の居場所を特定しろ、コード:ヒストリア」
「そんな雑用は中央情報部の仕事よ。ただでさえジェネラルフライアのジャミングで、回線も満足に開けないんだから。簡単に言わないで欲しいわね、マスターサマエル」
「そうそう、権限差異には勝てないんですよ〜ん。対陸情報部は当然として私達経理監査部の回線までも使えないんでぇす。あぁん、陛下にお願いして新しい電波に切り替えて貰わなきゃ★元帥じゃない限り、衛星に接続する権限がないなんて酷〜い。マスターファーストとマスターディアブロが羨ましくてぇ、殺したくなりましたでぇす!オールキル!」

女らの自由さに男らは閉口し、顔を見合わせた。

「ねぇねぇ、マスターヒス。帝王院秀皇ってオジサンでしょう?陛下の父親かも知れないって聞いたけど、美形ですかぁ?」
「さぁね。少なくとも中央情報部のサーバーにデータはなかったわ。私の権限で閲覧出来る範囲では、だけど」
「マスターディアブロもマスターファーストも美形だけど、陛下の前じゃ赤ちゃんでぇす。あーん、今回のトラブルが無事解決したら抱いて貰えますですか〜!」
「馬鹿ね、陛下がアンタなんか相手になさる筈がないでしょ?その幼児体型、成長させてから宣いなさいな。大体あざといのよ、その下手な日本語」

睨み合う女共に、男らは誰一人口を開かない。
神妙な面持ちで近づいてきた校舎を見上げた彼らは、規制線が張られた北西方向へ目を向ける。

「何ですかぁ、あの騒ぎは〜★」
「面倒臭いわね、人が集まり過ぎてるわ。陛下には目立たないように来いと言われてるんだったわね、サマエル」
「…知った顔があるな。あれは、対外実働部のランクBだ」
「マスターファーストの使いっぱしりが、堂々と何してるの?」
「あそこの景色、少しズレてるわ。…あら、こんな朝っぱらから堂々とシャドウウィングを飛ばしてるなんて、対空管制部に喧嘩を売ってるのかしらね」
「恐〜い!ねぇ、ジェネラルフライアは女だったんでしょう?私達ランクAを騙し続けた女、私に探させてよ!」

女にしては肉の薄い、折れそうなほど細い足にニーハイソックスを穿いた小柄な人の、大きな目が弧を描いた。

「ルーク=ノアに褒めて貰うんでぇす。私のマジェスティに近づく女は抹殺しなきゃいけませぇん、ぜ〜んぶ。オールキル!」
「殺す前に自白させるのよ。そうね、オリオンの捜索はオリオンに傷一つつけるなと言われてるけど、ジェネラルフライアに関しては何の命令もないわ」
「対外実働部が仲間とは限らないもんねぇ…。ふへへっ、年寄りナイトなんかいなくなっちゃえば、」
「やめなさい。マスターサマエルは忠実な神の下僕よ」

暗い暗い笑みを滲ませる女らから視線を浴びた男は目を細め、二人から目を逸らす。険悪な空気のまま、勝手に何処ぞへ歩いていった女達を呼び止める者はいない。

「奴らの好きにさせて良いのか、コード:サマエル」
「…何を言った所で無駄だろう。男の癖に女になりたがる様な人間、まともな会話が通じるとは思えん」
「違いない。…悪いが、私も好きに動かせて貰う。我が区画保全部の馬鹿共が、これ以上聖地を荒らす前に・な」
「くれぐれも帝王院一族に手を出さぬよう」
「君は忠実なノアの下僕、私は忠実な神の下僕。玉座に在るのがルークであろうとナイトであろうと、ステルスに埋めると決めた我が身だ」
「黒の導きがあらん事を」
「…互いに」

そうして男達もまた、遠く遠くへと離れていく。

「本物の悪魔、マスターベルフェゴールが巣食う学園か。…あれに関しては、ネイキッド=ディアブロより扱い難い相手だ」

聳える巨大な校舎を見上げた男は、遠い記憶を揺り起こした。12年前の叩きつける雨の中で見た、悪魔の晩餐を。



「高坂日向と山田太陽、二つの『SUN』を従える、あのノアは誰だ…?」

←いやん(*)(#)ばかん→
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